6、スプートニク
勝ち誇った一瞬、けれど次の瞬間には私は顔を殴られていた。茫然と状況を掴めないでいた軍神ガレス様が、私の言動に神として正しく対応された、のだろう。
「……ッ!!」
「加減はしてやる。が、仕置きは必要であろう!」
骨を砕くと言うほどではない。言葉の通り、手加減に手加減を重ねて最大限に、威力を落としてくださったに違いない。
私はそれでも激しい衝撃、一瞬飛ぶ意識、そして激痛と吐き気が遅れてやってきて、四つん這いになり嘔吐した。
「我らが花と、殺されぬと慢心したか! そこなエルフといい、全くこの世に身の程を弁えぬ命の多いことよ!」
フン、と軍神ガレス様はギュスタヴィア様の頭を掴み、宙づりにする。生死の確認をしたのか、興味なさそうに放り投げた。
「エルフの戦闘帝だなんだなどと言うが、なんのことはない。なぜこの程度の者に伯父上は警戒されているのか! それゆえ驕ったのであろう! 戦闘帝だなどと! ただの弱者! ただの愚物! エルフで最も強き者であろうと、神の前では何の意味もない! 神は全ての存在の上に君臨する!」
……私は反論したかった。
ギュスタヴィア様は、私の「お願い」を聞いて、冥王ハデス様を顕現させてくださった。道理や方法は私にはわからない。けれど、ギュスタヴィア様から感じた強い力が、冥王様を呼び寄せた後に半分以下、いいえ、もっともっと、小さくなったことを感じてはいた。
そしてその後、このエルフの国まで強制的に移動された。転移の魔法か、高速の移動魔法か。そのどれであっても消費される魔力はけた違いだったはず。ルゴの街で受けた傷も何もかもそのままで、私を庇って軍神ガレス様に斬られた方。
反論したかった。が、それは無礼だった。軍神ガレス様に、ではない。
ギュスタヴィア様に対して。
鼻から血が流れ、口の中にまで溢れてくる。
無言でいる私に、軍神は近づき髪に触れた。
「さぁ祈れ。神に、我らに祈り縋るが良い。そうすればその苦しみも痛みも即座に消えるぞ。我らに祈れば救われる」
「……」
「あぁ、そういえば、そのようなことを言っていたな! うむ、これは良い考えだから、そなたにも聞かせてやろう! そなたが祈れば奇跡を与える。我らはそなたの祈りに応える。ゆえに、そうだ。そなたは奇跡や祈りが人間種どもに届かぬことを嘆いたが。それならば、そなたが代わりに祈ればよかろう! あぁ、そうだ。それがいい! それでいいだろう? それならそなたの望み通りだな!」
高々と、ご高説を垂れる軍神を、どうすればもう一度殴り飛ばせるのか。二度目は無理だろう。呼吸が苦しく、視界が霞む。耳だけはよく聞こえたのは、この軍神が聞かせているのであって、傲慢な男の声以外は聞こえなかった。
(私は、奇跡を与えてくれないから、怒ったんじゃ、ありませんよ)
何もかも叶えてくれるような、奇跡を人々に平等に、などというわけではない。
失望したのは、そんな理由からではない。
「わかり、ません、か」
わからないだろう。
辛うじてそれだけ口にできて、私は喉の奥をひっかいたような、ぎこちない笑い声を立てた。
ルゴの街の神殿で、祈った。
街の人たちと共に祈った時、私が感じたのは神の存在だけではない。
人の心の中にあった、他人を労わる想い、他人のために祈る心。
例えば自分がどれほど不幸な状況にあったとて、自分より弱い者を憐れに思い「どうか助けてあげて」と思う心。空腹でありながら、他人の為にパンを譲るような、そんな心。
人の中にあるそんな、心。私は温かいと感じた。
そして、願ったのは、神の存在が全ての人に平等であること。
願いを叶えてくれずとも、構わないのだ。
ただ、愛して欲しい。
健やかなるときも病めるときも、豊かな者も貧しき者も、正しき者も道を踏み外した者も、ただ平等に、愛して、そして後悔した時は許して欲しい。
人の世は、多くの感情や立場があって、複雑で、そして不平等だ。不条理で、それは、けれど、人にとって大切な者や物が違うのだから、それは、仕方のないことだと、私は知った。
だから、神さまには、神さまだけは平等に全ての人のことを愛して欲しい。
私が、いや、心優しいイヴェッタ・シェイク・スピアが望んだのはそんなこと。
(だけど、違った。神々は、そうはお考えに、なられていなかった)
「君臨するだけ……統治もせず、私たちを愛しもしない、それで……何が、神なのか……!」
絞り出した言葉を発した途端、何か、気付いたような気がした。
……そもそも、神……私たちが「信仰」する神とは、なんだろうか?
私は、切り花として……元々「神の存在」を知覚することができていて、その存在と、能力を疑わない。
けれど、フラウ・ノートル卿はおっしゃった。
多くの人は、そうではないと。
それでも神を信じて、そして正しくあろうとする。
(“神”が、実際には、滅びを求める存在であるのに?)
幻想。盲信。
私たちの“信仰”こそ、ただの茶番でしかない、滑稽な有様だったのだろうか。
「……いいえ、いいえ……違うわ」
私は呟く。
頭の上で何か、軍神がつらつらと話しているが、そんなことはもう耳に入らない。
自分の中に浮かび上がってきた、ある種の疑惑。
……ルゴの街で祈った時に、感じた神様の存在。
街の人たちの祈りが聞き届けられた、あの感覚。
……その次に、変貌した人たち。
あれは、同じ……同じ“神”の齎した光だったのだろうか?
「……」
目の前に立つのは、軍神ガレス様だ。間違いない。そう感じ、そう判じれる。
けれど……思えば、思えば……。
私は必死に、思考を巡らせる。
何か、手繰り寄せられそうだった。
……そもそも、なぜ“切り花”なのだろう。
なぜ、種ではないのだろう?
根から切り離された花。
花弁が落ちて、竜の鱗となって全身に……。
なぜ“切り花”なのだろう?
(そもそも、わたくしは、何から切り離されたの?)
浮かぶ疑問、疑念、そして、思い返す。
軍神ガレス様、他の神々。
“神族”という……種族、で、あるとするのなら。
「……」
私は咄嗟に、自分の思考を止めた。
たどり着きそうだった先。それを、「そう」だと確信してしまえる予感があった。
それが恐ろしい。あまりにも、おぞましい先だった。
けれど、途中まで進んでしまった思考は、私の心に憤怒の炎を燃え上がらせる。
「お前達が、殺したのか」
と、そう、私の唇から洩れる言葉。
頭の中が熱くなり、私の意識はそこまでだった。
冥王様の名前は「ハデス」なんですけど、軍神はアレスじゃなくてガレスで、愛の女神はアロフヴィーナなんですよね。でも祈りの言葉は「エレメン」なんですよね。





