第248話 名を持たない名
夕暮れ。
水に光が落ちる。
揺れる。
今は。
止まらない。
ノルヴァル水都の水は。
細く。
弱い。
だが。
確かに。
続いている。
音がある。
静かに。
リゼルはその音を聞いている。
何も言わない。
ただ。
聞いている。
ネファルが言う。
(安定している)
ラグナが言う。
(もう消えねぇな)
ヴェルナシアが囁く。
(通った)
エレノアは水を見る。
流れ。
新しい線。
古い歪み。
混ざらない。
だが。
共にある。
「……問題ありません」
小さく。
確認するように。
その時。
水面が揺れる。
自ら。
寄る。
形になる。
セレイア。
昨日より。
はっきりと。
崩れない。
消えない。
「……いる」
短く。
だが。
自然に。
ラグナが言う。
(普通に喋るようになったな)
ネファルが言う。
(維持できている)
ヴェルナシアが囁く。
(まだ浅い)
エレノアは頷く。
「はい」
それだけ。
そして。
少しだけ。
間を置く。
リゼルがわずかに動く。
分かっている。
次に来る言葉を。
エレノアは言う。
「……名前を」
リゼルがすぐに言う。
「やめろ」
短く。
だが。
昨日ほど強くない。
揺れている。
エレノアは続ける。
「……戻しません」
沈黙。
リゼルが止まる。
ネファルが言う。
(分かっているな)
ラグナが言う。
(ああ)
ヴェルナシアが囁く。
(境界)
エレノアはセレイアを見る。
「……持ちますか」
問い。
短く。
セレイアが揺れる。
水面がわずかに歪む。
考える。
時間がかかる。
「……な……ま……え」
言葉が出る。
止まらない。
だが。
完全でもない。
リゼルが目を閉じる。
苦しい。
聞きたくない。
それでも。
逃げない。
エレノアは言う。
「……なくても在れます」
間。
「でも」
続ける。
「持っても在れます」
沈黙。
風が動く。
水が揺れる。
セレイアが小さく言う。
「……ちがう」
止まらない。
続ける。
「……まえの……なまえ……」
間。
「……ちがう」
はっきりと。
ラグナが笑う。
(いいな)
ネファルが言う。
(認識した)
ヴェルナシアが囁く。
(分けた)
エレノアは頷く。
「はい」
否定しない。
「同じではありません」
短く。
そのまま。
受け取る。
セレイアが言う。
「……でも」
間。
水が揺れる。
流れが少しだけ強くなる。
「……いる」
自分を。
確認するように。
ネファルが言う。
(成立している)
ラグナが言う。
(ああ)
ヴェルナシアが囁く。
(在る)
エレノアは言う。
「……呼びます」
短く。
リゼルが顔を上げる。
止めない。
もう。
止めない。
エレノアはゆっくりと言う。
「……セレイア」
その名前。
今までと違う。
戻すためではない。
“ここにある存在を指すための音”
水が揺れる。
広がる。
止まらない。
セレイアが言う。
「……うん」
途切れない。
自然に。
受け入れる。
リゼルの肩が落ちる。
力が抜ける。
「……違うのに」
小さく。
ネファルが言う。
(それでいい)
ラグナが言う。
(ああ)
ヴェルナシアが囁く。
(流れる)
エレノアは言う。
「……同じではありません」
間。
「でも」
続ける。
「ここにあります」
それだけ。
水が流れる。
音が続く。
セレイアは完全ではない。
元には戻らない。
だが。
名前を持った。
同じではない名。
だが。
“今の存在を指す名”
リゼルが呟く。
「……セレイア」
小さく。
恐れるように。
だが。
逃げない。
水が揺れる。
応える。
消えない。
ネファルが言う。
(終わったな)
ラグナが言う。
(いや)
間。
(始まったな)
ヴェルナシアが囁く。
(遅い)
ノルヴァル水都。
戻らない場所。
それでも。
流れる。
名前も。
流れも。
元には戻らない。
だが。
新しく。
在り続ける。
水は。
もう。
止まらなかった。




