28、親友
混乱と絶望が、クレメンスの心を渦巻いていた。心をぐちゃぐちゃにかき乱したその感情は脳を侵略しそのまま手足、指の先に至るまでクレメンスを犯していく。
「あぁ……バルトル!!」
膝から崩れ落ち、クレメンスは喉から絞り出すようなうめき声を上げた。
部下が知らせた友の死!
疑いたかった。信じたくなかった。拒絶したかった。が、そうはさせてくれない残酷な実感が確かに彼の頭にはあった。目の前で優しく微笑む美しい貴族の令嬢。どこか得体の知れない恐ろしさのある彼女の存在が「あぁ、そうなのか」と、思い知らせてくる。
(きみのいない世界で、私はどう生きればいい!)
この街でただ一人の、自分の理解者!
幼いころ、バルトルが差し伸べてくれた手を、その時の言葉を、クレメンスはずっと心に、大切な宝物のように抱いてきた。
『よし、じゃあ、おれが守ってやる。おれの子分にしてやるよ』
クレメンスは貴族の子だった。ルゴの街の領主になることが決まっている、長子。物心ついてから、全ての責任と義務を教え込まれてきた。偉大なる父、美しい母はいずれ老いていく。領民を何もかもから守るためにクレメンスは人生を捧げるのだと、そのために生まれてきたのだと、そう理解させられた。
嫌なわけではない。クレメンスは街の人々が好きだった。彼らが笑顔でいるために自分が努力することは嫌ではなかった。
が、寂しかった。孤独だった。辛かった。
そんなクレメンスに、バルトルは言ってくれた。『おれがお前を守ってやるよ』と。
どんなに、どんなに素敵な言葉だっただろうか。
そんなことは受け入れてはいけないと、自分にとってはバルトルも庇護する対象だと、一生懸命に、クレメンスが人生を捧げる何もかもの中に入れる存在であるとわかりながら、その言葉は美しかった。
クレメンスにとって、バルトルは憧れる自由そのものだった。身分に縛られず誰にも平等に接し、それが何か問題を発生させることはない。商人の家に生まれ、様々な人々と交流があり、彼自身勇敢で人に関わることを躊躇しない。
領主の息子である自分に対しても、対等の笑顔を向け接してくれる。
「バルトル、きみはお父上の後を継がないのかい?」
「親父の仕事は尊敬するしこの街にとっても重要なものだが……おれは冒険者になりたいんだ!」
青年期になり、てっきりバルトルは父上の後を継ぐのだと思っていた。商会の人間たちはバルトルを『若旦那』と呼び、バルトルも父の片腕として店に貢献していた。明るく他人に好かれるバルトルは商人に向いていた。
しかしバルトルは冒険者になると言った。クレメンスからすれば信じられないことだ。冒険者というのは、命を捨てるようなもの。騎士たちのように誇りがあるわけでもなく、欲望のままにあちこち移動し土地を荒らしまわるならず者だとクレメンスは父から教えられていたし、自分もそうだと思っていた。
「バルトルは……きみは……この街から、出て行きたいの?」
折角裕福な家の跡取り息子であるのに、それを放棄するのか。いつ死ぬかもわからないような生き方を選ぶのかと、クレメンスは必死に止めたかった。浅はかな者が「冒険者」という無法者を「自由の象徴だ」と憧れる愚かな話を知っていた。バルトルはそんな愚物ではないが、若く正直な気質のバルトルを商会に出入りする冒険者が唆したのかもしれない。
「まさか!俺はお前とこの街を守るために冒険者になるのさ!」
だがバルトルは、クレメンスとは違う目で冒険者を見ていた。
確かに、ただの冒険者というのはならず者のようなものだ。だがそれをまとめる組織がこの国、いや、各国、国境に縛られず存在する。
「この街に冒険者組合を置かせる。大きな街だ。その資格は十分にある。冒険者の出入りがあれば今以上に栄える」
「……それは、父が許さないよ。冒険者組合は、言うなれば領主の命令に従わない武装集団だ。傭兵たちともまた違う」
ルゴの街に冒険者組合が置かれないのは、父ケレメンが領主の指揮下にある騎士団や兵士たちと異なる勢力を認めなかったためだ。
