4、逆ギレワルツ
王弟殿下ギュスタヴィアが連れてきた人間種の娘が、咳をする度に命が欠けていくようだった。
(ただでさえ、脆く脆弱な人間種の体だぞ。よく、人の形を保っていられる)
切り花は生まれてからごくごく自然に、神に祈りを奉げ感謝をするという。生物が呼吸をするように、自然に、当然に、何の違和感もなく。神の存在を疑わず、神の万能さを讃え唇から洩れる言葉の全てが神への愛を抱く賛歌となるという。
その切り花が、自らの意思で祈ることを止めたというのは、この、神族の目の届かぬエルザード国に来たという事は、水中で呼吸のできない者が魔法の補助もなしに水の中に潜り、浮かび上がらずじっと底に沈んでいるような無謀さ。
自殺行為そのものだ。
宮廷魔術師ロッシェは茫然と、苦しむその娘の顔を眺めていた。
過去。ロッシェが生きたそれなりに長い生の中で、神を裏切る、あるいは神の寵愛を疎み離れようとした切り花がいた事は、何度かある。竜になる事実を知り、発狂し神を罵った者。過分な愛に破滅を恐れ凡人になろうと足掻いた者。それなりに、いた。だがその切り花達の誰もが、神に祈らぬ事を、最後の最後までは、貫けなかった。
最終的には心に信仰を、神を取り戻し、そして枯れ果てるか、あるいは竜になり、エルフに討たれた。
ギュスタヴィアとて、覚えがあるはずだ。何しろこれまで最も多く、切り花や竜を葬ってきた張本人。この三百年、竜が六体存在し続けられたのも、最悪の天敵たるギュスタヴィアが封じられたからだ。
(だっつーのに……なんだ、あれ? なんなんだ? あれ)
血を吐きか細く呼吸をし、眉間に苦し気に眉を寄せる切り花をしっかりと抱きしめる王弟殿下。
百歩譲って、切り花を孵化させて何もかも台無しにしてやろうという悪心故に、あの娘を側に置いていたというのならわかる。しかし祈る事を止め、もはや死にゆくばかりの小娘一人に、なぜ、執着しているような姿を見せるのか。
演技か、とも思った。何か企んでいるのか。警戒する。しかし、疑い、欠片もギュスタヴィアの善性を信じていないロッシェの目から見ても、真に迫っている。
「……イヴェッタ」
頬に手を添え、自身の魔力を少しでも分け与え延命しようとでもしているのか。ギュスタヴィアの手つきは、冗談かと思うほどに優しい。娘の喉が震えるたびに、不安げに黄金の瞳を揺らした。
「兄上」
切り花の娘の呼吸が落ち着き、ギュスタヴィアが再びレナージュの方へ顔を向けた。
そして、頭を下げる。
「は!?」
「はぁあ!?」
演技、などではない。
あのギュスタヴィアが、頭を垂れた。静かに、頭を下げ、そして言葉を続ける。
「彼女が死ねば私は世界を焼きます。手始めにこの国を。そして彼女の国を、神々を、何もかも焼き尽くします。必ずそうします――ので、どうか、この娘の命を救ってください」
「脅しじゃねぇかッ!!」
頭を下げているが、要求は物騒過ぎる。
思わずロッシェが突っ込みを入れてしまうが、レナージュも、そしてケテル伯も顔を引き攣らせていたので、思いは同じだろう。
「……」
「……くそっ、アンタ本当……ッ」
ロッシェの、無礼と言えば無礼な言動にギュスタヴィアは顔を上げる事もしなかった。それで、ロッシェは思い出す。思えば、そういう奴だった。昔から、そういう奴だったのだ。
他にどうすればいいのかわからない。
どう言えば、他人が、自分のような生き物の望みを聞いてくれるのか、わからない。
だから何も他人に望まなくなった。他人に何も、求めなくなった。そういう、王弟殿下。昔は、王子殿下であらせられたギュスタヴィアの事を、忌々しい事に、ロッシェは思い出して、顔を顰める。
「……それで、式か」
レナージュが納得がいった顔で呟いた。
エルフがまだ“妖精族”であった頃、その体が親指程の小ささであった頃の、古い古い、ずっと昔の、おとぎ話とさえ言ってしまえる、昔の話だ。
仙女の花の種より生まれた命短き小さな者がいた。花が枯れれば死ぬ、そういうさだめの者。それを、出会った妖精の王子が懸想して、冬を乗り越えられぬはずのその娘に春を見せた。
王族が伴侶として迎え、祝福を受け、妖精の羽を得たという、昔話。
「随分と、古いまじないを引っ張り出すつもりか。ギュスタヴィア」
伝えられる話があるのなら、近しい現象を引き起こせる可能性はある。
ギュスタヴィアの高い魔力と、エルフの王族、国民の祝福があれば、もしや、という、程度のもの。だが、ギュスタヴィアが必死に望むのは、そんな雲をつかむようなおとぎばなし。
「……」
「……ハハ……ハ、全く。愚か者め」
どっかりと、レナージュが床に座り込んだ。疲労困憊。今までの事、そしてこれからの事を考えれば考える程、ロッシェも胃痛がする。
「どう思う、ロッシェ」
「断ればマジで、王弟殿下は国を滅ぼすでしょうね。というか、今現在、そうされてない方が不思議だって、今更ながらに実感してますよ」
「騙し討ちして埋めたんだったな。ギュスタヴィア、その件に関してはいいのか?」
藪蛇な気はするが、後程「そういえば」と掘り返されたくはない。ギュスタヴィアは頭を下げたまま、「彼女に出会えたので、今となっては感謝しています」とだけ答えた。
もう笑うしかない。
一体何がどうして、そんなに執着するようになったのか?
