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人嫌いの転生記  作者: ラスト
前章 プロローグ
3/56

不信者の追憶 後編

前回に引き続き過去のお話です。本編の方はもう暫くお待ち下さい。

 パサッと姫咲の着ていた制服が落ちる。夕日に照らされる姫咲の素肌を隠すのは下着だけとなっており、姫咲は下着の上から大事な所を手で隠して俯いていた。


「隠してないで、後ろに組んだりして手を退けろ」


 姫咲は一瞬躊躇いを見せるが、そうすれば嶺が酷い目に遭うと思い、震える手を後ろに持って行く。晒し出された姫咲の下着姿に、不良達はヒューヒューと囃し立てた。

 嶺も姫咲の下着姿を見たのは小学校に入る前以来だ。その頃は一緒に風呂に入ったりしていたから、下着姿よりも裸を見る事の方が多かったかもしれないが、そんな子供の頃の話をしてもしょうが無い。あの頃と今の姫咲とでは全くの別物なのだ。

 女性らしい丸みを帯びたラインに陶器のような肌、胸は着痩せするのだろうか、制服で見るよりも若干大きく見えた。


「それじゃ、暫くそのまま動くなよ」


 そういうと不良は携帯電話を取り出した。彼だけじゃ無い、他の奴等も皆携帯電話を取り出して姫咲に向けている。

 ここに来て漸く何をされるのか分かったのだろう、さっきまで羞恥に染めていた姫咲の顔が青ざめて表情が硬くなる。


「動くなよ、下手に動いたら…」


 また嶺をボコるぞと暗に告げると、姫咲は震えながらも動かなくなった。

 不良共の下卑た笑い声と共に、シャッター音が鳴り響く。一枚や二枚じゃ無い、何枚も何枚も写真を撮られた。


「良いね良いね!それじゃあ次、下着も取っちゃおうか」


 嶺の予想通りに不良達は調子付いて更なる要求をする。勿論、姫咲に拒否とという選択肢は無い。そんな事をすればまた嶺が酷い目に遭う。嶺が姫咲の事をどう思っているのかも知らず、姫咲は幼馴染の為にと勇気を絞り出す。

 そして遂に、ブラジャーが外された。続いてパンツも脱ぎ去る。そしてさっきと同様に手を後ろで組んだ。最早目を開けているのも辛くなった姫咲は、ギュッと目を閉じて羞恥心と恐怖を抑え込む。

 再び笑い声とシャッター音が鳴り響く。その辛さに泣きそうになる。辛い、恥ずかしい、逃げ出したい。そんな考えがグルグルと頭を駆け巡るが、ボコボコにされて倒れていた嶺の姿を思いだして、嶺の為にと何とか耐える。


「オーケーオーケー。良かったよ姫咲ちゃん」


 時間にすれば十秒かそこ等で撮影は終わった。不良達は満足気だ。今撮った写真で幾らになるか考えただけで笑いが込み上げて来るのだろう。


「もう良いですよね。なら約束通り、嶺君を解放して下さい」


 直ぐに服を着ようと手を伸ばす姫咲。しかしそれは不良に腕を掴まれて止められてしまった。


「おっと、まだ終わらせねえよ。目の前でこんな美味そうな女、お預け食らって我慢出来る訳ねえだろ」


「そ、そんな…!」


 姫咲の表情が絶望に染まる。周りの不良達が待ってましたとばかりに姫咲に近寄って来る。


「逃げんじゃねえぞ。人質はまだ解放されちゃいねえんだからな」


 不良の言った通り、まだ仲間の一人が嶺を踏んづけている。何かあれば直ぐにでも攻撃出来るし、いざとなれば人質としても扱える。


「ちゃんと俺にも分けてくれよ」

「分かってるよ」


 彼等の目にはもう姫咲を犯す事しか頭に無かった。学校の憧れの的を自分が汚すという事に、強い興奮を感じているのだ。


(ハァ、何やってんだよ)


