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終末に珈琲を飲む  作者: 終乃スェーシャ(N号)
五章:光へと向かう道
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重く錆びついて



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 【錆染】は慣れた様子で最後の階段をあがっていった。


 夜の帳が近づいて、空気は一層湿度を帯びていく。嗅いだことのなかった地上の匂いが、ついに肌に触れた。


「よかったじゃあないか。メリア・イクリビタ。君がすべてを壊してまで辿り着きたかった地上がすぐそこにあるぞ」


 潮の匂いを帯びた風が髪を靡かせて、こみ上げた嗚咽を押し殺すようにメリアは深く息を呑んだ。半壊した階段はだんだんと土と落ち葉が重なっていって、上がっていく脚があまりに重い。


 けど立ち止まることも引き返すこともできなかった。一歩、また一歩と地上へ向かう道を、光があると思っていたはずの道を踏み締めて――。


「――ッ、ワタシは」


 地上に辿り着いた。だというのに、俯くことしかできない。喜ぶことも、悲しむこともできなくて、ただ茫然と立ち尽くす。


 掴みどころもなく手を伸ばしたが、指先は夜闇を撫でて空振った。


 鬱蒼とした影と土だけを見続けて、さざめく虫の音も、穏やかに撫でる波音さえも拒絶するように耳を押さえた。


 だんだんと蒼白してどうしようもなく目は見開いて、血走っていく。息の仕方も忘れるように、瞬きもできずに固まった。


「初めて地上に出られたのね……?」


 現実を呑み込まなければならなかった。引き攣った声で尋ねても、答えてくれるのは自分自身だけだった。ぷるぷると、小さく首を横に振って、じんわりと、眦に涙が滲む。目頭が熱く潤んだ。


「……ジンと、ジンと一緒にこの感覚を味わいたかった……。約束してくれたのに、ワタシは――」


 取り返しのつかない喪失感を前に喉の奥が痛んだ。指先がちりちりと痺れている。けど、そんな想いを抱く権利はどこにある?


 ――ワタシがヴィコラを殺してしまったのに。……それでも。


「初めて土を踏むなら、ジンの隣で踏みたかった」


 溢れ出た感情の吐露。心臓を何度も、後悔と自責ばかりが突き刺す。じんわりと、噛み締めることもできずにぼんやりと歯が浮いた。


「人でなしが人間ごっこの挙句に、生娘気どりか?」


「生娘…………」


 ぼんやりと復唱した。瞬間的に熱が膨れ上がって、行き場を失って萎んでいく。ほんの刹那、紅潮した頬はすぐに引き攣って、歪んだ。


「ワタシが生娘なら……唯一の幸運は、夜のおかげであなたと何も見ないで済むことね?」


 【錆染】は淡々と歩を進め、動けずにいるメリアの腕を強く掴む。


「ッ……ぅ」


 小さなうめき声。骨が軋み、肌に食い込んだ錆色の痣は不死の呪いによって消えていく。


「悍ましいな。島を貫くほどの力を放っていても、光が褪せても、いまだに感情は健在しているんだからな。常人なら廃人だ。あんな破壊を起こすほどの力に耐えきれないだろう」


「そう造られたの。ワタシは生まれたこと自体がいけなかったの?」


 錆びついた兜の奥から覗かせる鋭い視線。銀の流れるような髪と、泣くこともできないメリアの表情が映り込むと、ヒーロー然とした態度以上にふつふつと理解しえない想いが湧き上がってくる。


 だから【錆染】は腕を掴む手に一層力を込めた。


「そうかもしれないな。不幸ばかりだ。誰も幸せになっちゃいない。だが、君がそんな怪物だからこそ自分で始めた悲劇に決着をつけることができるんじゃないのか? 君はまだ償えるさ。悲観することはない」


