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第一話『旅は道連れ』

疫病や大飢饉の不安から魔女狩りが盛んに行われていた時代。どんなに必死に生きても報われないこの世に無常を感じながらも美しい景色に癒され前を向く魔女と眷属未満の旅テロ物語。きっとアナタも旅に出たくなる。※拷問や虐待、胸クソ展開、際どいシーンなどが多数あります。救いのないシーンが多いです。大人向け。

   第一話『旅は道連れ』


 日当たりのいい午後。屋敷の窓辺で、メリッサお嬢様が絵筆を走らせている。俺は執事の仕事を終え、彼女に話しかけた。


 メリッサお嬢様、素敵な絵ですね。

 ふふ、この間お母さまと見た滝なの!

 美しい──

 ねえハチ。今度アナタも一緒に見に行きましょう。場所は──。

 ええ。私も美しい景色が見たい……アナタ(・・・)と一緒に──

 だがそう返事をする前にお嬢様の描いた絵が突如何者かに破られてしまう。継母だ。

 キャアッ!

 お前の母親は死んだんだよ! 今日から私が新しい母親だ!

 なんて酷いことをっ

 俺はお嬢様と絵を庇う様に間に入った。だがそれが余計に継母を怒らせてしまったようだ。

 奴隷の癖に私に逆らうのかっ! そうか、この女に(たぶら)かされたんだろうっ! 魔女だ! この女は魔女だっ! そうだろうっ!

 違うっ! お嬢様は魔女なんかじゃ

 うるさいうるさいっ! お前も魔女と繋がっているなら死刑だっ!

「ぅうっ、く、ぅっ!」

 髪を鷲掴みにされ、俺とお嬢様はひどい拷問を受け、そのまま火炙りに──。


「お嬢様ッ! メリッサお嬢様ッ!」

 汗だくのまま飛び起きた俺は呆然としてしまう。

「ハアッ、ハッ……? え?」

 そよそよと(なび)く風──水の匂いのする森──おかしい。今はどこもかしこも大飢饉や疫病で荒れ果てているはずだ。それなのに果物が実り、緑が生茂っている。

「え? ここは? なんで? メリッサお嬢様はっ!?」

「んん? 騒がしいな。安眠の邪魔をするな」

「ッツ!?」

 すぐ横で何かが動き、俺は驚いて飛びのく。

「ほう、回復したか」

「……おじょう……さま?」

 どこか大人びた表情だったが、俺はその姿を見て心底ほっとする。

「メリッサお嬢様ッ! よかったご無事で──」

 平素ならやるはずもないが、思わず抱き締めようとしてしまい、平手打ちを喰らってしまう。

「ッツ! す、すみませんっつい──」

「落ち着け。そいつは火炙りにされて死んだだろう?」

「────え?」

 不遜な態度で放たれた言葉に俺は頭が真っ白になる。

「え? は? いや、メリッサお嬢様、何を言って」

 俺は回らない頭で目の前の人物をただ見つめる。じゃあアンタは一体──?

「そんなに儂はその女に似ているか?」

 俺はぼう然と頷く。簡素な布切れを被っただけの町娘の恰好をしているが、声も姿形もメリッサお嬢様そのものだ。

「本当に……メリッサお嬢様じゃない、のか?」

「…………」

〝美しい景色が見たい……アナタ(・・・)と一緒に──〟

 俺は確かにそう言った。夢か現実かわからないまま──。

「……勘違いで頷いたのか……まあ良い」

 そう言って起き上がるなり片膝を立て、髪を結い始める。

「かん……ちが、い……?」

 言われてみればずいぶん違う。髪の色はここまで美しいブロンドではなくもう少し赤みがかっていたし、ズボンも穿()かずに股を広げるような際どい姿勢を取らないし、こんなに大人びた表情をしない。

 なにより雰囲気がまるで別人──

「──ッ……」

 全身の血の気が引いていく。叫び出したいのに声が出ない。わなわなと体が震え俺は泣きながら声にならない声を上げた。

「──ッツ!! ぁあっ! あーーー!」

「うるさいのぉ、落ち着けと言っとるじゃろ」

「お、落ち着けるわけないだろっ! 何なんだよさっきから! アンタ人の心とかねーのかッ!? メリッサお嬢様は俺の……大切な……たい、せつな……」

 そこまで言って俺はついに泣き崩れてしまった。メリッサお嬢様に似ている女の白けた態度がさらに追い打ちをかける。

 この女はお嬢様じゃない。間違いない。メリッサお嬢様なら、きっと優しく声をかけてくれただろうから──。

「ぅうっ……ひくっ……ぅっ」

「やれやれ。次の道案内にと思ったが難儀なモノを拾ってしまったな……」

 一頻(ひとしき)り泣き喚いた俺に聞こえるように女が愚痴を吐く。

「ッツ……おい……なんで俺は生きてる? お前は、アンタは一体何者なんだ?」

「儂か? 儂はホンモノの魔女じゃ」

「な──」

「千年は生きておる」

 そう言って俺の目の前で幼女から老婆まで姿を変えていく。

「は、早く村のみんなに──ッ」

 村へ向かって走る俺の背中に魔女が不敵に笑いかける。

「自分を殺した村に戻るのか?」

「──ッツ」

「なによりお主、もう人間ではないぞ」

「は──?」

 どういう意味かと問いかける前に景色が一変する。樹木は枯れ、(おびただ)しい数の野犬が群れを成して襲ってきたからだ。

「グゥウルルルッ ワウッ!」

「ああ、結界から出てしまったか……」

 呆れる魔女の声は俺には聞こえていない。

「う、うぁあっ! あぁああっ!」

 肉を食い千切られる感触、眼前に再び迫る死の恐怖で体の震えが止まらない──。

(死ぬのか? 俺はまた──)

「ふふ、そのまま食い千切られ続ければ死ねるがどうする? できれば滝まで案内してもらいたいのお」

 ゆっくりと近づいてきた魔女が俺の頭の上でしゃがむ。

(たき……? 滝か──あの滝──。俺も見たい……お嬢様がもう一度見たいと言っていたあの滝を──!)