「だが必要な力だ。この街は他国から最も近く、また遺跡が近くに存在する所為か魔物も出没しやすい。傭兵を金で雇い続けるより、望んで魔物と戦い別口から支払いが行われる勢力はあった方がいい」
「……でも、」
「冒険者組合の総本部だって、この街に支部を置きたいって打診は何度もしてるんだろ?」
「うん、それは……そうだよ」
「俺には金がある。支部を作るためのかかりの一切はうちの商会が持つ、その代わり、俺を組合長にしてくれと持ち掛ければ、良い所のボンボンが冒険に憧れてるやら、出世欲だのなんだのあっちが勝手に解釈してくれるさ」
その辺り、バルトルはきっと抜かりなくやるだろう。『自分が商人の息子だから、外に出て、本当の意味での冒険者という素晴らしい仕事に就くことはできないだろうが、せめてこの街の人々に冒険者という夢と希望のある存在を知ってほしい』などと嘯くつもりだと笑って言っていて、クレメンスは大人相手にそんな企みをするバルトルを凄いと思った。そんなに簡単にいくだろうか、とも思ったが、バルトルなら上手くやるのだ。そういう男だとクレメンスは知っていた。
「でも……」
「俺の親父はこの街を豊かにした。だが、俺は親父と同じ方法でこの街を守りたいわけじゃない。これが俺の考えた俺の方法だ。お前はどうだ?クレメンス。お前は、ケレメン様と同じやり方で生きていくのか?」
どきり、とした。心臓を貫かれるような衝撃だった。
いつだってバルトルの言葉はクレメンスの感情をただの「大人しく物わかりの良い子」から、一人の男にしてくれる。
「……わ、私は」
「俺は必ずこの街に冒険者組合を作る。お前は、俺と一緒に“父親”を超えてくれるか?」
一緒に。
キラキラとした言葉がクレメンスの胸に突き刺さった。バルトルは、自分のような者を対等だと思ってくれている。そして今、バルトルと共に、この街の為に一緒に、偉大な父と戦おうと言ってくれている。
嬉しかった。
あぁ、そうだ。きっと、君となら、何もかもうまく行くだろう。
クレメンスは顔を輝かせた。共に、自分達の「親の仕事を継ぐ子ども」という運命から、自分達の力で、より良い未来をつかみ取ろう。
「あぁ。バルトル、もちろんだ」
クレメンスはバルトルに手を差し伸べる。いつだったか、子供の時に差し伸べてくれた手を、自分は掴めなかった。だから今度は自分から手を伸ばす。当然のように、バルトルは手を取ってくれた。嬉しくて、クレメンスは破顔する。
そしてクレメンスは必死で父親を説得した。街に冒険者組合を置く事。当然父は反対し、クレメンスを怒鳴った。領主の指示に従わぬ勢力を街に置くことの危険性を説いた。ただでさえ、神殿がこの街にはあった。神殿は領主よりも強い力を持っている。ケレメンはそれを快く思っておらず、神殿が置かれるほど街が栄えている証明だとしても、可能ならいつでも神官たちを追い出したいと考えていた。
だがクレメンスは諦めなかった。普段であれば、父に反対されれば大人しく従ってきた貴族の子は、必死に父に、冒険者組合を置く利点を説いた。バルトルと共に考えたことだった。自分ひとりでは思いつかなかった数々の利点、交流・利益・防衛面の強化、父の書斎で何度も話をした。
「……お前がそこまで言うのであれば、良いだろう。だが、一つ、条件がある」
三年目、やっとケレメンが折れた。クレメンスは大喜びをして、その報告をバルトルにした。共に喜び、クレメンスはバルトルと朝まで飲んだ。二人っきりでバルトルの部屋で、浴びるように酒を飲んだ。
バルトルはクレメンスに「本当に、よくやってくれた」「お前ならきっとやってくれると信じていた」と何度も労ってくれた。嬉しかった。
だが。
「君は親友だし、メロディナ嬢はとても愛らしい方だと思うけど……」
バルトルはほどなくして、クレメンスに妹のメロディナを娶らないかと提案してきた。
親友の妹のメロディナは愛らしい少女だった。何度か話をしたこともあるし、バルトルと共に食事に招いたこともある。