美しい女なら、エルフ族に多くいる。ギュスタヴィアは恐れられてきたが、それでもその力や美しい容姿に妻になる事を求めた女は多かった。
冷酷な孤高の存在を「私だけは理解します!」だの「私が救ってみせます!」だの言って特別な存在になろうとした者もいた。しかし、そういう女たちがどうなったのか、その末路を知っているだけに、ロッシェは信じられない。
「うーん……あー……そうですねぇ」
切り花が神に背を向け続けることなど不可能だ。生かしておけば、いずれ信仰心を取り戻して竜になる。
(死のうとしているのならそうさせてやればいい)
ここで死なせず救って、後に竜になりました、などエルフ族の笑いもので、それこそレナージュの名を貶める結果にしかならないだろう。
が。
ギュスタヴィアはやる。絶対にやる。
断ったら自分とレナージュを殺して死体を焼き、王宮にいる全てのエルフを嬲り殺して、国中に悲鳴と恐怖と絶望を響かせる。
それだけならまだ、ギュスタヴィアを騙し討ちして埋めた事への報復、自業自得と他国も笑うだけだろうが、そのままギュスタヴィアが世界を滅ぼす行動に出たら、エルフは他種族に恨まれ罵られ呪われるだろう。
その時にはとっくにエルフは滅んでいるだろうが、だからと言って、看過は出来ない。
……なるほど、謁見の間で随分とお行儀が良かったと聞いたが、つまり茶番をしろという事だ。
恐るべき戦闘帝ギュスタヴィアが改心した。
人間種のか弱い娘に、恋をして改心した。
これぞ真実の愛、これぞ聖女の行い。
例外的に、人間種の娘を王家に迎えよう。
例外的に、人間種の娘に祝福を。讃えよう、喜んでエルフの国に迎えよう。
そうしてめでたしめでたし。
恐ろしい化け物は心優しい娘を妻にして、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました。
と、そのように。茶番。求められる振る舞い。そうしろと、協力しなければ国を焼くぞと、その脅し。
どうしようもないことを、どうにかしようと必死に。しようとしている愛を知らぬ化け物の、必死に考えた茶番劇。
従うほかないだろう。
それで損得どっちが大きいかと計算してみて、ギュスタヴィアを言いなりに出来る事の方が遥かに得であったのも確か。
レナージュにロッシェが目くばせをし、二人は無言で頷いた。しなければならないこと、根回し、あれこれと、考えながらレナージュが立ち上がると、部屋の中でもう一人、動きだした。
「イヴェッタ、動いては……」
「……わたくしは、」
黒髪の人間種の娘だ。ギュスタヴィアが寝台に横たわらせていた筈の娘が、ゆっくりと起き上がり、寝台から降りる。ふらつく足元に、ギュスタヴィアが支えようとするのを、娘は手で制した。
「?」
何をする気かと、ロッシェは眺める。
娘は床に刺さった、先ほどロッシェが投げた短剣を引き抜く。
「お、おい!?」
それでそのまま喉でも突かれてはたまらない。折角良い感じに話がまとまってきているのに、全て台無しにする気か、この娘!
