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第1話「埃の雪と、銀髪の死神」

だらしないけれど憎めない魔女エルカと、

完璧な執事アルフォンスの、甘くて少し重い恋の物語。


エルカはまだ気づいていない。

彼がどれほど深く、静かに、狂おしいほど彼女を愛しているかを。


甘い・重い・かわいい・中毒性のある恋愛ファンタジーです。


※完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください※


◆ 更新スケジュール ◆

平日:21時

土日祝:8時/21時(2話更新)

『アルフォンス君。辺境の森に引きこもっている特級魔女……エルカ・シュヴァルツを「綺麗に」してきなさい』


王都の中心、魔法省の長官室。

ルシウス・ヴァイゼは、冷たいワイングラスを揺らしながら言った。


『彼女の規格外の魔力は、我が省の「兵器」の動力源として役に立つ。……君の得意な掃除で、彼女の自我を洗い流し、従順な「魔力タンク」として持ち帰るんだ。使えなければ……処分しても構わない』


『御意に。……汚れは、全て私が拭い去りましょう』



王国の辺境、深く暗い森の奥に、その塔は墓標のようにそびえ立っていた。

「魔女の塔」。

魔法文明を支えるこの国において、強大な魔力を持つ者は「国家の財産」として保護される。

だが、その実態はどうだ。 鉄錆の浮いた重厚な扉の前で、男は一度だけ深いため息をついた。


男の名はアルフォンス・クライン。

魔法省から派遣された、特級執務官――通称「掃除屋クリーナー」である。


「……ここが、エルカ・シュヴァルツ様の居城ですか」


アルフォンスの装いは、この薄汚れた森には似つかわしくないほど完璧だった。

一点の曇りもなく糊付けされた、燕尾服。


鼻梁には銀縁の眼鏡が冷ややかな光を宿し、両手には雪のように白い綿の手袋が装着されている。

彼は懐から取り出したハンカチで、ドアノブを直接触れないように覆い、重い扉を押し開けた。


ギィィィィィィ……。


悲鳴のような蝶番の軋みと共に、塔の内部が露わになる。

その瞬間、アルフォンスの視界を真っ白なものが埋め尽くした。


「……雪?」


いいや、違う。

アルフォンスは即座に呼吸を止めた。

窓から差し込む一筋の光の中を、キラキラと舞い踊るそれらは、雪などという詩的なものではない。

埃だ。 数年、いや十数年分の堆積物が、空気の流れによって巻き上げられ、視界を遮るほどの粉塵となって舞っているのだ。


「……ッ」


アルフォンスは無言で眼鏡の位置を直した。

その眉間には、深い、あまりにも深い渓谷が刻まれている。

嗅覚を襲うのは、古びた羊皮紙が湿気て腐りかけた臭い。

煮詰まって焦げ付いた何らかの魔法薬のえた臭気。

そして、脱ぎ捨てられた衣類から漂う、よどんだ生活臭。


床が見えない。 入り口から一歩踏み出した彼の革靴は、カサリ、という音と共に、無造作に積み上げられた本とゴミの地層に着地した。


「失礼いたします。魔法省より派遣されました、アルフォンス・クラインです」


返事はない。ただ、埃が舞う微かな音だけが、

死後の世界のような静寂を彩っている。

アルフォンスはゴミの山を――彼にとっては地雷原よりも危険な汚染地帯を――優雅な足取りで進んだ。

彼の進むルートだけは、まるでモーゼが海を割るように、最小限の接触で確保されていく。


塔の最上階。

そこは、他の階層よりもさらに一段と「濃度」が高かった。 壁一面の本棚からは書物が雪崩を起こし、

床には色とりどりの液体が入ったフラスコが散乱している。食べかけのパンが、新種のキノコの苗床と化している皿もある。


そして、そのゴミの山の中心に、それはあった。


「……死体、ですか」


ボロボロの黒いローブの塊。

長い黒髪は鳥の巣のように絡まり、顔を覆い隠している。ピクリとも動かないその物体は、このゴミ屋敷の主、エルカ・シュヴァルツその人に他ならないだろう。 アルフォンスは冷徹な眼差しでそれを見下ろした。 汚い。あまりにも不潔だ。

彼の潔癖な理性が、即時の退室と塔ごとの焼却処分を提案している。


だが。


「……?」


アルフォンスの視線が、ローブの裾から突き出た「異物」に釘付けになった。

素足だ。 泥とインクで薄汚れてはいるが、ゴミの山から覗くその足は、奇妙なほど白く、形が良かった。 ほっそりとした足首。滑らかな甲の曲線。

そして、小さく丸まった指先。

親指の爪は薄い桜色をしており、汚れの中でそこだけが、不自然なほどの生命力を放っている。


(……ほう)


アルフォンスの脳内で、何かがカチリと音を立てた。 彼は膝を折り、その白い素足に顔を近づけた。

眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、獲物を検分するように細められる。


汚れている。 ああ、なんて汚らわしい。

だが、この汚れの下には――?


