過去を想うこと
「ッ――……!」
見えない力が骨肉を軋ませる。歪な音が響くなか、ジンは即座に何条もの亀裂を巡らせ、重力場もろとも空を砕き割った。地面を強く蹴り込んで、距離を取って対峙する。
ジンはヴィを庇うように腕を突き出して後ろに下がらせると、【錆染】は小さく首を傾げながらメリアを重力の檻に閉じ込め浮かせた。
「メリア、お前とも話したいことができた。全部知ったんだろう? あー……隠すつもりはなかったが。そんな顔をするなよ」
ジンは言い淀んだ。なんてみっともないだろう。光褪せた眼差しが向けられると、殺意は錆びついてくる。
メリアは目を逸らした。じんわりと熱を帯びた眼を隠すように、浮力に縛られたまま顔を俯ける。
――ワタシのたった一人の友人を傷つけないで欲しいの。それに、全部ワタシが発端なら、……自由よりもケリを着けることを選ぶわ?
メリア・イクリビアの言葉が胸の奥に刺さったまま痛む。選択の苦痛が、何もかもを投げ出してしまうことを拒む。
「まぁ、傷つけただろうな。……悪かった。こんな言葉も意味がわからないか。もともと俺は、お前のすべてを奪うために自由にしようと思ったんだ。理性のない怪物ならとっととぶっ殺すつもりだったけどな。……今は、余計にどうしたらいいかわからないけどさ」
藻掻くことしかできない。許せないから暴れまわる。最初から何も変われちゃいないのだろうか。ジンは自嘲に顔を歪めながらアメウズメの槍を構え向けた。切っ先をメリアから、【錆染】へ。
「理解できないな。どうしてオレに槍を向ける? メリア・イクリビタに執着するのはなぜだ? 依頼通りに終われば彼女は自由を失って一生を時間の停滞のなかで留まる。それでいいじゃないか。お前はそのヴィコラと幸せになれ。彼女が残した意思だ」
ジンは敵意を突き向けた。身を沈みこませて、地面スレスレを滑るように疾駆した。槍の円弧が土を撫でる。振り上げた斧刃が荒々しく斬撃を曳く。
――金属音。【錆染】の大盾に迎撃され、劈き舞う火飛沫が、ほんの一瞬、二人の顔を赤く照らした。
「最初はお前が正しいと思っていた。俺は間違っている。いや、今もそれはほとんど変わらないさ。変わらないが――お前のやり方は気に食わないんだよ……!」
復讐の生産性なんてものはない。わかっている。だが光も見えないままわだかまった感情を、吐き出すこともできず、呼吸さえも苦しくて。そんな場所から逃げ出したくて、マイナスからゼロに戻ろうとしただけだった。
ゼロに戻ることもできないだろう。だから【錆染】は止めてくれた。だが――。
ぶつかり合う衝撃は苛烈な合図に他ならない。加速し、剣戟が空間を圧した。
共に広がった大気を錆びつかせる砂塵を、亀裂によって亜空の中へ切り取り相殺していく。ジンは盾に打ち流された穂先を、体ごと翻すように高く跳んで強引に振り下ろす。
同時、虚空にしまっていた無数のアメウズメの刃と血弾を【錆染】の周囲四方を囲うように解き放った。
盾のみでは防ぎきれない数と角度からの連撃。【錆染】は冷ややかな眼差しを錆びついた兜の奥から向けて、淡々と大盾で槍の一撃のみを防ぎ止めた。
そのまま力任せに押し切って、ジンを突き飛ばすように距離を取らせる。
「深く沈め――」
短い詠唱。異界道具の盾が生み出す重々しい力そのものが、飛来する刃も弾丸も地に落とし穿いて見せた。
ギィ、と。金属が軋めいて、【錆染】は気だるげに向き直る。
「……気に食わないか。ならどうするつもりだ? お前はこの怪物を許すのか? それとも殺すのか? 結論をつければいいじゃあないか。それとも選ばずどっちつかずにいつまでもヴィコラの遺志を巻き添えにして、【無式】の名を穢し続けるのか?」
言葉が突き刺すほど互いに激情は共鳴し、亀裂と錆の砂塵の効力は他者の誰とも受け入れないほどにまで浸食していく。
「話を逸らすなよ。【錆染】。お前が本当に便利屋として仕事をするうえで、ただ俺の行動を潰したいだけなら……どうしてメリアに記憶を見せる必要があった? 不要なことだろう? ――苦痛と喪失を見せつけようともしない限り……無意味な行動だ」
衝動が突き抜けた。深く踏み込んで距離を詰め直し槍の斧刃で横薙ぐ。大盾が打ち流すならば引き金を振り絞った。瞬間、冷却液をまき散らして白い冷気が広がり、結晶の刃が膨張し飛散した。
「ッ……!」
【錆染】の呻きが零れる。鎧ごと貫き突き刺さった結晶の破片は砂塵に覆われると塵となって消えていく。致命傷には到底届かなかったが。凄烈に剣戟が劈いた。
「お前は――俺にやめろ、やめろと言っておきながら、さも気にしないように振舞っておきながら――!」
砕け散った槍を虚空のなかに押し込んだ。反して、突き穿たれる錆びついた銃槍。アメウズメの短剣を二つ握りしめ、険しく光の飛沫を散らしながら強引に受け流し、槍の下へ、【錆染】の懐へと肉薄してみせる。
すぐ背後で轟く爆音。銃槍が発砲を行うと、衝撃と熱が全身を貫いた。直撃なら、体は砕け散っているだろう。排熱が槍の四方へと拡散し、背と首を殴り灼いただけだ。
それでも眩暈がした。皮膚の奥にまで熱が貫いて、涙と、砂塵と、煙で何も見えなくなってくる。呻き堪えこともしなかった。
よろめくこともひるむこともなく、知覚と共に加速して、獣のように叫び、結晶の刃を外骨格の関節部へ、肩と腕のわずかな隙間へ突き立てる。
ガシャンと。亀裂が走った。僅かな空間の切断で強靭な装甲を抉り、ナイフを刃の根にまで抉り込む。引き抜くと鎧の隙間から鮮血が噴きあがった。遅れて生え伸びる結晶はすぐに錆びついて風化していく。
「【錆染】……。お前は冷静なフリをしておいて。……お前も許せないんだろう。けど復讐もできないから、依頼を受けてお前自身を正当化したんだ」
望むものが重なる瞬間ほど苦しくて醜悪なものはないだろう。ほんの数瞬のあいだ、言葉を呑むように【錆染】はジンを見下ろした。
「最初に言ったじゃあないか。自分が正しいと思う事の為に戦え。でなければどんな戦いも無駄だ。便利屋だから依頼を受けた。けど矮小化しないでくれ。復讐なんかじゃあないさ。オレはヴィコラと、【無式】を想っているだけさ」
無機質な兜の奥から覗く赤い眼差しは、今を見てはいなかった。




