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【書籍化】アルマーク ~北の剣、南の杖~  作者: やまだのぼる
第九章

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弱点

 エルデインが口を開いた。

 来る。

 アルマークは備えた。

 広間全体に、軋むような不快な金属音が響く。

 いや、それはエルデインの咆哮だ。

 咆哮とともに衝撃波が地を滑ってくる。

 アルマークはそれに耐えるために足を踏ん張った。

 その瞬間。

 エルデインの巨体が動いた。

 足を踏ん張ったアルマークに向けて、死の突進を始める。

 アルマークの反応が遅れた。

 とっさに左に身体を投げ出そうとするが、先にアルマークに届いた衝撃波で足がもつれた。

 その時には、エルデインの角がもう目前に迫っていた。

 再び、轟音。

 砕けた岩が上空に巻き上げられる。

 エルデインの角が根元まで壁に突き刺さっていた。

 その足元から、アルマークがよろめき出る。

 角の直撃こそ免れたものの、ローブの至るところが破れていた。出血もある。

 エルデインが前足を上げると、壁を強く蹴った。

 地響きとともに大きな音がして、角が壁から抜ける。

 同時に、金属音のような咆哮。

 エルデインから距離をとろうとしていたアルマークの足を衝撃波がなぎ払った。

 地面に倒れたアルマークの背を、エルデインの巨大な前足が踏み抜く。

 かろうじてそれをかわしたアルマークが、転がりながら間合いをとって立ち上がる。

 こいつ、慣れてきたぞ。

 アルマークは再び走り出しながら、考える。

 僕の速度に、戦い方に、慣れてきている。

 事実、エルデインは突進を繰り返すのをやめた。

 獲物を泳がすかのように、アルマークを見ている。

 それは悪い兆候だった。

 僕の命が尽きるのが先か。それとも、アインが答を出すのが先か。

 全身が激痛に悲鳴を上げていて、さっきまでのようにうまく走れない。

 いいこともある。

 痛みを紛らすためにアルマークは考える。

 エルデインがこちらの様子を見定めているのなら、その間だけでも時間が稼げるというものだ。

 しかしその時、アルマークは広間の床に、じわりと黒い染みが広がっているのに気付いた。

 なんだ、あれは。

 染みは、ゆっくりと広がってきている。

 エルデインの足元から、アルマークの方へ。

 油だ。

 アルマークは気付いた。

 さっき、エルデインの腹を剣で刺したときに流れ出た、黒い油のようなもの。

 それが、エルデインの足元から、まるで意思でもあるかのように広がってきていた。

 アルマークは見た。

 その黒い染みの中から、小さな手のようなものが、まるで魚が水面に顔を出すかのように姿を見せたのを。

 それも、一本や二本ではない。

 無数の、何百もの小さな手が、黒い染みの中で蠢いていた。

 それが、徐々に広間の床を覆っていく。

 闇の魔獣の体液。

 まともなものであるはずがなかった。

 あんなものに捕まったら、終わりだ。

 アルマークは壁際を走る。

 不意に、エルデインが首を上空に向けた。

 奇怪な金属音。その衝撃波が、宙に浮かんでいたアインの鬼火を散らした。

 光を失い、広間が完全な闇に包まれる。

 しまった。

 アルマークは舌打ちする。

「アイン、鬼火を」

 叫びかけたアルマークの声を、エルデインの巨大な蹄の音がかき消した。

 ここで、突進か。

 音と、気配。それだけを頼りに、アルマークはよけた。

 すぐ真横で、凄まじい衝撃音。煽りを食って吹き飛ばされながらも、直撃を避けたことに安堵する。

 そのアルマークの身体を、粘質のものが掴んだ。

 誘導された。

 闇で区別のつかなくなった床。アルマークは黒い染みの中に落ちていた。

 たちまち、無数の手がアルマークの身体を覆う。

 アルマークは長剣を振るって手を切り捨てた。

 闇の中ででたらめに剣を振るいながら、立ち上がろうとするが、次々に湧いて出てくる手に足を、腰を、掴まれて動くことができない。

 その横で、エルデインが壁から角を引き抜く音が聞こえてくる。