「おい魔女っ! 案内するっ! だから助け──」

 だが魔女はチッチッチと口元の近くで人差し指を振る。

「ならそんな雑魚、自分で蹴散らしてみろ。言っただろ? お主はもう人間ではないと」

「……え?」

 言われてみれば食い千切られたところから体が再生している。痛みも思っていたほどじゃない。俺は試しに拳を振りかざし、野犬をぶん殴ってみた。

「キャインッ!」

 一匹だけのつもりだったがまとめて五、六匹飛んでいき、野犬だけでなく俺も驚く。

「……マジ?」

「〝マジ〟じゃ」

 そう言って魔女がにこりと笑う。

 残りも一掃しようと思ったが、びびった群れは退散していった。

「っつ……ハアッ、ハッ……たす、かった……ッツ……」

 再生中の覚束(おぼつか)ない体で結界内に戻る。

「ふ、お主、運がいいのう。九つの命を一つも失わずにすんだな」

「ここ……のつ?」

「お主には九つの命を与えた。致命傷を負えば減る。大切にな」

「ッ……はは、マジかよ……」

 ゆっくりと、だが確実に食い千切られた肉が再生していく様を俺は信じられない気持ちで見つめる。

「俺も……魔女になったのか?」

 話している間にも体は元に戻っていった。だが今度は人間ではなくなったことに対する別の恐怖が足元をふらつかせ、不格好にも膝をぺたんとつけ座り込んでしまった。そこに先ほどと同じように魔女もしゃがむ。

「正確には眷属未満じゃ」

「眷属……未満?」

 にやりと笑い、俺の顎先を人差し指でつんと上向かせる。

「未満とは言え侮るな。儂の言う事には逆らえん」

 言うなり魔女が矢継ぎ早に出した指示に俺の体は素早く反応した。

「お座り」「お手」「チンチン」

「!? か、体が勝手に──っ!」

 俺は背筋を伸ばして座り、右手を出し、膝立ちになって腹を見せた。

「……冗談だったんじゃが……」

 ドン引きしている魔女を見て揶揄(からか)われたと気づいた俺は恥ずかしくて仕方ない。

「ッツ! クソッ! 奴隷兼執事だった頃の癖でつい──ッ」

「かかかっ! 染み付いておるのう!」

 随分楽しそうに笑う魔女を俺はじろりと横目で見る。

「てか何で未満なんだよ。中途半端でなんか嫌なんだが?」

 思ったことを口にしただけだったが、魔女の目が鋭く光り、俺を(また)いで(また)しかかってくる。

「正式に眷属になるにはまぐわう(・・・・)必要がある」

「なっ……」

 血か(べに)か──真っ赤な唇が妖しく濡れている。豊満な胸の谷間からは甘い香りが漂い、頭がクラクラしてしまう。勘弁して欲しい。ただでさえメリッサお嬢様に似ているというのに──!

「やってみるか?」

 魔女の冷たい手の平が俺の頬に触れる。

「っ、だ、れがっ──」

 吐息がかかる距離──俺は危うく惹き込まれそうになり、慌ててその手を払いのける。

「ッツ! 人でなしの家来なんてこっちから願い下げだっ!」

「千年生きておるからな。お前もすぐにこうなる」

 そう言って魔女が笑う。俺は恐怖を打ち消すように魔女を睨み続けた。






 まずは買い出しだという魔女と一緒に森を抜ける。結界内にある果物はどうやら幻らしく、手を伸ばして取ろうとした俺はとんだ赤恥をかいた。

「アハハッ! すごい腹の虫じゃな」

 偽物だと分かってなお〝ぐう~〟と鳴る腹の虫がおさまらない。

「ッツ! こんな美味しそうな幻見せられたら腹が空くだろっ!」

 ここ数年、まともな食事など取っていない。屋敷に勤めていたとはいえ、その扱いは奴隷同然だった。メリッサお嬢様を除いて──。

「結界だけでもいいが味気ないだろう?」

 そう言って幻を消すと枯れ木だらけの荒れ野が広がった。なるほど確かに味気ない。

「では出立(しゅったつ)するか」

 俺の無言の同意に気を良くしたのか、魔女は弾んだ声で歩き始めた。






 二日かけて森を抜けた俺達を待っていたのは妙にテンションの高い街だった。

「やれやれ、王都に近い街じゃから、期待していたんだがな……」

「ずいぶん荒れてるな」

 腐りかけの果物や野菜にはハエがたかり、刃こぼれした武器は今にも折れてしまいそうだ。にも関わらず〝らっしゃい、らっしゃい!〟とまるで繁盛しているような掛け声がちぐはぐで不気味だ。まだ昼だというのにどんよりとした曇り空が異様さに拍車をかけていた。

「ッツ……この匂い……」

「気づいたか」

「……っ」

 俺は手のひらで鼻を覆う。牛や馬じゃない。人間の肉の焦げた匂いに俺は吐きそうになる。

「ぅっヴぉえっ──ッ……!」

 なんとか耐えるが、火炙りにされた時の恐怖と痛みがフラッシュバックし、その場にしゃがみ込んでしまった。

「ぅっ……ふ、ふぅっ……!」

 脂汗が滝のように吹きだし、眩暈がしてくる。この街でも魔女狩りが行われているのだと分かる。

「……先に休むか」

「……悪い……」

 俺は殊勝(しゅしょう)に返事をしてみせる。

 とは言え俺はこの魔女をまったく信用していない。噂に聞く魔女だ。それも本物の──。

 魔女は油断させて人間をおぞましい儀式に使うという。魅力的な女の姿は人間の血と肉を喰らって保っていると──。俺はそんな噂を思い返しながら魔女をちらりと盗み見る。

「…………」

 千年生きているとは思えないほど瑞々(みずみず)しい肉体──これが人間の血肉で出来ているのかと思うと俺は恐怖でぞくりと身を震わせる。

 亡きメリッサお嬢様の代わりに俺も滝を見たい。だが滝を見た後、約束通り俺を自由にするという保証はない。

 幸か不幸か、魔女のおかげで野犬も倒せるこの体になったのだ。少し休めば一人でも見に行けるだろう。だからこそ、なんとかして魔女を撒きたい。

「なんじゃ?」

「いや……」

 魔女から視線を逸らした時、街中に叫び声が響き渡る。


 うぁああっ!