 半ば蚊帳の外にいる嶺は一人、この状況を見てそんな事を思った。それはこんな状況にも関わらず一切の抵抗をしない姫咲の甘っちょろさに向けた物でもあるが、それとは別に、こんな状況を見ているだけの自分に向けたものでもだった。

 別に嶺は正義感が強い訳では無い。しかし、こんな状況を目の前で見せられて何も感じない程心が干からびた訳でも無い。実際人の人生を台無しにしようとしている不良共やこの状況に激しい嫌悪感を抱いている。


(クソッ、ムカつく)


 いや、はっきり言おう。嶺は不良達に殺意を抱いている。自分がこんなに努力してまともに暮らせるようにしているというのに、それを何の努力も無しに甘い汁だけ吸おうとしている不良達に台無しにされようとしている。

 そんな事を平然とやってのける不良達を逆に絶望の淵に叩き込んでやりたくて仕方が無い。下衆顔の不良達と追い詰められる姫咲の姿をぼんやりと見ながら、頭の血管がはち切れるんじゃ無いかと思う程に頭に血が上り、思考が怒りに侵食されて行く。

 ついでに言えばさっきから鳴り響くノイズが煩い。カチカチカチカチ絶え間無く音を立てて、嶺の思考を更に掻き乱す。


(ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく…!!)


 人が人を殺す理由は多々有るだろう。だが人は殺人が悪だと知っている。その上で人を殺すのなら、その倫理を覆すだけの理由が必要なのだ。即ち大義名分。自分の中で殺人を犯すリスク、つまりその後の懲役や人生における致命的なまでのハンデを背負う事よりも大事な大義名分が出来た時、人は人を殺す事が出来るのだ。第二次世界大戦で日本が国の為にと自爆特攻したやうに、カルト教団が教祖の為にとテロを起こすみたいに、そして一般人が自分の身を守る為にと誰かを殺すみたいに。

 そして今の嶺が、今後の自分の人生をドブに捨ててでもこの状況を壊し、不良達を殺したいかと聞かれれば、その答えは当然ーーイエスだろう。尤もその理由とは姫咲を助ける為とかそういう偽善めいた事では無く、目の前の不快な連中を死という底無し沼に叩き込むついでに、死んでも大して問題無さそうな連中を使ってこれまでの鬱憤を解消したいという極めて自分勝手な物なのだが。

 やる事は決まった。そして気付けば頭の中で鳴り響いていたノイズは消えていた。思考は寧ろ普段よりもクリアだ。後は実行するだけ。

 嶺はポケットの中にこっそり手を入れ、その中からカッターナイフを取り出した。刃は既に出ていた。まるで最初から使われる事が分かっていたかのように。

 そして自分に足を乗せる不良の足を片手で掴むと、その足に向けてカッターナイフの刃を突き刺した。


「ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」


 痛みに悲鳴を上げる不良の足を引っ張って転ばせると、今度はもう片方の太ももに一回、そして直ぐに腹にもう一回突き刺した。制服を着崩していたのが災いした。男子の制服は生地が厚く固めである為、普通に着ていればある程度刃の通りを軽減出来ただろう。しかし制服を着崩してボタンを全て開けていた所為で、シャツと衣服を貫通して腹にカッターナイフが深々と突き刺さった。

 姫咲の側に集まっていた不良達が悲鳴を聞いて振り返った時には、その男は既に三回も刺されていた。尚も腹に刺したカッターナイフでグリグリと傷口を抉る嶺に、その場にいた全員、姫咲も含めて驚愕と恐怖を露わにした。不良達もまさか嶺がこんな凶行に及ぶとは思っていなかったのだ。

 そうこうしている間に嶺はカッターナイフで何度も腹を突き刺して傷を増やして行く。そして不良から叫び声が消えて殆ど動かなくなると、今度は立ち上がってその傷口を踏付けた。それによって不良が叫び声を上げると、嶺は外で遊ぶ子供を見守る親のように満足気に笑った。そして今度は姫咲の周りにいる残り三人を見る。


