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9合理的狂気

9合理的狂気


 夜の町にはそこかしこに兵士達が立ち、厳戒態勢が敷かれていた。イサク達は人目を避け、街を走った。城壁まで辿り着き、二人が脱出に選んだのはどぶ川だった。川の両脇には道がついていて、城壁を貫いていた。二人はその道を進み、その奥にあった扉をそっと開けた。城壁の外は、広大なごみ捨て場だった。ぼろ布、木切れ、陶器のかけら。あらゆる物がそこにあった。イサクは歩みを進めながら足元を見た。特に多いのが生ごみや残飯だった。今日、昨日作られたであろう大量の料理が山を成していた。そんな中目立つのは、肉も取られていない牛や豚、鶏、さばかれてすらいない魚だった。ただ、豊かな市場を演出するために飾られたか、あるいはただ饗宴を豪華に見せたかっただけだからか、ただ獲れあるいは育って街に運ばれただけだったからか、あるいはただ買ってみたかったからだけなのか。理由は分からなかったが、なぜ牛や豚や鶏や魚達は殺されなくてはならなかったのだろうか。死骸の中には、色とりどりの鳥や、不気味な爬虫類も多くあった。どれも村での修練で読んだ本の中で、人に従わぬと教わったものばかりだった。物珍しさから、遠く異国から連れてこられたのだろう。そして飼うことができなくなり……。

「何と、愚かな」

 思わずイサクは口走った。

 混沌とした中で何かと目が合った。掌に乗る位のガラスの目をした人形だった。持ち主だった子供が亡くなり、親が耐え難くなり捨ててしまったのだろうか。けれど、この人形の境遇は変わらない。ごみの山に埋もれ、抱かれることなく、空を見つめながら朽ちていくのだ。

 他にも、仕立てられたばかりの服があり、壊れてもいない家具があった。それらは身を隠すには最適だったが、イサクの心を深く抉った。

 豊かさとは、何だ? 全てが汚水を垂れ流し、凄まじい腐臭と屍臭の中にあった。


 数日後、イサクは長く続く林に差し掛かった。よく手入れされた林だった。きっと何十代にも渡って堆肥を取るために手入れされてきたのだろう。それが今、火をかけられようとしていた。集まった農民たちに、イサクは聞いた。

「なぜ木々に火を?」

「畑にするからさ。もう堆肥はいらない。もっとよく効く肥料が配られるようになったからな」

 火がかけられ、乾いた林はあっという間に炎に包まれた。多くの鳥が、獣が、林から逃げ出してきた。人々はそれを嬉々として捕らえ、そして殺した。始めは当面の食料にするのかと思った。けれど、それにしては量が多すぎた。獲物は積み重なり、食用にはできない種も多く混じっていた。狩ることそのものに狂喜しているようだった。イサク達はそっと立ち去った。

 村々では人々は熱狂的に、昼も夜も問わず働き続けていた。しかし、その傍らでは、過労で倒れた人だろうか。まだ若い男が女が、座り込み、あるいは倒れていた。人々は、彼らに、気力が、体力が、根性がないことをあげつらい、責め立て、罵詈雑言を浴びせた。イサク達は歩みを速めることの他、できることはなかった。


 ある港町に着いたときのことだった。広場に人だかりができていた。割り込んでやめさせようと何かを叫ぶ人もいたが、振り払われ、蹴りだされた。身分が高そうな、街の長だろう人も、群衆を止められなかった。イサク達は何とか割って入った。うず高く薪が積まれて炎が燃え盛っていた。中央には太い柱が立てられ……、老婆が縛り付けられていた。轟々と燃える炎に、煙に、老婆は苦悶の表情だった。それにさらに、人々は次々に石を投げつけた。

「何があった。何の罪だ」

 イサクは、石を持ち、今にも投げつけようとしていた男に言った。

「魔女だ」

「何故それを火あぶりに」

「魔女は俺たちに理解のできない術を使う。何をされるか分からない。恐ろしくはないか?それに、魔女は俺たち人間とは違う。人間の幸福を追求せよ、と教祖様は言った。だから俺たちは魔女を焼く。悪いことじゃない。むしろやらねばならぬことなのだ」