「なんだ?」

「おい、隠れろ」

「え? ちょっ」

 何かを察した魔女に物陰に引っ張り込まれ、そこから様子を窺う。俺もそれを真似てチラリと覗き見る。熊ほどの大きな野犬が逃げる男に襲いかかっていた。

「助け──」

「よせ」

 具合が悪いのも忘れて飛び出しかけたが、襟を掴まれ引き戻されてしまった。

「何言ってる! 助けないと」

「大丈夫だ」

「え?」

 何がだと聞き返すより先に長い槍が野犬の腹を貫く。フード付きのマントが翻り、その下の銀色の甲冑が鈍く光る。

「あれは──?」

 重い甲冑に身を包んでいるとは思えないほどの身のこなしに俺は思わず唸る。

「銀色の甲冑に王都の紋章──ただの憲兵ではない。王直属のエクソシストだ」

「エクソシスト?」

 そう聞き返すと魔女は苦々しい顔つきになる。

「儂ら魔女の天敵じゃ。勘づかれるとまずい。騒ぎを起こすなよ」

 俺は心の中でガッツポーズを決める。

 魔女の天敵エクソシスト──好都合じゃないか──!






 また野犬だって。怖いわねえ~

 そうそう。つい昨日も隣の奥さんが噛み殺されて──

 何人殺された?

 確かもう三人だよ

 エクソシスト様に来て頂いたってのにいつまで続くんだ?


 騒ぎが収まるのを見届けた野次馬たちが口々に話す。それを聞きながらエクソシストが男に尋ねる。

「最近野犬が出ると言うのは本当のようだな。結界も張ったというのに……何か思い当たることはあるか?」

「い、いえさっぱりで」

「……私たちの結界も完璧ではない。一匹でも引き引き入れてしまえばそれが依り代になり、結界は意味をなさなくなる。まだ野犬がどこかにいるはずだ。見つけたらすぐに知らせてくれ」

 そう言って男は去っていった。

「結界……人間も張れるのか」

「魔力を扱える人間──それがエクソシストじゃ。この街は王都に近い。野犬を駆除するため助けを求めたんだろう」

「なるほど」

「……長居はしたくない。明日すぐに出発する」

「ああ」

 本当に好都合だ。隙をみてこの女が魔女だとエクソシストに知らせればいい。






「ここにしよう」

「……」

 (さび)れた裏路地を抜けると二階建ての剥げかけたトタン屋根が見えてきた。

「匂いが……消えた?」

「風向きのおかげじゃ。日当たりも良好」

 そう言いながら階段を上っていくと、まだ幼さの残る女の子が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ~! 二名様ですか?」

 まだ十にも満たないだろう。あどけない笑顔に癒されていると、後ろから脂の乗った女が出てきて女の子の肩を抱いた。

「可愛いでしょう? うちの看板娘──」

 お代は別料金です──下卑た声で耳打ちされ、俺はドン引きしてしまう。こんな小さい女の子になんてことを──

「アンタッ──」

 だが言いかけてハッとする。

 女の子の手の甲に王都の紋章。国の所有物という証──要するに奴隷だ。

「いかがですか? この子、なぁんでもしますよ」

「ッツ……」

 こんな小さい子になんてことをさせるのだろう。だが奴隷相手なら何をしても犯罪にならないのがこの国の法だ。

「ッツ……クソ……」


 なんでもやるのが執事の仕事だろうっ!


 同時に嫌なことを思い出し、俺は押し黙ってしまった。それを見た女がさらに口角を上げる。

「それで? お二人で一泊十万ギルですがどうされますか? この娘も入れれば十五万ギルになります」

 こんなボロい宿でそれは暴利だろう。さすがに文句を言ってやろうと口を開きかけると魔女の手がそっと制止する。

「では十五。それに見合った部屋があるんだろうな?」

「も、もちろんです!」

 女は揉み手を作り魔女にすり寄っていく。

「娘はどうされますか。多少手荒に扱っても問題な──」

「少しゆっくりしたい。夕飯時に部屋に来てくれれば良い」

 魔女が遮ると女は多少ムッとしたようだ。それでも金のためか作り笑顔を顔に張り付ける。

「……かしこまりました。ごゆっくり」

 そう言って部屋を案内し女は戻っていった。

「あ、アンタ、あの子をどうするつもり」

 まさか買うとは思わなかった俺は慌てて確認する。

「なんもせん。一日だけじゃが、ゆっくり眠れる夜があっても良いじゃろう?」

「こ……殺して食ったりとか?」

 聞くなり魔女はポカンと口を開ける。

「何を言っとる? そんな趣味はないぞ」

 なんだ?……噂とだいぶ違う……いい奴なのか?