「ッ!ブッ殺せ!」


 身の危険を感じた不良は仲間二人にそう命じた。いくら凶器を持っていても所詮は一人でしかも手負いだ。二人がかりで押せば直ぐに倒せる。そう思い二人は嶺を動きで翻弄して、その隙を二人目が倒すつもりでいた。喧嘩の素人である嶺なら絶対に引っ掛かると思っていた。

 しかし嶺はその予想に反して、最初に近付いて来た方に向けて迷う事なく突進した。まさかの展開に、狙われた不良は反射で顔面目掛けてパンチを繰り出すが、途中で嶺がカッターナイフを構えた際に頭が下に降りてしまい偶然回避された形になると、ガラ空きになった胴体にタックルと共にカッターナイフを突き刺した。そして不良を押し倒し、さっきと同様に何度も刃を腹に突き立てる。

 しかしさっきと違ったのは、途中でもう一人の不良に腹を蹴り飛ばされてしまった事だ。ゴロゴロと転がった後、噎せながらも起き上がる。だがその時には既に不良が接近して拳を振りかぶっていた。反応した時にはもう遅く、不良の拳は嶺の顔面を強打した。脳が揺れ、足が縺れて体制を崩す。

 しかし偶然にもバランスを取ろうと咄嗟に伸ばした手が不良の胸倉を掴んだ。必死に引き剥がそうとするが、それよりも先に体制を立て直した嶺が持っていたカッターナイフで不良の喉を貫いた。

 コヒューコヒューと喉を鳴らしながら、不良は力無く崩れ落ちる。これで残りは一人となった。

 この不良は今回の主犯とも言うべき男だ簡単には終わらせない。どうせ自分はこの後捕まるのだ。ならせめて、目の前の不良でこれまでの不満を全て解消してしまいたかった。


「と、止まれ!それ以上こっち来てみろ。さっき撮った写真をネットにばら撒くからな!」


 不良は携帯電話を見せ付けて脅しを掛けて来た。そこには羞恥に顔を真っ赤にして俯く姫咲の裸の写真が映されていた。


「こんなもん世の中に流れちまったら、もう明日から外歩けねえな!学校にも通えなくなっちまうぜ!」


 それを聞いて制服で体を隠して蹲っていた姫咲が顔を真っ青にする。あの写真が流出したら、姫咲の人生は終わる。しかも姫咲が助ける側だった筈なのに、今は姫咲の方が足を引っ張る形になってしまっている。その事も相俟って、姫咲の胸中には罪悪感ばかりが渦巻いていた。


