12☆病室の温度差
陰雪を追い出した箒は、数分の準備を経て家を出た。
陰雪に対してとっさに口から出た、用事があるという発言だったが、実際のところ全くの嘘ではない。
毎週土曜の休みの日には、箒には向かう場所があった。
「よーっす。来たぞ」
「よっすー。また来てくれたんだね、箒くん」
病院だ。
家の近くのとある病院の一室に、箒は頻繁に通う。
「体調はどうだ?」
「全然平気。こっそり外に出たいくらい」
「それはやめとけって。また看護師さん泣くぞ」
箒に対して、「あはは、分かってるよ」と朗らかに笑う少女の名前は、陽聖 日菜。
今、陽聖は白色のベッドに座るようにして、箒に顔を向けていた。
「というか箒くん、そんな毎週来なくて良いんだよ?よく分からないけど忙しいんでしょ?」
「別に近いから大した手間でもねぇの。ほらプリン」
「わーい」
箒はビニールの袋に入れてあったプリンを、陽聖に向けて投げ渡す。
陽聖の好物であるプリンを、毎週届けに訪ねるのもまた、箒の一つの習慣だった。
「プリン代、ホントにいいの?」
「毎週毎週、聞くなって。バイトしてるから金ならあんだよ」
ざっと7000億円くらい、とは言わない。
「うーん…、まぁ嬉しいんだけどさー。そんな定期貯金みたくプリン渡されても、私何も返せないよ?増えるのはここのお肉だけだからね」
上手いこと言ってやったり、みたいな顔をしながら、服をぺろんと捲りお腹を見せる陽聖。
しかしその腹部は、お肉どころか痩せ細って見えた。
「増やせんならさっさと増やせ。まだあばら浮き出てんぞ」
「ちょ、……や、やめてよ恥ずかしい」
陽聖は自分で捲った服を、慌てて下ろす。
自ら公開した服の内側だったが、まじまじと見つめられるのは話が別らしい。
箒はさり気なく視線を逸らすと、見舞い客用の椅子に腰を掛けた。
「で、最近学校には行けてんのか?」
「んー、ちょいちょいかな。先週は一回行けたよ」
「そりゃ良かった」
陽聖 日菜は、生まれつき身体が弱い。
基本的に病院で生活し、医者の許可の降りた日にのみ学校へ通う。
陽聖の通う学校は、この病院から一番近いという訳ではないのだが、通信授業を行えるため、その学校を選ぶこととなった。
要するに陽聖は、箒とは違う学校に籍を置いている。
「でもねー、病院でも暇しなくて済むのはホントに嬉しいよ。箒くんに教えて貰った、LoSのおかげ」
「……そうか」
陽聖 日菜は、生まれつき身体が弱い――だけではない。
陽聖は、先天的に右脚がなかった。
事故によって失ったのではなく、生まれた時から存在しない。
だから陽聖は歩き方を知らず、その脚で駆けたことは一度もない。
十年前のフルダイブ型VR技術が生まれた時、四肢を失った人々は歓喜した。
もう歩けないと思っていた人が、もう物を掴めないと思っていた人が、仮想世界では自由に過ごすことが出来た。
久方振りの感覚に、涙した人も多かった。
――だが、陽聖 日菜は別だった。
仮想世界の完成で四肢を取り戻したのは、後天的に手脚を失った人だけ。
先天的に脚を持たない陽聖は、仮想世界でも歩けなかった。
陽聖はその世界でも、走り回る友人を眺めるだけだった。
初めてVRの世界に入った幼き陽聖は、「そりゃそうだよね!しょうがないよね!」と健気に笑って見せたが、誰も居なくなった後で泣いていた。
――そしてそれを遠くから見ていた箒も、泣いていた。
悔しくて悔しくて仕方がなかった。
大事な友達を除け者にする世界が、何よりも陽聖を助けてやれない自分が、情けなくて惨めで仕方がなかった。
