骨董屋の主人④
街に帰ってきたのは朝だった。最終汽車よりは早く着いたので馬車を使ったのは正解だと言えるが、仮眠とも言えない少ない睡眠時間で署に行かなけらばならず、体調はひどく悪い。なんとか雑務を終わらせて18時頃、エルクは骨董屋の前に立っていた。色々理由をつけて、もはやこうすることは警察としても避けられないとエルクは十分に承知した。ただ、それとこれとは別に居心地の悪さが確かにあった。女性相手にいつも先陣を切らされる戸惑いもあって余計にだ。店主に告げる言葉をエルクはまだ見つけられていない。店先で逡巡していると流石に人の視線が無視できなくなり、腹をくくって先日とは違って「OPEN」の札がかかっている店の扉を押し開けた。からからと心地よいドアベルの音とは正反対に、気持ちも扉も重かった。
「いらっしゃいませ」
店のどこから店主の声がする。店主の香水であろう甘い香りが漂って来たので、まっすぐにそちらに向かうと、レジスターのある机で頬杖をつき本を読んでいた店主は顔をあげて目を丸くした。そんな彼女を見てさらにエルクはどうしたものかと俯いた。店主は微笑し、本を閉じる小気味好い音がした。
「今、表の札を返してきますから、よろしければ奥で」
「お言葉に、甘えます」
深々と頭を下げた。
店の事務所は前よりも雑貨が増えたように思う。代わりに前見たものがなくなっていたりするので、それなにり商売はできているのだろう。差し出された、おそらく彼女がいつでも飲めるようにしているのであろう紅茶を、感謝の言葉を述べてから一口飲んだ。上質な香りと渋みが、体内を流れると同時に波打っていた心を穏やかにしてくれる。ふっと息を吐く。店主はこちらがいつでも話始められるように、手帳を開いて事務作業をしていた。紅茶を飲み終えた頃にはエルクの心内はいくらか落ち着いて、ゆっくりと口を開いた。
「申し訳ない話ですが、今現在で警察が事前に犯人を捕まえることは難しいです」
店主はゆっくりと顔を上げ、こちらをまっすぐに見た。
「貴方の情報提供のおかげで容疑者と思わしき人物は見つけられました。しかし、証拠もなければ動機も考えられません。リストから外されないものの、今の時点で容疑者を拘束することはできません」
店主は黙って次の言葉を待っている。
「次に起こるであろう満月の日まで我々警察は尽力します。そして、今までの捜査で次に狙われるのは店主さん、あなたの可能性が高い。犯行日までに犯人を捕まえるのが理想ではありますが、それまでの間、貴方に護衛をつけさせてください」
「……それは、拒否権はないのでしょうか」
彼女は不安げに手帳の表紙を撫でた。
「そう、ですね。ほぼ確定事項です。しかし可能な限り店主さんの要望はかなえたいと、俺は思っています。今のところ、警察内での希望は少し離れた位置に二人、近くに一人です。ただこの近くにっていうのが問題でしてね、昼は問題ないでしょうけど夜とか朝とか寝室の中までそばにいろって言うんですよ。いやそれは流石におかしいだろうって思うんです」
店主はくすりと笑った。
「あの、じゃあ寝室の外はどうでしょう。ドアを隔てればまだ私も安心できます。窓に鍵をかければ、犯人もなかなか入ってこれないでしょうし。寝室の窓は大通りに面していますから、外の方はそこで」
店主の提案にエルクは激しくうなずいた。
「ありがとうございます!責任もって職務に努めますので、どうぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、残り一週間ほどでしょうか、よろしくお願いしますね。それとエルクさん、深夜の警
護の室内のほうは、件の日まで毎日あなたにお願いしてもよろしいでしょうか?お辛い事とは私も分かっているのですが……」
その言葉にエルクは驚く以外できなかった。
「可能だと思いますが、なぜでしょう」
「知らない人よりも知ってる人が良いなと。それに、エルクさんが一番安心できそうだと思いまして」
向けられた感情は胸の奥をくすぐった。今、市民に自分が頼られている事実は警察官のエルクにとってはどうしようもなく嬉しい事だ。
「拝命いたします」
嬉しそうに店主は笑った。
