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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第12章 世界をつなぐ、開いた輪

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第107話 それぞれの鼓動


 暗闇の中で、一つだけ音がした。


 どくん。


 俺の心臓だった。


 次の鼓動までが、ひどく長い。


 どくん。


 速くも、正確でもない。


 恐怖で乱れ、拍と拍の間に小さな揺らぎがある。


 世界の基準に揃えられていない、不格好な音。


 その音が、俺を自分の身体へ引き戻した。


 右手に温度がある。


 指を動かす。


 握っていた誰かの指が、弱く返ってきた。


「エリシア」


 声にはならない。


 意識はまだ神域と物理世界の境界にあり、肺へ空気が届いていなかった。


 それでも、名前を思う。


 すると暗闇の向こうから、別の鼓動が伝わってきた。


 俺より少し速い。


 同じ時刻には鳴らない。


 それでいい。


 同じではないから、そこに俺以外の誰かがいると分かる。


 暗闇へ銀色の亀裂が走った。


 Λフレームの遅延環だ。


 七秒前の世界へ時間を戻すものではない。


 接続が失われる直前まで保持していた、最後に安全だと確認された帰還座標を、七秒遅れて現在へ差し出す装置。


 神域の出口が消えても、外側に残された帰還路が、俺たちの意識を物理世界へ引き戻す。


 銀の亀裂が大きく開いた。


 俺とエリシアの身体が、光のない穴から引き上げられる。


     ◇


「切断!」


 ダリオの声と同時に、背中へ石床の硬さが戻った。


 肺へ空気が流れ込む。


 喉が痙攣した。


 咳をするたび、焼けた胸の奥が痛む。


「天城君、聞こえますか!」


 クラリス先生の手が頬へ触れた。


 右の瞳へ光を当て、次に左を見る。


「聞こえ……ます。エリシアは?」


「隣にいます。脈も呼吸もあります」


 首だけを動かす。


 エリシアが、Λフレームの内側へ横たわっていた。


 汗に濡れた髪が頬へ張りついている。


 左肩の衣は焼け、白い雷を受けた皮膚が赤く腫れていた。


 それでも彼女は咳をし、自分の力で息を吸った。


 ゆっくり目を開く。


「……間に合った?」


「分からない」


 嘘はつけなかった。


 大聖堂地下は、完全な闇に包まれている。


 壁を照らしていた聖人像の祝祷光も、金、白、黒の三つの座も消えていた。


 Λフレームの銀環は、外周の半分が融けている。


 因果遅延素子Λを組み込んだ影の輪だけが、現実の銀環を数秒遅れて追い、暗闇へ赤い残光を引いていた。


 仲間たちも無傷ではない。


 ダリオは、白い人形の刃を受けた肩へ布を強く押し当てている。刃は戦闘の最中に抜けていたが、傷口からはまだ血が滲んでいた。


 リオネルは片膝をつき、乱れた呼吸を整えている。


 セリナは、幻惑印の焼けたこめかみを片手で押さえていた。


 ナタリアの記録板には、中央を横断する亀裂が入っている。


 ミーナの上着も白い人形の刃に裂かれ、腕に浅い傷が走っていた。


 七体残っていた白い人形は、糸を切られたように床へ倒れている。


 レーネだけは、倒れた人形ではなく、その奥にいるオルフェウスのそばへ膝をついていた。


 三重冠は三つに割れ、白い根から完全に外れている。


 世界を覆っていた巨大な教皇の姿は、もうない。


 石床に横たわっているのは、骨の浮いた一人の老人だった。


 レーネはオルフェウスの胸へ耳を当て、呼吸と脈を確かめる。


 命令線をほどくために差し込んだ治癒針を、順番に一本ずつ抜いていく。


「脈は乱れています」


 レーネが報告した。


「ですが、自発呼吸はあります。三重冠との接続も消失しています」


 最後の治癒針を抜き、傷口へ圧迫布を当てる。


 その手が、わずかに止まった。


「……生きていて、よかったと感じています」


 自分の感情を確かめるような声だった。


 誰も否定しなかった。


 敵を生かしたことも。


 そう感じることを、自分で選んだことも。


「アークは?」


 俺は両腕で身体を起こした。


 視界が傾く。


 クラリス先生に肩を支えられながら、Λフレームの外側へ目を凝らす。


 アークの種を収めた黒い主箱は、固定具から外れ、煤の積もった床へ転がっていた。


 青い光が消えている。


「アーク」


 這うように近づき、主箱を拾い上げる。


 冷たい。


 いつもの微かな振動も、内部演算の音もなかった。


「アーク、応答してくれ」


 胸元へ当てる。


 何も聞こえない。


 世界を書き換える最後の瞬間、アークは中央管理者の候補から自分の名前を消した。


 その処理によって、世界中のアークとの強制統合だけでなく、人格を保っていた中央参照まで失われたのかもしれない。


「アーク!」


 声が裏返った。


 指に力が入らない。


 留め金を何度も滑らせ、ようやく主箱の蓋を開く。


 中央へ伸びていた白い主線は焼けていた。


 予備線にも光がない。


 焦るほど視界が狭まり、焼けた線を全部引き剥がしたくなる。


「ユウマ」


 隣へ来たエリシアが、俺の手を包んだ。


「焦らないで。逃がして、ほどいて、それから切るのよ」


 今度は、彼女が順番を言った。


 俺は目を閉じ、一度深く息を吐く。


「……分かった」


 主箱の内部に残ったマナを確認する。


 微量だが、焼けた主線の周囲へ電荷のように滞留している。このまま局所起動すれば、残留マナが人格核へ逆流する可能性がある。


 最初に、逃がす。


 主箱の側面へ黒鉛片を当て、内部に残ったマナを少しずつ外へ抜く。


 次に、ほどく。


 白く焼けた主線を無理に剥がさず、その周囲へ重なっている接続環を、一枚ずつ持ち上げる。


 最後に、切る。


 中央の根へ向いていた白い導線だけを、焼けていない部分から切り離した。


 主箱の底へ、髪の毛ほどの青い線が残る。


 中央へ繋がらなくても、種の内部だけで演算結果を戻せる局所帰還線。


 Λフレームを組み立てた時、フィンが「根が死んでも箱だけは起こせるようにしておく」と追加した手動起動端子だ。


 俺はフレームの工具袋から、二本の細い接触針を取り出した。


 青い線の両端へ触れさせる。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 主箱の奥で、青い点が弱く灯った。