アルフォンスは無意識のうちに、白い手袋をはめた右手を伸ばしていた。

その足首に触れ、脈を確認するという名目で。

いや、あるいは、その汚れを自らの指で拭い去ってみたいという、理解し難い衝動に駆られて。


あと数センチ。

手袋の布地が、彼女の肌の熱を感じ取ろうとした、

その時だった。


「ん……ぅ……」


死体だと思われたローブの塊が、不快そうに身じろぎした。そして、絡まった髪の隙間から、ぼんやりとしたアメジスト色の瞳が覗く。


「……誰……?」


寝起きの掠れた声。

次の瞬間、彼女の瞳が焦点を結び、目の前に迫る銀縁眼鏡の男を認識した。


「……ッ、不法侵入者ァ!!」


叫び声と共に、エルカは手近にあった物体を鷲掴みにし、全力で投げつけた。

それは、粘着質の緑色の液体が入った、蓋の開いたガラス瓶だった。

直撃すれば、アルフォンスの完璧なスーツは取り返しのつかない汚染に見舞われるだろう。


ヒュンッ!


風を切る音。

しかし、アルフォンスは眉一つ動かさなかった。

彼の右手が、残像すら見えないほどの速度で閃く。


パシッ。


乾いた音が響き、緑色の液体がこぼれる寸前で、

瓶はアルフォンスの手の中に収まっていた。

一滴もこぼさず。一ミリの乱れもなく。

彼は瓶を優雅にサイドテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がり、冷ややかにエルカを見下ろした。


「……おはようございます、エルカ様。ご挨拶代わりの投擲、実に見事なコントロールでした。ですが」


アルフォンスは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、

レンズ越しに彼女を射抜く。

その瞳には、侮蔑と、嫌悪と、そして底知れない暗い炎が混ざり合っていた。


「汚らわしい。吐き気がします」


「……は?」


エルカは呆気にとられ、口を半開きにした。

今まで、魔法省の役人は彼女の機嫌を損ねないよう、腫れ物に触るように接してきた。

だというのに、この男は。 初対面の、第一声で。

「汚らわしい」と言い放ったのだ。


「な、なによあんた! 誰に向かって口を利いてるの!? 私は稀代の天才魔女、エルカ・シュヴァルツよ!?」


エルカはボサボサの髪を振り乱し、ローブを引きずりながら立ち上がろうとした。

しかし、足元の魔導書に躓き、無様に転びそうになる。


「おっと」


アルフォンスは舌打ち一つせず、しかし決して身体を接触させることなく、絶妙な体捌きで彼女を「避けた」。 エルカはそのままゴミの山にダイブする。


「いったぁ……! ちょっと、助けなさいよ!」


「お断りします。私の手袋は、現在『清潔度レベル5』を維持しております。貴女のような『レベル・マイナス100』の汚染源に触れれば、即座に焼却処分が必要になりますので」


アルフォンスは胸ポケットから一枚の羊皮紙を取り出し、埃まみれのエルカの前に突きつけた。

そこには、魔法省の厳重な印章と共に、絶対的な拘束力を持つ契約文言が記されていた。


『特級魔導師エルカ・シュヴァルツノ生活環境及ビ精神衛生ノ維持管理ニ関スル、全権委任契約書』


「……は? なによこれ」


「読んで字のごとくです。本日より、私アルフォンス・クラインが、貴女の執事として派遣されました」


アルフォンスは慇懃無礼いんぎんぶれいな笑みを浮かべる。

それは、完璧な執事の微笑みでありながら、

どこか処刑台の上の執行人を思わせる冷酷さがあった。


「貴女の才能は認めましょう。ですが、この環境はなんですか? 豚小屋の方がまだ幾分か秩序がありますよ」


「う、うるさいわね! 研究に没頭してたら、ちょっと散らかっただけよ!」


「ちょっと? これを『ちょっと』と呼ぶ貴女の言語感覚も掃除が必要ですね」


アルフォンスは塔の中を見渡した。

窓は煤けて光を通さず、床はゴミに埋もれ、空気は淀んでいる。 だが、彼の脳内では、すでに全く別の光景が描かれていた。


(……ああ、耐え難い。この無秩序。この混沌)