 戸惑う俺をよそに魔女は破れたカーテンのかかった窓を開け、爽やかな空気を肺に吸い込み目を細める。

「うむ。布団もシーツも新しい。それなりの金を払っただけあるな」

「…………」

 確かにちらりと見えた他の部屋は(かび)臭く、野営の方がマシだと言いたくなるレベルの代物(しろもの)だった。

「……っ……」

 試しに布団に横になってみると、石鹸の匂いに思わず気が緩み、急激な眠気に襲われてしまう。この女の前で無防備に寝るのは避けたかったが、どうにもこうにも疲れが溜まっていた体は抗えないようだ。

(……滝を案内しろと言っていたんだ……それまでは生かしておく……はず……)

 そんなことを考えながら俺は眠ってしまった。






 だが本来俺は眠るのが好きじゃない。暗い闇に引きずり込まれるからだ。嫌な感触が蘇るからだ。

「……ハァッ、メリッサ、お嬢様っ、ちがう、俺は──俺のせいじゃ……っ」

 浅い眠りにうなされていると、ふいに懐かしい鉛白(えんぱく)と水の混ざったツンとくる匂いが鼻を刺激する。同時に筆がサラサラとキャンバスをなぞる音がして、俺はゆっくりと目を覚ます。

「? はぁっ、はぁ……ッツ……」

「起こしたか?」

「……今……何時だ?」

「もう夕方じゃ。六時間近く眠っておったぞ」

 六時間──そんなに──。悪夢を見たのはほんの一時だったのだろう。熟睡とはいかなかったが、久しぶりに疲れが取れた気がする。

「……アンタも絵、描いたんだな」

 体がまだダルい。俺は横になったまま、後ろから覗き込むようにして完成間近の絵を眺めた。

「数刻前から雲が晴れてな。橙色に染まった空のなんと愛らしいことか──」

 そうほほ笑む魔女も夕焼け色に染まっている。どこかほっとする温かい空気に張り詰めていた心が少しほぐれた気がした。

「……聞いてもいいか?」

「なんだ? 改まって」

「アンタは何で滝が見たいんだ?」

 魔女は少し困ったように笑ったが、筆を走らせながら淡々と呟く。

「……儂の母も旅が好きじゃった。会ったことはないが、しょっちゅう絵葉書を送ってくれた。同じ景色を見たいと思うのは自然じゃろう?」

 そう言って瞳を輝かせて夕焼けを見つめる。

「…………」

 同じなのだろうか。この魔女も俺と──。

「メリッサお嬢様も──」

 話し出すともう止まれなかった。

「──メリッサお嬢様も……母君が亡くなった後、滝の絵を描いて気力を取り戻していた……いつかもう一度見に行くんだと……笑顔で、何度も……ッ……」

 だがそれが余計に継母を怒らせてしまったのだろう。そうだ。そうに違いないのだ。

「……メリッサと付き合っていたのか?」

 魔女が静かに尋ね、俺はゆっくりと首を振る。

「身分違いもいいとこだ。それはない」

「だが好いていたのだろう?」

「……妹のように思っていた……本当だ」

 誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。魔女を信用していないと言いながらも俺はつい胸の内を晒してしまった。

「……お嬢様と母君は俺を奴隷扱いしなかった……特にお嬢様は、本当にっ、懐いてくれてっ……」

 まるで天使のような二人だった。俺の人生で唯一(けが)れのない時間だった。

「旦那様がっ……あんな女と再婚さえしなければっ──」

 唇を噛んで拳を握りしめる俺の変化を魔女は見逃してはくれなかった。

「お主……その継母と何かあったな?」

「ッツ!?」

 突然の鋭い質問に俺は表情を隠せなかった。

 事も無げに恐ろしい秘密に触れた魔女を唖然とした顔で見る。


 私の部屋においで。坊や──。旦那も一緒に……三人で楽しもう──。


「ッツ──ッ……!」

 気味の悪いほど甘い声、幾度となく繰り返されるおぞましい夜──。今思い出しても体中の毛が総毛立つ──。

「そうか、主人も──」

「やめろっ!」

 だが魔女は背もたれを揺らし、かかかっと甲高い笑い声を立てる。

「なるほどなるほど! 自分達の所有物がよそ見をしていたのはさぞ不愉快だっただろう!」

 手を叩き、お腹を抱えて魔女が笑い続ける。

「やめろっ! やめろお!」

 俺は絵具を混ぜるためのナイフを掴み取り、気づいた時にはもう魔女の胸を貫いていた。

「ハアッ、ハアッ……ぁ、あぁっ……」

「ふ」

 魔女は俺から視線を逸らさない。ただ口から一筋の赤い血を流し、恐怖に後ずさる俺を見てにやりと笑う。

「どうじゃ? 本能のまま動くのは心地良いじゃろう?」

「ふざっ、ふざけんなっ、何で、俺は、こんなっ──」

 真っ赤に染まった手が震える。魔女だと知っていたとはいえ、見た目は人間──それなのに何の躊躇(ためら)いもなく刺した自分に俺は(おのの)く。人間ではなくなったと言われたが、俺はそのうち人間を殺すのか──? 理性がどんどん壊れていく感覚に足元が揺らぐほどの恐怖を感じる。

「魔女の血を分けたんじゃ。多少興奮しやすくはなる。慣れるまではコントロールが難しいじゃろうな」

 胸にナイフが刺さったまま魔女が足を組んで椅子にもたれる。

「……おい、コントロール出来ないと分かってて(あお)ったのか? どういうつもりだっ!」

 俺の剣幕に魔女は肩を(すく)める。

「やれやれ。夜な夜な苦しんでおるようじゃから(うみ)を出してやろうと思ったのに。とんだ災難じゃ」

 言われた瞬間、全身の血が熱くなる。

「ッツ! 馬鹿なのかアンタッ! 俺のためだと? ふざけんなっ!」

「認めれば楽になる。お前のせいで娘は死んだ。お前が余計な愛など抱かず、ただの玩具に徹していれば──」

「黙れっ! 黙れ黙れ黙れええええっ!」

 再び全身の血が沸騰した俺は魔女の胸に刺したナイフを抜き、何度も何度も振り下ろす。

「ハアッ、ハッ、ハアッ! ッ……」

 死んだのだろうか? 夕焼けの下真っ赤に染まる体を呆然と眺める。そうだ。エクソシストに密告する手間が省けた。最初からこうしていれば良かったんだ──。

「? ヒュウッ、ヒュッ、ハッ、フゥッ、ッツ!?」

 だが突然呼吸が出来なくなり俺は焦る。

 なんだ? 吸っても吸っても苦しい。どうして? 吸っているのに息ができない──? 

