最終話 ヤマなしタニなしの毎日をどうか
ビュウウウウウウウウウ!
「うううう……寒い、ここは何処よ?」
ガーネットは激しく吹雪く雪山の只中にいた。
勇者の唱えた跳躍の魔法の影響で、まったく知らない場所に跳ばされたのだ。
彼女は冒険者としての知識から、下山ではなく雪山を登っていた。
自分の居場所も分からない内は、降りるよりも登って遮蔽物の無い場所に行く方が生存率が上がると、彼女に冒険者のイロハを教えてくれたレンジャーは言っていた。
とはいえ、周囲は雪を被った針葉樹林、方向感覚は狂い、挙げ句周囲からは狼の唸り声が聞こえた。
森と、まして雪山と馴染みのない街エルフの彼女では余計に体力を消耗しているのだ。
凍てつく風は体力を奪い、辺りは真っ暗で視界さえ覚束ない。
「あうっ、痛……なにこれ?」
彼女は不意に前のめりに倒れた。
粉雪が彼女を優しく受け止めたのは幸運の証か。
彼女が転んだ原因、それは木の根っこだった。
ガーネットはどんよりと表情を曇らせると、その場で蹲った。
死にたくない、死んでたまるかと、生に執着するが、今回ばかりは……。
「呆気ないものね……ごめんなさい兄さん」
彼女は一人涙を流す、その涙も一瞬で凍りつく。
唯一の気掛かりはあの情けない兄さんだ。
人生を既に諦観してて、幸運もいらないから不幸もいらないっていう、詰まらない人生を至上としている。
本当……に、私が面倒をみないと、さ。
ガーネットはゆっくりと瞼を閉じた。
輝くような金髪にも雪が積り、彼女を白く染めあげる。
あぁ、眠たくなってきた。彼女の命の灯火は弱々しく揺らめいている。
このまま身も心も凍りつくのか、それだけは嫌。
――――――――――――ぃ。
不意にガーネットは長耳をピコピコ上下させ、顔を上げた。
声が聞こえた。それもすっごく聞き覚えのある声をだ。
「兄さんっ!?」
ガーネットは顔を上げた。
もう少し登った先に、光があった。
§
大陸北部、ピサンリ王国と魔族の領土を雲さえ突き抜ける山脈が遮る。
スプルア山脈、一年を通して寒冷な大雪山は各国の協議の元誰の領土でもないと取り決められているらしい。
今おっさんがいるのはピサンリ王国側、山を越えれば魔族の故郷大氷原を前にするだろう。
大氷原は特別な許可を得た者しか踏み込むことは許されていない禁足地だ。
もっといえばおっさんのいるスプルア山脈の時点で許可制なのだが。
「おぉーい! ガーネット!」
おっさんは掌に光の玉を浮かばせながら、義妹の名前を叫んだ。
計算の結果、スプルア山脈にガーネットが跳ばされた可能性は高い。
おっさんも魔力は底を突きかけている、あまり体力も残されていないが、必死に義妹の名前を叫ぶ。
「おっさんには、お前が必要なんだー! だから返事をしてくれガーネット!」
猛吹雪が煩い。
おっさんの声が吹雪に掻き消されている。
魔力はもう残り少ない……。俺が、間違っていたのか?