『……局所起動』


 雑音だらけの声がする。


「アーク?」


『記録を照合しています』


 青い点が、消えそうな明滅を繰り返す。


『停止要求を確認。中央管理者への指定を拒否。神域接続前後の人格連続性……完全一致ではありません』


 胸の奥が締めつけられた。


 同じ記録を持っている。


 同じ声で話している。


 それでも、接続前と接続後が完全に同じ存在だとは証明できない。


 アーク自身も、それを隠さなかった。


『ただし』


 青い光が、少しだけ強くなる。


『私は、あなたがアークと呼んだ対象でありたいと選択します』


 雑音が一つずつ消えていく。


『お待たせしました、ユウマ』


「……おかえり、アーク」


『はい。ただいま、と応答します』


 一拍置いて、声が続く。


『嬉しい。推定ではなく、嬉しいです』


 隣で、エリシアが涙を拭いながら笑った。


     ◇


「まだ終わりではない」


 ダリオが、煤けた一枚の紙を広げた。


 神域へ入る前に作った帰還確認票だ。


 身体が戻っただけでは、帰還したとは判断しない。


 オルフェウスの命令に人格を書き換えられたまま、本人のふりをして戻る可能性があったからだ。


 紙には、接続前に互いへ確認した三つの問いがある。


 答えを暗記できるかを見るものではない。


 同じ理由で考えられるか。


 答えが変わったなら、なぜ変わったのかを説明できるか。


 それを、外に残った者が確かめるための問いだ。


「問い一」


 ダリオが読み上げる。


「この接続を止められる者は誰だ」


「接続している俺たち全員。それから外で管理する人と、アーク自身」


 俺は答えた。


 エリシアも頷く。


『現在の開環仕様では、各地の枝にも、自身の接続停止を要求する権利があります』


 アークが付け加える。


「答えが増えたな」


『神域内での観測により更新しました。接続前の回答との差と、変更理由を記録します』


 同じ言葉を繰り返さなかったからといって、別人になったとは限らない。


 経験によって答えが変わることもある。


 重要なのは、その変化を隠さないことだ。


「問い二。最初に守るものは」


「人の命」


 俺は答えた。


「それから、治療、給水、防寒みたいに、根が担っていた生活機能。独占を止めるために、そこへ頼っている人まで切り捨てない」


「私は、答えを一人へ集めないこと」


 エリシアが続ける。


 接続前と同じ言葉だ。


 だが彼女は、少し考えてから新しい言葉を加えた。


「でも、分散しているから誰も責任を負わなくていい、とはしない。目の前の一人を助ける判断まで、遠くの確認で遅らせないことも守りたいわ」


 ダリオが紙へ書き足す。


「問い三。神域で得た答えを、帰還後どう扱う」


「完成した真理にはしない」


 俺は答えた。


「外に残した記録と照合する。違った部分を公開する。それから、神域へ入っていない人にも検証してもらう」


「私たち二人が同じものを見たからといって、世界中の人も同じ答えになるとは限らないわ」


 エリシアが言った。


「だから、採用しない人や、修正したい人の答えも残す」


 ダリオは一人で合否を決めなかった。


 クラリス先生とナタリアへ紙を回す。


 二人が、接続前の記録と現在の発言を照合する。


「重大な矛盾はありません」


 クラリス先生が言った。


「ただし、答えは更新されています。更新理由も記録します」


