12 『幕末・明治・大正回顧八十年史』
「ちょっと、試してみるね」
彩子さんがキーワード欄に文字を入れ始めたけど、いつもと違ってゆっくりと一文字ずつだ。
〝館鳴鹿〟
(え? なに、この単語?)
「幕末まで、日本語の文章はほぼ縦書きばかりだったけど、明治になって西洋の概念がたくさん入ってきて横書きの本も増えていくの。写真も多く本の中に登場するようになって…ところで二人はキャプションって言葉は習った?」
「ええと、写真や図の下あたりにある説明の文でしたっけ?」
「それそれ。で、明治大正昭和初期の本の中の写真や図版のキャプションは、横書きの場合、右から左に書いていくのがある」
「右から? え? 左に? え?」
パソコン画面には、西洋的な建物の白黒写真。
写真下のキャプションは「館鳴鹿」と「THE ROKUMEIKAN CLUB」。
「えっ! ロクメイカン クラブって、あの歴史の教科書に出てきた鹿鳴館!?」
「舞踏会とかやってた建物ですか?」
「そう、あの鹿鳴館。写真などのキャプションは明治の頃の本も、写真の下に横書きされることがある。けど、その当時の日本語の横書きは、右から左に表記されることが多かった事を、いわば逆手にとった裏ワザです。国立国会図書館デジタルコレクションは、本文中の文章を全文検索できるんだけど、人の手による入力じゃない。デジタル化された画像をコンピュータが読み取って、それを検索可能な状態にしてるんだって。でも、令和8年現在、この日本語の特殊な事情までは対応してくれないみたい。で、単語を逆にしてキーワード検索することによって、キャプション付きの写真や図表を狙うというテクニックです。いつかは解決されるかもしれないけどね」
「わぁぁぁ、これは裏ワザだぁ」
「あとね、〝ータスポ〟をやってみると…」
「4500件!?」
「本の中にポスターの画像がこんなに入っているってことですか?」
「全部ではないと思うけどね。テレビもラジオもない昔はねえ、町内会ごとに掲示板があって、そこにいろんなお知らせやポスターが貼られていたんだって。そういえば、この団地には掲示板が残ってるよ。で、そういうポスター類の中には重要だからって本に再録されたものもあるのね。たとえば…」
彩子さんは文字を追加して〝ータスポ用伝宣〟とした。
「これなんかどうだろう?」
ヒットした中から、彩子さんが選んだのは『歴史写真 大正9年2月号』。
「テレビもラジオもなかった昔、情報を得るのに活躍したのが雑誌や新聞だったんだって。雑誌は、学術的な雑誌、技術的な雑誌、婦人向け雑誌、児童向け雑誌と、その他にもいろんな種類があって。誰でもが買える値段ではなかったけど、定期購読するお宅もあったそうなの」
「うわぁ、キャプション読みづらい」
「ほんとですね。えっと、右から読むと〝内務省より配布したる流行性……うーん、読めない。このあとは昔の漢字ですか?」
「そう。マリちゃんには前に少し説明したかもしれないけど、進駐軍…GHQが来る前は、日本の漢字は、今では旧漢字とか旧字とか言われるものだった。私の入力した〝用伝宣〟の中の〝伝〟は、戦後使われるようになった、いわゆる新字だけど、旧字である〝傳〟も、このシステムは同じ漢字としてヒットさせてくれる、ありがたいシステムではあるの。私が若い頃の検索システムはこのあたりも未整備でねえ。いろいろ苦労したの。旧字の話はこのぐらい。このポスターを大きくしてみるね」
「彩子さん、この流行性なんとかって?」
「これは、〝りゅうこうせいかんぼう〟って読んで、いまでいうインフルエンザ。ポスターの右上の方になんかいるよね?」
「ホントだ! これは動物? 妖怪?」
「〝風の魔神〟って書いてある団扇を持ってる!」
「この頃…大正時代は、まだ、インフルエンザのことがよくわかってなくて、妖怪みたいな、よくわからないものの仕業と考えてしまう人もいたらしい。まあ、今でいう擬人化でもあるかな。なんとか被害の拡大を食い止めようとしてポスターで注意喚起してた。今度は左下の写真。女学生さんたちの姿を見てどう思う?」