「そうされたくなけりゃ「やってみろよ」…は?」


 予想外過ぎる返答に不良は口をあんぐり開けて呆ける。姫咲も信じられない物を見た様な顔をしていた。


「やってみろよ。そうすりゃあもうテメェを守る物は無くなる」


 それ即ち、


「思う存分テメェを刺せる」


 血塗れのカッターナイフを手に笑う嶺。その異質な恐怖に、不良は完全に飲まれてしまった。相手は格下だと思っていた相手なのに、殺されると思ってしまっていた。


「ま、待ってくれ!今のは嘘だ!写真は全部消す、もう二度とお前等には近付かねえと誓う!だから許してくれ!」


 しかし嶺は止まらない。


「う、嘘じゃねえ!本当だ!今この場で、お前の目の前で全部消すから!頼む!」


 しかし嶺は止まらない。


「分かった!なら携帯ごとくれてやる!他の奴等のも全部だ!これなら良いだろ!?なっ?なっ!?」


 し か し 嶺 は 止 ま ら な い。

 一歩一歩とホラー物のお化けの様に近付いて来て、そして不良の目の前で立ち止まった。何も喋らない嶺、何をするのか分からない恐怖から、不良は恐慌状態に陥った。


「ウ、ウワァアアアアアアア!!!」


 不良咄嗟に取った行動は、目の前の恐怖を排除すべく拳を振るう事だった。

 しかしそんな出鱈目に繰り出した攻撃は嶺に当たらずに空を切った。しくじったとばかりに見開かれる不良の視界に、歪に歪んだ嶺の笑顔が映る。

 そして次の瞬間、お返しとばかりにカッターナイフが不良の腹に突き刺さった。そして最初のようにグリグリと抉って傷口を広げる。


「ガァアアアアアア!!!」


 その痛みで嶺を突き飛ばし、刺された腹を抱えて悶え苦しむ不良。腹部からはダラダラと血が流れ出て、傷口を中心にシャツが紅に染まる。

 そこへ突き飛ばされただけでダメージの無い嶺が直ぐさま立ち上がり、不良の顔面を蹴って仰向けに寝かせて傷口を押さえた手の上から足て踏み付けた。早に響く鈍痛に苦悶の表情で呻く不良を見ながら、ゆっくりとカッターナイフを振り上げる。その狙いは今まさに見ている情け無い表情の不良の顔。


「た、頼む…止めてくれ…!」


 鼻水を垂らしながら懇願する不良。最早どちらが悪なのか分かった物じゃ無い。

 だが嶺に止める気なんて微塵も無かった。ここで止めようが止めまいが、嶺が傷害事件で逮捕される事には変わりは無い。ならばせめて、ここにいる不良全員を道連れにするくらいしなければ割りに合わない。そう思った。出来れば全員死亡、最悪でも二度と悪い事が出来なくなるくらいには心を折ってしまいたかった。

 そうでもしなければ、目の前の男達はまた何かしらで悪事を働くだろうと思ったからだ。自分が人生を台無しにするのだから、せめてそれくらいはやって置きたかった。


「じゃあな。クソ野郎」


 そう告げて、カッターナイフを持った手を振り下ろした。


「ギィィヤァアアアアアア!!!!!」


 不良の断末魔が屋上に響き渡った。しかしながら嶺の持つカッターナイフは、不良の顔を指す事は無かった。恐怖の余り泡を吐いて気絶した不良の顔面の僅か数センチ手前の所でカッターナイフの刃の先端は止まっていた。いや、止められていた。

 いつの間にか嶺の後ろから姫咲が近付いて、抱き締めるようにして嶺の腕を掴み止めていた。


「もう良い、もう止めて。私は大丈夫だから」


 これ以上罪を重ねる嶺を…いや、これ以上今の嶺を見ているだけのままでは居られなかった。このまま放って置いたら、二度といつもの嶺には戻って来ないような気がした。両親を亡くして塞ぎ込んでた自分を救ってくれて、最近じゃ何時もつれない態度で接しているのに、最終的には何だかんだ言いつつも自分の側に居てくれて、そんな素っ気無くも優しい嶺に戻って来て欲しかった。

 だから止めた。もう大丈夫だと、そんな事をしなくても良いんだと呼び掛けて。


「黙れよ」


 勘違いも甚だしい程に的外れである。本来なら黙っている所だが、嶺の人生はある意味もう終わっている。もう遠慮する必要が無いのなら姫咲に気を使う必要も無い。


「…えっ?」


 信じられないと言わんばかりの顔で嶺を見る姫咲。そこに映る嶺の顔は、いつもと全く変わらない無機質な程の無表情。

 しかし、その目だけは、いつもの感じとは違い、どこか気圧されるような雰囲気が感じられた。


「言っておくけどな、俺はお前の為にこんな事した訳じゃ無いんだよ。そもそもお前を助けようなんて欠片程も思って無かったし」

「じ、じゃあ…何で…?」


 突然の事態に半ば呆然となる姫咲。そんな姫咲に言い聞かせるように、嶺は淡々と答える。


「何で?じゃあ聞くが、お前は一体どんな意図があって身代わりになるなんて下らない事を言い出したんだ?俺を助けるなら職員室に行って教師を呼ぶとかした方が確実かつ安全だったんじゃないのか?」