 白目を剝きそうになる俺の下で、血(まみ)れの魔女の瞳がギラリと光る。

「ふ。情の厚い男は嫌いじゃない」

 言うなり俺の胸倉を乱暴に掴んで引き寄せた。

「ぅんっ!? んんっ! んーーー!」

 魔女の唇は血でぬめり、冷やりとしている。だが舌は熱く(とろ)けるような甘さを含んでいた。

「ハッ、ぅんっ!」

 華奢な体からは想像もできないほど力が強い。俺はろくに抵抗できずそのままベッドに押し倒されてしまった。

「はっ……んっ──!」

 小一時間は経っただろうか──抵抗する気も失せた頃、ようやく魔女は離れた。

「落ち着いたか?」

「? 息が……できる?」

「過呼吸だ。興奮し過ぎたようだな」

「誰のせいだと……っ」

「ふ……よくある話じゃないか。いちいち大げさな奴じゃ」

 よくある話だと? 軽んじるのもいい加減にしろ!

 俺は勢いよく魔女を突き飛ばす。

「ッツ……お前は魔女だっ、人でなしのっ冷たい女だっ!」

 負け惜しみに近い反撃だったが、思いのほか魔女は悲し気な顔をした。

「まあ、そうじゃな」

「…………」

「多少気は済んだか?」

 そう言って魔女が背を向けた先に、ボロボロになった夕焼けのキャンバスが見えた。

「おい……何で絵がそんなボロボロになってんだ?」

「お前がやったんだろう?」

「? 俺はお前を──」

 言いかけると魔女が呆れたように微笑み、ため息を漏らす。

「儂が幻を見せるのが得意だともう忘れたのか?」

「ッツ──! だからって、この絵に罪はねえだろっ!」

 抱きかかえるようにするとこれまた魔女が驚いた気配がした。俺はその絵を腕が痛くなるほど抱き締める。メリッサお嬢様が描いた絵が破られた苦い記憶が蘇ってしまった。

「また描けば良い話ではないか……本当に難儀な男を拾ってしまったな」

 盛大にため息を吐きながらも俺の傍にくるや否や、何か白い粉をかける。

「本来、この程度のことでハイポーションなど使わんのだがな……」

 パアッと絵が光ったかと思えば信じられないことに綺麗に元に戻っていた。

「良かっ……た……」

「やれやれ……」

 子どもの癇癪(かんしゃく)に付き合いきれないと言ったふうな口ぶりにこっちのセリフだと言いたくなる。だが可愛らしい声に遮られてしまった。

「お夕飯できました……わあ! その絵、綺麗ですね!!」

 そう言って受付をしてくれたあの女の子が夕飯を盆に乗せ、目を輝かせながら入ってきた。その後ろでごゆっくりと言い、下卑(げび)た笑いを浮かべて女主人が去っていく。

「これ……売り物ですか?」

「気に入ったのかい?」

 魔女は嬉しそうだ。この女も自分の絵を褒められると嬉しいんだなと至極当たり前のことに多少感動を覚えた。

「この部屋でなければ見られなかった夕焼けだ。お前さんにやろう」

「え、良いんですかっ!」

「ああ。売るなり飾るなり好きにしたらいい」

 その言葉に〝大事にします!〟と眩しい笑顔を向ける。魔女も微笑み、女の子の頭をぽんと撫でた。

「せっかくじゃ。一緒に絵を描くか?」

「い、いいんですか?」

「ああ。お前、名前は?」

「マリア!」

「マリア。良い名じゃ」

 二人の間に流れる温かな空気が羨ましくて思わずじっと見つめていると、魔女が可笑しそうに笑う。

「お前もやるか? 構わんぞ」

「ま、まあ、いいぜ」

 だが夕焼けから星空に変わっていく一瞬を切り取るのは思っていたよりも難しく、四苦八苦する俺を見て二人が楽しそうにはしゃぐ。

「あはは、お兄ちゃん、夜か夕焼けかわかんないよ」

「欲張りな奴じゃな」

「難しいんだよっ!」

 一方魔女は憎らしいほどに夜が来る瞬間を見事に切り取っている。マリアは大胆な筆致で橙を乗せ、夜が来るのが待ちきれないような胸(おど)る夕焼けを描いていた。

「楽しみか? 夜が」

「うん! お兄ちゃんもお姉ちゃんも変なことしないもん。すごく楽しみ!」

「……そうか。夜は絵本を読んでやろう」

「やったあ」

「じゃあ俺は怪獣ごっこだ」

 俺は魔女と張り合うように口にした。

「ふふふ! 嬉しい」

 だが俺は子どもの体力を舐めていた。何度も飽きずに同じことを繰り返したかと思うと汗だくの俺に馬乗りになり、何度もパンチを食らわしてくる。

「痛いっ、まじでもう降参!」

「きゃはははっ!」

「もう無理! 疲れた、勘弁してくれっ」

「舐めておったな」

 そう言って魔女が笑う。

「よし、この辺で許してやろう!」

 魔女の口ぶりを真似てマリアがそう言い、俺はようやく解放された。

 その後魔女とマリアは一緒に風呂に入り、約束通り絵本を読み聞かせている。ベッドが一つしかないため、マリアを真ん中にして俺達は並んで横になった。

「その時、家の裏の大木が動き──」

 女の子は早々に寝入ったようだ。俺も魔女の落ち着きのある声にいつの間にか寝入ってしまった。






 次の日、買い出しをしながら俺は魔女のことを考えていた。昨日のことであいつが良い奴なのか悪い奴なのか分からなくなってしまったのだ。

 土足で人の過去を暴いて踏み(にじ)ったかと思えば、どこまでも女の子に付き添い温かな笑みを浮かべる──エクソシストに密告すべきか否か。そう考えながら口元のマスクに触れる。今朝、魔女が匂い避けとして作ってくれた魔道具だ。