 イサクは絶句した。男はまた腕を振り上げ、石を投げつけた。その眼は見開かれ、赤く血走り、髪は逆立っていた。イサクは群衆の中に紛れ、そして港町を出た。

 イサクは歩きながら考えた。ひたすら広がる、腐臭を放つごみ捨て場、焼け出され狩られる獣、そして先程の魔女狩り。理性とは何か、豊かさとは何か、善意とは、人間とは、信仰とは何なのか。何も信じられない。善意と理性、高邁の精神こそが破滅をもたらすのだ。


 イサクは歩き続けた。何日も歩き続けた。

「自分は捨て、捨てられたのだ」

 主席の男は、三日後に密使が発ったと言った。認めたくない。自分は捨て駒だったのだ。

 イサクは捨てられるのが怖かった。実の所、イサクは心のどこかで気づいていた。村の中で嫌われていると。

 イサクは子供の頃、皆と遊ぶのが苦手だった。一緒に遊んではいたが、常に自分が先頭でないと、自分の思い通りにならないと、嫌だった。常に周りを見下していた。こんな低能な奴らと遊ばなくてはならないのか、と。体力が優れ、頭脳が優れていたからかもしれない。自分には当たり前に通れる道、自分には容易く分かる迷路を、同じ年頃の子供が通れないのがもどかしかった。やすやすとやってのけるイサクは当然にがき大将となった。

 しかし、そんなイサクでも、大人たちにはそのような態度を取ることはできない。がき大将として振る舞っていることで、大人たちに疎んじられるのが怖かった。そんな思いが芽生えた時に始まったのが修練だった。イサクは行えば行う程にめきめきと上達していった。大人たちはそれを褒めた。与えられた課題を全てこなしていけば、大人たちに疎んじられることはないだろう。そうは思いつつも、怖さが消えることはなかった。いつ、自分の中の我儘さが、疎んじられ捨てられる怖さが、露わになってしまわないか。怖くて、恐ろしくて。それを紛らわすために、一層、ひたすらに修練に打ち込んだ。イサクは完璧を求めた。弱さを知られるのが嫌だった。常に人目を気にした。どこかで弱みを握られはしないかと。強くありたい、そう願って、体は強くなった、頭も強くなった。けれど、巨大なうろを抱えた木のように、その心は小さく、弱いままだった。そしてさらに、それを隠すように、今度は素直で、従順な優等生を演じたのだった。最初のうちは、自分の意見を、欲求を押し込めるのは苦痛だった。けれど直に、自らを抑圧していることは感じなくなった。意識しなくとも大人たちが何を欲しているのかを読み取り、先回りして行動するようになった。そんなイサクを、周囲の人々は利発だと褒めた。修練に優れていることをどうでもよいと思っていたのは、修練にしか拠り所を見出せない弱い自分を直視しないようにするためだったのかもしれない。

 子分を従えるイサク、武術にも魔術にも強いイサク、誰からも認められ、親しく付き合うイサク。けれど、その内実は、誰よりも孤独で、弱かった。「腕力に頼るものは、弱さから逃げる者だ」 そう主席に投げつけられたロンの言葉はそのまま、イサクにも突き刺さるのだった。成人したこの歳になって初めて、イサクはその弱さを突き付けられた。

 村の人々は、長老は、イサクの弱さに、そして弱さを隠す心に気づいていた。そして。

 夜毎に追っ手――王党派なのか、教団派なのか、ただの野盗なのかは知れないが――を斬り捨てつつイサクは歩き続けた。

「捨てられた」

 世界の全てだった村に。

 しかし、イサクの方も、村の清貧を旨とする生活に辟易していた。弱い自分を隠しながら、死ぬまで変わらない日々を送らなければならない村を捨てられることが嬉しかった。そして、豊かな教団の領地を見た時には心が躍った。ガラスのドームに見とれた。人間の理性を掲げる豊かな教団に、冒険の鍵を見出せると期待した。

 しかし、その期待は裏切られた。理性は、合理主義は、豊かさの追求は、狂気と残忍さを孕んでいた。

 イサクは自分から、抱いていたその期待を捨て、理性もまた、イサクを捨てた。捨てられることを何よりも恐れたイサクは、結局は古い伝統からも、新たな合理主義からも捨てられたのだった。

「認めたくない」


「認めたくない」

 その呟きとは裏腹に、捨てられたという思い、悲しみは、何度もイサクを襲った。毎夜続く敵の襲撃、イサクを思い悩ませ睡魔を追い払う悲しみ。そのうちに、イサクは眠りを取ることをやめた。ある夜、久しぶりに宿を取り寝台に横になったが、その時にはもう、眠ることができなくなっていた。

