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364:奈落

 真っ暗闇の空間を、迷いもなく一歩ずつ前に進む。

砂を踏む感触から、徐々にジャバジャバと水辺に入っていくようだった。


「(人は死んだら、どこに行くんだろう?)」


 もしかすると、瑞穂が待っているかもしれない。

そう考えたら、地獄も悪い場所ではないと思えた。


「え? あれ?」


 ここがどこかは分からないが、腰の辺りまで液体に浸かっている感覚が伝わってきた。

何でこんな入水自殺みたいな事を……。慌てて周りを確認すると、真っ暗闇だった空間に不規則な青や緑や黄色い光が、まるで夜光虫のように水面を照らし始めた。

黒一色から状況が確認出来たので少しだけ安心していると、急に今まで立っていた足場が無くなった。


 仕方がないので立ち泳ぎを始める。進行方向に何かあるのだろうか?

左右や後ろを向いても、一面が水で埋め尽くされていた。

魔法が使える気配もないし、泳ぎ難くなっているのは水面の黒さのせいだと思う。

まるで海上に油が流出したような、嫌な粘度が立ち泳ぎを邪魔していた。


「また我を忘れてしまったのか……」


 あれほどリュージに迷惑を掛けてしまったのに、相変わらず自分は成長がない。

マザーの治療を諦めてはいなかったけど、『聖王都』の惨状を考えると一人で離脱するのはないなと思った。

ここは特別な世界だと思う。夢の世界なのか? それとも、もう自分は死んでいるのか?

自分の思考が続いている以上、何かが起きる予感がしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 状況に変化がないか、前方にゆっくり進んで確かめてみる。

少し進んで目を凝らして見ると、前方にでっかい鉄の鳥籠とりかごが二つ浮かび上がってきた。

変化を求めて、更に鉄の鳥籠の方に泳いでいく。

二つは少し離れた場所にあるので、その中心の前方方向へ泳ぐと、徐々に何が起きているかが分かってしまった。


『そこで止まるのだ』


 頭に直接響く声が聞こえてくる。これは男神の言葉に間違いないだろう。

マザーが倒れてからの記憶はもちろんあった。そこでは男神が、『力を示せ』と言っていたはずだ。

力は示せたのだろうか? それとも、これから示すのだろうか?

立ち泳ぎをしながら前方にある鉄の鳥籠を見ると、そこには人が閉じ込められていた。


 真っ先に目に入ったのは、左側にたった一人でいる瑞穂だった。

次に右側の鉄の鳥籠を見ると、大勢の女性達がいた。

ミーシャ・シリル・ミレイユ・カエラ・チリ・リンカ・ラビ・ソフィア・ラフィーナ・メルナールだ。

鐘の音を聞いた十人が、鉄の鳥籠の中で心配そうな顔をしていた。


『希望に見合う、対価を示せ』


 男神の言葉で、二つの鳥籠に変化が起きた。

瑞穂の鳥籠が少しだけ下がり、ミーシャ達の鳥籠が少しだけ上がった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 二つが連動しているという事は分かった。これはきっと究極の選択という奴だ。

片方を助ければ片方が死ぬ。あの感じだと、鳥籠ごと水に沈むのかもしれない。

ギィィィィィっと、命の重さを量るような不快な動き。それが一人しかいない、瑞穂に傾いているのが……。


あきら、今変な事考えなかった?」

「そ、そんな事ないよ!」


 この会話に、ミーシャ達は反応していない。

聞こえていないのか、それとも何か制限があるのか分からなかった。


「アキラくん、大丈夫?」

「こっちは大丈夫だよ。ミーシャは大丈夫?」

「うん。でも、みんな心配してるよ」

「今、みんなを助けられる方法を考えてる!」

「……待ってるね」


 この会話が終わった後、瑞穂の方を見てみる。すると特に、リアクションをしているようには見えなかった。

この傾きの理由を考えてみると、やっぱり12個の鐘の音を鳴らせなかったからだと思う。

それがどういう結果に結びつくかは分からないけれど、もし片方に12人揃っていたら釣り合っただろう。

少しだけ中間地点の前方に進んでみると、ギィィィィィっと音がして傾きが大きくなった。


「対価か……、全員を救うのは難しいのかな」


 どちらの鳥籠も、動きに容赦はなかった。

ここが夢の世界なら……、そう考えても片方を切り捨てることは出来ない。

何がどう現実世界に影響を与えるかが分からない以上、安易に選択する訳にはいかなかった。

立ち泳ぎで少しだけ後ろに下がる。その動作と連動して、少しだけ平行を保つ動きをした。


 多分だけど、瑞穂を救ってくれるのは女神さまではなく男神だろう。

あの時、神さまは『こちらの神が干渉して』と言っていた。

もし死に直面した瑞穂がいたなら神聖魔法で救えたかもしれないけれど、世界を隔てている今それは難しい。

ここで間違わなければ、瑞穂を救える可能性が出てきたと思う。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 泳ぎは得意な筈なのに、ここで立ち泳ぎをしているのは、ひどく疲れる気がする。

