3、伯爵が許可してるからストーカーではない
「これは……!?」
突然上空に現れた光の奇跡に、街中が騒然となった。跪き涙を流しながら神々に感謝の言葉を紡ぐ声があちこちから響き、家族や友人の幸運を喜び合う。
「一体何が……」
「クレメンス!」
困惑しながら状況を理解しようと必死に頭を働かせるクレメンスを遠くから呼ぶ声があった。人込みをなんとかかき分けて、恰幅の良い男性たちが近づいてくる。中には騎士風の男もおり、顏にはクレメンスと同じように困惑を浮かべていた。
「バルトル!」
クレメンスはその先頭を行く男の名を呼ぶ。バルトルと呼ばれた男はクレメンスに向かい合い、大声で問いかけた。そうでないと人々の歓声に声がかき消されてしまいそうだった。
「この騒ぎはなんだ!?なぜ急に……奇跡がこんな風に、冗談のように降り注ぐものなのか!?一体何が起きている!!?お前何か知っているか!?」
「いえ、私も何も……」
「そうか!俺たちは神殿に行くつもりだった!どうにも奇跡としか思えないこの事態だ……神官たちなら、何か知っているやもしれん」
「そうですね。私も同行しましょう」
頷いて、クレメンスはイヴェッタたちを振り返る。誠に申し訳なさそうに頭を下げながら、自分はこうした緊急時であるので三人と一度別れなければならない、と謝罪する。
「いいっていいって。なんか大変な騒ぎになってるなぁ……なんだかよくわからないけど、がんばれよ」
ダーウェは励ますように言うと、ゼルやイヴェッタのことは自分がちゃんと面倒を見ると答える。元々そのつもりであった。クレメンスは騒ぎが落ち着かない限り自分は家に戻れないだろうと話す。懐から懐中時計を取り出し、ダーウェに手渡した。
「周囲が少し落ち着いたら、この先にある銀の斧亭という宿屋の主人に、私の紹介だと告げてください」
「そりゃありがたい。どうもな」
「おい、クレメンス!早く行くぞ!」
「はい。今すぐに」
バルトルに急かされ、クレメンスは最後にイヴェッタの手を取って微笑んだ。
「暫しお別れとなります。ご紹介させていただいた宿屋はとても良い所ですので、どうぞ、本日はごゆっくりと御寛ぎください」
「色々よくして下さってありがとうございます。お気をつけて」
イヴェッタも、いったい今何が起きているのかわからない。ただ、怪我をしていた人たちや困っている人たちが今や嬉しそうに笑い互いに抱き合って神に感謝しているのは、悪い状況ではないと思った。
クレメンスたちが離れ、ダーウェが人込みにゼルが潰されないようにと自分の方に引き寄せた。イヴェッタの馬は一時的に門の方で預かって貰っているが、連れていたら馬が暴れ出したかもしれない。
「イヴェッタも、ほら、手を」
「えぇ、ありがとうダーウェ」
歓喜に震え騒ぐ人々は波のように蠢く。こんなところで離れては再会するのに時間がかかるだろう。イヴェッタも二人から離れないようにとダーウェの方へ手を伸ばし、そこで押し寄せた人の波が一瞬でダーウェとゼルの姿をイヴェッタの視界から消した。
「あらっ……」
ぐいっと、そして、そこで自分の腰が誰かに強く引き寄せられる。
両足が地から離れ、誰かが自分を抱き上げたのだと思ったときには、イヴェッタは大通りを離れ建物の間に移動していた。
「怪我はありませんか、お嬢さま」
「あら?イーサン」
そっとイヴェッタを地面に下ろしたのは、厳めしい顔付きをした黒髪に褐色の肌の男。怒っているように眉を顰めているがそれはいつものことなので、別に彼が怒っているわけではないことをイヴェッタはわかっている。
スピア伯爵家の馬丁である彼が、遠く離れたこの地にどうしているのだろうか。
怪我をしていないかという問いにイヴェッタが答えないので、イーサンは目を細め、くるり、とイヴェッタの体を回し怪我がないかどうかと調べた。五分ほどして怪我はないと判断し、イヴェッタの手を引く。歩き出した。
「この街を離れます。ジョセフィーヌは親父が既に引き取っていますので」
「待って、何を言っているの?」
「この街は伯爵が指定した街ではないでしょう」
「それはそうだけど、待って」
有無を言わさずどこかへ連れて行こうとするイーサンに、イヴェッタは抵抗するように足を止めた。強い力で引くつもりはないのか、イヴェッタの抵抗にイーサンも立ち止まる。
「……ずっと、わたくしの後を着いて来ていたのですか?」
「はい」
「……ダーウェが、この街にたどり着くまで、一度も魔物や、物盗りに遭遇しないのは運が良かった、と言っていましたが……」
イーサンは答えなかったが、イヴェッタはそれらが彼とその父タイランのお陰であると悟った。お陰でダーウェは自分やゼルを守りながら戦うという辛い状況になることがなかったのだが、馬丁と執事である二人がなぜ、そんなことが可能なのだろうかという疑問も湧く。いや、今はそれは関係ない。頭を振って、イヴェッタはイーサンを見上げた。
「後を着いて来てくれていたのなら、わたくしがダーウェたちとの旅を望んでいることもわかってくれますね?」
「ではあの姉弟も連れて行きます。とにかく、直ぐに街を出ましょう」
「どうしてそんなに急がせるの?」
