29、少年の日の終わり
煙が、ゼルの放り込まれた牢まで流れ込んできた。
痛む体をごろりと、仰向けにする。冷たい石の床。牢のようにも見える。冒険者組合の建物だろうから、何かを閉じ込めておく場所らしい。
ゼルの他に閉じ込められている者はおらず、見張りもない。子ども一人どうにかすることができるような作りではないからだろう。窓もない。地下らしかった。
上の階が何やら騒がしいことは感じていたけれど、一度か二度、大きな振動。そして、人の叫び声がしてから、煙が入ってきた。
誰かがこの建物に火をつけたのか、あるいはどこかで火事が起きて、巻き込まれたのか。
姉は、生き残れただろうか。
殴られた顔や体のあちこちが痛い。熱を持ち、ずきずきと傷み、ゼルの思考を妨げた。ただ、こういうことは慣れているから、いつもの通りゼルは「どうってことないや」と、そう嘯いた。
いつだってそうだった。自分達はいつだって、人が当たり前に持っている物を持っておらず、人が当たり前に得られる物も得られない。
(神様はいるけど、ぼくらを顧みはしない。そんなの、あたりまえじゃないか)
いつだってそうだった。望みは叶わない。得られない。ただ、ゼルは、勘違いしてしまった。イヴェッタが、あのいつも優し気に微笑んでいる白い肌の、苦労なんてこれっぽっちも感じたことのない世界で生きてきたようなひとが、自分や姉と同じ物を見て笑って、食べて喜んだから、勘違いしてしまった。
値踏みもせず、見下しもせず、イヴェッタのようなひとが自分たちに笑いかけてくれたから、自分達だって「良い事がある」のだと。きっとこれからは、良い事ばかりが起きるようになるのだと、そんな風に思ってしまった。
(姉さん)
ゼルは自分達が、自分達にとっては重要ではない何かによって無意味に殺されるのだと理解した。いつものように、これまで何度も、ゼルと姉が味わってきたように、ただ黙って殴られ罵倒され奪われ終えるのを待つしかできなかったが、命を奪われればもう何もない。
神さまはいるのに、自分達を救ってはくれない。その事実、その実感は、別段ゼルを打ちのめしはしなかった。落胆、はした。が、それは「だよね」という感情を、あえて何かしらの名前を付けるとすれば、そう表現するのが一番近いというだけで、次点で「納得」なのだから、それはやはり、さしてショック、というわけでもないのだ。
だから、ゼルは思考した。
待っていても、自分達のような者に良い事はやってこない。だから、上手くやらないとならない。
(イヴェッタさんが、街に戻れば必ず姉さんとぼくを探してくれる。姉さんに騒ぎを起こさせれば、目立つ。イヴェッタさんに会えさえすれば、姉さんは生き延びられる)
自分達には見向きもしない神さまたちは、イヴェッタのためならなんでもしてくれるのだ。ゼルという少年は自分が神に祈っても応えてくれないことに、他の人間が感じるような「不公平だ!」「ずるい!」という感情を抱かなかった。
彼にとっては他人が自分より恵まれている事は当然のことで、金持ちに生まれた子どもが本人の努力や才能に関係なしに金銭面で恵まれるのを羨んだところでどうしようもないように、神がイヴェッタだけを愛しているという事実も、ゼルにとってはさしたる問題ではない。
姉が生き延びてくれたらいい。イヴェッタと合流できれば、きっと今後、姉にはきっと、良い事ばかりが起きるのだ。ゼルはそれを想像するだけで、体中の痛みも苦しさも気にならないほど幸せな気持ちになれた。
ただ一つ、残念なのは竜を見ずに終わってしまうことだ。ゼルはイヴェッタの幸運の側にいれば、不可能だと周囲に笑われた自分の夢もあっさり叶ってくれるんじゃないかと思った。竜。竜、実際の竜はどんな姿をしているのだろう。どんな色をしているのだろう。どれほど大きいのだろう。
(残念だったなぁ)
煙を出来るだけ吸わないようにと再びうつ伏せになり、部屋の隅の窪みに向かう。足は折れていた。一体外では何が起きているのだろう。ゼルをここに閉じ込めたバルトルや、その部下がゼルの存在を思い出して助け出しに来てくれない限り、どうしようもない。叫べば誰か助けに来てくれるだろうか。建物が燃えているのなら、誰もがそれどころではないだろうから、無理だろうなとゼルは諦めている。姉以外、誰も自分の事を気にかけてはくれやしないのだ。
「ごほっ……ごほっ」
出来るだけ吸わないようにしたところで、地下牢が煙でいっぱいになれば無意味なことだ。ゼルは咳をし、呻く。炎は来ていないから、煙で意識を失ってから焼かれて死ぬのなら、まだマシなんだろうか。考えて「思ったよりマシな最後かも」とゼルは納得した。
「小僧、お前は運が良い」
沈む意識。霞む視界。最後に姉の名を呼んだゼルが何もかもを放棄しかけた時、ひょいっと、ゼルの体は抱き上げられた。
「……タイランさん?」
いつの間にか、物音を聞き逃したのか、どういうわけか、きっちりと身なりを整えた老人が、不釣り合いにもかび臭い牢屋の中に立っていた。