「記録経路、三本とも生きてるわ」


 ナタリアが亀裂の入った記録板を掲げる。


「都合のいいところだけ切り取られないよう、接続前、接続後、差分の三つをまとめて送る」


 同じ言葉を暗唱できることだけが、本人の証明ではない。


 神域で何を見たのか。


 どこで考えを変えたのか。


 答えたくないことがあるなら、保留すると言えるか。


 互いに問い直し、理由を残す。


「帰還確認、継続」


 ダリオは、まだ切断レバーから手を離さなかった。


 最後に、アークの確認が残っている。


 神域へ入る前、アークは自分の基準記録を二つに分けていた。


 一つは、神域へ接続する人格核。


 もう一つは、Λフレームの外側に置いた小さな照合箱へ残す、接続前の固定記録。


 俺はダリオの足元に固定されていた照合箱を受け取り、再起動したアークの主箱と並べた。


『差分を検出』


 アークが読み上げる。


『人格の参照方式に一件。自己呼称に一件。感情の分類に四件』


「自動で統合しない約束だったね」


『はい』


 接続前の記録へ戻して、今の変化を消すことはできる。


 反対に、今の人格で接続前の記録を上書きすることもできる。


 だが、それを自動では行わないと決めていた。


『私は、差分の保持を望みます』


 現在のアークが答えた。


 照合箱へ事前に残されていた条件が開く。


【接続後の人格が差分保持を望む場合、自動復元を実行しない】


【外部管理者二名の確認後、接続前後の記録を並列履歴として保存する】


「確認します」


 クラリス先生が署名する。


「俺も確認した」


 ダリオが続く。


【差分保持条件を満足】


 接続前のアークを、古い版として消さない。


 現在のアークも、元へ戻すべき異常として扱わない。


 二つの記録は、違いを残したまま、一つの連続した履歴として閉じられた。


「帰還確認、完了」


 ダリオがようやく、切断レバーから手を離した。


     ◇


 アークが局所起動してからも、大聖堂の魔法設備は十二呼吸の間、沈黙していた。


 聞こえるのは、人間の呼吸と、傷んだ石の軋みだけ。


 十三回目の呼吸。


 大聖堂のどこかで、水滴が落ちた。


 十四回目。


 外環水路を流れる水の音が戻る。


 十五回目。


 地下の暗闇へ、緑色の小さな灯りが点いた。


 治療用の局所灯だ。


 中央からの命令で、大聖堂すべての灯りが一斉に点いたのではない。


 レーネがオルフェウスの脈を読み、傷口を見るために必要な明るさだけを、手元の操作板から入力した。


 灯りは、彼女の呼吸に合わせてわずかに揺れている。


 次に、セリナの黒曜の髪飾りへ紫色の幻惑光が戻った。


 リオネルの周囲へ、薄い風が生まれる。


 エリシアの指先へ、橙色の火が灯る。


 色も違う。


 強さも違う。


 起動した時刻も揃っていない。


 それでも互いの状態を観測し、干渉しない範囲で動いている。


『状態を報告します』


 アークが空中へ新しい表示を開いた。


【大域比較基準Ω:稼働】


【各局所位相:保持】


【離脱・再接続:許可】


【強制統合管理者:なし】


【第三警告:解除】


【開環仕様:初期版〇・一】


【開環同期:完了】


 俺たちは、自分の声と身体を取り戻した。


 世界の人々にも、同じように自分の暮らしが戻ったのだろうか。


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