「ガーネット! おおーーーい!!」
おっさんは精一杯の声で義妹の名を叫ぶ。
だが猛吹雪はおっさんの必死な想いさえ掻き消した。
悔しさに手を強く握り込む。痛々しい程に。
「だめ……なのか?」
おっさんはがっくりと膝を折った。
ぱさりと柔らかな雪はおっさんを沈めてしまう。
このままではおっさんまで――。
「――――――――ん!」
「ッ!?」
おっさんは顔を上げる。
酷く聞き覚えのある声だった。
なんと言っていたかは分からない、だが声は確実に近づいてきた。
「―――さん! 兄さーん!」
「ガーネット!」
おっさんは立ち上がる、だが弱った下半身は言うことを聞かずふらふらとよろめく。
ガーネットは雪山もなんのその、全速力で向かってくると、そのままおっさんに飛びついた。
「ぬわぁ!?」
「嘘嘘! 兄さんだわ! 兄さん兄さん兄さん!」
思いっきり押し倒された。
ガーネットは俺の胸で嬉し泣きしていた。
彼女の身体は酷く冷えている。
「やれやれ、無事そうだな?」
「兄さんこそ、よくここが分かったわね」
「伊達に教師やってないからな」
弾道計算が出来たのは、おっさんを教師に迎えくれたカランコエ学園あってこそだ。
教育者が学ぶこともまた多い。
ガーネットの跳躍を着地予測が出来たのは本当に幸運だったが。
「兄さん……本当に無事で、良かった」
「自分の心配を棚に上げてか?」
「だって、兄さん……いつか、居ななっちゃいそうで……」
居なくなりそう……か。
事実おっさんはそうなりかけたと思う。
ガーネットを失った時、俺は自分らしくない手段に出ていた。
怒り、あれほど怒りを覚えたのは多分二十年以来じゃないだろうか。
ラステルと怒りのまま戦い、無我夢中だった。
おっさんはあの時そこに居なかった、いたのは過去の亡霊だったんだと思う。
ラステル相手だ、おっさんは犠牲ありきで戦っていた。
だが幸運な事にコールンさんがおっさんを正気に戻してくれた。
俺はラステルを殺すつもりだったが、臆病なおっさんがそれを許さなかった。
おっさんをおっさんに戻してくれたのは、結局ガーネットだった。
「ガーネット、ずっと一緒に居てくれ」
「うんっ。ていうか離さない! ずっとよ!」
ガーネットは猫撫で声で頬をおっさんの胸に擦り付ける。
やれやれ、おっさんはあくまでも家族として傍にいて欲しいと言ったつもりなんだが。
「ガーネット、起きれるか?」
「誰にもの言ってるの? 冒険者はやわじゃないわよ!」
そう言うと彼女は猫のようなしなやかさで立ち上がる。
おっさんはそのまま言った。
「おっさんは立てそうにない、引き上げてくれ」
「兄さん……もう少し身体鍛えた方が良いわよ?」
ガーネットに手を差し出すと、彼女は「よっ」という掛け声でおっさんを引っ張った。
補助を得てなんとか立ち上がると、おっさんは纏わりついた雪を手で払い落とす。
「うぅ寒い……さっさと下山といきたいところだけど」
「夜間は危険だ」
「そうね……あっ、あそこ、洞穴がある!」
エルフ視力を活かしてガーネットは雪山にぽっかり空いた洞穴を発見する。
「熊が居なきゃいいが」
「居たらそん時は熊鍋にしてやるわよ!」
相変わらず蛮族じみたアグレッシブな思考。
やれやれと呆れるが、いつものガーネットにおっさんは安心する。
洞穴に辿り着くと、幸いにも中には誰もいなかった。
恐らく自然に出来た洞窟なのだろう。
「私薪を集めてくる! 兄さん火の用意を」
「一番苦手なんだがな」
ガーネットは遭難状態にも関わらず元気だ。
おっさんの数倍は元気に違いあるまい。
これが若さなのか、いやおっさん若い頃でも絶対ガーネットより元気なかったわ。
エルフ故なのかそれともガーネットがそうなのか。
やがてガーネットは手頃な薪を持ち帰ってくると、おっさんは炎の魔法で、着火し、簡易的な焚き火を行う。
「はぁ〜、温まる」
「朝までここで待機だな」
焚き火は心身を温めてくれた。
おっさん達は身を寄り添うと、静かに揺らめく炎を見つめる。
「……ねぇ兄さん。もしも私達がこの世界に生き残った残り二人だったらどうする?」
「なにを馬鹿な事言ってる、そんな筈無いだろう」
「もう兄さんったら! 洞穴で! 男女が! 二人っきり! なにも! 問題が! 起きない筈が!」
「なにを馬鹿な事言っている」
「二回も馬鹿って言われた! ぐぬぬぬ……どうせ学校にも通ってないお馬鹿ですよーだ!」
なにが気に入らなかったのか、ガーネットは子供っぽく舌を出して顔を背けた。
おっさんは焚き火をじっと覗き込みながら、小さく呟く。
「おっさんはな、お前やコールンさん、皆がヤマなしタニなしなら良いと思っている」
「……兄さんの持論よね? 幸運もいらないから不幸もいらないって……でもそれって退屈じゃない?」
「今回身に沁みたよ。本当に疲れた……やっぱりおっさんにはヤマなしタニなしが一番だってさ」
ヤマなしタニなしの物語―――。
おっさんの物語はここでお終いだ。
この後? きっと街まで帰って普通の教師として過ごすだろうさ。
変化なんて求めちゃいない。
押し付けるつもりもない、けれど平凡の大切さ、どうか皆も忘れないでくれ。
ヤマなしタニなし 完