 これを付けろ。ないよりはマシじゃ

「っとにどっちなんだよ」

 答えを出すのは滝を一緒に見てからでも遅くないのかもしれない──。

だが万が一悪い奴だったとしたら、俺一人じゃどうにも出来ないだろう。この街を出る前に答えを出さないといけないというのに──。

「……これを十個くれ」

「はいよ」

 とりあえず悶々としながらも買い出しを進める。腐りかけの果物もドライフルーツにすれば少しはもつだろう。奴隷兼執事をしていた経験がここで役に立つとは……俺は自嘲気味に笑う。

(さて、と……)

 乾燥剤の代わりになるものを探していると、突然市場の真ん中の方が騒がしくなる。

 魔女だ! 魔女が見つかった!

 エクソシスト様を──早くっ!

(魔女!? まさか──!)

 警戒していたあの魔女が簡単に捕まるとは思えない。だが俺は急いで声のする方へ向かった。

「嘘だろ……」

 俺は呆然と呟く。魔女の方がマシだった。広場の真ん中でエクソシストに取り押さえられていたのはマリアだった。


「うぁあああん! わぁああんっ!」

 見て。野犬の子どもが殺されて泣いてる

 野犬が殺されて泣くなんて魔女だ

 あの子って奴隷でしょ

 やっぱり──

 魔女だ

 魔女だ

 魔女だ


「何、バカなこと──」

「よせ」

 後ろから肩をぐっと掴まれる。見るとフードを目深(まぶか)にかぶった魔女だった。

「アンタ……何で止めるっ!? 助けねーのかよ!?」

「助ける? 何故じゃ? あの子が野犬を引き入れていたのは事実──どのみち助からん。怪しまれる前にこの町を出る。今がチャンスじゃ」

「ッツ~~~アンタの、お前の絵を大事にするって言ってくれた女の子だぞっ! なんとも思わないのかっ!?」

 激高する俺に魔女が(たしな)めるように小声で話す。

「お前こそ分かっているのか? 儂らはそう簡単に死ねん。気絶することも出来ず拷問され続ける傷みは想像を絶する! それは人間の時の比じゃない。気が狂う者もいるほどだぞ」

「ッツ! ~~~ッけどッ 死なねんだろっ! (おとり)になるくらいっ」

「死以上の苦しみだ。過信するな。ただの憲兵ならまだしも、エクソシストじゃ。捕まればお前も儂もそう簡単には逃げられん」

「クソッ!」

 どこまでもこの女とは噛み合わない。俺はもう我慢の限界だった。大きく息を吸って叫ぶ。

「魔女だっ! ここに魔女がいるっ!」

 どの道、最初からこうするつもりだったんだ。問題ない。

「ッツ!」

 瞬間、魔女の腕をエクソシストの槍が切りつける。その傷がすぐに()えるのを見て周囲の人間が一気に離れていく。

「なるほど、まさか本物に会えるとは」

 重い甲冑だというのに音もなくエクソシストが近づいて来る。同時に魔女が俺の手を振りほどいて後ろへ飛びのく

が、複数の槍がその体を突きさして地面に固定してしまった。

「ぐっ……」

「──ッツ」

 俺は一瞬躊躇(ためら)う。だが全員が魔女に気を取られている隙にマリアを抱きかかえて森に身を隠した。ふと振り返るとそこにはもう魔女もエクソシストの姿もなかった。

「お兄ちゃん……あのお姉ちゃんは?」

「……心配いらない。無事だよ」

 あの魔女は死なない。だから何の問題もない。

 〝死以上の苦しみだ〟

 死なないんだ。問題ない。俺は罪の意識を少しでも軽くするためそう自分に言い聞かせた。






「ハアッ、ハッ……くそっ! キリがねえっ!」

 別の町に逃がす──村や町の近くまでいけば匂いで方角が分かるのに、その旅は運悪く一週間経っても終わらなかった。

(ダメだ……町の気配、人の匂いもまったくしない……)

「ここで……休もう」

「大丈夫? お兄ちゃん」

 そう言う彼女の声も弱々しい。とうに食料は底をつき、結界の張れない俺は日夜、野犬から彼女を守り続けなければならなかった。

「ここの、洞穴なら……たぶん、大丈夫──」

 野犬の匂いがしない。俺は油断していた。






「キャアッ!」

 睡魔を切り裂く女の子の悲鳴に俺は飛び起きた。

「グルルルルルッ」

「ハングリー……ベア……っ」

 野犬よりも数倍強い。こいつの縄張りだから野犬の匂いがしなかったのかと思い至るも後の祭りだ。

「マリアッ! おい、大丈夫かっ!」

 女の子の顔は血だらけでもう長くないことがすぐに分かった。

「ご……めん、なさ……い」

「なんで、キミが謝るんだ」

 最後の力を振り絞って、マリアが口を動かす。

「……ワンちゃん……迷い込んでてお腹が空いてたの。だから、私、ご飯をあげて、尻尾振って懐いて、くれて……でもそのせいで、おっきな犬が来るようになって、人が、死んじゃった。森に返してあげようと思ったのに、見つかって、殺されちゃった……全部、私のせい……お兄ちゃん、街のみんなにごめんなさいって伝えて……」

