揺れる値
28年1月4日
朝の市場は、いつもと同じ音で始まった。
キーボードの打鍵音。
約定の電子音。
スクリーンに流れる緑と赤。
だが、数字の動きがわずかに違っていた。
「昨日の実験区、参加率三六%だってな。」
若手トレーダーが呟く。
「それが株価に関係あるのか?」
隣の席のベテランがコーヒーを置く。
「直接はない。」
「じゃあ、なんだ。」
「読みにくくなる。」
画面には、地方インフラ関連企業の株が映っている。
出来高が微妙に増えている。
急騰でも暴落でもない。
じわり、と。
「予算配分が住民評価に連動するなら、短期補助金頼みの企業はリスクだ。」
「でも長期契約型は?」
「安定すれば、むしろ強い。」
市場は正義を問わない。
ただ、持続可能性を値踏みする。
⸻
大学・公共政策研究室。
大型モニターに、参加率と株価の推移が並ぶ。
「うわ、地味だな。」
椅子を後ろに傾けながら声を上げたのは、高城だ。
空気を軽くするのがうまく、深刻な場面ほど冗談を挟む癖がある。
「ドラマ性ゼロ。」
その隣で、画面を拡大している凛が淡々と返す。
数字を感情より先に読むタイプだ。
「ドラマを期待して見るものじゃないでしょ。」
湊はグラフの一部を指さした。
「短期筋が少し引いてる。」
凛がカーソルを動かす。
「代わりに、長期資金っぽい流れが入ってる。」
高城が眉を上げる。
「なんで? こんな地味な局面で?」
凛は肩をすくめる。
「地味だから、じゃない?」
湊が続ける。
「急変じゃない。
参加率が上がるたびに、じわっと評価が変わってる。」
高城は画面を覗き込む。
「市場が様子見してる顔ってことか。」
「様子見、というより再計算。」
「再計算?」
「今までは“政策は突然決まるもの”って前提で値付けしてた。
でも今は、決まる前に参加率が見える。」
湊は小さく頷く。
「揺れが、先に出る。」
高城が笑う。
「なんかさ、値動きが優しくなった気がする。」
「優しくはない。」凛は即答する。
「ただ、荒れなくなった。」
⸻
昼休み。
研究室のテレビでは経済ニュースが流れている。
「一部自治体で参加型政策評価の実証実験が進んでいます。」
わずか数十秒で話題は海外市場へ移る。
高城がリモコンを置く。
「扱いづらそうだな。」
「危機でも対立でもないから。」凛。
「炎上しない変化は、尺を取らない。」
湊はスマートフォンを確認する。
Lythraen仮想国家アプリの通知。
Phase1参加率 41%
数時間前より上がっている。
「また増えてる。」
凛が画面を覗き込む。
「これ、地方から伸びてる。」
「都市部は?」高城。
「横ばい。」
高城は腕を組む。
「温度差、か。」
湊はチャートを見つめる。
地方銀行株が、緩やかに底を固めている。
「市場はもう、数字を“材料”として扱い始めてる。」
凛が言う。
「参加率が上がる=政策の実行可能性が高まる。
不確実性が減る。」
高城が笑う。
「つまり、面白くなくなる。」
「投資家は面白さより予測可能性。」凛。
「夢がないなあ。」
「夢はボラティリティに出る。」
「それも嫌いじゃないけど。」
湊は静かに言う。
「でもさ。」
二人が見る。
「今までの“突然の決定”よりは、いい。」
凛は少し考えてから頷く。
「揺れが見える世界のほうが、準備はできる。」
高城は窓の外を見た。
「揺れ、ね。」
空は曇っている。
風はない。
けれど、数字は確かに波打っている。
暴落でもない。
熱狂でもない。
値は、揺れている。
そしてその揺れを、
彼らは初めて、同じ画面で読もうとしていた。