究極の二択だ……。いくら考えても、答えを出すことは出来ないと思う。

単純に人数だけで見れば……、自分の目的だけを考えれば……。

心配そうな顔を見て思い出すのは、葬式の時に最後に見た瑞穂の顔だった。


「瑞穂……」


 あの時、『何で一緒に死ねなかったんだろう』と後悔した。

『運命の相手』なら、どちらかが欠ける事なんて許されっこない。

事実、後追い自殺のようになってしまったし、瑞穂を失った喪失感は大きすぎた。

世界を壊してでも、もう一度瑞穂に笑って欲しいと願ったので、かろうじて細い運を手繰り寄せられたと思う。

瑞穂を救えるなら死んでも……。そうか、やっぱり答えは最初から自分の中にあったんだ。


「これが自分の答えです!」


 泳ぐ手と足を止め、その身を自然に任せる。

当然沈みだすが、不思議と苦しみはなかった。

『対価に見合う代償を払おう』、静かにそう聞こえたような気がした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 途切れた意識が覚醒すると、目の前には緩やかな坂があった。

正面には木枠がポツンあり、その内側だけ少し歪んで奥が見えていた。

坂の両端は暗闇が広がっていて、今いる場所から、これ以上後ろに下がることが出来なかった。

意を決して木枠の内側を潜ろうとすると、右足の一歩目が出ないことに気がついた。


「この先はきっと、瑞穂の葬式だ……」


 直感というか嫌な感じが、最大限に危険信号を出していた。

気持ちでは理解出来ていても、体が拒否反応を示している。このままじゃ……うわっ。

後ろから背中に衝撃を受けて、その一歩目が前方へと促された。

背中に受けた衝撃は、そのまま心臓の辺りから光の矢となって出て、そのまま消えてしまった。


「過去を遡るのか。助けになるのは10個の光……、そして必要なのは多分12個か」


 初めから足りないのは分かっていたはずだ。

だからマザーを何としても救い、最後になる12番目の誰かを救う必要があったと思う。

暴走してしまったのは仕方がない。それでも前に進まなければ、このキッカケは掴めなかった筈だ。

歩いてくる『俺』の方向をさかのぼり、徐々に瑞穂の死に近付いていく。


 時間の関係はひどく曖昧で、背後で『俺』の死を確認しながら、瑞穂の死を受け入れる準備をしなければならなかった。

ひつぎに眠る瑞穂の顔……。表面上はやすらかでも、とても納得が出来るものではなかった。

それからは木枠を潜って坂に戻り、同じようにして坂を上りながら様々な過去を振り返っていた。

その時気がついたのは、木枠を潜るごとに何か力が抜けていくような感覚だった。

それが魔法だと気付いたのは、三つ目くらいの木枠からだった。


 坂にはいくつかの関門のように、亀裂のような障害があることに気がついた。

多分、最初の方にもあったのかもしれない。それはとても小さくて、気付けなかっただけだろう。

後半に行くにしたがって、その亀裂の幅はとても大きくなっていた。

またぐだけだったのが軽くジャンプをするようになり、とうとう十回目は魔法を使ってどうかという距離になっていた。

踏み切り地点を念入りに確認し、リープの魔法が最後の方まで残っていることに感謝した。


「神聖魔法と時空間魔法が対象なんだ……」


 他のスキルも使えるような気がしない。

この試練は自分の決意と、今までの行動が試されている気がした。

今まで救えた女性は10名だ。最後は救うべき人数がだいたい分かっていたので、過去を悔やんでも仕方がない。

どちらにせよ、この試練を超えなければ瑞穂には辿り着けないはずだ。

届くか届かないかは運次第なら、自分の命だってベットしたいと思う。


 残り二つの関門となった。

亀裂はさっきよりも大きくなっていて、とても普通のジャンプでは辿り着けないと思う。

根性論は嫌いだけど念入りに踏み切り位置を確認し、『自分は跳べる』と心に言い聞かす。

途中でドロップアウトをすることは出来ないだろう。だから、跳べると信じるしかない。


 息を整えて、最高のタイミングで踏み切り地点を蹴る。

気持ちが乗った跳躍だったが、空中で着地地点が分かってしまった。このままでは……、うわぁぁぁ。

背後から、ありえない速度で何かがぶつかってきたようで、首を上に向けると、無いはずの光が上昇していった。

もしかして、マザーが助かったのか? そう思った瞬間、地面の上にいる事を実感し、頭の中に鐘の音が鳴り響いていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 過去の記憶の回廊を通り抜け、いよいよ最後の亀裂の前に辿り着いた。

マザーの光に助けられた亀裂で、失った魔法はなかった。

残っているのは、『水属性・無属性・召喚魔法』とあるのにだ。

きっと女神さま由来の神聖魔法と、男神さま由来の時空間魔法が、トリガーになっているに違いない。


 前方には、光が脈動みゃくどうしているように見える。

それはまるで心臓を刻むリズムのようで、なんだか瑞穂が生き返るんじゃないかと思えるものだった。

亀裂はさっきより大きい。それは自信をもって、「跳べる」と言える距離ではなかった。

最後のジャンプだ。悔いの残らないように、念入りにイメージを整える。


「可能性が1%、いや0.1%でもあれば……」


 もしこの場面をセーブ出来るなら、百万回でもチャレンジするだろう。

百万回ダメだって、次の一回を諦めるような事はしない。


「女神さま、男神さま。もしこの命が代わりになるのなら、瑞穂の事をお願いします!」


 それは決意の言葉だった。一回しか出来ないチャレンジでも、懸ける思いは一つだった。

呼吸を整え、正面を見据える。もう迷いはない。

スピードを乗せた跳躍は、自分が出来る最高のパフォーマンスだった。

だから堕ちても後悔はなかった。暗闇に吸い込まれながら、瑞穂の幸せを祈るだけだから。


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