一人目……(四)【交流の二十四時】
◆◆◆
「――ヌイナさん?」
「そう。ヌイナだ。今宵、キミのおもてなしをすることになったらしい、お姉さん……だよ」
何故だか少しだけ、自身を『お姉さん』と言ったところで感情にぎこちなさを表したヌイナ。優しげな微笑みはそのままで、眼鏡のテンプルに指を沿わせた後に、物憂げな視線を彷徨わせた。
イツキは疑問を抱くけれど。でも特に触れず、
「……おもてなし、ですか?
お客さんへの接客係的な意味でしょうか。でもすいません。断っておくと私は、お客さんじゃありませんよぉ。というか溢姫自身、なんでここで眠ってたのか経緯不明のぽけー状態なのですが」
そうやって自分自身の実状を伝えておく。
これが普通に『お客さん』として来ていたのならよかったのだけど。違うのが申し訳なくて。
お世話になったし。今度は改めて、大勢の友達を誘って客として来ようと心に決めたイツキ。
「あっ! その『おもてなし』は比喩表現だったのでしょうか。すいません、すぐ解らなくて。ヌイナさんの方が私のこと詳しいはずです、よね?」
でもすぐに思い直して、それも言葉にした。
客として来てないのは当然ヌイナも承知であり。
その『おもてなし』とは、彼女自身がイツキの面倒を見てくれた行為を指していると感付いたから。
――事の経緯。それは……。
きっと帰宅途中に転んで頭でも打って、ここに運ばれて手当てを受けたとか。そんなオチで。
――たぶんヌイナさんは、自分に対し逆に気を遣ってくれているんだろうなと想像する。
イツキが店で保護され世話を焼いてもらった行為に対して『すごく迷惑をかけてしまった!』と必要以上の自責を感じて、あわあわと。目が回るほど頭を下げたりしないように。彼女は『はぐらかして』気配りをしてくれているのだろうなぁと連想。
「ふむ……」
「……ヌイナさん。だから、あのぉですね」
けどそれはそれで、イツキ的にダメだ。
はぐらかされたままだと、ちゃんと『お礼』が伝えられないから。それは良くない。親切な行為には心のこもった感謝を返すべきだと教えられている。
イツキは遠慮がちな目線で、真実を。
包み隠されていない正確な説明を催促してみた。
「――なるほど、ね」
「はい? なる、ほど……?」
ヌイナはブーツのつま先を鳴らし、
考え込むように腕を組んでから沈黙を破る。
「もしやと思ったが……そっか。経緯不明か。
なおのこと、ややこしいな。実を言うと僕の方も状況をいまいち理解していないんだ。ごめんね」
「ふぇ……?」
「ふと気付くとね。キミが店の中に居た。さっきも話した通りに、びしょ濡れの姿で床に横たわっていたんだよ。僕とキミはそこからの付き合いだ」
彼女からの返しは、まったく予想外のもの。
息を詰めるような言葉であって、
「――ミステリーじゃないですかッ?!」
イツキは立ち上がって吠えてしまう。
「ははっ、まさにミステリーだ」
店に突然現れた、一部記憶を失った女子高生。
なんだか物語が始まりそうだけど。そんな面倒臭そうなイベントは発生するわけがない。イツキの人生観では起こり得ない。なんせ自分は少し古い家柄をしているだけの、友達曰く『元気ポンコツ愛されチビッ子キャラ』でしかないのだから――。
「――冗談ですよね?! 私達の居るこの世界はミステリーなジャンルじゃないですよねっ!?」
「ならホラー・ミステリーかも知れないよ?」
「むぅぅ! やめて下さいよぉ!
どこからか『ホラー』くっ付けないで下さい。仮にこの世界がそんなジャンルだったら、私きっと冒頭で犠牲になって見つかる女学生とかの役ですよぉ、きっとそう! 絶対に嫌です。個人的には怖くも悲しく痛くもなくて、ちょっぴり甘酸っぱい。ほのぼの青春的な現代文学が好みですからっ!」
「いいね、物語の好みが合いそうだ。
昔は本の虫だったから、さ。僕も自然とそういった流行りの物語も読んでいたよ。あぁ本に埋もれてた青春も懐かしいな。とても残念なことに、近頃はぜんぜん読めなくなっちゃったけどね」
ヌイナは相槌を打ちながら。何かを探すようにカウンターの上、次いで下方、右へ左へと視線を動かして。床に落ちていたレシートを「あった。こんな所に落ちてたんだ」と拾って苦笑いを浮かべた。
「――じゃあ『物語』で説明しようかな」
そうして、打ち付けに、
「この世界が仮に『物語』だったとしてだ。
ジャンルはミステリーか、ホラーか、現代文学か、ファンタジーなのかは不明で。登場人物には伺い知れない。だけどね。世界に登場を、存在を許されたからには、必ず各々に『役割』があるはずで――」
「役割、ですか?」
「そう。冒頭で犠牲になって発見される女学生。
キミは自分をそう喩えたね。死という終わりだけで完結した存在といっていい彼女。でもね。これもとてもおかしな喩えだけど、彼女は『犠牲になる為』に生まれたんじゃないんだよ。彼女が登場したおかげで世界に『意味』が生まれたんだ。彼女が居なければ、決してその形で世界は『意味』を成しはしなかったから。彼女はきっと『生きた証』を、その後の物語という流れに繋ぐ為に生まれたんだろう。素晴らしいよね。物語の人間も、現実の人間も生きた証を遺すことが本質的な存在意義だ。すなわち、物事の主観的観測を可能とする『意味』が生じる為には、誰かに与えられる『役割』が必要で、役割には『目的』が伴うもので。ということで――」
伸ばされた右手。
イツキは開いた手のひらを向けられた。
「――キミの役は『御客様』らしいよ?
