魔術師には魔術師の
光が炸裂する。硬質な闇を、引き裂くように消し飛ばしていく。
闇は大蛇のように鎌首をもたげたが、“暗き淵の君”の膨大な魔力の前では、威嚇にすらならなかった。
地上に出現した太陽が、夜の闇を圧していく。
それはまるで、天地開闢のような光景だった。
そしてその光を生み出しているのは、たった一人の少女の身体を通して流れ込んでくる魔力だ。
いったい、どれほどの負担が彼女の華奢な身体にかかっているのか。
闇が消し飛ぶのと同時に、どこかで何かが割れるような甲高い音が響いた。
「異空間の壁が壊れた」
ライヌルが言った。
「どこかに穴が開いたはずだ。そこから現実に戻れるだろう」
だが、アルマークには返事をする余裕はなかった。
「ウェンディ!」
アルマークは叫んだ。
闇を消し飛ばしたというのに、光の奔流はなおも止まらなかった。そこにまだ消し飛ばすべき闇がいるかのように、光は溢れ続けた。
駆け寄ろうとして、アルマークは再びつんのめった。魔法によって限界まで酷使した両脚には力が戻っていなかった。
「くそ」
アルマークは己の不甲斐なさに短く毒づく。
動け。
四つん這いのまま身体を丸めてローブの裾に噛みつくと、首の力で交互に足を前に引っ張る。芋虫のような恰好で、それでもアルマークはウェンディに近づいた。
「ウェンディ!」
返事はなかった。
ウェンディは光の奔流の源にいるはずだった。だがその身体は光に包まれて、すでに見えなかった。
まるでウェンディ自身が光源と化してしまったかのようだった。
だめだ。ウェンディ。
アルマークは左手に持った剣を杖代わりにして立ち上がった。
今すぐにこの光を止めなくちゃだめだ。
それだけはアルマークにも分かった。
人知をはるかに超えたこんな力に晒され続けて、無事でいられるわけがない。
このままだと、ウェンディが光になってしまう。
言いようのない恐怖があった。
そのとき、大きな破裂音とともに地面が激しく揺れた。断末魔のようなきしみは、ライヌルの持ち込んだ魔法具によって作られたこの樹上庭園が限界を迎えようとしていることの証だった。
ここが崩れてしまう前に。まだ足場が残っているうちに。
アルマークは力を振り絞って剣を地面に突き刺すと、その反動でウェンディに向かって倒れ込むようにして跳んだ。右手に掴んだマルスの杖を、光の中心に向かって思い切り突き出す。
次の瞬間、杖はそれを持った腕ごと跳ねるようにして弾き返された。
反発し合う磁石のように、マルスの杖を光に近づけることができなかった。
光は止まらない。
「ウェンディ! 聞こえるか!」
アルマークの声は虚しく響いた。
アルマークはもう一度マルスの杖を突き出す。だがやはり、見えない力によって杖は強く弾かれた。
「どうした」
倒れたままのライヌルが言った。
「止められないのか。このままでは、お嬢様が光になってしまうぞ」
そんなことは言われるまでもなかった。
僕の責任だ。
アルマークは悔いた。
ウェンディに無理をさせすぎてしまった。分かっていたのに。僕はそれを「信じる」などという都合のいい言葉でごまかした。
ウェンディだって、きっとこうなることは分かっていたはずなのに。
自分に腹が立った。アルマークは獣のように吼えて、もう一度杖を突き出す。結果は同じだった。今度は身体ごと吹き飛ばされて、アルマークは地面に転がった。
それでも必死の形相で、剣を杖にして立ち上がる。
届かないなんて、泣き言を言ってられるか。届くまで、何度でもやるだけだ。僕の命ごとぶつかって、あの“門”を閉めるんだ。僕の命でそれができるなら、安いものだ。
発されている光は、ライヌルの闇のように少しでも触れれば命にかかわるというものではない。だが、これだけの光を正面からまともに浴びれば、無事ではすまないだろう。
それでも構わない。たとえこの身が消えることになろうとも。
「ウェンディ!」
そう叫んで、アルマークが光に飛び込もうとしたとき。
「違う」
不意に、背後から強い力で身体を押さえられた。
「アルマーク君。魔術師には魔術師の、命の懸け方というものがある」
「えっ」
思わず振り返ると、困ったような笑みを浮かべている男と目が合った。
それはよく知る人物の、かつての姿。
すらりとした長身。丁寧に撫でつけた髪。優雅な身のこなしと人を惹きつける表情。どこか人懐っこい瞳。
灰色のローブを纏ったその男は、武術大会で初めて出会ったときのライヌルだった。
「な……」
「長くは話せないから、要点だけを伝えるよ。よく聞きなさい」
目を見開くアルマークに、ライヌルは言った。
「確かにその杖は君の魔力をたちまち精錬してくれる。だが、だからといって魔力を雑に詰め込めばいいというものではないんだ。魔力の練り方を、君はイルミスからどう教わった?」
突然の問いに、アルマークは返事に詰まった。ライヌルはアルマークの肩越しに、ウェンディがいるであろう方向を指さした。
