立志編 第一章 望まぬ試練 節一 道場炎上
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
幾星霜の時を経ても、人の欲は尽きず。
争いは常に人の影に寄り添い続ける。
この星に仕組まれた宿命のように‥。
項一 剣術大会
「そこまで!ーー勝者、赤!扇剣術道場、朱里!」
優勝だ‥‥師範、喜んでくれるかな。
「ふぅ‥‥明るいうちに帰れてよかった」
村の入り口で、朱里は足を止めた。
ーー何だろう、この騒ぎ。
大きな木槌や桶などを手にした男達が、次々と走り抜けていく。
「あっ!朱里ちゃん探していたのよ!」
「久恵さん?何かあったんですか?」
「落ち着いて聞いてねーー道場が火事なの!」
「‥‥え?」
「今、男衆が火消しに向かっているの。碧英さんがいるかは‥‥わからないわ」
「師範が‥‥?」
「ほら、あんた!朱里ちゃんを連れてって」
「おう、行くぞ」
師範‥‥。
朱里は袴の裾を握りしめて駆け出した。
朱里が着くと、目の前で、道場が燃えていた。
「そんな‥いやぁ!」
男衆が水桶を繋ぎ、必死に火を抑えている。
「師範はーー師範を知りませんか?」
男衆に聞く。
「朱里ちゃんこそーー碧英さんと一緒だったんじゃないのかい?」
「違います、私は試合で町に行っていたんで‥師範は道場に居たはずなんです」
「そっか分かった、後で探してみるーー朱里ちゃんは危ねぇから離れて待ってな」
「中にいるかも知れない!ーー師範!ーー師範!」
「ダメだ!死ぬ気か!落ち着け!朱里ちゃんに何かあったら碧英さんが悲しむだろ」
師範‥‥‥。
為す術もなく、ただただ涙が止まらなかった。
ーーーーー。
夜になって火は鎮火されたが、道場は離れの一部が残っただけでほぼ全焼だった。
「朱里ちゃんさ、もう遅いから今夜はウチに来な、後の事は明るくなってからだ」
久恵の夫、辰滋が言う。
「師範‥帰ってきた時に‥誰も居なかったら困るから‥私はここで‥師範を待ちます‥」
そう言う朱里を残し、離れを出て行った辰滋は久恵も連れ戻ってきて、結局三人が離れで一夜を過ごした。
ーーーーー。
剣術大会の疲れもあって眠りに落ちていた朱里は明け方、外の騒がしい声で目を覚ますと、それは辰滋と久恵、それに数人の男が焼跡で話す声だった。
「見ない方がいいわ、朱里ちゃん」
焼跡から遺体が見つかり、それには筵が掛けられてある。
「これ‥碧英さんの物かい?」
久恵が遺体の側にあったという焼けた刀を差し出してきた。
「師範‥‥」
そこには見覚えのある刀の鍔、紛れもなく碧英が使っていた刀のものだった。
刀を抱いてしゃがみ込む朱里を、周囲が見守るように見ている。
「師範‥‥」
涙声で震える朱里を久恵が静かに抱き寄せた。
遺体は寺に移され、遺体の側で佇む朱里の前に、黒い礼服を着た長身の男が現れた。
「朱里さんだね」。
黒い礼服の男が、静かに声をかけながら、朱里の前にしゃがみ込むと、目の前に一本の刀を置き、一通の手紙を差し出してきた。
「もし碧英さんに何かあった時は、形見としてこの刀を、遺言としてこれを朱里さんに渡すよう頼まれていた」
顔を上げ、言われるがままに手紙を受け取り、中を開く。
=朱里へ この手紙を読む時、儂は既にこの世には居ないのだろう。道場の事も含めて後処理は全て教会にお願いしてあるから心配はしないよう。その刀は扇家に代々伝わるもの、形見として朱里に持っていてほしい。儂亡き後、朱里は伊賀国にある里へ行って白蓮に会うように。白蓮には儂から宜しく頼んである。里の場所はこの手紙を持って来た者が案内してくれる。最後に朱里よ、お前は儂の自慢であった、これからも正しく生きよ、今までありがとう。 扇碧英=
「お‥父さん‥」
手紙が涙で濡れていく。
「‥少し‥一人にしてもらえないですか‥」
「では村の人と話をしてきますからーー落ち着いたら声をかけて下さい」
一人になると、形見の刀を手に取って鞘から抜いていく。
刀身の峰に桜と光を模したような彫り込みがあり、普通の刀ではないだろうと判る代物だった。
鞘に戻し、それを抱えていると遺言の言葉、里と白蓮の文字が頭の中を過っていく。
この村を離れて新しく里で暮らせ、そういう事なのだろうか‥里へ行け‥‥って、どう言う意味なんだろう。
碧英の遺志が分からなかった。