『俺が、絶対に……っ!!日菜の、走れる世界を作る……っ!!絶対にだ!!!』
誰にも聞こえないように叫んだ、小さな箒の、心からの誓い。
それから九年の時が経って、ついに完成したのがLoSだった。
「――LoS、楽しいか?」
「もう、めっちゃ楽しいね。好きなだけ走れるし。これこそを神ゲーと呼ぶんだよ、箒くん」
「……そりゃ、良かったわ。本当に」
それは箒の、心の底から溢れた言葉。
「……?どうしたの?何かあった?」
「別に何もねぇよ」
「そっか。でもホントに何かあったら、私にも話してよね?」
「いや何もねぇって」
その言葉を最後に、二人の会話は途切れた。
沈黙であっても心地良い時間が流れる、箒と陽聖はそういう関係だった。
静かな時間を、出来る限り深く楽しめるように、箒は下を向いて目を閉じた。
それから一分か二分かが経った頃――
「――ねぇ、箒くん」
不意に陽聖に声を掛けられて、箒は意識を現実に戻した。
何やら普段よりも起伏の薄い陽聖の声に、違和感を感じる。
箒は顔と瞼を持ち上げて、陽聖の方を見た。
「―――!?」
そして陽聖の、光を失った瞳と、感情の読み取れない表情を見て、箒は全身を凍り付かせた。
「…あの女、誰?」
絶対零度の声色、とはまさにこれを指すのだろう。
聞いただけで恐怖由来の寒気が起こる。
箒はビクつきながらも、あの女ってなんのことだ、と疑問に思い、陽聖の見つめる先に視線をやると――
「……何してんの?陰雪」
――病室の外からこちらを覗き込む、陰雪の姿がそこにはあった。
「……えと、なにやら入りにくい、……雰囲気、でしたので」
「いや違う、そもそもなんで此処に居んの?」
「きょ、今日のうちに……もう一回くらい、師匠チャレンジしとこうかなと、思いまして」
「何?もしかしてノルマ制?」
普段からおどおどしている癖に、よく分からない部分では絶対に譲らない陰雪を見て、箒は頬をヒクつかせた。
「箒くん?その女の子、誰?――って私聞いた筈だけど」
陽聖の声を聞いて、陰雪などと話してる場合ではなかったと気付く箒。
その声色は刻一刻と悪化していた。
「お、同じ学校の友達だ。いやどちらかというと、俺のストーカーって紹介の方が正しいかもしれない。うん、俺のストーカーの女の子だ」
「ストーカー?」
「そう、ストーカー。この場にも華麗なストーキングで現れてくれたし」
嘘は言ってないし、むしろ本当のことしか言ってない。
なんなら話している中で、箒は「いやどう考えてもストーカーだったわ」と考えを固めていた。
箒は、これはセーフか?アウトか?と、陽聖の顔色を窺う。
その判定は――
「そっか!ストーカーさんか!」
――セーフ。
陽聖は朗らかな笑顔を取り戻した。
「あ、セーフなんだストーカーって……」
陽聖との価値観の相違に身震いする箒の呟きは、誰にも聞こえなかった。
それからは、ストーカーの陰雪さんを交えて、三人で仲良く過ごすことになる。
陰雪と陽聖が思いの外、意気投合したのを見て、驚くと同時に安心する箒だった。
そして昼を回った頃。
「俺はそろそろ帰るけど、陰雪はどうする?」
時間的にはLoS運営の作業に手をつけたい、と箒は考え始める。
「私は、もう少し……日菜さんと話してから、帰ろうかなと…思います。勿論、ご迷惑でなければ……ですけど」
「迷惑なんて全然!いつまで居ても良いからねー、雨ちゃん!」
楽しそうに笑い合う二人。
その姿を見て、自分が抜けても問題ないことを悟ると、箒は一人家路に着いた。
だが箒は知らない。
この後に陰雪が、「箒の布団で添い寝した話」をしてしまうことを。