「そ、それは…」


 言い淀む姫咲。そんな事考えも付かなかった。あの時はただ嶺を助ける事で頭が一杯だったのだ。

 嶺も恐らくそうではないかくらいの予想は付いている。だから出て来た事を咎めはしない。問題なのは身代わりの方だ。


「仮に出て来てしまった事はしょうが無いとしよう。だが何で身代わりなんて最悪の手段に出た。元々コイツ等の目的は俺じゃ無い、お前なんだぞ」

「えっ?な、何で?」


 自分の立場を本当の意味で理解していない姫咲には理解出来ない話だろう。案の定意味がわからず狼狽していた。


「お前が思っている以上に、お前という存在には価値があるって事だ。それこそ写真一枚で男共が数千数万と金を積む程にはな。アイツ等の狙いもそうだ。滅多に出回らないお前のプライベート写真を俺に撮って来させようとしたんだよ」


 それだけなら問題無い。これまでにも何度もあった事だし、今更その事で罵倒されたり暴行を受けたりしても慣れたものだ。


「それなのにお前が勝手にしゃしゃり出て来て身代わりになった所為で、拒否した俺の勇気も努力も我慢も水の泡だ。お前の自分勝手な自己犠牲の所為でな」

「で、ても、あのままじゃ嶺君が」

「こんなものもう慣れっこだ。お前の見てない所で何度同じ目に遭って来たと思ってるんだ。言っておくが一度や二度じゃ無いからな。小学校に入ってから年に最低一回以上はやってる恒例行事みたいな物だ。数えたらキリが無い」


 姫咲にとっては助けようとしたのだろうが、嶺からして見ればただの自業自得だ。余計な事しやがってとは思っても感謝する事は無い。


「俺としてはお前が気付かない事にこそ驚きだ。小学校から続いてるんだ、気付くチャンスは幾らでもあっただろうに。それなのにお前は全く気付かないどころか疑いもしなかった。親、教師、生徒、どいつもこいつも姫咲姫咲姫咲。まるで俺は黛 姫咲の付属品かっていうような扱いだったっていうのにな」

「それは違うよ!だって皆んな私と話してる時に嶺君の話を振ってくれるもん!そんな酷い扱いなら話題にさえ上がらない筈だよ!」

「それは多分俺とお前が付き合っているかとか、何で俺と仲が良いのかみたいなのばっかりだろ。それに聞いたぞ、お前俺の話する時露骨に嬉しそうにするそうじゃ無いか。ご機嫌取りには持って来いだな。ソイツ等も笑顔で話聞いてる裏では、俺に対して腸の煮え繰り返る思いだっただろうな」


 人間は話の合う人や、話してて楽しいと感じる人と話したがる傾向がある。当然だ、その人と話すのが楽しいのなら、また一緒にお話ししたいと思うだろうからな。話のつまらない人話してて楽しいと思える人、何方と話したいかと聞かれれば考えるまでも無い。


「そ、そんな事…」

「無いと言い切れるのか?自分の本当の価値を理解していなかったお前が、自分が周りにどう思われているのか知らなかったお前が」

「あ…あぁ…!」


 姫咲は言い返せなかった。嶺が冗談や嘘でこんな事言う人だとは思えなかった。しかし、それを本当の事だと認めたく無い気持ちも確かにあったのだ。今まで笑顔で話して来た人達、そんな人達の笑顔の裏ではそんな感情があっただなんて、信じられないし信じたく無い。


「俺は知ってるぞ。お前がうちに住むようになってから、父さんも母さんと俺に笑顔を向けなくなった事を」


 そして同時に、自分に対して姫咲と比べる様な言動ばかり取るようになった事も。


「俺は知ってるぞ。俺に話しかけて来る奴が皆お前と仲良くなる為の繋ぎ役や、お前の写真を手に入れる事が目的だった事を」


 ちょっと探れば、自分と仲良くなる気が殆ど無かった事くらい直ぐに分かった。そしてその事を追求すれば、もうソイツは話し掛けて来る事は無かった。


「俺は知ってるぞ。お前の周りに居る連中が、お前から俺を引き離そうと画策している事を」


 結衣なんかはその際たる例だ。現に今日も嶺に姫咲から離れるように言っていた。


「正直に言って滅茶苦茶苦しかったさ。何でお前ばっかりちやほやされて、俺が歯を食いしばって生きなきゃならないんだって何度も思った」


 もし姫咲が嶺の苦しみに気が付いて、嶺に何かしら行動して嶺の苦しみを和らげてくれたのなら、そこまで苦しまずに済んだのだろう。だがそんな事は無く、姫咲は嶺の苦しみに気付かないまま表面的な幸せを享受していた。それに対して何も思わない程、嶺は出来た人間では無い。