「くそっ」

 アルマークは呻く。

 エルデインは闇の中でも目が見える。

 今、踏み潰されたら、避けられるか。

 アルマークの顔を三本の手が乱暴に掴む。

 息が詰まって、とっさに剣で切り払うが、その剣にも手がまとわりついているのが分かる。

 まずい。

 だがそれでも、アルマークはあがく。もがく。

 絶望的な状況。だが、絶望はしない。

 諦めなければ、可能性はある。

 エルデインが前足を上げたのが、気配で分かる。

 アルマークは、全身の力を振り絞って身体を起こそうとした。

 無数の手に、ローブがびりびりと引き裂かれていく。

 最悪、手の一本はくれてやる。

 と、その一瞬。

 ごく一瞬、闇の手たちの力が緩んだ。

 アルマークはその瞬間を逃さず、跳んだ。

 壁へ。壁のある方向へ。

 直後に、轟音とともに、アルマークのさっきまでいた場所がエルデインに踏み抜かれた。

 闇の手たちが、踏み潰されて飛び散るのが分かる。

 壁に身体をぶつけて血を散らしながらも、アルマークはそのまま壁沿いに走った。幸い、まだそこまでは染みは及んでいなかった。

 さっき闇の手が緩んだ一瞬。鞘の中で、赤い光が放たれたのを感じた。

 母さんの護り。

 まだ、希望はある。

 アルマークは自分に言い聞かせる。

 走れ。

 生き残るために。

 僕は生きる。

 生きるんだ。

 生きて、ウェンディと。

 その時だった。

「待たせたな、アルマーク」

 アインの声。

 それとともに、広間が光に包まれた。

 一瞬、アルマークでさえ視界を失うほどの強烈な光。

 エルデインの苛立ったような足踏みの音がする。

「見ろ、やつの姿を」

 アインは姿を消すのをやめ、自分の姿をさらしていた。

 その杖から、まるで太陽の光のような、強く眩しい光が発せられている。

 その明るさは鬼火の術の比ではない。

「やつが、鬼火の光に不機嫌そうだったのが、ずっと引っ掛かっていた」

 アインはエルデインを指差す。

「光だ、アルマーク。闇を貫く光が、やつの本質を照らし出す」

 アインの言葉どおりだった。

 強い光に照らされたエルデインの身体は、まるで半透明のように見えた。

 その背中、中央部のやや右辺りに、光に照らされてもなお、よどんだような闇が残っていた。

「あそこだ」

 アインが叫ぶ。

「あそこがエルデインの弱点だ」

 その言葉と、エルデインが咆哮を発するのは同時だった。

 アインが衝撃波で打ちのめされ、光が消える。

 だが、アインはそれでも鬼火を上空に飛ばした。

「行け、アルマーク」

 倒れ込みながら、アインが叫ぶ。

 その時には、もうアルマークはエルデインの身体に飛び付いていた。

 鋭い突起を掴み、それを足場にエルデインの背までよじ登る。

 突起が身体に引っ掛かり、幾筋もの傷を負うが、気にもとめない。

 背中の中央、やや右。

 アルマークはアインの照らしてくれた場所にたどり着いた。

 厚く、硬い甲羅。

 弱点は、その下だ。

 アルマークは剣を振り上げて、甲羅に向けて振り下ろす。

 硬い手応え。甲羅には傷一つつかない。

 非力だ、僕は。

 アルマークはそれでも剣を振り上げて、甲羅を突いた。

 父さんなら、こんな甲羅すぐに叩き割るだろうに。

 それでも、何度も甲羅を突く。

 もっと、もっと強くなりたい。

 エルデインが、アルマークを振り落とそうと壁に突進して自分の身体をぶつける。

 アルマークは全身の力を込めて、踏ん張った。

 そして、何度も甲羅に剣を振り下ろし続ける。

 父さん。

 母さん。

 僕に力を。

 さながら、祈るように。心で呼び掛けながら、何度も、何度も。

 やがて、甲羅に小さな孔が開いた。

「アルマーク!」

 アインの声。

 アルマークの足を、黒い手が掴んでいた。

 エルデインの体液が、エルデイン自身の身体を伝ってアルマークにたどり着いたのだ。

 しかしアルマークはそれにも構わなかった。

 流れるような動作で剣を鞘に収める。

 イルミス先生。

 心の中で呼び掛ける。

 先生との約束を破ることを、どうか許してください。

 アルマークは右手を、自分が全霊を込めて開けた小さな孔に押し当てた。