「ウェンディお嬢様を救いたいのであれば、しっかりと心を落ち着かせて丁寧に魔力を練りなさい。君はもうそのやり方を知っているはずだ」
「……はい」
アルマークは頷いた。浮かんだ疑問はいったん全て頭から捨て去った。
冷静に聞けば、ライヌルは何も難しいことは言っていなかった。それは、アルマークが学院に来て以来、ずっとやってきたことだ。
「身体中の魔力を全部残らずかき集めて、しっかりと練り上げなさい。そしてそれを丁寧に杖に詰めるんだ。そうしてこそ初めて、杖に魂を込めたと言える」
杖に魂を込める。アルマークの脳裏に、杖の番人であるグリーレストの姿がよぎった。
「君は選ばれた」
ライヌルは言った。
「ならば、できるはずだ」
目の前でウェンディが光の中に消えようとしている。この極限状況で、心を落ち着かせて平常心で魔力を丹念に練れと言う。それがどれほど不可能に近い難事か。
だが戦場で生まれ、戦場で育ってきた少年は、それを淡々と受け入れた。
自分にできることなら何でもする。それじゃ足りない。ウェンディは自分の全てを懸けてくれた。だから僕は、自分にできないことだってやってみせる。
「はい」
返事をしたときにはもう、瞑想の状態に入っていた。
イルミスに見守られながら、来る日も来る日も飽くことなく続けた瞑想。
愚直に繰り返した反復は、彼を裏切らなかった。
ウェンディが消えてしまう恐怖。彼女に無茶をさせた悔悟。己の無力への怒り。それらを全て、水の中へと沈めていく。
アルマークの身体を支えるライヌルにも、その体内でたちまち魔力が磨かれていくのが分かった。
大した子だ。
ライヌルは微笑んだ。
才能と努力。それに環境か。
私にはとても真似できない。こんな状況で、習った通りの反復を素直にすることなど。
ライヌルの足元は揺らめき、ぼやけ始めていた。
背後で倒れている本当の肉体の生命は、すでに尽きようとしていた。残された魔力で作ったこのかりそめの身体も、早くも限界を迎えようとしている。
このまま絶息するかもしれない。それでもライヌルは最期の一瞬までこの少年の成長を見守ることを選んだ。
「まだだ」
ライヌルは言った。
「もっとだ。焦らなくていい。どうせチャンスは一度きりだ」
全身の魔力を全て出し尽くすのだ。二度目などない。
アルマークはもう返事をしなかった。だが、その魔力がさらに澄み渡っていくのが分かった。
魔術を学び始めて一年足らずの少年が練れる魔力の質ではない。ライヌルは思った。たくさんの要素が結実しているのだ。アルマークのこれまでの環境と努力。イルミスをはじめとする教師陣の教え。仲間たちとの切磋琢磨。そして、私の――
「最高だ」
眩い光に照らされたライヌルは、かすれた声で言った。
「それでいい。杖に込めたまえ。君の全てを」
並の杖ならば途中で溢れ出してしまうであろう量の魔力を、マルスの杖は飲み込んだ。ただの木の棒が、その由来にふさわしい輝きを一瞬放ったように見えた。
アルマークが、ぐらりとよろける。ライヌルはそれをしっかりと支えた。
「後は君たちの魂の結びつき次第だ。見せてみたまえ。君たちがさっき私に言ったように、本当にこれまでの出会いに魂を込めてきたと言うのであれば」
アルマークはやはり答えなかった。だがその背中に獣のような野性の緊張感がみなぎっていた。
そうだ。これだ。
行け。北の狼よ。
ライヌルは両手で強くアルマークの背中を押した。アルマークはその勢いのまま跳んだ。剣を地面に突き刺す。もっと深く、ウェンディに近づくために。
自分が光に飲み込まれても構わない。この杖さえ届けばいい。
「があああっ!!」
アルマークは吼えた。光に包まれ、視界が真っ白に染まる。それでも目を閉じない。光の中心にわずかなゆらぎがあった。それがウェンディだと分かった。
マルスの杖を突き出す。
たちまち激しい反発があった。腕が、杖がきしむ。
だが今度は弾き飛ばされなかった。
それは杖の中に、光の中心と引かれ合う何かが込められていたからだ。凄まじい反発の中でも、その力は揺るがなかった。
ウェンディが僕を呼んでいる。
届け。
アルマークは念じた。
ウェンディ。一緒に帰ろう。
思い切り腕を伸ばす。
マルスの杖。僕に応えろ。
杖が光に溶けたように見えた。次の瞬間、光の中心に触れた感触があった。その途端、全てを抜き取られたような虚脱感が襲ってくる。
光の束が突然収縮した。と見えたときにはもう光は跡形もなく消えていた。それでもアルマークはさらにもう一歩踏み出した。
意識を失ったウェンディが、自分の方に倒れ込んでくるのが見えたからだ。
霞んだ視界の中で、アルマークはしっかりとウェンディを抱きとめた。
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