31、勝ち得る信頼
「え……え?あれ?あれって、竜?」
ゼルは茫然と、目を丸くして空を見上げた。おとぎ話の中にしか存在しなかったもの。見間違い、勘違い、ではない。その堂々とした姿。黒く、鋭い爪に、輝く鱗。力強く翼を動かせば、街の屋根が剥がれ吹き飛んだ。飛ばされないように、とタイランがゼルを掴む。
「タ、タイランさん!!見て、ほら!竜だ!!竜が、本当に、いたんだ!!」
「騒ぐな小僧。手を放されたいのか」
はしゃぐゼルとは対照的に、タイランは上空の竜を冷静に眺める。
街をぐるりと囲む魔物の群れ。統率なんぞ取れてはいない。まともな知恵もないただの魔力と肉でくるまれた暴力の塊が、街の中心部に「向かう」という目的だけを持って動いている。その為に邪魔をする人間種共は、魔物によって潰され食われ、切り裂かれるだけだ。
脅威と言えば脅威だろう。人間種は魔物には手を焼く。タイランからすれば子猫程度の魔物も、人間の冒険者や騎士は集団でなんとか一頭倒せるかどうか、犠牲者が出ることが前提で、というもの。百を軽く超える数の魔物の群れを、どうにか出来る戦力がこの街にあるとは思えない。
全く。別段、こんな街を見捨てても構わないだろう。
イヴェッタお嬢さまは気に入られたようだが、人間種の街なんぞロクなものじゃない。タイランは人間を嫌悪していた。いや、スピア家の人間、イヴェッタだけではなくあの屋敷にいる人間たちはいくらかマシだ。伯爵夫妻のあの底抜けの人の良さなど、タイランは好ましいとさえ思っている。
イヴェッタお嬢さま、と口の中で呟き、タイランは目を細めた。
どうにも情が湧いたらしい。己だけではない。イーサンもだ。七体目となる竜の器。伯爵夫人の腹の中にいるのはわかっていた。だから始末しようと家に入り込んで、ついうっかり、伯爵夫妻があまりに無欲で善良に過ぎたので、あの二人が赤ん坊を失って嘆き悲しむ姿は、あまり見たくないな、と思ってしまった。それがいけなかったのだろう。
生まれてから、乳飲み子、よちよちと歩く、あの竜の器を、それはもう間近で見守り続けてしまった。愛らしいといえばこれほど愛らしい子どももなかった。神に愛されているから、などというつまらない理由ではない。あの無欲な夫婦の間に生まれた無邪気な子ども。愛され慈しまれた存在が、世界の嫌われ者の自分とイーサンに笑いかけてくるのだ。これはもう、たまらない。
気付けばイーサンは、何を血迷ったのか「俺の番にする」などと決め込んだ。傲慢で孵化した黒竜程の者が何をほざくのかと呆れた。殺せないなら竜にしないよう監視し続けようと決めた矢先のことである。
「街が滅びれば、お嬢さまが悲しまれる、か」
「え?」
「愚息の考えそうなことだ」
ちょっと目を離した隙に、あの厄介なギュスタヴィアと婚姻を結んでしまったお嬢さまのことをタイランは思い返す。人の世の法に縛らせるなら、前の婚約がまだ生きているので無効だろうけれど、あのギュスタヴィアがそんな道理に従うとも思えない。
「う、うわぁ!!タイランさん、見て!すごいや……あれが“竜の息吹”?」
黒竜の咆哮、その後に、地上に落ちる炎。壁の外に張り付いていた魔物たちは瞬時に消し炭となっていった。人間たちの歓声が上がる。都合の良いこと。何が起きているのかロクにわかりもしないくせに、黒竜が自分達の敵を都合よく葬ってくれたので、味方なのだと信じ切っている。
タイランは自分なら、壁の上に立つ兵士もろとも薙ぎ払っただろうと思う。が、黒竜はそのようなことはしないだろう。
竜に憧れる、瞳をキラキラと輝かせた少年が、高所からじっと、ずっと、自分を見ていると知っているのだ。落胆させる、怯えさせるようなことはすまい。
「凄いね、イーサンさん。かっこいいや」
そんな竜の心など、この少年は知らないだろうと苦笑しているタイランに、ゼルの声がかかる。
「……」
「うん、そうでしょう。あの竜、イーサンさんなんだね」
「賢しい事だ。それはイヴェッタお嬢さまからの贈り物だな」
出会った当初、イーサンも問うていたことの筈。まがい物の真珠ブローチの事ではない。奪われるのみだった幼い無力な子どもに、生き残れるようにと神々の祝福。小賢しいと、タイランは贈った神々を忌々しく思うが、それを得たゼルに対して暗い感情は抱かない。
「ところで小僧。その賢さで、一つ考えてくれないか」
「?なにを?」
「どうも、愚息が懸想しているイヴェッタお嬢さまがな。悪い男に誑かされたご様子。どうにか引き離せないものかな」
街は問題ない。ちょっとした破壊は、全滅よりマシだろうと判断する賢明さを、この街が持てばいい。タイランは、それならば今自分達が解決すべき最も重要な問題について、この賢い少年の助言を求めようと問いかけた。
「え?イヴェッタさんが?え?なんで?悪い男って……クレメンスさん、じゃないよね……他に……まさか、あのバルトルさんとか……」
なんで冒険者の資格を得るためにちょっと別行動していた筈のイヴェッタさんがそんなことになっているのだろうか。さすがのゼルも考えが纏まらない。が、単純な問題として扱えば、答えは一つだ。
「よくわからないけど、そんなの、姉さんが反対したら解決するでしょ?」
イヴェッタさんは姉さんが大好きなんだし、ついでにぼくも反対するよ、と言うと、タイランが笑った。
呵々、と、この辺りの人間にはなじみのない笑い方で、バン、とゼルの背を叩き、ひょいっと抱きかかえ移動を始めた。
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更新するたびにマジでブックマークが……100人くらいへるので…多分、期待した展開じゃないんだろうなと申し訳なく思っていますが、それでもまだ見てくれているひとがいらっしゃるので……がんばります。
それはそれとしてギュスタヴィア様、敵しかいないね??





