第122話「そして愛は形を成し、双塔に新しい光が灯る」
◆ 最終話になります ◆
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ナラ・エンの森の奥深くに立つ、白亜の双塔。
二つの塔が寄り添うように天を突くその姿は、
今夜、銀色の月光に照らされて神聖な輝きを放っていた。
けれど、塔の中は静寂とは程遠い、嵐のような緊張感に包まれていた。
「……はぁ、はぁ……っ!」
「エルカ! しっかりしてください! 魔力供給は足りていますか!? 心拍数、血圧、胎内の魔力圧、すべて私がモニタリングしていますから!」
寝室の広いベッドの上。
額に玉のような汗を浮かべ、シーツを握りしめるエルカの傍らで、アルフォンスはもはや発狂寸前だった。
彼はこの日のために、国中の産科医から知識を吸い上げ、分娩を助けるための最高級の魔導具を自作し、万全の体制を整えていた。
けれど、いざ本番となると、完璧執事の余裕など塵一つ残っていない。
「アル、フォンス……うるさいわよ……っ。あんたが、パニックになって……どうすんの……」
「申し訳ありません! ですが、貴女の痛みを一割……いえ、全分代わって差し上げられない自分の無力さが、これほど憎いことはありません!」
彼はエルカの震える手を、両手で包み込むように握りしめた。
かつて、血に塗れた暗殺者として生きていた男の手。
けれど今は、世界で一番優しく、暖かく、エルカを守るためだけに磨き上げられた手。
「……あんたの、せいなんだから……責任、取りなさいよね……」
「ええ、ええ! もちろんです!
一生を懸けて、いえ、来世までも懸けて、貴女とこの子に仕え、尽くし、溺愛し抜くことを誓います!ですから……ですから、頑張ってください、エルカ!」
アルフォンスの瞳からは、大粒の涙が溢れていた。
彼はエルカの痛みを少しでも和らげるため、自身の全魔力を「癒やし」へと変換し、彼女の体に流し込み続けた。
それは、彼がこれまでの人生で培ってきたすべての技術と、魂のすべてを注ぎ込んだ、世界で最も純粋な愛の術式だった。
夜が深まり、やがて東の空が白み始めた頃。
双塔の窓から、新しい一日を告げる最初の朝日が差し込んだ。
その瞬間。
「――おぎゃあ! おぎゃあ!!」
静まり返った塔の中に、力強く、高らかな産声が響き渡った。
「…………っ!」
アルフォンスの動きが、止まった。
エルカも、荒い呼吸を繰り返しながら、枕に深く頭を沈めて目を見開いた。
「……産まれた……?」
アルフォンスは、震える手で、産婆代わりの魔法具に包まれた「小さな命」を抱き上げた。
温かい。
驚くほど軽くて、けれど、これまでの人生で扱ってきたどんな宝剣や魔導書よりも、ずっしりと「命の重み」を感じさせる存在。
「……アルフォンス、見せて……」
「……はい。……はい、エルカ」
アルフォンスは、膝を突き、泣きじゃくりながら、その子をエルカの胸元へと運んだ。
誕生したのは、アルフォンスと同じ、光り輝くような銀色の髪。
そして、ゆっくりと開かれたその瞳は――エルカと全く同じ、深く美しいアメジストの色をしていた。
「……可愛い。……あんたに、そっくり」
エルカが、疲れ切った笑顔で、赤ん坊の小さな頬に触れた。
その瞬間、アルフォンスの中で、何かが決壊した。
胸の呪印は、もうとっくにエルカの手によって消し去られていた。
けれど、彼の中に澱のように残っていた「自分のような罪人が、こんな幸せを手にしていいのか」という最後のためらい。
その「心の楔」が、我が子の産声と、その温もりに触れた瞬間、眩い光となって完全に霧散した。
「……ああ……ああああ……っ!」
彼は赤ん坊と、その母親であるエルカを、壊れ物を扱うように、けれど片時も離したくないという執着を込めて抱きしめた。
「……ありがとうございます。……ありがとうございます、エルカ……」
彼は、子供のように声を上げて泣いた。
かつて「ゴミ」と呼ばれた少年が。
「道具」としてしか生きられなかった執事が。
今、一人の「父親」として、人生で最も無様で、最も美しい涙を流している。
