2、ルゴの街②
街を歩くという経験は、実の所イヴェッタには初めてのことだった。
貴族の娘というものは移動の際は馬車を使う。ダンス用のものは別として、履いている靴にしても長時間歩くことを想定した作りではなく、歩く必要のない身分の者が履く靴はゴテゴテとした飾りが付けられ、身分が令嬢の靴など宝石が付いていることも珍しくない。
旅装束のイヴェッタは、靴も当然履きやすく歩きやすい長靴を使用している。移動の多くは愛馬にまたがっているが、街の中を馬に乗っていると目立つ。親切な申し出をしてくれたクレメンスに案内され、イヴェッタたちは徒歩で彼の家まで向かうことになった。
「まぁ。あれはなにかしら」
「何って、屋台だろ?珍しい?よし、ちょっと見ていこうか?」
「姉さん、寄り道したらクレメンスさんに悪いよ」
きょろきょろと辺りを見渡すイヴェッタを、はしたないと咎める者はいない。ダーウェからすれば街の中の風景というのは当たり前のものばかりだ。ルゴの街は、少し規模が大きめではあるものの、他国の王都で暮らしていたイヴェッタからすれば退屈ではないのかと思っていた。
「構いませんよ。あぁ、そうだ。どこかでお茶でもしましょうか。うん、それがいい。良い店があるのですよ、ぜひ美しいあなたに、」
「あ!ほら、イヴェッタ!あそこにパイナップルの串焼きが売ってるよ!ゼルがあれにはちみつをたっぷりかけたやつが好きなんだ!ゼル、買って来てやるよ!」
「まぁ!南国の食べ物ね!」
にこやかな笑みを浮かべたクレメンスが、さりげなくイヴェッタの腰に手を回してエスコートしようとしたが、するり、とダーウェがイヴェッタの手を引く。
大通りに並ぶ屋台に大はしゃぎの女性二人に、ゼルが申し訳なさそうに頭を下げた。
「その、ごめんなさい。姉さんはその、自由っていうか、イヴェッタさんはその、おっとりしてるっていうか」
「女性の笑顔程、私の心を華やかに彩るものはないよ。ゼルくん」
「良い人だ……!」
ますますゼルは申し訳なくなった。その間にダーウェとイヴェッタは屋台の前にたどり着いて、愛想のいい中年女性と話をする。
「おばちゃん、一本おくれよ。はちみつをたっぷりかけてね」
「あいよ。一本で足りるのかい?」
「アタシじゃなくて弟にやるのさ。一番大きいのにしてくれよ。アタシらこの街に来たばっかりでね。弟にここは良い街だって思って貰いたいじゃないか」
「そりゃそうだ。あんた良い子だねぇ。そっちの‥…顔の、やけに綺麗な……おたくらどういう関係だい?」
屋台の女性はダーウェと楽し気に話していたが、その少し後ろにいるイヴェッタに顔を向けると、眉を顰める。イヴェッタは街に入る際に、泥だらけの顔では失礼だろうと身綺麗にしている。身分証が無かったのでダーウェが「その顔で門番のやつらが絆されちゃくれないかねぇ」と目論んでいたのもある。
女性は見るからに冒険者という風体のダーウェと、着ている物こそ汚れているがどう見ても貴族のお嬢さんにしか見えないイヴェッタとを見比べて、何か家出でもしてきたわけありの子ではないのかと心配した。
「彼女は私の客なんだよ。ラルチェおばさん」
「あらっ!これは、ぼっちゃん!ちょっと見ないうちにすっかりいい男になってまぁ!」
ひょいっと、クレメンスが顔を出すと女性は途端に破顔した。
「ぼっちゃんのお客さん、へぇ!こんなにきれいな子を!そりゃあいいねぇ!あたしは厭味ったらしいあの女がぼっちゃんと一緒になったらどうしようかと気を揉んでいたんだよ!」
屋台の女ラルチェは何か勘違いをしているようだったが、クレメンスは何も言わずにこにこと微笑んでいた。イヴェッタが自分はただの旅人だと言おうとしたのを遮り、「しー」と口元に人差し指を当ててウィンクする。
「あ、そうだそうだ。それで、一本だったね」
「ラルチェおばさん、あと追加で三本貰えるかな? 支払いはこれで。一本は串に刺さないで何か器に小さく切って入れてくれると助かるよ」
「なるほどね。わかったよ、ちょっと待っておくれ」
「おいおい、クレメンスさんよ。アタシらの分まで奢ってくれるのか?」
懐から銀貨を取り出したクレメンスに、ダーウェが困惑する。
「屋台で売っちゃいるが、そう安いもんじゃないよ」
