一人目……(三)【邂逅の二十三時】
◆◆◆
――とぽんっ、と……。
静寂を保っていた水面にでも、何か落ちた音。
長い間、気にはしなかった。けれど随分と刻が流れてから、でも『音の正体は何だったのだろう?』疑問を抱くようになって視線を上げた。
するとどうだろう。天上には幾重もの輪となって揺れ広がる透明な波紋。宙に網模様を描き、きらりきらりとする光の反射。まるで水中だ。
眺めているとその光は唐突に遮られて、白装束を身に纏った童女の姿を見つける。数多の気泡を立ち上らせて踠くようにする童女だ。その両足は縄によって固く縛られ、縄の先は岩と繋がっていた。
その童女との邂逅に意味は無くて……。
どうする事も叶わなくて、むなしさが過ぎる。
きっとこれは泡沫の夢。過ぎ去った祈りの跡。
童女はいつの間にか踠くのを止め、手を合わせて事切れていた。静かになった彼女は『私』と視線を交差させてからゆっくりと下へ沈んで行く……。
水底から、蒼白い無数の腕が伸びてくる。
彼女の祈りを追うようにして、
きっとそう、『私』も沈んで行くのだろう――。
◆◆◆
――誰かの声がした。
「――悪いね、少し待っててくれるかい?」
鈴が転がるような声。優しげで安心する声。
その声の主はそのまま何処かへと遠ざかってしまったのか、近くには人の気配が居なくなる。
誰も居なくなり。理由を忘れた『胸騒ぎ』のようなものがして、徐々に意識を浮上させるイツキ。
「……すぅ……よぉ――」
数分も経ってから、ようやく現実へ帰還。
起床の苦手なイツキは、ふにゃふにゃと動き出す。
いつも抱いて眠っているクマさんが無くて、アレが無いと「私は熟睡できないんですよぉ」といった意味の寝言を呟いた彼女。もう少しは寝たいと、寝惚け頭でクマを探そうと右左に腕を伸ばしているうち、固いものにぶつかってしまう。
「――痛いですっ」
目を開くと、座卓にぶつかった形で自分の腕。
「んむぅ? ふぁぁ……。あれれ?」
まぶたを擦って起き上がると、そこは真ん中に立派な座卓の置かれた畳張りの座敷であった。
掛けられていたタオルケットがずり落ちて。
ぽけーと口を開けたまま、とりあえず前回の記憶を『Now Loading!!』しかし残念です、読み込めませんでした『セーブデータが一部破損しています』と彼女の脳内で警告文が流れる。
立ち上がって視界を広くしてみれば、周囲の様子からして「ここは……お店ですか?」と。イツキは現状の自分が置かれた環境を知るのだ。
――お店、けれど他に誰も居ない。
営業時間外の飲食店とかなのだろうか?
「どうしよう……。前に友達とやった、すぷらったーホラー脱出ゲームの導入部分と似たシチュエーションです。たしか、さっきまで人が居た形跡の残る旅館の座敷で目覚めた女学生が、刀を持った殺人ピエロの怨霊に襲われるっていうアレ……」
イツキは顔をひきつらせ、身を震わせた。
頭のセーブデータを復元しようとして失敗。変なものを思い出し、忘れようと頭を振る彼女。
そんなことより経緯だ。本当に思い出せない。
思い出せるのは、学校からの帰り道まで。
人通りが少ない古民家の並ぶ道で、下を流れる用水路の中に『くにゃくにゃ』とした薄い蒼白い影のようなものを発見し。目を凝らして見ていたら後ろから何かが、どすん? その後は、必死で……。
「むむぅ。思い出そうとすると、嫌な感じ」
……やっぱり。どうしてか、何があったのか。
ここにたどり着くまでの経緯がわからないぞと。
それとイツキの両手首には包帯が巻かれていて、制服ではなく見慣れないブカブカなノースリーブの黒いワンピースを着させられている。これは誰かにお世話になったのかも知れない。
「すいませーん! あのー!
すいませーん! 誰か、居ませんかぁ?」
奥の『従業員出入口』とプレートが掛かった扉に呼び掛けてみるが、返事は無かった。
タオルケットを畳んで、きょろきょろ視線。
脱げていた靴は座敷席の下に揃えて置いてある。
「そーだ。困った時は、まず『あーかいぶを探してみようね!』って友達が言ってました……って! いやいやコレ、ゲームじゃないんですけどぉ」
心細くて一人でノリツッコミ。
でも『あーかいぶ』を探す必要性は無いが、
「私の鞄がありません。どこかにないかな?」
鞄が無いと困ってしまう。携帯電話も身分証もお財布も全て中に入っているのだから。ゲームみたいに散策するわけではないが、探しておきたい。
とりあえず靴を履いて、店内で失礼のない程度に歩き回ってみようと決めたイツキ。
「……うーんと」
見回してみた店内の様子としては、
「和風な、もだん? オシャレなお店ですね!」
ゆったり奥行きがある15坪くらいの空間。
天井には組み木細工の綺麗な照明が等間隔で垂れ下がり、照明は地面に影紋様を描いている。座敷席の対面には細長い厨房があって、そこを囲むよう屋敷の軒天と雨樋を象った装飾の屋根が伸びており、その下に提灯の揺れるカウンター席がある。
「溢姫じゃ、とても一人じゃ入れないお店です。
友達に誘われないと、緊張して入店もムリぃ」
入り口だろう木扉の横には、左に階段箪笥と灯籠形の行灯。右に大きな丸窓と、簾みたいなパーテーションに、縁起を担ぐような小物が売られてるのか飾られているかの長棚。丸窓からの光が射し込むであろう位置に香炉の乗ったテーブル席が3ヶ所。その脇に、描きかけのキャンパス、レコードプレーヤー、梟の剥製、天体望遠鏡、車輪が重なり合った複雑な天球儀、柔らかそうなソファーと続く。
「窓の外、もう真っ暗ですね……」
それ以外にも、辺りの棚や壁にはインテリアだろう様々な雑貨が飾られていて。こちら側にも階段箪笥、それに丸い飾り棚、アンティークな本棚、振り子式の古時計。壁には平たい和時計が数個、様々な種類のお面、美しい風景を撮った写真の額、絵画、羽子板、掛軸、小鏡、プランター、八卦盤、瓢箪、扇、柄の無い番傘なんてのもあった。
「んぅ――?」
……時計。時間。置いてあった時計を二度見。
「――え、えぇ!?