次の日、早速護衛が始まった。朝に昼の護衛の者たちと一緒にエルクも向かい、そこで昨日から護衛についての追加の話があり、もし自分たちがいることで営業に不利益が出たらと、この護衛期間に骨董屋の売り上げが下がった場合、その分は払うという提案だった。それを骨董屋は固辞した。なんでもそう毎日売り上げがあるとは限らなく、たまに出る大きな値段の物で生活をするのだとか。並べている品を見ると、安物だと銅貨3枚ほど、子供でも買えるものもあった。だから気にしなくていい、なんなら大きい買い物をする客は、警察くらいじゃ物怖じしないところころ笑っていた。しかし直ぐに眉をひそめ、玄関口に警察官が立っているのはこの店のお客さんじゃない人たちの方が怖がりそうですね、と呟いた。外担当の同僚は玄関からほんの少しだけ距離を置いた位置にいることにしたそうだ。エルクはいったん仮眠し、夜にまた向かうと、やはりずっと誰かがいるというのは精神的に負担なのだろう、店主は労働で溜まる疲労とはまた違った疲労を抱えているように感じた。買っていおいてよかったと、ここに来る途中で見つけた最近人気のショコラティエの菓子を渡すと、店主は顔を明るくさせた。
「ありがとうございます。ここ、気になっていたんです」
はにかんで受け取ると、店主はエルクを奥に招き入れた。
「きっとこれから眠くなりますし、コーヒーはいかがでしょう?」
「是非」
事務所のさらに奥に広がる居住スペースに案内され、促されて適当な椅子に座る。ダークオークが基調の家具たちに様々な種類の観葉植物が並ぶ。物は少なく、綺麗に整えられている空間に緊張していると、次第にコーヒーの香ばしい香りが広がってふっと、上がっていた肩が下がる。あらかじめ出されていた砂糖とミルクを弄ぶ。少しして出されたコーヒーは、残念なことにエルクはよくコーヒーの違いが分からないが、それでも美味しいと素直に思えるものだった。
「コーヒーも美味しいです」
「ありがとうございます」
彼女は向かい側に座った。先ほど差し入れたショコラをつまみながらホットミルクを飲み、手帳を開いて文字をなぞっている。
「これ、美味しいです。ありがとうございます。好ければエルクさんもいかがですか?」
「あ、じゃあ一つだけ」
買って来たのはそこそこ種類が入ったアソートだったので目移りしそうになるが、ここで真剣に選ぶのは気恥ずかしく、一番近くにあったものを口に入れた。苦みの強いものだったが嫌ではない味で、コーヒーにミルクと砂糖を少し加え甘くして飲むと、口に残った苦みを甘味が和らげて二度美味しかった。
「エルクさん、これから一週間ほどよろしくお願いします」
「こちらこそ」
改めて頭を下げた店主に、こちらも頭を下げて応えた。
飲み終わったカップを片付け、部屋に向かう彼女の後を追い、おやすみなさいと声を掛け合って部屋に入るのを見届けたのち、エルクは座り込んだ。これから夜明けまでは暇な時間だ。こっそり持ってきておいてよかったと、アランに見つかったら説教だなと苦笑いを浮かべつつ、最近はやりの小説を取り出した。本がいつでも読めるいい時代になったものだと頁をめくっていった。部屋から感じた、人が動く気配もなくなって、いよいよ静寂が夜を支配する。落ち着く、と小さく言葉に出した。
エルクは昔から夜のほうが好きだった。そこそこ歴史のある事業主の四番目の子供として生まれたエルクは、物心ついた頃にはすでに長兄が家を継ぐ修行をしていたため、何の責任に負われることなくそれはもう自由に育った。しかしそれでも柵は多かった。嫌になってはその晩に、こっそりと一人だけで庭を散歩した。語り掛ける風、寄り添う草木、昼はこうも優しくない。特に見守ってくれる月はエルクにとって一番の理解者だ。それは今も不思議と変わらない。夜はエルクのすべてを満たしてくれる時間なのだ。そこに小説があったら完璧だ。自分が自分ではなくなって、ある時は探偵、ある時は魔法使い、ある時は冒険者。夢中になってエルクは頁をめくった。冒険に終わりが来たところで、布擦れの音が部屋から伝わってくる。廊下の突き当りにある窓から白い光が差し込んだ。夜が終わり、エルクに戻る時間ようだ。窓に寄って朝焼けの紫を眺めていると、扉が開かれた。同じ朝焼け色のワンピースに身を包んだ店主が姿を現す。
「おはようございます」
「おはようございます!」
店主の挨拶に元気よく返す。
「これからお休みなら、ホットミルクを飲みませんか。蜂蜜入りの」
「大好物です」
お礼を言い、彼女の後を追う。またふわりと、彼女から果実の甘い香りが漂った。香水だと思っていたがそれにしては自然な、まるで彼女自身がその香りを持っているような、そんな香り方だった。