 炎だ。

 アルマークは思った。

 灯りとしての炎じゃない。

 本来の炎としての、炎だ。

 アルマークはイメージする。

 炎を。

 全てを焼き尽くす、巨大な炎を。

 身体中の魔力が、歓喜の声を上げているかのようだ。

 使え。

 俺たちを使え。

 それは、アルマークが初めて使った、使ってしまった魔法。


 竜の炎。


 焼き尽くせ。

 魔力が叫んでいる。

 燃やし尽くせ。この程度の魔獣など。

 分かっている。

 アルマークは心の中で応える。

 本当はもう少し練りたかった。だが、今は自分の衝動に任せた。

 手から炎が噴き出す。

 アルマークは、ありったけの魔力を込めた炎を甲羅の孔に注ぎ込む。

 巨大な火柱を形成するほどの熱量。

 それが全て甲羅の下に注ぎ込まれていく。

 まだだ。

 まだ足りない。

 アルマークは炎を注ぎ込み続ける。

 魔力の続く限り。

 それを遮ったのは、アルマークの足元から起きた凄まじい爆発だった。

 広間が一瞬全て朱に染まり、巨大な火柱がエルデインの背中から立ち上った。

 アルマークは吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた。

 そのすぐ横に、鈍い音とともに落ちてきたのは、エルデインの甲羅。

 背中の甲羅の一部を吹き飛ばされ、弱点を火柱で焼かれたエルデインは断末魔のような奇怪な叫び声を上げた。

「あと一撃だ」

 アインが叫んだ。

 エルデインが苦しそうによろめいたのが分かる。

「アルマーク、とどめを」

 叫ぶアインは既に魔力を使い果たしているのだろう。壁際でうずくまり、動くこともできないようだ。

 アルマークにも、それは分かっていた。

 とどめの一撃を。

 だが、吹き飛ばされた先が悪かった。アルマークは再び黒い染みの手に捕らわれていた。

「くそっ」

 失いすぎたのは、魔力か、血か。その両方か。

 身体に思うように力が入らない。

 手を振りほどけない。

 エルデインの怒りに燃えた目がアルマークを見据えた。

 首を下げる。

 突進する気だ。

 アルマークは、それでも諦めず全身に力を込める。

 だが、無数の手が、足を、手を、腰を、地面に押さえつける。

 動けない。

 その時。

 アルマークの目には、上空から一筋の光が降ってきたように見えた。

 正確には、炎に包まれた大きな岩だった。

 それが、エルデインの剥き出しになった背中の弱点を直撃した。

 大きな音。

 それが、最後だった。

 エルデインの目から赤い光が消え、その巨体がゆっくりと横倒しになった。

 闇の魔獣エルデインは、そこで活動を停止した。

 アルマークの身体を押さえ付けていた手が、溶けるように消えていく。

 アルマークは、床に転がった岩を呆然と眺めた。

 一体、誰が。

「僕としたことが」

 アインの声が聞こえた。

「なんで最初に気付かなかったんだ。その可能性は一番に考慮に入れるべきだった」

 自分の不明を責めているようでいて、その声は弾んでいた。

「あいつの猿みたいな運動能力なら、こんな壁、階段を上るようなものなんだ。くそ、ローブだけ取られるなんて紛らわしい真似を。それならもう少し早く手助けしろ」

 アインは壁を見上げて叫んでいた。

 アルマークも同じように壁を見上げ、そこをゆっくりと伝い下りてくる人影に気付き、思わず笑みをこぼした。

「フィッケ」

 アインがまだ叫んでいた。

「この悪運の強いやつめ」




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― 新着の感想 ―
フィッケー!!!!そうだよな!!お前跳躍力が凄かったんだ。
以前の銅貨銀貨の襲撃の時にも母の護りに助けられましたね。 どんな謂れがあるんだろうあれ…
そういえば、武術大会でフィッケの身体能力は凄かった。特に跳躍力が。それを思い出すと、この結果は確かにあり得たことだったけど、あのローブが!衝撃的で他の可能性が思い浮かばなかったです。。。 でも、無事で…
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