パイナップルは他国の、それも遠い国の食べ物だ。希少というわけではなく、ダーウェのような庶民でも何度か口にしたことがあるくらいには一般的だが、それでもパイナップル一本で白いパンが五つは買える。イヴェッタに親切にするのはわかるが、自分たち姉弟に親切にしたってなんの得もないだろうとダーウェが困惑していると、クレメンスは首を傾げた。
「みんなで食べた方が美味しいじゃないか」
「そりゃ、あ~……うん。そうなんだけどよ」
「クレメンスさん、ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
ぽりぽりと頭を掻くダーウェはまだ納得しきれない。しかしイヴェッタとゼルが礼を言うので、自分もそれに倣った。
「さぁ、どうぞ。ラルチェおばさんの所の焼きパイナップルはとても美味しいです。気に入って頂けると嬉しいのですが」
ラルチェは主人がパイナップルを焼いている間に少し先のガラス細工を売ってる店に行って「ぼっちゃんの客なんだよ!すごい綺麗な子だよ!」とはしゃいで伝えると、店主の女将が同じくらい大はしゃぎして美しいガラス細工の器を出した。
そんなことをクレメンスとイヴェッタは知る由もないが、差し出された果物にイヴェッタは物珍し気な視線をやって、楊枝を使ってパイナップルを食べる。
「まぁ、美味しい」
「それはなによりです」
焼きパイナップル、というのは、その名の通りパイナップルを焼いたものである。串に刺せるように長方形に切って、それを網で焼く。それに砂糖やはちみつをかけて食べる。暑い今の時期には大変人気のあるもので、多少高価でも売れるため屋台で扱う店もあるらしい。
噛むと口の中にじゅわっとジュースのように果汁があふれ出す。焼いているため甘さが増しているが、パイナップル本来の独特の酸っぱさも残っている。
「美味しい」
「なぁ、イヴェッタ。そうやってチマチマ食うのもいいけどさ、こういうのはこう、ガッて食ったほうが通なんだよ」
よほど口に合ったのか、何度も頷きながら食べているイヴェッタにダーウェが話しかけた。屋台の作法というのがあるんだ、と真面目に言うと、イヴェッタも神妙な顔でそれを聞く。
「屋台の、お作法」
「いやいや姉さん、姉さん。何吹き込んでるの」
「なるほど、確かにそういう考え方もありますね。すいません、レディ、余計なことをしてしまいました」
「クレメンスさんまで!?えぇえ!!?」
そういうわけで、次の店ではお上品とは一旦距離を置いて、ダーウェに屋台の作法を教えてもらおう、という事になった。しかし、小食なイヴェッタは次がお腹に入るだろうかとやや不安げである。
「なぁに、こうして歩いてりゃそのうちまた腹も空いてくるさ。あっ、ほら、あっちに綺麗な髪飾りとか売ってるよ。イヴェッタ、あんたあぁいうのが似合いそうだねぇ」
ゆっくり歩くイヴェッタに待ちきれないのか、ダーウェは先に行ってしまう。それを追いかけようとして、イヴェッタは少し躓いたが転ぶ前にクレメンスがそれを受け止める。
「っ、あ。すいません」
「驚きました」
「はい?」
「先ほど、軽く踊った際も思ったのですが、レディはとても軽いですね、もしや羽でも生えていらっしゃるのかと背中を見る無作法を致しました」
イヴェッタは内心、なぜ初対面のこの青年は二言目には女性を口説くようなセリフを吐くのだろうかと疑問だった。そういう性質なのかもしれない。その優しさは助かっているけれど、なぜここまで見ず知らずの自分に親切にするのか。
「……この街は、見たところとても活気がありますが……怪我をされている方が多いように感じますね」
そういえば、と話題を変えるようにイヴェッタは周囲を見渡しながら言った。先ほどの屋台にしても、焼いている主人は片足が失われている。それであるので、表に奥方が出ていたのだろう。見れば路地の間には、動けずにじっとしている負傷兵らしい者、あちこちの建物に破壊されたような跡が残っていた。
「この街は、国境に一番近い街ですから。他国から攻められた際は真っ先に襲われるのです」
立派な壁や堀、強固な門はあるものの、つい二か月前にも隣国との小競り合いがあったとクレメンスは言う。