もう23時を越えてるんですかっ!!」
驚愕だ。決められた門限はとくに無いが、お婆ちゃんはきっと心配しているだろうとイツキは焦る。
あたふた。早く帰らなきゃいけない。あたふた。私の荷物と制服どこいった? あたふた。あぁその前にすぐにお婆ちゃんに連絡を「う゛ぐっ!」焦り過ぎてカウンターに背中を強打してしまう。
女子高生にあるまじき汚い声。
痛みで仰け反って足が縺れる。
拍子に置かれていた伝票立てが倒れ、収められていたレシートがヒラヒラ宙を舞ってしまって。
そして尻もちを着いたイツキの上に乗った。
「痛たたぁ……。ん、なんですかコレ?
『御客様。追われていた。水気。縁を断とうとした。でもこれはいけない。日の出までは持たせる。送ってあげて。助けてあげて。愛しい人』と?」
持ち上げたレシートの裏に、なぐり書きのように記されていた……よく意味が解らない文字。
もしや、あーかいぶ? イツキは首を傾げる。
まぁとにかく。今は急いで連絡とかを……!
尻もち姿のままに、きょろきょろ。あたふた。
そんなところで、
「――大きな音がしたけど……おや。
キミ、大丈夫かい? どこか怪我はしてない?」
「――はわっ?!」
さっきの『従業員出入口』が開いて、鈴の転がるみたいに澄んだ声がイツキにかかる。
奥からスタスタと近付いて来る足音。普段ならそんななんて事ないのに。何故だか『足音』に必要以上の恐怖を抱いてしまったイツキは、身体を小さくしてカタカタ震えてしまう。そんな彼女の内情を知ってか知らずか、いや知らないだろうが、
「捕まえた。なーんてね」
ぽん! 声の主は、イツキの頭に手を置いた。
「そんなに震えてどうしたのかな?」
「はぁ、びっくりしました。
大丈夫です……ありがとうございます」
「うん、どういたしまして。
それから、おはよう……だね?」
「おはよう、ございます?」
「体調の方とかも異常は無いかい?
びしょ濡れだったから……ね。女の子に対して申し訳ないけど、勝手に着替えさせてもらったよ」
「私、色々とお世話になっちゃったみたいです。
重ねてありがとうございます。えっと?」
頭を撫でられ、完全に子供扱いされるイツキ。
「深く眠っていたようだったね。
でも思ったよりも早く起きてくれて良かった」
膝を曲げ、視線を合わせて微笑む女の人。
はんなりとして優しそうな女性だった。
見た目の年齢は二十才前後か。腰くらいまで伸ばしたストレートの黒い長髪で。オーバル型の眼鏡をしていて。白皙な肌、華奢な体躯の綺麗な人だ。
彼女の服装は白いシックなフリルブラウス、黒いロングスカート、肩に薄茶色のストールケープを纏っていて、履き物は濃い茶色の編み上げロングブーツ。綺麗なことに加えて、お洒落な人だ。
「立てるかい? はい、お手をどうぞ」
人懐っこい笑みで、イツキは手を引かれる。
「キミの鞄はここに。拭いておいたよ」
その後、女性はカウンター下の荷物置きスペースから探していた荷物を取り出し渡してくれた。
服一式は店の奥で干してくれているらしい。
「さてと――」
彼女はそう言ってカウンターの椅子を引き、そこへ座るよう招くジェスチャーをしてくる。
少々急いではいるが、仕方ない。とても自分にお世話を焼いてくれた人なので黙って座るイツキ。
「どこから話そうか」
「えっと、私は溢姫。【祈追 溢姫】です。
初めまして、でしょうか? お姉さんは……?」
「あれ……? ん、そうか。ふぅん。
キミはヌイナとは直接会ってなかったんだね」
イツキの挨拶に対して「ややこしいね」と小さく洩らすと肩をすくめてしまう彼女。若干の困り顔で眼鏡を取って、はぁと溜め息。カウンターを指で一度二度鳴らし、しばらく考えるよう唸った後、
「――なら、僕はこ……いや、ヌイナ。
この店のしがない副店長代理さ。よろしくね」
彼女は自身の名を【ヌイナ】と、そう告げた。