「親、友人、幸福。全てを失っても恨み言一つ言わずに生きて来た俺の最初で最後の我儘を、何で原因であるお前に止められなくちゃならないんだ?なあ、教えてくれよ」

「ち、違うの…私は…ただ…」


 純粋に嶺を助けたかった。しかしそれは嶺を苦しめる結果にしかならなかった。その所為で嶺は殺人を犯し、遂に嶺の人生を大きく狂わせてしまった。

 もしかしたらこれまでにも良かれと思って嶺を苦しめてしまった事が何度もあったのかもしれない。幼い頃から側で支えてくれていた嶺を自分が狂わせてしまった。貰ってばかりで無くちゃんと恩を返しているつもりだったのに、実は何一つ返してなどおらず、ずっと重荷ばかり背負わせていたのかもしれない。

 その思いから生まれる強い罪悪感が、姫咲の心をギシギシと軋ませる。

 心を侵食する罪悪感に押し潰されそうになる姫咲と、それをただ無感情に眺める嶺。二人の間になる重い沈黙が流れる。

 しかしながらそれを破ったのは、嶺でも姫咲でも無かった。


「オルァア!」


 何時の間にか目を覚ました不良が起き上がり、隙だらけの嶺を殴り付けたのだ。


「グァッ!」

「嶺君!」


 不意の一撃をモロに受けて倒れる嶺。同時にカッターナイフも手放してしまう。


「ギャハハハハ!何一人で勝った気になってんだよ雑魚が!」


 不良は嶺の上に馬乗りになると、その両手に拳を握り横たわる嶺をしこたま殴り付けた。嶺も必死でガードするが、碌に喧嘩もした事の無い嶺が防ぎ切れる訳も無く、次々とダメージを積み重ねて行く。口の中が切れて鉄の味が充満し、鼻からも血が流れる。


「止めて!嶺君が死んじゃう!」

「邪魔すんじゃねえ!」

「キャァッ!」


 不良を止めようと姫咲が止めに入るが、不良に突き飛ばされてあっさりと倒れる。

 そして思う存分嶺を殴った不良は、次に嶺の首に手を掛けてギリギリと絞め上げた。


「ガッ…カハッ…!」


 さっきまでの戦闘で息も切れた状態の嶺は、呼吸を封じられてもがき苦しむ。


「どうだ、苦しいか!そうだろうな!俺を散々コケにしたんだ。ただで死ねると思うなよ!苦しめ、もっと苦しんで死ね!」


 更に首を絞める力が上がる。苦しみながらも何とかして不良手を退けようとするが、弱っている嶺の腕ではビクともしない。

  刻一刻と自分の死が近付いているのを感じる。相当力を込めているのだろう、不良の腕には血管が浮いているのが、その度合いを伺わせる。見るからに全力だ。そして嶺も全力で抵抗している。最早動かす事が出来ないと判断して、不良の腕を兎に角掻き毟り出した。


「イデデデ!大人しくしやがれクソ野郎!」


 そう言いながらも嶺の首から手を離して殴ったりしないのは、片手を離した事で首の拘束が緩むと思ったからだ。

 だがそれによって嶺の引っ掻きを受け続けた結果、嶺の爪は不良の皮膚を裂き、動脈に傷を付けた。不良の腕からドクドクと尋常じゃ無い量の血が流れ出る。


「ウオアァァァァァァ!!!」


 普通の傷では有り得ない量の出血に驚いた不良は、思わず嶺の首から手を離した。瞬間、呼吸が出来るようになった嶺は噎せながらも不良の顔面にパンチを繰り出した。出血に気を取られていた不良はそれをまともに食らって仰け反る。そこへ追撃に前蹴りを腹に決め、その勢いで不良を蹴り飛ばした。