「……」
その隣国とは、イヴェッタのいたルイーダだろうか。隣接している国は他に二つあるが、その可能性もある。イヴェッタは何も答えられず黙った。
「あぁ、そうだ。レディは冒険者組合での登録を希望されていましたね。今すぐの登録は難しいかと思いますが、折角ですから寄ってみますか?」
自分で振った話であるのに、気を遣わせてしまった。イヴェッタは感謝するようにクレメンスに微笑み、頷く。
「えぇ、もし、よければ」
「もちろんです。あの組合には私の幼馴染もおりますので」
「おーい!イヴェッタ、何してるんだよ!早く来いよ!」
次の行き先が決まったのだが、髪飾りを見ていたダーウェは二人がまだ来ないので辛抱溜まらず声を上げる。
「ほら、このキラキラ光るやつ。良い色だろ」
と、ダーウェが指さしたのは真珠が連なるバレッタだ。もちろん本物ではなく作り物の真珠だが、太陽の光を浴びて輝き、上質な布の上に置かれた髪飾りはとても美しい。
「いいだろ、ほら。似合うって、きっとさ」
せかされてイヴェッタは髪飾りを見るが、自分よりもこれはダーウェに似合うと思った。ひょいっと手に取って、少し背伸びをしてダーウェの耳の少し上の方に掲げる。
「お、おい?」
「あぁ、ほら、やっぱり。私より、あなたの方が似合うわよ」
白はダーウェの明るい髪によく映える。合わせてみて、自分の目に間違いはないと微笑むと、ダーウェが顔を真っ赤にさせた。
「はっ……、はぁ!?な、なに言って……あ、アタシにこんなかわいいのが似合うわけねぇだろ!」
「そんなことないわよ。ねぇ、ゼル」
「うん、僕もそれはとっても、姉さんに似合ってると思う」
短く刈った髪だから、こういう髪飾りが似合う。イヴェッタは真っ赤になってうろたえるダーウェが可愛らしく、ゼルと一緒になってにこにこと微笑んだ。
そしてイヴェッタは髪飾りが並んでいる布に目を落とし、そこからもう一つ真珠のブローチを手に取って、店主に二つの金額を聞く。偽物だからか、それほど高くはなかった。一応本物はないのかと聞いてみたが、「あったらこんなところで売ってねぇさ」と笑われた。
「ダーウェとゼルに。これ」
イヴェッタは料金を支払い、はい、と二人に手渡す。
「魔法石ではないから、護符にはならないだろうけれど……」
どうか二人をお守りください、と心の中でこっそりお願いをした。ただの石だから何か特別な効果があるわけでもなく、高価な品でもないが二人はそんなことは気にしないとわかっていた。
「こ、こんなかわいいの……あたしが付けたら、おかしいだろ?」
「そんなことないわ。私が付けて欲しいの。ダメ?」
「~~~あーもう!しょーがねぇな!」
耳まで真っ赤にしながら、ダーウェはイヴェッタから受け取ったバレッタを髪につける。そわそわと落ち着かなそうに、視線があちこちに彷徨うが、意を決したのかちらり、とイヴェッタを見て呟く。
「……ど、どうよ」
まさか今その場でつけてもらえるとは思わなかったイヴェッタは、ぱぁっ、と顔を輝かせた。
「はい、とっても、似合っているわ!ありがとう、ダーウェ!」
「っ、お、おい、抱き着くなって!バカッ!もう、ゼルも笑ってるんじゃないよ!」
「あははは、姉さん、真っ赤なんだもん!」
はしゃぐ三人。通行人や、髪飾りを売っている店主も三人をほほえましいものを見るように眺める。
イヴェッタはひとしきりダーウェを褒めちぎり、ゼルの服にもブローチを付けて嬉しそうに両手を合わせて、目を伏せた。
「こんなに楽しい気持ちになれるなんて。あぁ、神さま、お導きに感謝します。この街に来て本当に良かった」
「あっ、イヴェッタさん、それちょっとまっ……」
ハッ、と何かに気付いたゼルが慌ててイヴェッタを止めようとするも、もはや間に合わない。
ぱぁんっ、と、その瞬間。
ルゴの街の頭上に、大きな光の塊が現れはじけ飛び。それらはルゴの街に降り注いだ。
光は街中の病人を癒し、身体の欠けた者の肉体を再生し、街の破壊された跡を全て修復し、枯れた井戸を蘇らせ、街にある全ての植物を活性化させた。
後にゼルは回想する。
「あの時……なんか頭の中に、ものすごい沢山の声が……「自分があの子に感謝されたんだ!!」って……聞こえた」





