神様を降臨させたいのなら
聖書の出来事を再現しようとしている勢力が居たとして、今やっている戦争では神様は降臨しない。
叩かれる事を承知で言うが、犠牲が圧倒的に足りないのだ。
80億分の数万人、この意味が分かるだろうか?全然足りないと思わないだろうか?神様が降臨して争いを収める。その犠牲の規模が数万人……。
出てくるわけが無いのだ。最低でも40億人の犠牲は必要だ。秘密結社か何かあったとして、それほどの犠牲を出す戦争を行えるだろうか?無理である。何か仕組んだとしても誰も賛成はしないし参加しないだろう。
という訳で、もし本当に神様の降臨を願うなら核戦争を始めるしか無いのだ。
まあ、そんな犠牲を払って神様が出てきたとして、核戦争を始めた信者を救うかどうか答えは明白なのだ。天国に行くだけなら聖書の予言を成就する必要は無い。正しい行いをして正しく生きて死ねばいい。
最終戦争を待たずして天国に行く事が出来るだろう。
そもそも、老い、病気、怪我、空腹と不便な肉体を復活させて苦痛なく生きられると思っているのが滑稽だ。肉体が無ければ苦痛など感じないのだ。魂に戻れば全ての苦悩と苦痛と不幸から解放されるのだ。
最初から死ぬ事だけは全人類共通で決まっている。
生きる苦しみから解放される事が約束されているのだ。これ以上の創造神からの愛は存在しない。不老不死を願う金持ちや権力者は、苦痛に満ちた永遠の命を欲している。自ら地獄の様な永遠を望むなんて馬鹿げている。
という訳で、天国に生きたい人は、正しく生きて死ぬだけでいい。
それでも、神様の存在を確認したいというのであれば、私の方法を試して見るといい。奇跡が起きるはずだ。私の場合は起きた。神様は居る。だから、馬鹿な真似は止めると良い。
悪人がのさばっていようが関係ない。天国はあるし、行く方法があるのだ。地上で悪が何をしようと関係ないではないか、裁くのは神様に任せて天国に生きたい人は、今の人生何も報われなくても良い。死んだ後で報われるのだからと思って生きればいい。
神々の視点ではこの世界はゲームである。悪魔の勝利条件は「神は居ない。この物質世界こそが唯一無二の世界だ」と人間に思わせる事。神の勝利条件は「神は存在する。人間の本体は魂だ」と人間に思わせる事だ。
悪魔に騙されると魂が消滅する。
神を信じたものは永遠の意識を得る。
死んだ後で神様に会えるのなら、この世界に降臨して貰わなくても良いのではないか?
ちなみに、世界を支配する権力や金銭を得たエリートたちが何故、聖書に書かれた事をよりどころに神様を降臨させようとしているのか、あなたは理由を想像できるだろうか?
私は出来ている。簡単に言うと金と権力は悪魔の道具なのだ。それを集めるという事は不幸を集めている事と同じであり、それらを多く集めた人間はもれなく酷い出来事を経験することになる。
そうして大切な何かを失い、神様にすがるように成る。「どうか、お救いください」と、だが彼らは悪魔の道具を手放そうとはせず。それを持って神様に会おうとしている。悪魔の道具を大量に集めて不幸と恨みを集めて……。
これ以上は言うまい。
また、神々にとって、この世界は人間たちのお遊戯会なのだ。それぞれに役割があり、その役を全うしようと一生懸命に演技をしている。そんな人間たちのお遊戯会に圧倒的な力を持った神々が乱入する理由は無い。
基本的に劇が破綻するような事態に成らない限り参加しない。
子供のお遊戯会を見守る保護者や教師の様に演技を見守っている。そして、私たち人間は完璧な演技をするために記憶を無くして人生(役割)を全うすべく生きている。
ドラマでは役者は、その役の感情を理解するために、境遇や生い立ちを学んで演技する。我々人間は、その境遇や生い立ちを理解するために、記憶を消して人生を体験しているのだ。
役者とは違って完全な演技が出来るし、心情も理解出来る。これが、創造神が考えた完璧な劇場なのだ。
だから、私たちは与えられた役の中で最大限の幸せを求めて良い。
その幸せの形は、与えられた役によって変わる。戦士の役に生まれたのなら戦って死ぬ事が幸せになるし、一般人の役なら性格によって家庭を築く事が幸せだったり、独身(自由)を楽しむことが幸せだったり、美味しいものを食べるのが幸せだったりする。
権力者であれば、その権力を使って歴史に名を遺す偉業を行う事が幸せだろうし、金持ちであれば途方もない金額を集める事が幸せに成るだろう。
なので、幸せに成りたいのならやはり自分を知る事が先になる。
自分の役割を理解し、その上で人生を選択すればいい。