 上っ面だけの言葉を吐いて強引に彼女を引っ張った矢先、メリアは再び歩を止めた。息を呑むような音がして腕に伝う力が強ばる。


「待って…………おねがい」


 懇願。弱りきった声。【錆染】は歯を軋ませながら立ち止まった。苛立ちながら、少女の視線を追っていく。


 黒く鬱蒼とした森のなか、太い幹の下に寄りかかって一人の少女の亡骸が座り込んでいた。


 頬に刻まれた被検体のバーコード。メリアの呪いの痣。体格に合わない研究者の白衣。片腕が斬り飛ばされていた。


 見つからない腕の断面からは血を吸った結晶が生え伸びていた。半透明で、蝶の瞬きに呼応するようにぼんやりと蛍光している。


 【錆染】は結晶を見ると同時、嫌気が差して顔を背けた。


「【無式】……どうしてここまでおかしくなる必要があるんだ」


 ぼやきに誰も答えない。早々にここを離れようとしたが、むしろメリアは亡骸を背負い、落ちていた枝で土を掘り始めていた。


「その少女とは知り合いだったのか?」


「名前は……知らないわ? 多分、なかっただろうから。でも、一度だけ彼女と会ったことがあるの」


 ――私がすぐに死んじゃうって? でも仕方がないんじゃない? 誰かを犠牲にしないとどうにもならないことだってあるでしょ? だから……怖がらないで。難しいかもしれないけどさ。損だよ? 諦めちゃうの。


 地の底で、そんな言葉を掛けられたことがあった。ただそれだけの小さな言葉をつなぎとめるように、メリアは無心になって土を掘り続けていく。


「無駄な行為だ。やめろ。お前はお前のためにそれを埋めようとしているに過ぎない。死んだら、その先はないんだよ……。あれほど殺しておいて君にはそんなこともわからないのか?」


「ワタシが人間ごっこをしていると思うのはいいわ? けど、彼女は怪物じゃない。……お願い、お墓を造らせて」


 【錆染】は言葉を交わそうとはしなかった。沈黙を貫くと、異界道具の重力場によってメリアを強引に宙に浮かばせ、引きはがす。


「……お願い。ワタシがしなければならないことはするから」


 空気が鳴いた音。透き通るような震えが鐘の音を奏で、失われたはずの光が光輝していた。蝶が無数に瞬いて、こぼれ出る力に呼応し、共鳴していく。


「……お前は自由になって何がしたかったんだ?」


 【錆染】は達観して尋ねた。少女を地に下ろすと、すぐに終わらせるために地を錆びつかせ、刳り取っていく。


「……それすらわからないから、自由になってみたかったの。研究者たちのように、何か目標が欲しかった…………」


 儀式のように、メリアは少女の亡骸を下ろした。虫の声、波の音を聞かないように、ジッと足元ばかりを見詰めたまま土をかけていく。


 少女の我儘に付き合い終えて、静寂のなか【錆染】はゆらりと立ち上がった。振り返るのも億劫で、深くため息をついて銃槍を構える。


「……だから嫌だったんだ。どうしてオレがお前達の後始末をしなきゃいけない? ジン・ジェスター……。どうしてお前はこうも【無式】の名を穢せるんだ?」


 怒りが、激情が力を行使するために血を巡る。兜から溢れる瞳の残光。鋭い睥睨が、地上にまで辿り着いた敵を見据えた。


「俺もお前に聞きたいことがある。【錆染】……、お前は俺のためだとか、なんだとか言うが……それとメリアを苦しめることがどう繋がるんだ? なぜ彼女に記憶を見せつけた?」


 相容れることはできなかった。許すことなどできない。


 【無式】とヴィコラを殺した女。【無式】でなくなったジン・ジェスター。ヴィコラの偽物。過去が錆びついている。風化していく。


 何もかも、反吐が出そうで。深く、大盾を向けた。


「深く沈め――【矜持】」


 異界道具の力を際限なく行使せんと、唱える。瞬間、重力は目障りな敵を深く、地に跪かせた。

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