錆びついている
「だから――君たちはこれ以上ヴィコラの残したものを壊さないでくれないか!」
平静を装うことも出来ずに滲む怒気。さながら、咆哮のごとく鼓膜を走り、肉薄していたジンを押し潰すように大盾が振るわれる。
「ッー……!」
空間を削り跳躍するよりも早く、重力場がジンの重心を逸した。殴打へと手繰り寄せられる。
真向から衝突する膂力と加速。大盾はジンの身体を吹き飛ばすことなく激しく叩きつけた。
軋み鳴る骨。亀裂が入ったことを確信させる痛み。急激な重力負荷によって摩耗する血肉。視界が一転して曖昧に揺らぐ。
そのまま地面へと振り下ろされ、押し潰された。
「……それで、俺を叩き潰してメリアをどうにかすればヴィコラの遺したものが戻ってくるとでも?」
砂塵が舞い上がった。
刳り穿たれた大地が轟音と衝撃に震え、――破裂する。
ジンを圧し潰した大盾と地面の間から瞬間的に結晶が咲き誇る。そして砕け散った。
炸裂する破片が周囲一体を無作為に貫き突き刺さる。自爆必至な一撃がジン・ジェスターの鮮血を飛び散らし、全身を舞い上げていた。
血と結晶の炸裂の隙間から、何条もの亀裂を奔らせ、ジンは身を翻しアメウズメの短刀を深く突き穿つ。
【錆染】は淡々と真っ向から刃を受け止めた。ぶつかり合う風化の塵と亀裂。血と錆。重力場と空間干渉。盾と刃。
メリアは何を考えてこの光景を目の当たりにしている? 考えるほど苦痛は増して、偽ることもできずに胸の奥を撫でていた。
「まさか。戻ってくるはずがないだろう? オレが一番分かっている。オレはお前が手を汚すのを止めているだけさ。殺しても、殺さなくても。アメウズメの刃が錆びついてしまうんだ。復讐に囚われて錆びるか、情に囚われて鈍らに変わるか」
【錆染】の言葉は淡々と吐き捨てられていく。怒りとも、復讐心ともズレた歪んだ感情が重く、強く異界道具に共鳴を重ねていく。
鍔迫り合い、削りあい、殴打と斬撃が重なるほど苦痛が広がっていく。肉体的な痛み。友に刃を向ける痛み。
メリアへ向けていた醜悪さは全て曝け出されて、彼女の前でみっともなく血を流して暴れ狂っていた。
――ワタシのたった一人の友人を傷つけないで欲しいの。
友人と呼んでくれた少女に向けていた殺意が、行き場を無くすようにぶつかりあっている。
「めちゃくちゃだ。尚更、メリアを苦しませる必要性はお前にはないだろう」
――どの口がこんなことを言う? 自由と光を見出してから、それを全て奪おうとしていたのに。
――【錆染】がやったことと大差なんてない。なら何が気に食わない? 俺以外が、メリア・イクリビタから何もかもを奪おうとすることか? だとしたらとんでもない異常性だ。独占欲だ。
こみ上げる自嘲を泥が彩る。皮膚を撫でる錆が身体を蝕んで薄汚れた緑色に染めていく。
「……嗚呼、そうだな。オレ達は協力して怪物に苦痛を返すべきだったんだ。なのに、オレは当事者にすらなれなかったから。ヒーローでいたかったのに」
兜の奥から吐き捨てられるように零れ出た言葉は淡々と、弱々しい。反して、大盾を振るう力は際限はなく、ジンが回避行動を取るならば呼吸を外し、銃槍を偏差撃つ。
「そう思えるなら最初から止めないでくれよ。お前は結局、抜け駆けしようとしたんだよ」
お互いが望むものが重なる瞬間ほど苦しくて醜悪なものはない。
「……そうすべきだったよ。嗚呼、けどもうお前はその怪物を赦すことができる可能性を持ったんだ。相容れられないだろう?」
号砲。収斂した光が放たれ、地を砕き、樹木をなぎ倒す。
轟く土煙が夜闇と混ざり合って視界が断ち切れた。引き下がることもできないまま、激情は迸り異界道具の力を深くまで行使していく。
【錆染】は限界まで警戒を張り巡らせ、ただ一点を注視した。段々と晴れていく視界。……ジン・ジェスターの姿が見当たらない。
「メリアか……!」
咄嗟に振り返る。――盗られていた。重力場に縛り付けていたはずの彼女の姿がなく、残っているのは亀裂だけだ。
黒く染まった森林の奥を見据えると、ヴィがメリアを背負い、必死になって走り離れていく姿が見えた。深く、奥深くへと向かっていく。
だが、この距離なら仕留めるのは容易だろう。
【錆染】は口を閉ざしたままヴィの背に銃槍の切っ先を向ける。
――あれはヴィコラじゃあない。偽物だ。
言い聞かせて、【錆染】は一度だけ目を瞑る。深く息を吸った。眦を決して赤く爛々と輝く双眸が残光の軌跡を刻む。
しかし引き金を振り絞ろうと決意したときには、ジン・ジェスターも、ヴィも、メリア・イクリビタの姿も完全に見えなくなっていた。
「……思ってたより冷静じゃなかったのはオレか」
【錆染】はぼやいた。暗闇のなか一人佇んで、名前も知らない少女を埋めた墓標を一瞥する。
「嗚呼、オレには全部無くなってしまったよ。チームも、【無式】もヴィコラも……ヴィも。何もないんだ。錆色の名にふさわしいだろう?」
墓標を見下ろし語りかけながらも。誰に向けた言葉ではなかった。自問自答。虚しく声が闇のなかに溶けていく。
「……許せるわけがない。過去を少しでも洗い流せば、オレが立っている場所は完全に無くなってしまうのに。ジンはわかっちゃいないんだ」
舌が熱を帯びている。【嘲り舌】でメリア・イクリビタの記憶に干渉した副作用だろう。だが、おかげで断言できる。
「あの怪物に自由と幸せを与えて奪ったところで、奪う相手がジン、お前じゃあ……あの怪物は喜んで受け入れるだよ。どうしてあんな怪物に構う……。そういう汚れ仕事はオレがすればいい。お前は透き通ってなきゃダメなんだよ……」
嘆くほかない。このままあの怪物を殺したところで、殺すのをやめたところで。復讐なんてものは達成できない。ケリを着けたところで何も得られない。
どうしてあの女に執着する? ヴィコラの愛した【無式】の名を穢すだけだと何故理解しないんだろうか。
「頼むからわかってくれよ……。親友。お前には沢山、いろんなものが残っているんだよ……オレとは違うんだよ」
【錆染】は悔やむように頭を抱えた。深くため息が溢れ、肩の力が抜けていく。反して、爛々と瞳だけが強く灯る。歪んだ愛の形が激情を燃やして、共鳴していく。
「誰も理解してくれなくとも……。少なくともオレはオレを理解できるはずだ。ヴィコラ、オレ達の【無式】を取り戻そう」
場所の推測はついていた。メリア・イクリビタの不死性を取り除ける施設は島に一箇所しか存在しない。
ギィ、ギィと。歩き進む。闇のなかを進むたびに錆びついた影が軋んだ。