「ッツ、悪くない! キミは悪くないんだよっ!」

 野犬にエサを上げたらダメというそんな当たり前のこともこの子はただ知らなかっただけなのだ。教えてくれる大人が一人でもいたらこの子の運命は違っただろうに──。

「マリアッ……!」

 ぎゅっと抱きしめると腕の中でマリアが微笑んだのが分かった。

「お、にぃちゃん……昨日、たのしかった……ありがとう、お姉ちゃん、にも、バイバイしたか……ッ……」

マリアの体がだらりと弛緩する。もう心臓の音は聞こえない。

「ッツ、なんでっ、マリアッ……ごめんっ、助けてあげられなくてっ、ごめんっ!」

 俺を残してみんな死んでいく──。

 いや、あの魔女はまだ──。

 突如、無常なこの世界にまるでそれが一筋の希望のように思えた。

「グルルルルッ!」

「……もし死んでたら、埋めるくらいしてやるか……」

 マリアの顔を傷つけたように俺はハングリーベアを鋭い爪で八つ裂きにした。

 それから彼女の遺体を土の中に寝かせ、その腕に昨日みんなで描いた三枚の絵を抱かせてそっと森に埋めた。






 匂いを辿って、魔女が連れ去られた町に戻る。相変わらず吐き気のする人肉の焼ける匂いに危うく意識を奪われそうになる。急いで魔女お手製のマスクをつけ、ほっと一息つく。

(……一人旅……難しいもんだな)

 簡単には死なない体になった俺はどこかで自惚(うぬぼ)れていた様だ。

 結界も張れない、モンスターの知識も浅い、道具や薬も持っていない。村や町の方角すら分からない──。

 あの魔女がいればマリアは助かったのだろうか──。

「ゥッ──!」

 突然頭に響くような強烈な匂いが鼻をつく。

「ォエッ、げえっ!」

 マスクが意味をなさない。だが俺はその方向へ向かう。なぜだか分からないがそれが魔女の匂いだと確信があった。

「ぁっ、ぁああっ! ああ」

 屋根裏から忍び込んだ俺は、すぐ下で繰り広げられている惨状にあっと声を上げそうになる。

 魔女は裸のまま牢屋に繋がれ、ひどい拷問を受けていた。火で焼かれた鉄の杭が何度も振り下ろされ、耳を覆いたくなるような悲鳴が響き渡る。

「すごいぞ。殴ったところからすぐに治っていく」

「こいつぁいい。いくらでも嬲り続けられる」

「ハアッ、ハアッ、下衆が」

 同感だ。下卑た男どもの笑い声に吐き気がしてくる。

「威勢がいいねえ。今度はこれで突き刺してみるか?」

「おお? いいねえ、やっちゃう?」

「ッツ──」

 魔女が身構えたのが分かる。俺は魔女が串刺しにされる前に飛び降り、素早く足枷と手枷をぶった切った。そのまま抱きかかえるようにして牢屋から飛び出し、屋根を伝って森へ逃げ込み、裸の魔女に上着をかけて寝かせた。

「……あの子は、助かったか?」

「ッツ……」

 俺に文句を言うよりもそのことが気にかかるらしい。あまりの申し訳なさに震えながら声を絞り出した。

「……死んだ……助けられなかったっ」

 それだけで魔女はすべてを悟ったようだった。

「そうか……」

「ッツ……悪かった! 本当にすまないっ! アンタならどこかでうまく逃げられると勝手に思っていたっ! あんなひどい目に──本当にすまないっ!」

 俺は横たわる魔女に土下座した。どれほどの恐怖と痛みだったのか。許してもらおうなんて思わなかった。だが魔女は相変わらず俺を非難しようとしない。

「あの手枷足枷には儂ら魔女の魔力を封じる呪いがかけてあった。あのエクソシストかなり優秀じゃ。鉢合わせしなくてラッキーじゃったな」

「そんな……」

 魔女は無敵ではなかった。俺が助けに戻らなければ本当に死んでいたということだろう。

「ふ、肉体を強化したお主の物理攻撃だから壊せた。お礼を言った方がいいか?」

「やめてくれ。これ以上惨めになりたくない」

 だが俯いたままの俺を尻目に魔女はゆっくりと伸びをし、肩の力を抜いた。

「ん~~~、よし! ではそろそろ滝を見に行こうかのう!」

「嘘だろ……よくそんな気になれるな」

 俺は心底呆れた顔で言った。だが魔女は気にしない様子で、俺が掛けた上着をあっという間に自分好みの服へと縫い直し、意気揚々と立ち上がる。

「そういう気分ではないからこそじゃ。うかうかしていたら追ってが来るぞ」

 魔女が小石を拾い、地面に丸い模様を描くとそこから見慣れた皮のバッグが現れた。

「すげえ……」

 仕組みはわからないがエクソシストに取られた荷物を転送したようだ。

「ふむ。服は破られてどうにもならなかったが、道具は無事じゃ。行くぞ。いつまでも辛気臭い顔をしていたいなら話は別じゃが?」

「はっ、それもそうだ」

 上げた腰は思いのほか軽い。気持ちが少し前を向くだけでこんなにも体に影響が出るとは思わなかった。






「コッチだ」

 滝へのルートは生前メリッサお嬢様から何度も聞かされていたから覚えている。森を抜け、山を一つ越える。人間からすればかなりの難所続きだが、大飢饉や疫病が流行る前はモンスターもなりを潜め、安全に遠出ができるほど豊かで平和な国だった。