 歩き続けたある夜、久しぶりに眠りに落ちたイサクは夢を見た。

 寝台で眠りについた自分、何か素晴らしいことを思いついたような顔で寝入る自分がいた。北に向かうのだと分かった。その自分をひたすらに、なじり、ののしり、面罵し続けた。お前がそこでこんな決断をしなければ、自分はここでこんな苦しみを嘗めることはなかったのに。寝台で横になった自分はいつしか目を覚まし、ののしるイサクを見ていた。徐々に寝台の自分の背景が明確になってきた。あの、不思議な夢を見た宿屋だった。

 それ以来、かつての決断、自らが今こうしている原因となった決断を、ひたすらに後悔するようになった。竜の入り江に向かおうと決めたこと、……、喜んで、旅に出るようにという命を引き受けたこと。

 いつしか、それに古い失敗の記憶が加わるようになった。……長老に叱られた時の記憶、修練で課題や試験に失敗しそうになった記憶、子供の頃、小川を飛び越えられず他の子供に笑われた記憶、うんと小さいとき、悪戯をして母に怒られた記憶。前だったら何でもない、思い出すことすらないような記憶。それらが蘇る度、イサクは後悔し、苛まれ、惨めな気持ちになった。

 捨てられた悲しみ、認めたくない弱さ、決断への後悔、失敗の記憶と惨めさは、混沌となり、絡み合い、巨大な網のようになって、昼も、夜も、イサクを襲った。

 世界は黒い闇に包まれた。もはや朝の光も、夕焼けもなくなった。背は丸まり、足は枷を着けたように重くなった。ひたすら頭は輪をはめられたように痛み、肩が、腰がこわばって、何もしなくても全身のどこかに痛みがあった。胃に何も入っていなくとも、常に吐き気がした。一歩踏み出すたびに、脳天が揺さぶられた。花を見ても、蝶を見ても、それらはいつか枯れ、死にゆくということしか頭に浮かばない。何を見ても悲しくなり、惨めになり、自然と涙が流れて止まらなかった。

 そんな弱い自分の頬を、イサクは殴りつけた。イサクの先祖は、古の、名をいうも憚る冥王との戦いで戦死したと聞いた。子供の頃、貧しさで十分に食事も摂れず小さかった体で、一日に何十公里も重い荷を担いで行軍した。兵站もなく、満足な食料も取れない飢えの中、何十体もの敵を倒し、刺し違えて果てた、と。そして、その武勲からイサクが生まれた土地を下賜され、そのおかげで、イサクは平和の裡に育つことができた。先祖の犠牲を思うと、ただただ疲れ、立ち止まり、何もできない自分が情けなかった。

 しゃがみ込むことが増えてきた。その度にイサクは自らの頭を殴り、立ち上がって歩き続けた。そのうちに、もはや惨めで、悲しむことしかできない自分が悔しく、自らを責め立てたくなり、心の中で怒りが湧き上がってきた。ひとしきり自分に怒りをぶつけ、責め立てると、その後の空虚さに、前にも増して惨めになるのだった。

 イサクは、自らがとてつもなく罪深い者に思えてきた。当然に越えねばならぬ弱さを克服できず過ごしてきたこと、多くの嘘をついたこと、他者の気持ちを考えず傲慢に振る舞ったこと、生きるために他の生き物の命を奪わなければならないこと、そもそもここに生きていること。その全てが許されぬ罪だった。すれ違う旅人とぶつかりそうになっても、イサクは自らを責めた。

 いつしか、男も、女も、老人も、子供も、道行く人々、通り過ぎる村の人々が皆、イサクを嘲笑するようになった。イサクを指さし、刺さるような視線を送って、イサクの心の中の弱さを、後悔を、記憶を、過去を嗤うようになった。

 イサクは急に自分が醜く、汚れた存在に思えてきた。何度も顔に手をやり、衣服を掴み、掌を見た。その様子を、人々はさらに嗤うのだった。何度も小川で水鏡をし、映ったその顔の醜さが耐えられず、手で殴りつけ、川に飛び込んでひたすらに水を浴び続けた。

「消えてしまいたい」

 思わず、口から言葉が漏れ出た。

 歩くイサクの後ろを、ロンはただついてきた。


次話は約1時間後に投稿予定です。

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