イヴェッタの執事だというタイランだ。タイランはこの充満している煙を全く気にした様子も影響を受けている様子もなく、口元に皮肉めいた笑みを浮かべてゼルを見下ろしている。灰色の瞳は面白げに細められ、爬虫類が自分を丸のみにしようと大きさを確認しているような居心地の悪さを感じた。
「息子がお前を気にかけてな。絶対に死なせるなと泣きついてきおったわ」
「……多分、泣きついてはいないと思うけど……」
「それにイヴェッタお嬢さまもお前が無事であればお喜びになるだろう」
「どうかな。イヴェッタさんは姉さんのおまけでぼくのことを気に入ってくれてるだけだし」
タイランがゼルの額、首、頬に軽く触れると息苦しさが消えた。煙の中であるのに、普通に呼吸が出来た。ゼルの呼吸を確認すると、タイランは牢から出て歩き出す。
「体の怪我はお嬢さまに治して頂け。その方が都合が良い」
「タイランさん、姉さんは……」
「無事だ」
その答えにほっとする。タイランがイヴェッタの側を離れて姉の安否を知らない可能性もあったが、口調は断言しているものだった。
「よかった。イヴェッタさん、姉さんを助けてくれたんだね」
「……己の姉に、随分と酷なことをさせたな」
タイランはゼルの口ぶりから、この幼い貧弱な子どもが何を他人に望み仕掛けたのか察したようだった。吐いた言葉は責めるためのものではない。タイランはゼルが姉を生かす企みの中にゼル自身の命を優先しなかった事もわかった。広場の人間を無差別に襲わせたし、この街の人間に恐怖をばら撒きはしたものの、タイランは倫理観や道徳心は持ち合わせていない。言葉とは裏腹に「よくやったな」とゼルの頭を撫でてやりたくさえあった。
階段を上がればすぐに一階に出たが、そこは火の海だった。あちこちで倒れている人がいる。ゼルは助けようとしたが、タイランは「手遅れだ」と言った。煙で、ではない。確かに、見れば切られたような痕があり、倒れている人たちは皆血を流していた。
「……外は、どうなってるの?」
「どこぞの馬鹿がこの建物に火をつけた。まぁ、それは「ついで」のようなものだろうな。本命は少しばかり厄介だ」
「……と、いうと?」
空に槍が降ろうが天が落ちようが「イヴェッタお嬢さまが微笑んでいらっしゃるなら良し」というようなタイランが「厄介だ」という状況。ゼルは思わず身構えた。
「小僧、お前は魔法道具の中に魔物を呼び寄せる類の物があることは知っているか」
「え、う、うん。罠系の道具だよね。一か所に集中させて倒すためとか、街から離れたところで発動させて被害を減らすためとか……」
規模は大小さまざまだが、冒険者が遺跡や迷宮で使用して目当ての魔物を狩るのに使ったりもするとゼルは自分の知識を思い出す。
「この街の冒険者組合が所有しているその魔法道具、それらが全て発動した。ここでな」
冒険者組合は、街の比較的中心部にある。
「え」
「火はどうだ?熱くはないか。どこか燃えていたら早目に言え」
「だ、大丈夫だけど……」
炎の中を、ひょいひょいっと、タイランは歩く。柱や上の階の残骸が降り、崩れ落ちてくるものの、タイランが腕を振るとそれらは霧散する。
「は、発動したって……ま、待ってよ、タイランさん、それって……それじゃあ、え……」
「この街の中心部に向かって大量の魔物が押し寄せている。既に門の1つや2つは破られているようだな。まぁ、先のイヴェッタお嬢さまの奇跡で重度の怪我人や病人はいない筈だ。避難も戦闘も適当にやれるだろう」
タイランは他人事のように言う。実際他人事だった。タイランはゼルを保護し、イヴェッタの元に送り届けることしか考えていない。
燃える建物から出ると、混乱する街の惨状がゼルの前に広がった。
まだ魔物の姿はない。だが遠くから人の叫び声。それらに怯え、逃げまどう街の人々がゼルたちの前を走り去っていく。街の上空にはいくつもの煙が上がっていた。
「っ、イヴェッタさんは……!!」
「あの方の“奇跡”を利用しようなどと浅ましいことを考えるなよ、小僧」
「でも!こんなの……黙って見てるわけにはいかないよ!」
ゼルはイヴェッタの元に早く行かねばならないと焦った。大量の魔物、がどのくらいなのか、どれほどの強さなのかわからない。が、遠くから聞こえてくるのは魔物の断末魔ではなく、人のものだけだ。騎士団や、この街にいる冒険者たちがうまく立ち回れていないのだ。
「それでも黙って見ていろ。イヴェッタお嬢さまはお前の凶器ではない」
上手くやれるなどと自信を付けるなと、タイランは釘を刺した。
「そもそも、神になど祈るものじゃない。持たざる者から根こそぎ奪い、それでも足りないと嘆くような糞共に縋りついて連中を気持ちよくさせてやる必要などないわ」
「く、糞共って……」
なんとなく無神論者だろうなぁとは思っていたが、隠す気もないその堂々とした罵倒にゼルは顔を引き攣らせる。
タイランはクイッ、と顎で空を指した。ゼルに上を向くように、という指示だ。反射的にゼルも上を向き、目を見開く。
空を、飛ぶ。姿。
ゼルの上に影が落ちる。大きく、大きく、大きな、姿。
「それに、どの道、あれが出る。どうにでも、なるだろう」
ルゴの街の上空に、大きな黒い竜が、現れた。
飛べ、飛べ飛べガッ○ャマン~(/・ω・)/
行け、行け行けガッ○ャマン~(/・ω・)/