「この橋を……って壊れてんな」

「問題ない。こういう時こそハイポーションじゃ」

「便利だな」

 飛び掛かってくる野犬やハングリーベアはもはや敵ではない。体力的にはきつかったが、汗をかけばかくほど胸のもやもやが晴れていく気がした。






「暗くなってきたのう」

「日が落ちる前には着くと思うぜ」

「そうか。楽しみじゃ」

 そう言って嬉しそうにする魔女はどこか愛らしく見えた。

「聞いてもいいか?」

 この時、様々な難所を乗り越えた俺たちの間には妙な連帯感が生まれていた。だからこそ、どうしても聞きたかった。この魔女が本当は何を考えているのか──。

「またそれか。好きにしろ」

「……死以上の苦しみは慣れないって言ってたな。何度か捕まったってことだろ? 何でだ? アンタが簡単に捕まるとは思えない」

 魔女は大きくため息を吐いた。人の心に土足で上がり込むくせに、自分のことはあまり話したがらないようだ。

「……旅は道連れ。それくらい教えてくれてもいいんじゃないのか? それに……短い付き合いだがアンタが悪い魔女だとは思えない」

 だから知りたいと真剣に聞くと、魔女は仕方ないと口を開いた。

「あの女の子……お前がけしかけなくても、昔の儂なら同じことをしていただろう」

「…………」

「だが問題はその後──別の町に逃がしたところで余所者(よそもの)は馴染むのが難しい。あの焼き印が見つかれば同じこと。かといって一緒に生活するにも限界がある。守り続けるのは不可能──そうじゃろう?」

「はっ、〝よくある話〟──か」

 思い当たる節があり過ぎる俺は吐き捨てるように言った。

「そう、ありふれておるのに、何度経験しても慣れん」

「ッツ──」

 嫌味のつもりだったが、魔女の返答に俺はようやくその意味を理解する。〝よくある話〟だと軽くあしらったのではなかったのだ。むしろその逆──。

「……それに何より、拷問の痛みと苦しみは筆舌に尽くし難い。経験すればするほど身が縮まり、恐怖で足が(すく)む……すまんな。所詮(しょせん)儂も、痛いのが怖い生き物なんじゃ」

 自分可愛さだと思われるのを恥じたのか、魔女の声は小さかった。

「いや……俺の方こそ、悪かったっ……ほんとにっ」

 俺は泣いた。命を削っても報われないようなことが今までどれほどあったのか──それを思うとやるせなさに身が千切れそうだった。

「本当によく泣くのう。痛み分けじゃというのに……儂も悪かった……踏み込み過ぎた……」

 またしても突然蒸し返され、俺は少々面食らう。

「ははっ、まだ分かってないようだから教えてやる。俺はその話題に触れられるのは金輪際(こんりんざい)ごめんだ」

「ふ、肝に銘じておこう」

 とは言え、この魔女は俺の過去をまったく気にしていないようだ。それが分かるような(いつく)しみのある笑みだった。

「…………」

 魔女という生き物は良く分からない。情があるというのに伝え方ややり方が不器用すぎる。

 だがそれに気づいてしまうと不思議なもので、この誤解されやすい魔女を俺はもっと知りたいと思うようになった。






「おい、水の音がする!」

「着いたか!?」

俺たちは疲れも忘れて我先にと駆け寄った。その途端、辺り一面が橙色に染まり、俺も魔女もその景色の一部となる。

「すげえ……」

「涸れているかもと心配しておったが……いやはやまさかこれほどとは……」

 二人して上を見上げ、息を呑む。

 夕焼けに染まった美しい橙色の滝はどこまで見上げても入り口が見えず、空の彼方から俺達がいるところまで真っ直ぐに降り注いでいた。温かい水しぶきが遥か上空で霧となり、そこへ架かる美しい虹が幾重にも反射し、滝そのものをキラキラと輝かせている。この世のものとは思えないほど幻想的な空間に、俺も魔女もただため息を漏らし、目を奪われ続けた。

「お嬢様が描いていた滝は昼だった。見る時間帯でこんなに違うんだな」

「ああ。昼も絶景じゃろうが、こんなに美しい夕焼けの滝は見たことがない」

「ああ……来て良かった……」

 人であろうとなかろうと生きていていいと言われているような圧倒的な癒しの景色──気づいたら涙が溢れていた。

「ふ、お疲れ様じゃな。一日の終わりにこの景色は最高じゃ」

 俺の涙を馬鹿にすることもせず、魔女は皮のバッグから絵を取り出す。

「持ってきてたのか」

「もちろんじゃ。飾るか? 骨も少しだが持ってきたぞ」

「…………」

「どうした?」

「いや……」

 本当に不器用な魔女だ。それをもっと早く言ってくれれば俺は簡単に信用しただろうに──。

「……骨はここに埋めて、絵はその上に飾りたい」

 俺は水しぶきが緩やかな滝壺の少し横を指さした。

「ふふ。良いだろう。結界を張っておいてやる。十年しか持たんがな」

「十分だ。ありがとう……」

「お前に礼を言われるとはな!」

 そう言ってかかかっと笑った。






 その日はそこで野宿することになった。

 少しまわりを見渡せばたわわに実った果実を手に入れることができた。夕陽をたっぷり浴びた瑞々(みずみず)しいオレンジの果実だ。それをジャムにして野犬の肉につけて食べる。

「んん! お主料理上手じゃなっ!」

「ハハッ、家事は得意な方さ」

「心強いな」

 言われて胸の内が温かくなる。眷属未満と言えど主人に褒められると嬉しいのかもしれない。

「……滝を案内した後は自由にしていいって話だったな」

「ああ、好きにしろ」

「ならアンタと一緒に旅がしたい」

 間髪入れずに答えると魔女は目を丸くして俺を見た。

「俺は……ずっと屋敷に閉じ込められていた。そのせいでこの国のことを良く知らない。エクソシストなんて奴らがいることも知らなかった。だからもっと知りたいんだ。この国のことも、アンタのことも──」

 魔女とはどういう生き物なのか、俺はこれからどうすればいいのか──

「それに、危なっかしいお嬢様には執事が必要だろう?」

「かかかっ! 旅は道連れ。儂は構わんぞ」

「なら決まりだ。俺の名前はハチ。アンタは?」

「儂はルル。よろしくな、ハチ」

 そして俺が作った果実酒をさも自分が作ったような顔で渡してくる。

「さて、これからの儂らの旅に──」

 ボン・ヴォヤージュ!

 カツッと木をくり貫いたカップが元気よく音を立てた。

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