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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第8章 知識は檻を越える

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第39話 告発


 地上へ戻った時、学院の空気は変わり始めていた。


 地下へ降りる前と同じ廊下。

 同じ石壁。

 同じ窓から差し込む午後の光。


 それなのに、音だけが違った。


 人の声が、途中で切れる。

 足音が、角を曲がる前に止まる。

 遠くの教室から聞こえていた笑い声が、俺たちの姿を見た瞬間に薄くなる。


 ただし、その場で聖教会の審問官が現れたわけではなかった。


 封印書庫の監査鐘が鳴った直後、まず動いたのは学院内部の監査室だった。


 旧東棟地下から地上へ戻った俺たちは、封印区域の出口で足止めされた。

 持ち出し物の確認。

 閲覧記録との照合。

 危険語検知時の発話記録。

 同行者全員の署名。

 そして、所持品検査。


 フィンの工具袋も、リナの医療キットも、カイの退避札束も、リオネルの風術触媒も、エリシアの焔紋の杖も、いったん監査官の机に並べられた。


 没収ではない。

 少なくとも、その時点では。


 クラリス先生が封印書庫の閲覧許可証と終了報告を突き合わせ、資料損傷なし、持ち出しなし、写本なし、未承認発動なしと一つずつ確認させた。

 そのおかげで、所持品は夕刻までに返却された。


 フィンは工具袋を受け取った瞬間、「工具まで審問された気分だ」と笑った。

 笑っていたが、紐を結び直す手は少し硬かった。


 返されたからといって、終わったわけではない。

 むしろ、正式な手順はそこから始まった。


 監査鐘の記録は、学院長室へ送られる。

 学院長室から王国監査部へ送られる。

 封印書庫第三層の危険語検知には、王国だけでなく聖教会への通達義務がある。

 特に《Ω》《外部演算》《疑似スキル互換層》が含まれていた場合、王都北区にある聖教会王都支部へ自動的に照会が飛ぶ。


 王都内なら、一晩で十分だった。


     ◇


 翌朝、第二鐘が鳴る頃には、学院の門前に白い馬車が停まっていた。


 聖印を掲げた馬車。

 銀の格子。

 車輪の軸に刻まれた聖句。


 学院長は夜明け前に王国監査官と面会し、教会支部の立ち入り許可へ署名したらしい。

 早すぎるように見える。

 だが、手順としては早すぎない。


 最初から、そういう網が張られていたのだ。


 俺たちはクラリス先生に呼ばれ、旧東棟から中央棟へ向かっていた。

 昨夜返されたばかりの持ち物を、それぞれがいつもより強く握っている。


「……嫌な静けさね」


 隣を歩くエリシアが、低く言った。

 いつものように背筋は伸びている。けれど、指先は焔紋の杖に触れたままだった。


「沈黙にも種類があります」


 俺は廊下の奥を見た。


「無関心の沈黙。恐怖の沈黙。命令された沈黙。今のは、三つ目が多い」


「観測が早いわね」


「嫌な観測ほど、誤差が少ない」


 フィンが後ろで舌打ちした。


「俺の工具袋、返してもらったばっかなんだけどな。もう没収とか言われたら泣くぞ」


「泣く前に隠すでしょう、君は」


「もちろん」


 小声でそう返すフィンの顔に、冗談の軽さはなかった。


 リナは医療キットを胸に抱えている。

 カイはいつもより半歩後ろを歩き、角を曲がるたびに監査官の位置を確認していた。

 リオネルは無言だった。廊下に立つ監査官と貴族学生たちの視線を、黙って受け流している。


