珈琲
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
青空の下を歩く。穏やかな朝焼けを浴びて風を感じていく。
寂れた港の反対側、廃墟と広葉樹の間を抜けて行った先、島の東に出た。
まだ白い陽光は水平線を撫でていて、揺れる水面を煌めかせながら、夜の藍色を溶かしていく。
眩い光を前に、ジンは薄っすらと目を閉じた。まぶたの奥に感じる熱を帯びた水滴。ぐしぐしと拭って、海岸の岩場に座り込む。
「……よかったんすか? 【錆染】に。なんにも言わなくて」
ヴィは尋ねた。ジトリと見つめる黒い瞳は少しだけ不安げで、しかしジンを見つめるなかで、照れるように視線が海へと向かった。
「俺よりも、あいつらのほうがどうにかできるだろう。俺たちは……そう、しばらくは距離を置くべきだ。顔を見るだけで思い出すだろうから」
地上まで這い上がってきた《造り物の規定》の少女達を思い出して、遠目に廃墟を眺めた。すぐに水平線に向き直る。
……曖昧な答えだ。逃避かもしれない。
しかし奇妙な確信もあった。進むべき道はもう違うのだろう。同じ光を見ることはできないのだろうと。
そんな風に、自分に言い聞かせながら、携帯コンロに火をつけた。地の底で拝借した合成珈琲粉末をお湯で溶かしていく。
湯気に立つ香り。深く息を吸って、……今一度脱力した。何気なく両腕を地面につけると貫くような激痛が繋げたばかりの腕を走って顔を歪める。
「ッ……。メリアはどこに行ったんだ?」
痛みを誤魔化すようにきょろきょろと辺りを見渡した。些か冷たい苦笑いがヴィから返ってくる。
「メリアちゃんなら着替えてるっす。流石に水着なんてものはなかったっすからねぇ。私が防護服やら色々ちぎって縫ってやったっす。そういうことのほうが得意っすから」
得意げに、にへらぁと蕩けるような笑み。
ちょうどそのとき、岩場の影から砂利を踏みしめる音が響いた。暖かな光と黒く澱んだ海を背に、メリアはジンと向き合う。
「…………どうかしら。その、……なんでだろう。今までは何にも思わなかったのに。少し恥ずかしい気がするわ?」
白と黒のツギハギの水着は白い肌と華奢な肢体を隠し通す気などさらさらない。しかし以前着ていた衣服と比べて肌の露出が変わるわけでもなかった。
なのだが、メリアにとっては特別な意味があったのだろう。
恥じるように頬を朱に染めて、ジットリと。今までとは比べ物にならないほど湿度を帯びた眼差しでジンを突き刺していた。
宙を泳ぐ手。もじついた脚は行き場を失うように、こんなことをしでかすキッカケを与えたポスターと同じポーズを真似してみせる。
「やっぱその格好……。馬鹿げてるな。そんな格好じゃ海は泳げない」
ジンは相変わらず辟易とした。
「別に……泳ぐために着てるわけじゃないもの」
メリアは感情的にぼやいた。ふてくされるようにそっぽを向いておいて、ひょこんと。隣に座ってくる。
「…………きっとこれも、好きになれるわ?」
そんな言葉を隠しもせず曝け出して。メリアはいたずらでもするようにジンの顔を覗き込んだ。綻んだ小さな唇。
やがて、潮風に銀の髪が靡き揺れた。蝶が風に乗って羽ばたいていく。それで段々と、耐えきれなくなるように、ジンは飄々とした笑みをやめた。
深い溜息。照れ臭そうに頬を掻いて、僅かに微笑む。
「……まぁ、いいんじゃないか? そんな風に笑えるならさ。いいことだろ?」
結局のところ、微妙に誤魔化しを入れる。それでもメリアにとっては充分すぎた。今まで言われたこともなかった言葉。感じたこともない日差し。
――くらくらと頬は熱っぽい。跳ねる胸は高鳴るばかりで。嘲るようなヴィの視線が一層、頭を真っ白にさせていく。
「ジン、ジン……! 実はぁ……私も中に着てるっすよ?」
ツンツンと、千切れていなかった腕を突いて、ヴィが必死に呼びかけた。
向かう視線に合わせて下ろされるだぼついた襟。ぴっちりと身体に密着した黒い布地を見せつける。
ジンは言葉に言い悩んで、突かれた手でそのままヴィの頭を撫でた。
わしゃわしゃと。穏やかに時間が過ぎていく。
「ふふん……」
満足げな鼻息。手を求めるようにヴィはどんどん顔を俯けていく。最中、ジーっと。勝ち誇るようにメリアを見据えた。
「…………」
ざわめく胸に手を当てて、メリアは沈黙した。
二人の様子に、ジンは怪訝そうな表情を浮かべたが。湯気を帯びる珈琲の香りを前には些細なことだった。誇らしげにマグカップを手に取る。
ドロついた黒い水面。熱に混じったシロップ。以前よりも甘い芳香が揺れていた。
潮と珈琲が混ざった朝の匂いが心地良い。
「メリア、今回のは苦くないと思うぞ。……俺にしては相当甘めに作った」
ジンはゆっくりと口元に含めた。飲み込んで、伝う熱を前に穏やかに息を吐いていく。ヴィは慣れた様子でジンのマグカップを受け取った。
「ん、……確かにこれは“いつもより”お子様向けっすねぇ?」
からかいと、自慢を含んだ少し邪悪なヴィの笑み。
メリアは動じなかった。一息の間をおいて、熱が灯ったままの双眸で見上げる。
「……何か、変われたかしら?」
ぐるぐると追憶が巡り、地の底へ飛び立った時から――――今ここに至るまでを思い出していく。多くの言葉が浮かんでは消えて。悩んで。僅かに口籠って。その果てに。
「…………お前の所為でな」
ぼんやりと、ジンは答えた。
「ならワタシも少しは変わらないといけないかもしれないわね? ……珈琲、飲んでも?」
「嗚呼、いいぞ」
飄々とした態度で渡されるカップ。ぎゅっと逃げられないようにその手を掴んで、メリアは想うままに背へ腕を回した。
優しく抱きしめて、そっと唇を重ねる。
「あーーー……!?」
唖然として声を張り上げるヴィを前に。
メリアは静かに目を閉じた。不器用な仕草で深くまで求めて、ごつんと。
おでこがぶつかって唇が離れる。
真っ赤な顔。隠しきれない胸の奥。ぎゅっと押さえて、呆然とするジンを見つめた。
「……よかった。呪いがなくなって。全部ワタシのだもん…………」
今に溶けてしまいそうな口で自由を呟く。
甘く苦い珈琲の味を好きになって――。飲み込んだ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。文字数にして12万文字ほど。おおよそ、小説一冊分です。生憎、閲覧数が増えることはなかなかありませんでしたがそれでも確かに存在してくれたブックマークやレビュー、感想、イラスト。多くのものが支えになりました。
現在すでに新たな終末シリーズに着手中です。今作とはだいぶ毛色が違うかもしれませんが。
もし気に入ってくださったなら、応援してくれるととても嬉しいです。
本当に活力になりますので。楽しみに待っています。
この作品にも感想、ブックマーク、レビュー、いいね、Twitterとかでおすすめとか。してくれると本当に狂喜しますのでもしその気があったら嬉しいです。
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