彼女を妻に。つまり、領主夫人に。
クレメンスは、その提案だけは、受け入れることができなかった。
「なぜだ?悪くない話だろ。マーカス商会と領主の家が結びつけばこの街はもっと栄える」
それは、確かにそうだ。
それは、そうだった。だが、それはあくまで、このルゴの街の中だけのことだ。
クレメンスは、この瞬間ほど、バルトルという男が自分とは違う。違う、身分の生まれなのだと実感した事はない。
わからないのだ。平民には。わからない。
クレメンスは、貴族だった。領主というのは、貴族がなる。貴族の義務は、土地と民を守ること、と、その程度はバルトルもわかっている。わかっていて「俺にもできる」と、そう、考えているのが、クレメンスにはわかった。
個人的に、クレメンスはメロディナの性質が得意ではなかった。あの他人を自分の養分にすることしか考えていなさそうな態度は、好ましくはなかった。だが、それが断る理由ではない。
メロディナは貴族ではない。ただこの、辺境の小さな街の、少し裕福な商家の娘だ。
クレメンスの母シンシアは中央から父に嫁いだ貴族の娘だった。夜会で出会ったケレメンに一目ぼれをして、無理を言って嫁いできたと、クレメンスの母親は今でも優しく話す。煌びやかな中央より、地味だが父のいるこの街が好きだと母は語る。が、領主夫人として、母は大半を中央で暮らさなければならなかった。
国境沿いの街を預かる領主は殆ど街を離れる事が出来ず、その代理人として夫人が中央で他の貴族たちとの社交を行わねばならず、夫人の社交センスがルゴの街への支援の大小を決める。
シンシアは夫が侮られることが無いよう、常に貴婦人たちの尊敬を集められる存在であろうと努めた。そのお陰で、ルゴの街は他の街との交易が盛んに行えるようになり、街の商家が大きくなった。
領主の妻になる女性は、そういった、貴族社会を立ち回る事の出来る貴族の教育を受けた貴族令嬢でなければならない。嫁ぎ先とは別の力を持つ“貴族の実家”のある娘でなければならない。
「婚姻関係など結ばなくても、私と君の間にある友情があればそれでいいじゃないか」
だが、クレメンスはそれを伝えられなかった。平民だから無理だ、とは言えなかった。
言えばこの、自分とバルトルの間にある友情が消えてしまう。それを、クレメンスは恐れていた。
**
「……美しい人よ、あなたが……あなたが、我が友を……?」
クレメンスは自分を見下ろす貴族の令嬢を、茫然と見上げる。彼女に出会ったとき、クレメンスはこの美しい娘を自分が妻にしようとしていると、そんな噂が流れてくれればバルトルはメロディナとのことを諦めてくれると考えた。
だからあえて、人の目につくように振る舞い、周囲が誤解するのを黙ってみていた。
育ちの良さと気品が溢れる、一目でわかる令嬢。バルトルも、彼女をみれば理解できるだろう。貴族の娘というのは、ただ贅沢に着飾り美しいだけではだめなのだと。
クレメンスは困っている様子のイヴェッタに手を差し伸べた。自分に好意を持つように。
「あぁ、そういえば……ご友人、とおっしゃっていましたね。素敵ですね。ご友人、かけがえのないものだとわたくしも思います」
「……」
「ですが……わたくしも、困ります。ご友人の方はわたくしや、他のひとを“悪役”にしようとしたのですよ?困ります。嫌です。わたくし、今度はちゃんと“嫌”って言おうと思いました。それで、思ったんです。思い通りの悪役が、ちゃんと悪役になってくれなかった場合って、どうなるのかしらって」
そこで初めてクレメンスはバルトルの補佐がイヴェッタを聖女だと主張し、それをメロディナが必死に否定し回っていることを知った、わけではない。
知ってはいた。ルゴの街に降った奇跡のことで対応に追われていたクレメンスの耳にも、その話は入ってきていた。メロディナを聖女だと主張する神殿側がメロディナを妻にすべきだと言ってきた、その、対抗材料になると、そう、思ったので、放置した。
その結果が、これなのか。