 そして先頭のクラリス先生は、いつもと同じ歩調だった。


 柔らかい。

 穏やか。

 崩れない。


 だが、俺には分かる。

 先生の右手は、研究手帳ではなく、許可証の封筒に触れていた。


 封印書庫の閲覧許可証。

 つまり、責任の所在を示す紙だ。


 階段を上がり、中央棟の監査廊へ出たところで、行く手を塞ぐ影があった。


 黒衣が三人。

 白衣が二人。

 学院の監査官ではない。


 胸元に銀の聖印。

 肩から垂れる細い鎖。

 指に嵌められた、青白く光る審問指輪。


 聖教会の正式装束だ。


 中央に立っていた男が、一歩前へ出た。


 年齢は四十前後。

 顔立ちは整っているが、表情には温度がない。

 瞳は人を見るというより、書類を読むように動く。


「クラリス=エルダーレン准教授」


 男の声はよく通った。


「聖教会王都支部、異端審査院所属。審問官マルティン=セヴェルである」


 クラリス先生は、静かに頭を下げた。


「学院准教授、クラリス=エルダーレンです。ここは王立魔導学院の管理区域です。教会権限での立ち入りには、学院長印と王国監査印が必要です」


「すでに確認済みだ」


 マルティン審問官が指を鳴らす。


 背後の白衣が、巻紙を開いた。

 学院長の印。

 王国監査官の印。

 そして、教会支部の聖印。


 三つの封が並んでいた。


 クラリス先生の目が、わずかに細くなる。


「早いですね」


「神の秩序を脅かすものへの対応に、遅延は許されない」


「神の秩序、ですか」


「封印書庫第三層における危険語検知。同行者の中に非連結者。外部演算、Ω、疑似スキル互換層という禁忌概念の閲覧および定義。以上について、事情聴取を行う」


 ざわ、と廊下の奥が揺れた。


 いつの間にか、学生たちが集まっていた。

 直接近づく者はいない。

 皆、扉の陰や階段の踊り場から、こちらを見ている。


 好奇。

 恐怖。

 嫌悪。

 期待。


 それらが混ざった視線の中で、ザレス副学長が姿を現した。


 黒衣。

 聖印指輪。

 あの、相手の言葉を裁きやすい形に言い換える男。


「審問官殿」


 ザレスは恭しく頭を下げた。


「学院側としても、極めて遺憾に思っております。封印資料の限定閲覧が、このような危険思想の温床になるとは」


 クラリス先生が言った。


「ザレス副学長。閲覧許可は学院長承認のもと、正式に出されたものです。資料損傷なし。持ち出しなし。写本なし。高出力術式なし。危険語検知は、閲覧対象の性質上避けがたいものです」


「避けがたい?」


 ザレスが眉を上げる。


「非連結者に封印書を見せることが、避けがたいと?」


「未登録R-IDの照合には、現場観測者の立ち会いが必要でした」


「現場観測者。便利な言葉ですな」


 ザレスの視線が俺に向く。


「天城ユウマ。君はまた、理屈で禁忌を薄めようとしている」


「薄めていません」


 俺は答えた。


「むしろ濃度を測っていました」


 フィンが「今それ言うか」という顔をした。

 エリシアが小さく息を吐く。


 ザレスの口元が歪む。


「聞きましたか、審問官殿。これです。この者は、神聖なる禁忌すら計測対象として扱う」


「神聖かどうかは、俺には判断できません」


「ならば黙れ」


 ザレスの声が鋭くなる。


「判断できぬ者が、なぜ触れた」


「危険を放置しないためです。森の魔獣襲撃は、自然発生ではありませんでした。異常個体の角片には未登録R-IDがあり、同期失敗の痕跡がありました。封印資料を照合しなければ、同じ事故が繰り返される可能性がある」


