勘違い神の子日記
転生して太陽神として崇められるお話
1
自分が第二の人生を送っているのだと気付いたのは、だいたい2歳ぐらいだったろうか。ふっと世界が暗くなるような気分だった。今まで混沌として未知と不安と好奇心であふれていた世界が、既知で非情な世界なのだと突然わかってしまった。
頭痛も混乱もあまりしなかったが、いい気分ではなかった。まぁ、基本的に子供っていうのは脳内世界が幸せだったっていう話だ。いい年した大人の世界観を知ってしまえば、子供はどうにもがっかりするというもの。
自分が知っている生活レベルからすれば、ここが恐ろしいぐらい未開であるということもがっかりを加速させた。
ようやく歩けるようになって、こそこそと村の様子に探りをいれて大人の話を盗み聞きすれば、ここは小さな村、集落らしい。住人の数も30人いるかいないか、という程度の。しかも暖房設備どころか湧水をくんでくる程度の生活レベルだ。電気、水道、ガスなし。文明人とは言えませんねまったく。
村周辺は一面の砂漠だ。ラクダでも歩いていそうな典型的な砂丘が地平線まで広がっている。わずかな水源を頼りにヒョロリと貧相な麦を育て、飢餓と熱砂にさらされながらの暮らしだ。
現代的な感性から言えば、正直「無いわ」しか言葉が出てこない。一粒植えれば三粒実るかどうかというリターンの麦なんて育てる意味があるのか。大人しく遊牧して水源と植物を巡った方が良いのではないか。そう考えて早5年になる。
それでもこの村の住民がここを離れないのは、村の中央にそびえる場違いなほどに立派で荘厳な神殿にある。その全てが水晶で作られた光り輝く神殿は年中冷気を発し、しかし触るとほのかに暖かい光を内包している。伝え聞くところによるとここに住む人々のご先祖様が建築した古の遺跡らしいが、詳しいことは分からなかった。
────と、ここまでのことを知ることすら俺にとってだいぶ苦労を要することだった。
本題に入ろう。
こんな情報、普通に暮らしていればすぐにわかることだろうと思うだろう。確かに、この村のいち住民として暮らしていればすぐにわかったことだ。というか、調べるまでのことでもない。俺がこの程度の情報を得るのも苦労するのは、この村での俺の立ち位置が原因だ。
俺が生まれるひと月前、この村の占い師兼医師のような存在が、こんな予言をしたのだ。
「これから生まれてくる一人の赤子は、天神のひとり。第一世界から降臨なされた御子。いと高き陽光の化身である」
大ウソをつくのはやめてほしい。その陽光の化身ってやつは新聞を読みながら夜中にビールを片手におつまみに手を出す生活を送るものなのだろうか。少なくとも俺は違うと思う。
なんにせよ、その予言があった後、俺は生まれた。生まれた直後にうっすらと光りながら浮遊したとかなんとか。やはり御子様であったかとかなんとか。我らをお導き下さいとかなんとか。
一事が万事そんな感じである。噂に尾が付きひれが付き、俺が耳にする頃には魚どころが竜ほど大きい噂に成長するのが常だ。
御子様は聡明で、生まれた後すぐにお言葉を発せられたらしい。生みの母は御子様の神気に耐えられずに産後すぐにお亡くなりになられたが、その魂は御子様によって第一世界へと導かれたと。そのとき御子様は「大義であった」といって一筋の涙を流されたそうだぞ。
誰だそれは。前世の記憶があるという意味では普通の子供とは違うだろうが、そんな聖書の一説みたいな真似はした覚えがないぞ。というより、産後すぐとか首も座ってないから起き上がれもしないのに。
村の情報が手に入れられなかった理由がこれで分かっただろうか。俺がやることなすこと、すべてが神話の一節のように広がっていくのだから、俺は下手なことができなかったのだ。
俺の身の回りの世話をする侍女が二人いるが、その二人以外との接触は「穢れ」に触れるといけないということで制限されている。しかもその二人も「穢れ」が移るといけないからと口をきくことも俺の体に触れることも禁止されているのだ。触れるときは村の湧き出した水でさらして、神殿の光で乾かした布を介して触れること、と決められている。
上記の「穢れ」の制限という情報はこっそり6歳ごろ神殿を出て、この村の占い師と世話役の侍女の話を盗み聞きしたときに得たものだ。
水晶で作られ、白い幾何学模様が刺繍された赤い布がかけられた椅子に座り、俺は大きなため息をついた。現在12歳。未だに30日に一回程度ある年中行事でこの神殿を出るとき以外、外部と遮断され続けている。