「……私を、救ってくれて。
私に、こんな……こんなにも綺麗な『世界』を、見せてくれて……!」
「……もう、泣き虫なパパね」
エルカは、アルフォンスの銀髪を優しく撫で、その涙を指で拭った。
「……これからよ、アルフォンス。
この子が大きくなって、困らせたり、笑ったりするのを、二人で見ていくの。
……あんたが言ったんでしょ? 家族になるって」
「……はい。……はい!」
アルフォンスは、何度も何度も頷いた。
彼は赤ん坊の額に、そして愛する妻の額に、愛おしさが爆発せんばかりのキスを落とした。
「……名前、決めなきゃね」
「……ええ。……『ルミナス』。
暗闇を照らす光、という意味の……この子が私たちの未来を照らす光であるように、そして、貴女が私の光であったように」
「ルミナス……。いい名前ね」
窓の外では、ノワールとルミエが、子猫たちを連れて窓辺に集まっていた。
「おめでとう」と言うように、ノワールが短く鳴き、エルカの足元に体を寄せた。
数年後。
白亜の双塔の庭には、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「ルミ! そっちはダメよ、パパの調合室には入っちゃ……あぁ、もう!」
「パパー! じゅじゅちゅ(術式)、見せてー!」
よちよち歩きを卒業したばかりの銀髪の少女・ルミナスが、小さな手を振り回しながら、塔の廊下を駆けていく。
その後ろを、二匹の成猫となったノックスとルミエが、ボディガードのように追いかけていく。
「おやおや、ルミナスお嬢様。廊下を走ってはいけませんよ」
廊下の角から現れたのは、数年前と全く変わらぬ、完璧な執事姿のアルフォンスだった。
彼はひょいと娘を抱き上げると、その頬にスリスリと顔を寄せた。
「パパの部屋には、貴女が怪我をするような危険な薬がいっぱいです。
もし貴女の指先に傷一つ付いたら、私はこの世のすべての薬草を焼き尽くさねばならなくなります」
「パパ、おもーい! ママが、パパは『親バカの極致』だって言ってたよ!」
「……おや、エルカがそんなことを。
ですが、事実ですから仕方がありませんね」
アルフォンスは、庭のガゼボでだらだらと魔導書を読んでいる相変わらずのエルカの元へ歩み寄った。
「エルカ。お茶の時間です。
今日は、ルミナスと一緒に焼いたクッキーをご用意しました」
「あ、食べる食べる!」
エルカは本を放り出し、差し出されたクッキーに手を伸ばした。
アルフォンスは、そんな彼女の肩に、手際よくショールをかける。
「風が冷たくなってきました。貴女に万が一のことがあれば、私は……」
「はいはい、『世界を滅ぼす』でしょ。もう聞き飽きたわよ、アルフォンス」
エルカは笑って、アルフォンスの手を引いた。
彼は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに蕩けるような、重すぎるほどの愛を込めた笑顔で、彼女の隣に座った。
「ねえ、アルフォンス。私たち、幸せになっちゃったね」
エルカが、アメジストの瞳を細めて、夫を見上げた。
アルフォンスは、膝の上の愛娘を抱き直し、もう片方の手でエルカの手を強く、一生離さないという誓いを込めて握りしめた。
「……いいえ、エルカ。
『幸せ』という言葉では、まだ足りません。
私は今、この瞬間のために産まれてきたのだと、確信しています」
彼は、最愛の妻と、新しい命を見つめ、静かに、けれど情熱的に囁いた。
「貴女を磨き上げ、この子を育て上げ……。
私の魂の最後の一滴が枯れるまで、貴女たちを溺愛し抜くこと。
……それが、私の永遠の使命ですから」
白亜の双塔を、午後の柔らかな光が包み込む。
かつて孤独だった魔女と、道具だった執事。
二人が紡いだ物語は、今、温かな家族の笑い声と共に、終わることのない幸福の旋律を奏で続けていた。
――[ゴミ屋敷の魔女、完璧執事に磨き上げられ、永遠の愛に包まれる。]
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