ここは神の奇跡の降りた街だ。こんな珍しい経験は滅多に体験できないだろうし、イヴェッタはこの街にもっといたいと願っている。それに自分には身分証がないから、ここで冒険者組合に登録して移動できる身分を手に入れないとこの先で苦労するのだ。
急いで移動しなければならない理由などないはず。自分はもう何かしなければならない事もなく、自分で自分がしたいことを選んでもいいのだとイヴェッタは思いたかった。
「……」
イーサンは答えない。あまり口数の多い男ではない。異国の人間だが、偉丈夫であるので若い女の使用人たちから好意を向けられていたのを知っている。しかし女性と楽しく会話するより、馬の世話をしているほうが好きだと言い、そしてイヴェッタの知る限り、自分や父、そしてタイランと会話をする以外は口を開いているのを見たことがなかった。
「お願いイーサン、私、今とても……楽しいの。毎朝、一日が始まると今日はどんな素敵なことが起きるんだろうって、わくわくしているのよ」
「……」
「イヴェッタさんが急に出て行ったら、それこそ、危ないんじゃない?」
懇願するイヴェッタに、イーサンの眉間の皺が深くなっていると、探るような声音が少し下の方から聞こえた。
「ゼル!それに、ダーウェ!」
「はぁ、はぁ……よかっ、よかったぁ!あんた急にいなくなっちまうんだから……!」
人込みを無理に移動したらしい。息を切らしたダーウェが立っていた。イヴェッタの姿を見て安心したのか、どっかりとその場に座り込み「あーもう、腹減ったなぁ!」と唸る。イヴェッタはイーサンの手を振り払うと、慌ててダーウェにかけより、自分の荷物の中から水筒を出して水を差しだした。
「……」
「だってそうでしょう?急な奇跡、どうしてって皆思うよ。それに僕らが一緒だった人はたぶん、この街の偉い人だ。どうして、なんでって考えて、その時に、急に誰かがいなくなったら変だな、もしかして、って思うよね」
「…………」
イーサンはじろり、と自分の腰までしかない少年を見下ろす。声はそれほど大きくなく、二人にしか聞こえない。
「街の外に出ればそれまでだ」
「そうだね。確かに追ってきたりはしないかもしれない。でも、噂にはなるよ。この街で、こんなことが起きちゃったんだ。それって、ちょっと、大変なことになるよね」
ゼルは別に何か詳しいことを知っているわけではなかった。ただ、イヴェッタがこの怖そうな人に連れて行かれようとしている。それに悪意があるとは思わなかった。目の前の異国の男は恐ろしい顏をしているけれど、イヴェッタに対して礼儀正しく振る舞っているように見えた。だから、きっと何か心配なことがあるのだと判じ、それは先ほどの大それた出来事に関係しているに違いない。
自分がこういう大人に向かって、意見できるとは思ってもいなかった。ゼルはこれまで姉の影に隠れて、いつもびくびくおどおどとしていた。しかし今は、体は震えているし、心臓はバクバクと煩いし、冷や汗は流れてしょうがないけれど、それでも声が出た。
「僕らはただ、この幸運な街に偶然、その時に居合わせただけってこと。だから、折角こんな珍しい出来事に立ち会えたんだから、この街に少し滞在する。それって、ちっとも変なことじゃないよね」
「………………」
じっと、イーサンがゼルを見つめた。何か考えて、くれているだろうか。もしかして生意気な自分の首を圧し折ろうか、それとも殴ろうか考えているのだろうかと想像でゼルの顏は強張った。
「…………お前の、それは、お嬢さまからの贈り物だな」
「へ?」
暫くして、イーサンが口を開いて言ったのはゼルが予想していない言葉だ。
「……お嬢さまが、伯爵や兄以外の男に贈り物をするなど……」
「え、え?いや、僕はほら、その……弟みたいな立ち位置だから!」
「…………お嬢さまは、あの軟弱そうな優男をお気に召されたのか?」
え、何。それ何で今聞くの?
ぽつり、と呟かれた言葉。
軟弱。それはもしやクレメンスさんのことだろうか。
はっ、とそこでゼルは何かに気付く。頭を素早く回転させた。
「お、お兄さん、ほら、これでこれから、イヴェッタさんと一緒に旅が出来るよね。姉さんもイヴェッタさんも、ちょっとほら、のんびりしてるから、お兄さんが一緒にいてくれたらすっごく頼りになるし、イヴェッタさんもお兄さんにすっごく感謝すると思うよ!」
「俺はお嬢さまに感謝されたいわけじゃない」
「う、うん!それはもちろんそうだよね!」
なんとなく『ここだァッ!落としどころはここだァッ!』とゼルは思った。冴えわたる第六感、とでも言うのだろうか。自分に勇気が湧いて来たと同時に、素早い閃き、絶対自分も何らかの恩恵を受けているんだろうなと思わなくはないが、それはそれ。
「でもさ!なんていうか、いつも近くにいて、そっと助けてくれる男のひとって、良いなって女のひとは思うんじゃないかな!」
ゼルは全力で『自分は敏いです。そして全力でお兄さんの味方です』とアピールした。
暫くじっと、ゼルを探るように見つめたイーサンは、イヴェッタが再びこちらにやってくる前に思考をまとめ上げる。
そしてゼルが向ける引きつりつつも友好的な笑顔に、目を細め、小さく頷いた。
「わかった。この街に留まろう」
ストーカーだよ





