錆色
エピローグ
淡い藍の朝焼けが夜闇を溶かし始めていた。
雨上がりの朝靄が消えないまま、ゆっくりと夜が明けて行く。
錆の砂塵によって風化し、廃墟同然と化した施設の中枢。
【錆染】は長いあいだ仰向けに倒れ、動けずにいた。
致命傷を受けたわけではない。
肉体の時を止めることもできただろうに、ジン・ジェスターがヴィコラの停滞を砕いてまで止めたのは不死の呪いそのものだけだった。
数えきれない殴打と裂傷はあったが。そんな傷が帯びる痛みと熱など、流れ落ちる血と共に麻痺し、わからなくなっていた。
「ああ…………ああああ…………」
ただ、動く気力など残ってはいなかった。どれだけみっともなく泣き叫ぼうとも、声は遠くまで反響するだけで、段々とかすれるように消えていく。
【錆染】の名を冠して守りたかったもの全てが――本当の意味で消えてしまった。盾は崩れ、槍は消滅し、兜が砕け、ステインが露わになって初めて、ヴィコラがとっくに終わっていたことを理解して、ずっと、ずっと動けなかった。
ジン・ジェスター達の足音はとっくに遠くへと行っていた。ヴィは長いあいだ何も言わずにいてくれたが、それでもやがて外へと向かっていった。
「…………」
靄を見上げていた。静まり返ると遠いさざ波が僅かに響いていた。ざざん、ざざんと。何も洗い流すこともできない波。
【錆染】は血まみれの手で虚空を掴んだ。握るものなどなく落ちて地べたを掻くはずの指が、小さな熱に包まれる。
視界を影が覆った。頬を撫でる空色の髪。覗き込む幼い相貌。五人の足音にも気づけないほど隙だらけだったらしい。
「…………生きていたのか。ジンが、地上まであがってきたから。……全員死んだものだと思っていた。……置いてかれたものだと、思っていた」
零れ出ていく言葉。とっくに力など入っちゃいないはずの身体が、安堵するように脱力した。
「ええ、生憎。あなたの記憶にワタシ達を刻みつけることはできませんね」
「……冗談じゃあない」
エルドラ、ナディー、アズ、ソラメ、エリゼ。五人の少女達はそっと【錆染】の身体を起こした。それぞれが青く透き通った目を向けながら、淡々と肩を支え立ち上がる。
「先程すれ違った際にジン・ジェスターから頼まれ事も受けました。……頼んだぞと」
ジン・ジェスターは余計なことを言ったらしい。同じ顔の少女たちに支えられながら、フラついて、立ち止まり、歩いていく。
真っ直ぐに伸びた回廊は瓦礫だらけで、酷く長く感じられた。
「仕事には失敗したようですね」
澄ました表情から繰り出される無情な言葉。淡々と事実を口にしているようにも、こんな醜態を茶化してくれているようにも思えた。
詰まっていた息が抜けていくように、ステインは深くため息をついた。
「…………失敗を掘り返すな。前にも言ったじゃあないか……。いつまでもどうしようもないことに執着するなんてバカのやることだ」
「ええ、ですが忘れてはいけないことが一つあります。覚えていますよね?」
「……がめつい奴らめ」
呆れながらレーションを取り出したが。包装紙のなかで粉々に砕けていた。それで、渡すか渡さないかを逡巡しているとパっと素早く手が走る。
少女たちは好き勝手に取り上げるとぼろぼろと粉を零しながら頬張っていった。まるで小動物だ。任務にかかわりがなければこうも幼いものなのか。
呆れは増して、穏やかな眼差しを向ける。
「……ラインフォード商会は恐ろしいな。刃が……鈍るわけだ」
外に出た。突き刺す白い陽光が朝靄を切り裂いている。
雨だれに濡れた土は柔らかに、足を沈めた。鬱蒼と生い茂る草木の隙間から微かに見える黒い海。今頃、ジン達は海岸にでもいるのだろうか。
「…………んぐ。んむ。砕けていて微妙ですね」
「ですが久々に甘いものを食べた気がしますよ。隊長」
「んぐ……」
好き勝手な言葉。ステインは気だるげに遠くを見詰めた。
「お前達の任務はどうなっている。……こんなことをしていて平気なのか?」
「ん。この仕事には一週間の猶予があります。それに失敗しても、完全な失敗に成り得ない方法もあります。【錆染】として、ワタシ達に着いてきてくれませんか?」
単純な話だ。色付きとして、一個人で企業と対等できる便利屋としてラインフォード商会に所属しろと言われている。
全ての原因となった企業に、付けと。
ステインはすぐに真剣な表情に変わった。鋭い睥睨で見下ろすも、彼女達はあっけからんとした様子のままで。もしゃもしゃと、礼節もなくレーションを頬張ったままだ。
「これは依頼ではなく、お願いです。応えてくれたら、ワタシ達としてはとても助かります。あなたが後ろに着いてくれれば、もう少し自由になれるかも」
ぎゅっと両手を少女たちが掴んだ。選択肢もないらしい。
「…………それはお願いじゃあない。脅迫だろう。……クソ」
悪態をつきながら握り返す。照らす朝焼けが気に食わなくて顔を伏せると。
少女たちはグイと、不安げに覗き込んでくる。
「嗚呼、オーケー。わかったよ……。ハハ……! ハハハ……!! どうしようもないことに執着はもうやめだ。……喜んで引き受けよう。オレ達はチームだからな」
ヒーロー気取りの強者の笑み。塗り固めた嘘は剥がれきっていた。だから強がるのはやめて、今再び仰向けに倒れ込む。
同じ顔の少女達もステインの隣にぺたんと。座り込んだ。
――――もうしばらくは動けないだろう。
歩き出すには時間が必要だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
次回で最終回です。