太陽のようにも鳥のようにも見える文様が赤く刺しゅうされた真っ白な一枚布を、古代ローマ人のごとくぐるりと体に巻きつけただけの服に目を落とし、もう一つため息をつく。
「……こちらへ来てください」
水晶に反響して俺の声が神殿内に響く。すると、すっと奥の部屋から侍女が音も立てずに出てきて5メートルほど手前に来ると、立ち止まってこうべを垂れた。侍女は目元だけ穴をあけた布をすっぽりとかぶり、シーツお化けみたいになってしまっている。「穢れ」を持ち込まないためとはいえ、なんというかいただけない服装である。
口を利かないという作法であるため、こうべを垂れたまま女性は俺の言葉を待っている。
「少し喉が渇きました。水を」
そう言うと、女性は顔をあげて両手を胸に当てた。「わかりました」という意味の合図だ。
他人行儀なですます口調が常なのは、事実俺とって他人以上の存在がいないからこそだ。俺がまともに接触した人間なんてこの15年間で侍女二人くらいのもの。口も聞いたこともない侍女なんて他人も同然だろうさ。
会話もできず、目も合わせられず、一人で過ごすこと、それ自体は別に辛くもない。前世での仕事の内容によってはそういうことが2年近く続いたこともあった。少々不便ではあるが、侍女はまぁ人形のようなものと思ってしまえば楽なものだ。根本的に他人とか関わるのが億劫であると考えるタイプであるし。
だが、普通の子供でこれをやると言葉すら発達しないんじゃ……と心配になる教育方法である。これが俺でなかったら今頃どんな子供に育っていたことやら。
そんな無為な思考を巡らせているうちに侍女は水を取りに外に出て行ったようだ。侍女の姿は見えない。
侍女がいなくなった隙を突き、少し体勢を崩した。水晶製の椅子にもたれかかるように座り、高く美しい彫刻がなされた天井を仰ぎ見て、ああ、もうこんなところに12年もいるんだなぁ、と感慨にふける。
この神殿内は10年以上の時ですっかり知り尽くしてしまっている。古文明の本が収められた小さな図書室、旧文明の記憶を垣間見ることができる記憶結晶の並んだ回廊、塔の最上階には太陽の光を魔術で固体化して加工した神像が安置してある。
……こうして列挙してみると、十分に飽きがこない神殿だと思うかもしれない。確かにこの神殿は特殊も特殊だ。旧文明の遺産である「魔術」がふんだんに使ってある。魔術、である。ファンタジーもファンタジー。しかも旧文明。王道異世界転生を地で行くとはこのことか。村が未開であることもなるほど、中世ファンタジー世界と考えれば納得もいく。俺が太陽神であるというのは違うだろうと思っているが。少なくともほかに御子がいるかもしれないとは考える価値があるだろう世界観だ。
村に一度だけ立ち寄った旅人から得た情報によれば、魔術は世界からすでにロストしてしまった技術であるらしい。こうして遺跡(神殿)が完全な形で現存することも本当にまれなことで、国や国の擁護するアカデミーが知れば調査団が100人単位で派遣されること間違いなしとのことだ。それをするにはこのあたりに広がる広大な砂漠が邪魔をするようだが。
旅人から得た話は本当に好奇心踊るものだった。出会ったのは2年前、ちょうど10歳の時である。
旅人は各地の古文明の遺跡を巡る果てのない旅をしているとのことだった。虹色の沼からとれる魚が万病の薬になる話であったり、夢の中の世界が領土として管理されている国の話であったり。人が直視すると目玉が裏返ってしまう呪いを帯びた害獣の話もあった。
なんだその楽しそうな世界観は。彼はまさにゲームや漫画で描かれるようなファンタジー世界を旅していたのだ。そんなもの聞いてはここで一生を終わらせることなんてできっこないというもの!
手のひらを開き、力を込める。
「『集え』」
すると窓から差し込んでいる太陽光が吸い込まれるように手のひらに集まり、玉をなす。それをきゅっと握りつぶすと、パキンと薄いガラスが割れるような音がして光が散っていった。
独唱魔術<光の固形化>である。
俺は転生したがため、世界の常識なるものを知ってがっかりした。生まれたばかりの未知と希望を潰されて生活をしていた。しかし、魔術や神殿をはじめとする「旧文明」という未知を知った。それは新たな未知への希望である。
俺の前世は研究職である。未知を既知にし無知を知とするのが本分であり、天職であった。
そこに渡された新たな世界、それが「古文明」である。前世とは畑が違えど、突き進む方向性は同じ。ああ、知りたくて知りたくて仕方がない!こんな小さな世界で終わらせたくない!