「わたくしは……ッ!」
しかし、その短剣が娘の細い喉を貫くことはなかった。代わりに、切り花の娘は自分の髪を後ろで掴み、短剣を振るう。
「ッ!」
短剣にはまだ、ロッシェの魔力が残っていた。切れ味を強くする魔法と、他の魔力への耐性魔法が残っていた。それ故に、女の細腕でも、容易く長い髪が首の後ろで切り落とされた。
ザシュ、と。髪だけでなく、首の後ろの肉も巻き込んでいた。首の後ろ。短剣の先に一瞬引っかかり、首から剥がれ落ちた二枚の赤い鱗が、絨毯の上に転がる。
「シーフェニャ!」
「わ、わかってますよ!!」
鮮血をまき散らし、がっくりと娘が膝を突いた。ギュスタヴィアに怒鳴られ、すぐさまケテル伯が回復魔法をかける。
しかし、荒い息を繰り返しながら、青白く血の気の失せた顔で、切り花の娘は顔を歪めながら、ドン、と、短剣を床に突き刺し、体が崩れ落ちるのを堪えた。
その菫色の瞳には、強い、燃えるような感情が宿っている。思わず、ケテル伯が喉を詰まらせたように動きを止め、体を震わせた。
「イヴェッタ?」
エルフの貴族を怯ませる眼光をした娘を、ギュスタヴィアが呼び掛けた。治療を受けねば死ぬぞ、と案じる響き。それを理解しながら、切り花の娘は一度強く唇を噛み、首を振る。
「どいつもこいつも……ッ、愛しているからと勝手に、何もかも与えようとしないでくださいよッ!!――まず、私に聞いてよッ!!」
瞳に宿る強い感情。憤怒。憎悪や敵意から燃え上がる感情ではない。
「あの子に死んでほしいなんて思ってなかった!」
錯乱状態、ではある。
が、憤る。怒って、いる。
他人が自分にする行いの、非道や非礼、無礼は寛容により抑え込み続けた稀有な娘。他人を恨み憎み嫌悪する事のない娘。
その娘が怒っている。
その理由。
「人を救わぬ神々よッ!」
菫色の瞳を燃えるように輝かせ、血塗れの切り花の娘は部屋の窓から、天に向かい叫んだ。
「私の祈りが欲しくば、人を救え!さもなくば、私が滅ぼす!人の世に、お前達はいらない!私が、ただ枯れて死ぬのを、黙って受け入れると思うな!!」
叫ぶたびに血反吐を吐く。死にかけた顔の、この場で最も弱い生き物の怒声は悲痛な嘆きと、必死さがあった。
瞬間。
窓の外から、銀の矢が一線。叫ぶ娘めがけて飛んできた。
狩りの女神の矢。神々の力の及ばぬエルザードにて、その威力は半減しているはずだが、人間種の娘一人殺すには十分な力を持つ矢。
ロッシェは自分が動かずともギュスタヴィアが動くと思った。実際、ギュスタヴィアはそうしようと体を動かしたはずだ。
だが、切り花の娘は庇われるより先に矢の方へ進み出て、握った短剣で矢を払い落とした。
「……王弟殿下、あの娘。俺が鍛えますよ」
思わず、ヒュゥと口笛を吹く。
王弟殿下の花嫁として迎えるにしても、まずはある程度、今すぐ死なないように魔術式を施して、その体も強化する必要がある。
それには自分が協力する事になるが、中々、面白そうな娘じゃないか。
イヴェッタ。イヴェッタ、とかそういう名前だったかと、ロッシェは頷く。そのイヴェッタ、興奮しきって荒く呼吸を繰り返し、ぐらり、と体が揺れた。当然それを受け止めるのはギュスタヴィアで、ロッシェの方を睨みながら、器用なことである。
「……兄上」
「いや、まぁ。そうだな。うん。神族に敵対するのなら、我らが保護下にあるのが最も安全だろうし……一先ずは、お前の婚約者としよう」
神の矢がこの国に届いた事に対しての動揺を、レナージュは見せなかった。何が、神の手の及ばぬ国か。嘲笑われているという事実を、突きつけられたと気付かぬわけではないだろうに、最愛王は些末だと扱った。
レナージュの言葉にギュスタヴィアは黄金の瞳を細め、再び頭を下げる。これは、演技でも茶番のための作業の一つでもなく本心からの礼だと、誰の目にもわかった。
ふわふわっ可愛い女の子はどこへ(/・ω・)/