「事故?」


 マルティン審問官が、初めて俺へ正面から向き直った。


「君は、神の秩序への侵犯を事故と呼ぶのか」


「現象に名前をつける時は、まず原因を分けます。意図的な攻撃、自然発生、管理失敗、模倣実験。分類しなければ、対策も立てられない」


「対策」


「はい」


「神の領域に、人間が対策を立てると?」


 その問いに、廊下がさらに静かになった。


 俺は答える前に、呼吸を一つ数えた。


 結論。

 根拠。

 例。


 こういう時ほど、順番を間違えると燃える。


「人が傷つく現象なら、人が対策を立てるべきです」


 言った瞬間、空気が凍った。


 リナの指が医療キットを握りしめる。

 カイが一歩、俺の横へ出かけて止まる。

 リオネルが目を閉じた。


 マルティン審問官は表情を変えなかった。


「記録せよ」


 白衣の一人が、板へ羽ペンを走らせる。


「天城ユウマ。神域現象への人為的介入を肯定」


「発言を歪めないでください」


 エリシアが一歩前へ出た。


「彼は人命を守る話をしています。森の実習で、実際に死者を出さなかったのは――」


「エリシア=ヴァーミリオン嬢」


 マルティン審問官の声が、わずかに柔らかくなった。

 だが、それは敬意ではない。

 貴族の名に対する処理手順だ。


「あなたは証人であり、場合によっては被影響者でもある。発言は慎重に」


「被影響者?」


「異端思想に接した者は、自身の判断が汚染されている可能性を自覚できない」


 エリシアの瞳に火が灯った。


「私の判断を、汚染と呼ぶの?」


「高貴な血であるからこそ、汚染は重大です」


 廊下の奥で、誰かが息を飲んだ。


 エリシアの火は、目に見えない。

 けれど、彼女の周囲の空気がわずかに揺れた。

 熱流の前兆だ。


「エリシア」


 俺は小さく言った。


「……分かっているわ」


 彼女は杖から指を離した。

 その動作だけで、どれほど自分を抑えたか分かる。


 クラリス先生が前へ出た。


「審問官殿。責任者は私です。封印資料閲覧の申請者、監督者、閲覧終了報告者、すべて私です。学生への事情聴取は、学院内規により私の立ち会いが必要です」


「立ち会いは認める」


 マルティンは淡々と言った。


「ただし、天城ユウマの身柄は教会管理下へ移す」


「王都支部への同行、という意味ですか」


「そうだ。裁きの塔にて、予備審査を行う」


 裁きの塔。


 王都北区にある聖教会支部の審問施設。

 王国の中にありながら、王国の法だけでは閉じていない場所。


 その名前が出た瞬間、学生たちのざわめきが一段低くなった。


「根拠は」


 クラリス先生が問う。


「危険語検知における中心署名。非連結者でありながら、外部演算互換層を定義したこと。さらにΩへの言及」


「彼はΩ接続を禁止しています」


「禁止する者は、知っている者だ」


「危険を知ることと、危険を行使することは違います」


「違わない」


 マルティンの声が、初めて硬くなった。


「神の秩序においては、知らぬことが守りである」


 その一言で、俺は理解した。


 この男は、無知を美徳として言っているわけではない。

 彼にとって知識は、階層化されるものだ。

 知ってよい者と、知ってはならない者。

 触れてよい血統と、触れてはならない非連結者。


 問題はΩだけではない。

 外部演算だけでもない。


 俺が非連結者であること。

 その俺が、知識に手を伸ばしたこと。


 それ自体が、秩序の違反なのだ。


 フィンが低い声で言った。


「ふざけんなよ。ユウマは止め方を決めただけだろ」


「フィン」


 俺は止めた。


「でもよ」


「今は、声を上げる場所じゃない」


「じゃあどこで上げんだよ」


 答えられなかった。


 代わりに、リナが震える声で言った。


「審問官様。彼がいなければ、森で何人も死んでいました。治癒が間に合わなかった子もいたと思います。わたしは、それを見ています」


「その治癒手順も、異端理論の影響下にある可能性がある」


「そんな……」


 カイが歯を食いしばる。


「人を助けたことまで罪にするのかよ」


「罪か否かは、裁きの場で決める」


 マルティンが右手を上げた。


 黒衣の二人が前へ出る。

 鎖ではない。

 細い銀線を編んだ拘束具。

 魔力出力を封じるためのものだろう。


 俺にはほとんど意味がない。

 もともと出力は低い。


 だが、象徴としては十分だ。


 非連結者を縛る。

 知識に触れた者を縛る。

 学生たちに見せる。


 これは手順ではなく、劇場だ。


「天城ユウマ」


 マルティンが告げた。


「君には、異端審査への出頭を命じる。抵抗すれば、同行者への連座も検討される」


 連座。


 その言葉で、全員の空気が変わった。


 エリシアが俺を見る。

 フィンが拳を握る。

 リナが唇を噛む。

 カイが今にも飛び出しそうになる。

 リオネルは黙ったまま、廊下に立つ監査官と貴族学生たちの視線を受け流していた。

 クラリス先生は、何かを言いかけて止めた。


 俺は三枚の木片に触れた。


 起動。

 危険。

 停止。


 今、必要なのは停止だ。


 ここで抵抗すれば、仲間ごと潰される。

