33、そういう男
「……死なない?」
ゼルを探すために、あの小さな子どもが捕らえられていそうな場所に来たイーサンは「何か暴れてるから」という理由で、とりあえずバルトルを杭で打った。頭にいくつも埋め込まれれば死ぬものを、どういうわけか動き続けている。
「……」
既に正気ではない。喚きながら、何か呪詛のような言葉を吐き続けながら暴れて周囲を害していくことしかできない、人の形をした肉だ。何かつたない魔力で治療した痕跡があるが、あの程度の治癒魔法で動けるようになるとは思えない。と、なれば、あの体を動かしているのは神の奇跡、あるいは悪意だろう。
(……イヴェッタお嬢さまが望まれるのを、待っているのか)
現状、彼女が望むとすればこの男の不幸だろう。何もかもの代償を支払っても「お前が消えてくれ」と願う事があるとすれば、彼女が執着心を見せた冒険者の姉弟を手前勝手に消費しようとした者。明確に、的確に、彼女が敵意を持てる者を神々がそうやすやすと死なせる理由はない。
どの道に生かす気はないが、死んでもらう理由があるので死なれては困る、という身勝手さ。人がどの道に殺して食う家畜を丁寧に育てる事を愛情だというのなら、神の愛ともいえるのか。
「あぁ!あぁクレメンス!思い知ったか!ざまぁ見ろ!!」
男が喚く。自らが放った炎で体が焼け焦げて行くのもいとわない。既に感覚というものがないのか、ただ動く。イーサンは顔を顰めた。
イヴェッタお嬢さまの鱗は2つ。まだ2つ、と言える。1つ2つ増えたところで、今すぐどうにかなるわけではない。が、イーサンは自分の項に手を伸ばした。自分とてそうだった。最初はそうだった。竜になるという事実を知って、体の四割が鱗に覆われても「まだ、どうということはない」と傲慢にも思っていた。
もはや、一つたりとも増やさない。イーサンは杭を構える。鉄杭、ではなく竜の鱗を加工したもの。これで死なぬのだから、性質の悪い神の恩寵に他ならない。
「どうする?厄介だな」
ひょいっと、タイランが姿を現した。同行していた、のではない。広場からイーサンが離れたので追ってきたのだ。示し合わせのことではない。が、イーサンは驚かなかった。ちらり、とタイランを見て口を開く。
「俺が殺す。親父はゼルを。この建物のどこかにいるはずだ」
「それは息子としての頼みか?それとも、主としての御命令ですかな」
炎など不死の身に脅威などはない。タイランが探しに行けば問題なくゼルを助けられるだろう。行動の理由を問われ、イーサンは目を細める。数秒沈黙、タイランが息を吐いた。呆れるように肩を竦め「あの小僧が気に入ったか」と呟いた。イーサンは答えず、タイランが去って行くのを背で感じる。
他に動く者はいなかった。逃げたか、あるいは暴れる男の暴力によって動かなくなった。イーサンは転がる魔法道具に気付く。
魔物を呼び寄せる力。それが解放されている。この街を襲わせるつもりか。もうどうにでもなれ、と叫んでいる言葉には意味があったらしい。
「そうか。そんなに憎いのか」
目の前の男は、この街の者の筈。それなりの地位の者だろう。その座に就くまでの苦労や、関わった者たちに対して情があるはずだ。人は過ごした時間で世界に繋ぎ止められる。人や者や感情が自分の影を縫い付ける。けれど、それらを、そんなものどうでもいいと、もううんざりだと投げ捨ててしまいたくなる想いは、イーサンにも理解できた。
「だが、ゼルにまで手を出すな」
口に出して、イーサンは自分が「怒って」いるのだと気付く。あの子ども。あの臆病な目で、必死に周囲の顔色を窺いビクビクと息をする子ども。広場でイヴェッタお嬢さまが助けた姉の言葉通りなら、この連中から酷い暴力を受けている筈だ。その事実が、イーサンの中にふつふつと、怒りの小さな火を起こしていた。
そうか、俺は怒っているのか。
イーサンはゆっくりと自分の中の感情を受け入れた。そしてゴキュッと腕を鳴らし、鱗に覆われ巨大化した竜の腕で、暴れる男の体を握り潰した。
それで御終い。これでいい、とそう、判じ、イーサンはそのまま竜の身に転じた。孵化した切り花が人の姿に戻れることはない。が、イーサンは××喰いを果たしたため、その姿を奪うことが出来た。人の今の身と、竜の姿、どちらが真に自身のものかと考えれば、後者だが、それは今はどうでもいい。
竜の姿。黒く、輝く鱗の大きな姿。冒険者組合の屋根を突き破り、上空に飛びあがる。
街を襲おうとする魔物たちを蹴散らし、焼き尽くし、薙ぎ払う。
タイランがゼルを助け出した事を風の音で聞いた。高所から、あの少年が瞳を輝かせてこちらを見上げてくる視線を感じる。
自分勝手に国を焼いて人を焼いた存在に向ける目ではない。が、イーサンはあのこどもの目に映るときは、あの子どもが憧れるような振る舞いをしてやってもいいだろうと、そのような思い。
大型の魔物が飛びかかり、イーサンの翼に食らいつく。それを爪で払い、地に叩きつけた。咆哮。魔物たちが黒竜を敵だと、憎悪の象徴だと本能から襲い掛かってくる。その判断は正しく、イーサンは受けて立つ。その方が街への被害も抑えられよう。戦い噛み付き、噛み付かれ、抉り、抉られる。いかに最強の名を欲しいままにする高位種であろうと、たとえば人間が無数の蟻に一度に襲われればどうなるか。夥しい魔物。ただ魔法道具で呼び寄せたにしては数が多すぎる気もする。
そう言えば、イヴェッタお嬢さまが遺跡へ向かう前に、この辺りに生息しない筈の大型の魔物が現れた。あれは、なぜ。
「これはこれは……傲慢の、黒き竜ではありませんか。なんです?我が妻を浚いにでも来ましたか。困りますね、えぇ、困ります。ので、落としましょう。そうしましょう」
一瞬、思考に沈んだイーサンは動きが遅れた。数に押されてはいたが、それでも魔物如きという侮りがあった。が、その一瞬の致命傷。
空を駆ける黒竜を、地上から見上げる者。長い耳に銀色の髪、黄金の瞳の男が軽く手を上げ、振り下ろした瞬間、天の竜の体に巨大な剣が突き刺さり、大地に打ち付けた。
街に落ちる。黒竜の体の下で、多くの建造物や、人間が潰れていった。その中に、ゼルがいないことだけを願い、イーサンの意識は途切れた。
ギュっさん、今それやる?