「ゲッホ!ゲッホ!クハァ…ハァ…ハァ…」

「嶺君、大丈夫!?」


 しきりに噎せる嶺に姫咲が駆け寄るが、正直今はそれどころじゃ無い。姫咲に返事も返さずに息を整えながらも周りに視線を彷徨わせる。

 そして見付けた。嶺からそう遠く離れていない場所に、手から零れ落ちたカッターナイフが。

 一二も無くそこへ駈け出す。フラついて倒れ、それでも這いずるようにしてそこまで辿り着き、そしてカッターナイフを拾い上げる。

 長年使い続けたカッターナイフも今は血で汚れてしまったが、その感触は痛みと疲労で震える手にも確り馴染む様な気がした。


「テメェ…!!」


 手首を押さえる不良は視線だけで人を殺せそうな眼力で嶺を睨んでいた。その目を見て、嶺は一つだけ確信した。


(ああ、やっぱりコイツは殺さないと駄目だな)


 生かしておいても誰の得にもならない。それに仮に生かしておいて復讐でもされたら堪ったものでは無い。別に両親が殺されようが姫咲に不幸に見舞われようが悲しくは無いのだが、目の前の不良如きに好き勝手されるというのは我慢ならない。何よりこんな最低な奴に殺されるなんて真っ平御免だ。

 ならやる事は一つだ。自分の人生を犠牲にしてでも、目の前の不良の人生をここで終わらせる。


「チクショオオオガアアァァァ!!!」


 不良が物凄い気迫で嶺に迫る。だがさっき散々殴られたり首を絞められた影響か、嶺はそれを見てもちっとも怖いと思ったり、怯んだりはしなかった。ただカッターナイフを握る手の感覚だけがあって、そして体が糸で操られているかの様に、自然と体が動いた。

 不良が拳を振るうと同時に一歩踏み出す。拳をするりと躱しそして嶺の手に持ったカッターナイフの刃は、不良の左胸に突き刺さった。


「……ハ?」


 不良は唖然とした間抜けな表情で自分に刺さるカッターナイフを見る。硬い感触が無かった事から刃は胸骨の隙間に刺さった様だ。

 そして嶺は親指をスライダーに持って行き、そして刃を全て押し出した。


「ゴフッ!」


 心臓をカッターナイフの刃が貫き、不良は吐血する。カッターナイフを胸から引き抜くと、傷口から動脈の時と遜色無いレベルで血が湧き出て来た。

 胸を押さえて崩れ落ち、その場に蹲る。それでも出血は治らず、出血多量で死ぬのも時間の問題だろう。

 だが嶺はそこまで待つつもりは無かった。考えはただ一つ。また抵抗される前に殺し切る事。そしてそれを迷い無く実行に移す。やる事は簡単、カッターナイフを振り上げて、そして振り下ろすだけだ。


「だ、だのむ…!だずげでぐれ…!」


 不良が必死になって助けを求めているが、それで救われる可能性の有る段階は既に過ぎ去っている。嶺は何も言わず、カッターナイフを振り下ろした。

 一回では終わらせず、確実に殺せるように、何度も、何度も。そして十回位抜き差しを繰り返して、漸く手を止めた。

 これで敵はほぼ全滅と言って良いだろう。しかし嶺の心は当然ながら晴れる事は無く、終わってしまった虚無感の方が一杯だった。緊張の糸が切れたのか、虚無感と共に酷い虚脱感が嶺を襲った。

 人生を賭けた最初で最期の我が儘は、自分が思っていた以上に呆気なく終わってしまった。


「…御免ね、嶺君…私の所為で…」


 姫咲の啜り泣く声が聞こえて来る。さっきまでの事での強い後悔を感じるが、今の嶺はそれ所じゃ無い。疲労やらダメージやらでもうヘトヘトなのだ。姫咲の相手をする余裕も無い程に。


「私が嶺君を止めた所為でこんなに傷付いて。それに、これ以外にも沢山苦しい思いをさせちゃったんだよね」


 もう直ぐ誰かが来るだろう。不良が大声で叫んでいたのだから、誰かしら気付く筈だ。或いは姫咲の帰りが遅いと思ったり結衣辺りがそろそろ来てと可笑しく無い。


(これで俺の人生は終了か)