この世界を動かし始める、とても重要な大役さ」
掲げられた左手。
レシートが指で挟まれ、言い放たれる。
「――キミを『助けてあげて』欲しいって。
それがキミに伴う、僕達の目的になるのかな?」
「はい?」
「――僕が答えるのは、今はここまでにしよう。
頼まれたなら。委ねられたから。望まれたとしたら、さ。僕はキミを『おもてなし』するから」
イツキは、ぽかーんとしてしまった。
「わかり辛いかな? じゃあ、よく聴いてね。
夜のこの店に来れたという事は、キミには御客様という『役割』がある。次にその意味だ。僕が思うに『意味』には『目的』という規定、方向性、目指す地点が同時に定まっていて。つまるところ、問題は『目的』さ。目的には『理由』が隠れている。そういった縁に誘われたのか。導かれたのか。招かれたのか。あるいはキミ自身が求めてしまった、ということだろうか。まぁそれは追々考えるとして。具体的にキミを助けるとは――」
「へぇぇ……そっ、そうなんですね」
――何を言ってるんだ、このお姉さんはと。
すごい早口で言われてしまい、イツキの頭は情報の処理限界を超えて蒸気を上げた。ぽけーと。こうなってしまうと思考の再起動に時間がかかる。
そんなイツキの姿に気付いたヌイナは「おっと、ごめんね。僕の悪い癖だ」と咳払い。「会話に興が乗ると、相手を置き去りにしてしまう」と彼女は漆のような黒髪の毛先を丸めて、顔に反省の色。
歩き出し。すれ違いざまにイツキの頭を撫でる。
「なーんてね。どうだい? 僕ちょっとミステリアスなお姉さんぽくなかったかな? ははは……」
それで笑って誤魔化すようにして、
「何か暖かい飲み物でも入れようか……? 頭を使う時は、珈琲か甘い飲み物が欲しくなるよね」
手を打つと「僕の奢りだ。祈追さん珈琲は飲めるかな? 紅茶は好き? ココアとかもあるよ」そう続け、厨房側に回って行こうとする。
「――って! ごめんなさい。ヌイナさん。
私もう帰らないといけません。もうこんな時間。
お婆ちゃん、溢姫を心配してるだろうから……」
イツキはそこで再起動。
あまり関わった事のないタイプのお姉さんであるヌイナとの会話は、掴み所が無くて、遊ばれていた感もあったが楽しいものであった。けど時間が。
なんだかんだ、もうすぐ日付が変わってしまう時間になっていて。ハッとし、慌て出すイツキ。
まだしっかりお礼も伝えられていないけど、詳しい経緯をはぐらかされたままなので。どうしようもないから、今日のところは帰宅を急ぐべし。
「――え? まさか。そのまま帰るのかい?」
「この服は、クリーニングして返しにきます」
「あぁ、違う。そういう事じゃなくてね――」
二人の内心を覗けたとしたら『Q.僕の話を聴いてたかな?』と『A.意味不明でした!』で『A.ごめん。やはり置き去りにしてたね』だろう。
「……うーん」
ヌイナは何かを躊躇うような顔、黒絹の髪を靡かせて振り返り。思考を巡らしていたのか動きを数秒だけ止めた。それから眼鏡をゆっくり取って、端麗な顔で狐目を瞑り。深々と溜め息をした後にイツキに「本当に帰りたいんだね?」と厳かに静かな口調で伝えてくるのだ。
「ヌイナさん、どういう意味ですか?」
急いでいても、話している相手の顔を見て会話するように教育を受けているイツキは、自分の鞄をあさって帰り支度をするのを止めて返事をした。
「行きは宵々。帰りは、こわい。
こわいながらも……。行くのかい?」
夜遅くだけど、今帰るのは怖くないか?
それだけの意味にしか捉えられなくて、
「――もっ、もちろんですよっ!」
あたふた、あたふた。あわあわ、あわあわ。
両手を振って、強く頷いてみせたイツキ。
「わかった。確かに聞き届けたよ。
祈追さん、キミの意志を尊重するね――」
そう言葉を告げて。相手の意思を確認したヌイナは優しく頷き返してから深呼吸し。手のひらを合わせ、指を組み、隙間で窓を作る。其は【狐の窓】と名の伝わる呪いだ。その窓を覗き込み、イツキの姿を指の内に納めておく。それらが済むと、組んだ指窓を崩して空間に轟くような高い拍手を響かせた。
――端を発して、世界は歪む。
◆◆◆
――隠されていたものが、顕になる。