「みんな、マスクしてますね。なんだか新型コロナが大流行してた時と同じに見えます」
「そうだね。当時もたくさんの人が感染して、亡くなった人も多かった。そういう大きな事件のことを伝えていこうという考えの雑誌なんだろうね。こういう画像や写真が多い資料は視覚に訴えて、いろいろ使い道があるから覚えておくと良いかもしれない」
「大正の頃も今と同じようなマスクはあったんですね」
「う〜ん、あったというか、一般の人にも定着したというか…」
「一般の人以外のマスクはあった?」
「鉱山や工場で使う防塵マスクみたいのはあったらしいけど。どうやら、マスクという言葉自体も大正時代の流行性感冒の流行時に広まったみたいだよ。えっと、確か…」
彩子さんがパソコンを操作した。今度の画面は〝レファレンス協同データベース〟。
「〝マスク〟と〝歴史〟のAND検索でヒットするんじゃなかったかな? ああ、これだ」
いくつもヒットした中で彩子さんが詳細表示したのは、〝どうやって一般の日本人に“マスク”という単語や、その利用が広まっていったのかなど〟という文章が含まれた質問だ。
「二人は、この〝レファレンス協同データベース〟って聞いたことある?」
「いいえ」
「ないです」
「これはね。データベースの管理をしているのが国立国会図書館で、それに協力しますと手を挙げた全国の図書館が登録したレファレンス情報を、一般の人も検索できるようにしたもの。詳しくいうと、誰でもが見られる情報と、図書館関係者だけが見られる情報と、各図書館が自分のところの情報だけを見られるのと三つに分かれているんだけど、誰でも見られるものでもかなり多いから、とても役立つと思う。
それで、これは、マスクの歴史を知りたいと図書館のレファレンスカウンターで尋ねた人がいて、それに資料等で図書館スタッフが対応した内容を公開しているんだ。だから、何かを知りたい、調べたいと思った時はまず、このサイトで検索して、同じような探し物をした人が過去いなかったか確認してみて、良さそうな回答の詳細をクリックすると、どういった本を利用者に紹介したかの情報を得ることが出来る。回答欄を読んでみる?」
「はい。…え? 呼吸保護器?」
「カッコ内補記の方が、ガーゼマスク?」
「マスクが一般的じゃないって、これですか? それで新聞記事データベースを利用して、複数の言葉のヒット数から一般化がいつぐらいかを探ってもいるんですね?」
「そうだね。新聞記事データベースの利用は有料だから、個人で利用するのは難しい。先に、この情報を得てから、地元の図書館で確認しなおす方が効率が良いと思う」
彩子さんはPC画面を国立国会図書館デジタルコレクションに戻した。
「明治は文明開花といわれるような言葉があるぐらい、いろんなものが日本に入ってきて、それをたくさん記録した資料も作成されたんだ」
今度は、キーワード欄を〝船行飛〟とし、タイトル欄に〝年史〟と入れて、検索ボタンを押した。『幕末・明治・大正回顧八十年史』という本がいくつも出た。
「さっきの『歴史写真』は雑誌だったけど、『幕末・明治・大正回顧八十年史』は本で、20輯以上発行されている」
「え? この漢字はシュウって読むんですか?」
「そう。使われ方は集と同じかな? で、これも歴史的に重要だと思われる写真などを後になって集めて本にしたもの。で、飛行船の画像がありそうな資料を狙ってみた。何か気づかない?」
「第17輯が2冊ある?」
「あ! ホントだ! でも発行年が違う?」
「それにサムネの色が違います」
「大正解! どうやら発売したものが好評だったので増刷。その時にページを追加しちゃうこともあるみたいなんだよね」
「えええええええ」
「この資料自体は写真が多くて素晴らしいと思うんだけど、こういう細かな違いがある。サムネの色が違うのは、デジタル化の状態が違うの。デジタル化製作日がより新しい方が綺麗なことが多いかな? デジタル技術は進化しているらしいから」