図書館も記憶結晶も、もう見飽きてしまった。新たな未知を得るために、世界を巡りたい。
巡って巡って、新しい世界を知りたくてたまらないのだ!
「クノス・ウル・カ・イルイ様」
侍女がいつの間にか戻ってきていたらしい。唯一侍女が口を開くことが許されている「真名呼び」で俺は無為な思考にふけっていることに気が付いた。
侍女は一礼すると水晶でできた薄いグラスが経っている盆を差し出した。
「ありがとうございます、イーレ」
手に取り、一口つける。湧水の冷たさがのどを潤す。俺が飲み終わったグラスを盆に返すと、侍女は一礼して距離を取った。
「もう収穫祭の始まる時間ですね。祭壇へ向かいましょうか」
そういって、侍女の返事も待たずに俺は立ちあがった。侍女が返事なんてするわけないのだから、これも独り言にきわめて近い行為である。
ぺたり、ぺたりと裸足で神殿内を歩いていく。その後ろには侍女二人が一定の距離を保ちながらついてきている。侍女二人も同じく裸足だ。神殿は穢れを持ち込まないため、侍女2人以外は基本的に入れない。その侍女も外界からの穢れを持ち込まないため徹底的に身を清められた後、同じく清められた衣服を着て神殿内に入る。
つまり、穢れ防止のため土足厳禁というわけだ。太陽光が封じられた水晶はほんのりと温かいため、冬でも裸足が辛くないのが唯一の救いだ。
侍女二人がピタリと歩みを止める。この先は祭事場のため侍女も入れない。
俺は1人廊下をわたっていく。
その水晶の長い廊下を渡りきると、人力ではとても動きそうにない巨大な両開きの扉があった。これもまた水晶でできており、旧文明の神話を象った細かな彫刻が施してある。
「『開け』」
俺の一声で重く厚い水晶の扉が開く。魔術的自動ドアだ。いや、どちらかといえばボス戦前のドアが開くムービーみたいな感じか。
開いた瞬間、扉の向こうからワッと吹き込んでくるような歓声が耳に届いた。扉の先はちょっとしたテラスのようになっていて、下が見下ろせるようになっている。
その下の階、神殿前広場には少ない村人の全員が集まっていた。
「御子様!この村に恵みを!」
「イルイの偉大なる太陽神様!」
「クノス・ウル・カ・イルイ様!」
口々に俺を称える言葉が叫ばれている。広場中央の大きなたき火があり、村人はその向こうから声を張っている。声に乗る穢れはあのたき火……というかキャンプファイヤー的なものを通すことで浄化されるという考え方らしい。
実にめんどくさいと思ってしまうのは現代人の感性ゆえか。
すう、と息を吸い込む。これから祝賀の文言を述べていくわけだか、毎年決められた文言を言っているのだから今更緊張などしない。務めて御子らしそうな表情を作りながら、事務的に、しかし聖人の言葉に聞こえるよう努力して言葉を発する。
「この恵みはやわらかき風の恩恵、しとやかな雨の恩恵、良く熟れた土の恩恵。この地が与えた試練の先に、僕たちは恵みを賜る。これはその優しき恩恵に一筋の光を与えるもの」
言葉を切る。静まり返った広場の視線は、炎で揺らいだ大気越しにこちらへ集まっている。
ふと、見慣れない顔がいることに気が付いた。誰だあれ?