 懲役刑になれば就職に大きく響くだろう、少なくとも大きな会社への就職は不可能とすら思える。両親や姫咲達がどれ程苦しもうがどうでも良いが、自分の将来に関しては不安にならざるを得ない。

 だが今回の件に関してはこれで終わりで良いのだと思う。不良達の目論見を破壊し、当人達も排除、姫咲にも思っていた事を全て言えて満足だーー


「私さえ居なくなれば良いんだよね」


 ーー小さいその言葉が、やけに耳に大きく響いた。声のした方を見ると、既に制服を着直した姫咲が屋上の柵に手を付いていた。

 その事に嶺は酷く嫌な予感がした。そう、これまでに何度も経験した、姫咲に努力を無駄にされる時のような感覚。

 そもそも、屋上は危険な場所だ。だから本来屋上には進入禁止だし、それ以前にも柵に寄りかかったりする行為を禁止させれていた。そんな禁止行為を姫咲がする筈が無い。

 だったら何故姫咲は今屋上の柵に手を付いているのか。嶺の頭の中に最悪な可能性が浮かび上がる。


「私さえ居なくなれば、嶺君も幸せになれるんだよね」


 その予感に沿う様に、姫咲は柵を飛び越えて縁に立った。校舎から吹き上げる風が、姫咲の髪をサラサラと揺らす。

 止めなくてはいけない、そう思った。だが疲労と緊張が途切れてしまった所為か体が上手く動かない。

 フワリと髪を揺らして姫咲が嶺に振り返った。


「御免ね、嶺君今まで気付いてあげられなくて」


 姫咲は満面の笑みを浮かべて、そして同時に涙を流していた。


(違う…!)


 例え姫咲が死んだとしても、嶺に幸せがやって来るとは限らない。寧ろ姫咲がいなくなった事で、嶺はより一層周囲から非難を受けるだろう。

 何故姫咲を助けなかった、何の為に一緒に居たんだ、何故お前が生きて姫咲が死ぬんだ。そんな事を言われるのは目に見えていた。

 そう、既に嶺の人生に希望なんて無かったのだ。それなのに姫咲は嶺の為などと言って、またしても嶺を苦しめる方に持って行こうとしている。

 違う、そうじゃ無い、嶺が望んでいたのはそんな事じゃ無い。確かに姫咲の事は好きじゃ無いし、出来れば近付きたく無いとすら思っているが、そんな姫咲が死んだとしても、嶺に良い事なんて一つも無い。

 姫咲の体が少しづつ前へ傾き出す。最早止まる事は無い。傾き出した体は校舎の外へと投げ出され、そして地上五階分程の高さから地面に落ちて死ぬだろう。


「オォオオオオオーーーーー!!!」


 気が付けば嶺は力の入らなかった筈の体で駆け出していた。別に姫咲を助けたいとかそんな高尚な理由では無い。唯一言、今の姫咲にどうしても言ってやりたかったのだ。

 嶺は柵に駆け寄ると姫咲に手を伸ばした。しかし伸ばした手は姫咲には届かない。離れていく姫咲。

 瞬間、嶺は柵に片足を引っ掛けると、そこを支えにして自分も体を外に投げ出して姫咲の制服の襟を掴んだ。姫咲が驚愕に目を見開いて嶺を見たのが分かる。


「俺の幸せをーーー」


 そして嶺は姫咲を横に振って、


「ーーーお前が勝手に決めるなぁぁぁぁぁ!!!」


 ハンマー投げのように屋上へと投げ飛ばした。

 それによって校舎に投げ戻される姫咲。だがその時、二人分の重さを支え切れなかった柵が根元からへし折れた。柵諸共嶺の体は空中に投げ出された。

 驚愕と、そしてそれ以上の絶望で今にも泣きそうな表情の姫咲の顔を一目見て、嶺は重力に従って地上へと落ちて行く。


 そして嶺はーーー

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