彼の指先が震える。 それは恐怖ではない。

歓喜だ。 真っ白なキャンバスを前にした画家のような、あるいは、泥だらけの原石を見つけた宝石商のような、歪んだ欲望。


この不潔な塔を、塵一つない聖域に変える。

そして、このゴミに埋もれた小汚い魔女を。

あの白く美しい足を持つ女を。


(磨き上げたい)


アルフォンスの瞳の奥で、青い炎が揺らめいた。

彼はゆっくりと、右手の白い手袋を噛み、口で端を引っ張った。 僅かに露出した指先が、塔の淀んだ空気に触れる。


「エルカ様。選択肢を差し上げましょう」


「せ、選択肢……?」


「今すぐこのゴミの山と心中するか。それとも――」


アルフォンスは一歩、エルカに歩み寄る。

ゴミを踏みしめる音が、死刑宣告の足音のように響く。


「私の管理下で、人間らしい生活を取り戻すか。……もっとも、貴女に拒否権などありませんが」


「ふ、ふざけないで! 私は私の好きなように生きるのよ! 帰って! 今すぐ出て行って!」


エルカは叫び、再び魔法を使おうと杖を探す。

だが、杖はどこにもない。 数日前、実験の最中にポテトチップスの袋と一緒にどこかへ放り投げたのを忘れていたのだ。


「杖をお探しですか? 残念ながら、先ほど私が踏んだゴミの中に、それらしき棒切れの感触がありました」


「なっ……!?」


「それに、魔法省との契約により、私の許可なく貴女が攻撃魔法を行使することは禁じられています」


アルフォンスはエルカを見下ろす。

埃にまみれ、髪はボサボサ、目の下には隈があり、

服はヨレヨレ。 どう見ても、路地裏の浮浪者だ。

しかし、怒りに燃えるそのアメジスト色の瞳だけは、宝石のように強く輝いている。


その色。その輝き。

瞬間、アルフォンスの脳裏に、十年前の雨の日の記憶がフラッシュバックした。

血と泥にまみれて捨てられていた自分に、温かい光とハンカチを与えてくれた、あの少女の瞳。

あの瞳の輝きを一度たりとも忘れた日々はなかった。


(……まさか。あの時の……?)


アルフォンスの胸の奥で、冷徹な理性の歯車が、

決定的に狂う音がした。

ただの「処理対象」だったはずの魔女が、彼にとって唯一の「神」へと反転した瞬間だった。


「……なるほど。これは、徹底的に磨き上げる必要がありそうだ」


アルフォンスの瞳の奥で、任務とは全く別の、

昏く重たい執着の炎が灯る。


「貴女の髪一本から、その美しい瞳に映る景色まで……すべて、私が管理させていただきます」


「さあ、始めましょうか」


アルフォンスはパチンと指を鳴らした。

その瞬間、彼を中心に凄まじい風圧が発生した。

窓という窓が弾け飛び、塔の中に新鮮な突風が吹き荒れる。 舞い上がる数年分の埃。

光の粒子となって煌めくそれらは、皮肉にもダイヤモンドダストのように美しかった。


「きゃああっ!?」


エルカは風に煽られ、紙切れのように舞い上がりそうになる。とっさに何かを掴もうとして、空を切る手。


ガシッ。


彼女の腰を、強い力が抱き止めた。

目を開けると、そこには至近距離にあるアルフォンスの顔があった。 眼鏡が外れかけ、乱れた銀髪の隙間から、凍てつくような、しかし灼熱を孕んだ瞳が覗いている。


「……汚らわしい」


彼はそう呟いた。

言葉とは裏腹に、その腕はエルカの細い腰を、

骨が軋むほどの力で抱きしめている。

手袋越しに伝わる体温。

石鹸と、雨上がりの森のような、清潔で冷たい香り。 エルカの鼻孔を、初めて嗅ぐ「他人の匂い」が強引に侵略する。


「離し……ッ!」


「動き回らないでください。埃が舞います」


アルフォンスは彼女を小脇に抱えたまま、ゴミの山を悠然と見渡した。


「まずはこの不快な空間の大掃除からです。……貴女が大切にしているこのゴミ溜めを、一つ残らず消去させていただきます」


「やめて! それはゴミじゃないの! 私の資料! 私の生活そのものなのよ!」


「ええ、そうです。ですから捨てるのです」


アルフォンスはニヤリと笑った。

それは、完璧な執事が見せる、サディスティックな征服者の笑みだった。


「貴女の『生活』は、今日この瞬間から、全て私が管理します。……覚悟してください、エルカ様。私が磨き上げる以上、貴女には『完璧』以外の存在になることは許されません」


差し込む陽光の中、舞い上がる埃のカーテンに包まれて。

ゴミ屋敷の魔女と、潔癖症の死神。

最悪で、最高に「重い」共同生活の幕が、今切って落とされた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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