そんなことを考えながら言葉を続ける。
「あなた方はそれを忘れることなく、光の恵みを享受しなければなりません。あなた方はそれを忘れることなく、光の恵みを享受することでしょう。――光の恵み、我が恩恵に備えよ」
俺の声を合図に、村人が今年の収穫分を炎より手前、僕の真下に持ってくる。
例によっその運び役の村人も真っ白なシーツお化けのごとき服装である。炎の向こう側は神聖なものだという設定なのだから仕方のないことなのだけれど。
さて、本日のメインイベントに入るとしますか。
目を静かに伏せ、心の内にあるものを声を通して押し出すように詠唱する。
「『五条の望み、四重のしきたり、三分の命が二重の恵み。掟に服して意志を汲むなら、唯一の願いを叶えよう』」
<建築物複合型儀式魔術:“歓喜”>
詠唱に伴って水晶神殿が5色にきらめく。この魔術は水晶神殿が普段ためている魔力を使うため、ちょっとばかり楽に魔術を発動することができる。
さらに普段の重いしきたり……ルールを遵守することで効果をほんのり引き上げる。まぁこのルール自体は既存の(俺からすれば)変なしきたりを流用してある。
5歳のころ水晶神殿の中にあった図書館の書物を読んで組み上げたものである。組み上げて以来、毎年収穫祭の時期に合わせてこの魔術を使用している。
この魔術、詠唱からわかるとおり結果がかなり幅広い。あいまいな「民の願い」なるものが叶うのがこの魔術である。うまく言葉にできない「願い」を具現化する術式を考えるのに苦労したが、多数決制を取るより無意識下を汲み上げて意味付けする方向で構築してある。要は本能に即したものが出やすいということ。
ろくに農業も発達してない未開の地では食料はすぐに底をつき、飢餓と病はこの村にとって隣人に等しい。ゆえに、毎年毎年「願い」として具現するのは──
「おおおおおっ!」
「神の恵みだ!」
「クノス様の御業がここに!」
食料の倍増、というところである。
俺のいるテラスの真下におかれた穀物は量を大幅に増していた。テラス下につみあがった俵状にまとめられた麦束の山が、倍々と増えてテラス下を覆いつくし、今にも炎の中に転げ落ちてしまいそうなほどに高くなっている。今年は若干不作気味だったが、これで十分すぎるほどの食料を確保できただろう。
毎回この結果なら、はじめっから食料倍増の魔術を作ったほうが手間がなかったかなとも思わなくもない。
歓喜に沸く住民たち。もともとこの魔術は俺製のため名前なんてなかったが、この住民たちの様子を見て<歓喜>と便宜的に名づけてある。
そんな名前の由来にもなったほどの喜びっぷりを見せる村人たちのなか、冷静に一人だけこちらを見続ける姿がある。
遠目で、しかも炎で大気が揺らいでる状態であるからあまりよく姿が見えない。浅葱色の大き目な帽子をかぶり、真っ白なマントを羽織っている。背格好は高くもなく低くもなく。男……だろうか。
その姿も揺らいで村人たちの陰に隠れてしまった。
いったいなんだったのだろう。まぁ住民に聞けばすぐわかることなんだが。よそ者の話なんて格好の話題だからな。俺が第二の人生を謳歌している中ではよそ者来訪は2度目の出来事だ。うまく魔術を使ってここから出れば話を聞けるかもしれない。さて、どうしようか。
そんな悪だくみをしながら、聖人っぽい笑顔も忘れない。
「祈りは実りました。願いはたどり着きました。我が太陽の恵みに、あなた方は返礼を欠かさないでしょう」
それだけ言って、くるりと背を向ける。
やや光を減じた水晶神殿の中に入ると、「『閉じよ』」と簡易詠唱。
村人たちの歓声を背後に、ひと月に一回の仕事を終えた。
◆◆◆
それは失われたはずの秘儀だった。
白地に赤の旧文明の紋章を入れた服を着た男が、神殿のテラスに立っている。彼の流れるような詠唱とともに、風は流れを変え、光は明滅し、神殿は5色にきらめいている。旧文明がまだその形態を保っていたころですらここまでの魔術はまれだっただろう。
俺はそんな大魔術を、文明から遠く離れた悪意の行きかう砂漠の真ん中で見ている。
俺の名前はアドルフォ。アカデミーで<魔術>を研究している。
それを余人に話せば、「なんて愚かなことを」といわれること必至だ。なぜなら魔術とは旧文明のもの。存在すら確かでは無いおとぎ話のそれである。
世は「魔術からの解放」運動の時代。魔術を使う技術をロストし、現状それ関係の遺産は後がない。壊れても修理するすべがないのだから。魔術の実在すら疑わしいと考える地域もあるほどに魔術は失われてしまってもいる。
そのため、知識人の間ではそんな危うい技術からは離れて、これからは科学によって生活を成り立たせていこうといのが今の主流だ。