「そんな違いがあるんだ…」
「ところで、彩子さん。飛行船って、ジブリ映画によく出てくる乗り物ですよね? 本当に、空を飛んでいたんですか?」
「ああ、今はあまり見かけないものね。気球の方がメジャーかな。飛行船が大活躍したのは、わりと短い間で、飛行機が一般化すると減っていったそう。そのへんは自分で調べた方が面白いから興味があったらやってみて。で、人間は、初めて見たものや変わったものは興味津々。日記に残したり写真に撮ったり」
「あっ、オーロラの話!」
「今と同じなんだ!」
「そう、文字で絵で写真で伝えようとする。そうした資料の内容が、国立国会図書館デジタルコレクションには膨大に入っている。
たとえ資料の名前がわからなくても、たとえ資料が存在するかわかっていなくても、固有名詞で検索すると手がかりにつながるかもしれないのが全文検索で、国立国会図書館デジタルコレクション利用の醍醐味ではあると思うの。当時、なんて呼ばれていたかの知識があれば、もっと情報が得られる可能性が出てくると思う」
「「呼吸保護器!!」」
「そうそう! 知っている言葉は、できるだけ増やしておいた方が検索には有利。教科書に太字で書かれた言葉。流行した言葉。同じものを指しているのに違う言葉。上位の概念、下位の概念。意味まできっちり説明できなくも良いの。もしかしたら、こういう言葉だったかなぁぐらいでも、検索したら近づけるかもしれないの。
さて、長くなっちゃったね。今日はこのぐらいでやめておこうか」
「はい、いろいろありがとうございました」
「興味深い話ばかりで勉強になりました。あっ、学校の勉強も頑張ります」
「二人の役にたったのなら良かった。それで、鬼頭さん」
「はい」
彩子さんは、ミヤコちゃんに向き直った。
「今日初めて会った貴女に、赤の他人の私が話すべきか迷うんだけど。鬼頭さんは、自分で考えられる人だと思うから。似たような経験をした先輩からのアドバイスと思って聞いて」
「…はい」
「自分の心を守るためなら親の指示を丸呑みする必要はないと思う。法律にふれないかぎり。嘘をつく必要はないのよ。報告をしなければ良いだけ。好きなものを好きでいられるよう、うまく立ちまわって下さい」
ミヤコちゃんの瞳にみるみる涙が浮かんでいく。
「は、はい。あ、ありがとうございます…」
「あっ、ごめん。ちょっと、待って、ティッシュ!」
ずっとため込んでいたんだろう。ミヤコちゃんの涙が止まらない。ミヤコちゃんの背をさする。
ミヤコちゃんは、彩子さんが持ってきてボックスティッシュをずいぶんと消費してしまった。
関連サイト
・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp (アクセス日:2026/5/13)
・『東京景色写真版』江木商店 [明26?]
https://dl.ndl.go.jp/pid/764109 (アクセス日:2026/5/13)
・『歴史写真 大正9年2月号』歴史写真会 1920
https://dl.ndl.go.jp/pid/966263 (アクセス日:2026/5/13)
・東洋文化協会編「幕末・明治・大正回顧八十年史 第17輯」東洋文化協会 昭和10年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1112176 (アクセス日:2026/5/13)
・東洋文化協会編「幕末・明治・大正回顧八十年史 第17輯」東洋文化協会 昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/8797973 (アクセス日:2026/5/13)
・レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/ (アクセス日:2026/5/13)
初版 2026年5月13日




