第168話 灯りの下
日が落ちると、街は別の顔になる。
市場の喧騒は薄れ、
代わりに灯りが増える。
魔法灯。
小さな結晶が淡く光る。
地脈を細く借りた、街の明かり。
エレノアは工房の前で足を止めた。
灯りの色が、少し違う。
昨日より、わずかに弱い。
「気のせいか」
ラグナが言う。
ネファルが低く返す。
「気のせいではない」
ルミナが小さく震える。
「薄いね」
地脈は止まっていない。
だが、痩せている。
灯りの揺らぎが、それを教える。
⸻
酒場の扉が開く。
笑い声。
木製のテーブル。
粗い陶器。
焼いた肉の匂い。
吟遊詩人が竪琴を弾いている。
子ども向けではない歌。
戦の歌でもない。
遠い旅の歌。
エレノアは隅の席に座る。
保存箱を使った魚が、今日初めて出されている。
「昨日より持ったぞ」
魚屋が笑う。
「夕方まで鮮度が保てた」
酒場の主人が頷く。
「廃棄が減った」
短い言葉。
それで足りる。
⸻
隣の席で、鍛冶師が話している。
「最近、鋼の伸びが悪い」
「地脈が安定しねぇ」
もう一人が返す。
「気にしすぎだ」
だが、声は小さい。
誰も大きく騒がない。
違和感は、まだ小さい。
⸻
エレノアは杯を口に運ぶ。
水。
冷えてはいない。
だが、ぬるくもない。
酒場の奥に、地脈冷却棚がある。
結晶が光っている。
だがその光も、少しだけ弱い。
「……やっぱり」
ネファルが言う。
「全体が薄い」
ラグナが鼻を鳴らす。
「燃やすほどじゃねぇ」
ルミナは静かだ。
灯りを見つめている。
⸻
子どもが酒場の外で風車を回している。
木製の小さな玩具。
風が弱い。
回りきらない。
エレノアは立ち上がる。
玩具を手に取り、軸を少し削る。
角度をわずかに変える。
風を受ける面を広げる。
子どもが吹く。
今度は回る。
ゆっくりと。
「おお」
小さな歓声。
それだけで十分だ。
⸻
酒場に戻る。
灯りが揺れる。
完全に消えはしない。
だが、力強くもない。
エレノアは天井を見上げる。
結晶の光が、細く伸びる。
削られているのか。
それとも、分散しているのか。
まだ断定はできない。
酒場の主人が言う。
「魔法灯、替え時かね」
「早いな」
鍛冶師が答える。
「最近、減りが早い」
会話は続く。
だが騒ぎにはならない。
街は今日も回っている。
歌が続く。
肉が焼ける。
笑い声が上がる。
生活は止まらない。
⸻
外に出ると、夜風が吹く。
強くない。
静かな風。
通りの布が揺れる。
ヴェルナシアの圧はない。
ただの風。
だが。
遠くの空に、わずかな濁りがある。
雲ではない。
揺らぎ。
エレノアはしばらく見つめる。
「まだ、壊れてない」
ラグナが言う。
「壊れたら燃やす」
ネファルが続ける。
「壊れる前に整える」
ルミナが光る。
「できるよ」
エレノアは小さく頷く。
灯りは弱い。
だが消えていない。
風は弱い。
だが止まっていない。
街は今日も生きている。
それを見ているだけで、
胸の奥が少し落ち着いた。