そんな中わざわざ俺が魔術を研究するのは、……まあ、深いわけがあるとだけ。他人に軽々しく話す道理もない。
魔術の研究者が何を言うかと思うかもしれないが、この研究を始めて以来ずっと、魔術の存在自体に懐疑的だった。なにせ旧文明の遺産もなく、科学一本で発展をし続けてきた町の出だったからな。目の前の大儀式は長年の猜疑心をぬぐって余りあるものだったが。
しかし興味深いモノをみせてもらったものだ。俺の魔術へのアプローチの方法は「科学的見地から見た魔術のあり方について」だ。魔術を科学的に解せるようになれば旧文明の遺産問題も解決するだろう。実に有意義な研究テーマだと俺は自負している。
そのための研究は欠かさなかったし、数少ない旧文明の魔術の資料もかき集めて頭に詰め込んである。特に儀式での魔力収集の方法に関する資料はほとんど見つからず、あきらめかけたころにフィレナの中央図書館にそれらしい古文書があると聞いてとんで行ったものだ。
俺はことアカデミー内では魔術に関して権威といえる立場にいると思っている。
その俺が言おう。
この儀式は、理解のはるかに上を行く。
この村人たちが言うに、一年間で神殿に貯めた御子様の力が豊穣をもたらしているとのことだ。
一年でためた魔力で質量保存の法則を無視する?何をバカなことを。
まず根本的に、人は魔力を持たない。魔力とは大気や大地など、生命以外の部分に蓄積されている。仮にそれを摂取したとしても、人はそれを保持し続けていられない。すぐに体外に排出されてしまう。無理に魔力を体に保持し続ければ魔力障害といわれる重篤な症状を引き起こす。
ゆえに魔術とは外部から魔力を集め、それをいったん別の場所に貯めて外側から呪文をもって結果を為すものなのだ。
ならばたった一年であれほどの大魔術を行えるほどに魔力が集まったのか?
それも否だろう。
アカデミーで読んだ文献を信じるなら、あの神殿にたまっている魔力などというほど大した量ではない。この村人たちは毎年あんな大魔術の恩恵を受けているのだ。古文書で見た灌漑工事を行う大魔術は、200年の歳月をかけて魔力を集めている描写があった。たった一年ぽっち、できることなどたかが知れているはずだ。あんな大魔術を発動するなど夢のまた夢。
ではあの魔力はいったいどこから来たのだろう。詠唱を鑑みるに多少の魔力増幅効果はあるのだろうが……アレの本質は「願いを叶える」魔術のはずだ。そんなちっぽけな魔力でなせるものでは決してありえない。
「クノス・ウル・カ・イルイ……」
旧文明の言葉で「クノスの太陽神イルイ」。このクノスという村で、この埒外の魔術詠唱者は太陽神として祭られている。
機械仕掛けの神を思わせる青年だった。
この砂漠地帯に住む少数民族独特の黒いストレートの髪を肩口で切っただけの髪型。二つに分けた前髪から覗く顔は、終始張り付いたような笑みから動かなかった。黒い瞳に感情の色はなく、こちらを鏡のごとく写しているだけだ。
それでもなお、彼からは神聖さと慈悲と感じた。儚い見た目に反して、教会の見上げるほどのステンドグラスを通した光にも似た圧迫感。
機械仕掛けでも神は神。空虚でいて権威あり、無感動でいて慈悲を持つ。鳥かごに幼い神を閉じ込めればこう育てることができるのだろうか。
この村のしきたりとして、あの青年はまともに声もかけれもらえず、目を合わせることもなく、ただ一人きりで過ごしてきたはずだ。そんな状況で人間がまともに育つはずがない。彼はただ「太陽神」という役割を果たすだけの機械のような、そんな哀れな存在として扱われ続けていたのだろう。
できるはずのない大魔術を支えているのは、おそらくあの少年のはずだ。太陽神と崇められる何かを彼は持っている。持っているからこそ、彼は村人たちに「使われ」続けているのだろう。
謎は多い。大魔術の魔力源、完全な形で残る水晶神殿、そして<御子>。
キュウ、と右肩で鳴き声が一つ。
「ああ、わりぃ、なんでもねぇよ」
そういって小さな頭を撫でてやれば、クルルと満足げな鳴き声を上げた。少し考え込みすぎてしまったらしい。
豆粒のような小さなくちばしに、丸っこい体。羽を広げても手のひらほどの大きさしかない。一言でいえばひよこ。こいつは大切な俺の旅の友である。
ポーチから取り出した乾燥豆を与え、俺はこれからの方針を決めた。
あれほどのことをしてのける青年が、あんな状態でいるというのは人道的に見ていいわけがない。自由を奪われ、ゆがんだ神として贄として供されていいはずがない。
人は、自由に生きるべきなのだ。
この村には悪いが、もう十分に青年を利用して養分を吸って肥え太っただろう。
「あの青年を助け出すぞ」
キュッ、と友は羽を広げて心持ちキリッとした声を上げた。