 学院内での逃走は、地形も封鎖も相手に有利。

 情報も足りない。

 感情で動く場面ではない。


「分かりました」


 俺は両手を差し出した。


「事情聴取に応じます」


「ユウマ!」


 フィンが叫ぶ。


「大丈夫だ」


「大丈夫な顔してねぇよ!」


「顔色は変数に入れるな」


「入るだろ普通!」


 少しだけ笑いそうになった。

 こんな状況でも、フィンはフィンだ。


 銀線が手首に巻かれる。

 冷たい。

 魔力を吸う感覚はほとんどないが、皮膚に微かな刺し傷のような違和感が走った。


 エリシアが、低く言った。


「私も行くわ」


「認められない」


 マルティンが即答する。


「彼は私の共同研究者です」


「だからこそ認められない」


「ヴァーミリオンの名で要求しているのだけれど」


「聖教会は、血統より神意を上位とする」


 エリシアの顔から表情が消えた。


 それは怒りより危ない顔だった。


「エリシア」


 俺は言った。


「記録を守ってくれ」


「……あなた」


「俺が言ったこと、定義したこと、止めたこと。全部、消されると困る」


「そんなこと、分かっているわ」


「なら、頼む」


 彼女はしばらく俺を見ていた。


 そして、小さく頷いた。


「必ず」


 クラリス先生が、俺の前へ歩み寄った。


「天城君」


「はい」


「問いには、急いで答えないこと。彼らは言葉の定義をずらします」


「先生もよくやりますよね」


「私は学問のためにやります。彼らは裁きのためにやります」


「違いは大きいですね」


「ええ」


 先生は穏やかに微笑んだ。


 だが、その目は笑っていなかった。


「あなたは、知識を持っているだけで罪になる世界の入口に立っています。けれど、忘れないでください。知識が罪なのではありません。人を支配するために知識を閉じることが、罪に近いのです」


 マルティンが遮った。


「発言を控えよ、クラリス准教授」


「控えます」


 先生は一歩下がった。


 その手が、一瞬だけ俺の手首の銀線に触れた。

 微かな感触。


 紙片ではない。

 魔力でもない。

 ただの合図。


 見ている。

 考えている。

 諦めていない。


 それだけで十分だった。


 俺は連行されながら、廊下の先を見た。


 学生たちが道を空ける。

 誰も声を上げない。

 誰も止めない。


 責める気にはならない。


 恐怖は、人間を止める。

 役割がなければ、人は動けない。


 だから、次に必要なのは役割だ。

 誰が記録を守るのか。

 誰が証言を集めるのか。

 誰が逃げ道を探すのか。

 誰が止める箱を作るのか。


 考える。

 観測する。

 手順を組む。


 裁かれる側になっても、それは変わらない。


 玄関ホールへ出ると、学院の大扉が開いていた。

 外には、教会の馬車が停まっている。

 白い車体。

 銀の聖印。

 窓には内側からも外側からも開かない封印格子。


 その向こうで、王都の空は青かった。


 青すぎるほどに。


 俺は一度だけ振り返った。


 ホールに残された仲間たちは、誰も動けずにいた。


 エリシアは杖を握ったまま、炎を出さないことで自分を抑えている。

 フィンは工具袋の紐を握りしめ、今にも何かを作り出しそうな顔をしていた。

 リナは医療キットを抱えたまま、涙より先に俺の手首の拘束具を見ている。

 カイは一歩踏み出しかけて、連座という言葉に足を止めていた。

 リオネルは周囲の貴族学生たちを見返し、沈黙が誰の利益になるのかを考えているようだった。

 クラリス先生だけが、静かにこちらを見ていた。


 あの目は、諦めていない人間の目だった。


 その後ろで、ザレスが言った。


「見なさい、諸君。これが、秩序を軽んじた者の末路です」


 俺は思った。


 違う。


 これは末路じゃない。


 実験で言えば、まだ初期条件の設定だ。


 馬車へ乗せられる直前、マルティン審問官が告げた。


「天城ユウマ。これより、聖教会王都支部へ同行してもらう。裁きの塔で予備審査を行う」


 裁きの塔。

 王都の中にある、教国の影。


 まだ聖都ハルモニアへ送られるわけではない。

 まだ本院ではない。

 まだ、王国の内側だ。


 だが、最初の扉は開いた。


 俺は小さく呟いた。


「知識は、封印札で消えない」


 誰かに聞かせるためではない。

 自分の中の恐怖を、定義するための言葉だった。


 扉が閉まる。

 封印格子が青白く光る。


 馬車が動き出した。


 王都の石畳を叩く車輪の音が、やけに正確な周期で響いた。


 その周期を数えながら、俺は目を閉じた。


 恐怖はある。

 怒りもある。

 悔しさもある。


 だが、それらは全部、ノイズだ。


 ノイズは消さない。

 観測する。

 必要なら、信号に変える。


 裁きの場で、俺が守るべきものは一つだけだ。


 発動ではなく、停止。

 権威ではなく、再現性。

 奇跡ではなく、人命。


 そして、知識に罪はないということ。


 馬車の外で、教会の鐘が鳴った。


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