咎“fault”
ルスは名織へと語る。
「私もまた、ただのディバイドじゃない――彼とはまた別の、化け物です。
私は元々オーガでも何でもなく、ティアンスでした。それこそ、逢坂宗次くんのように。
……それはあなたが一番よく知ってますね。
私は故あって、別の世界から来た鴇弥名織です」
「……そんな話、信じられるわけ――」
「ない、とも言い切れない。全く、往生際が悪いんですね。……ま、そこらへんあなたのこと言えませんけど」
ルスはふぅ、と一つ嘆息して名織に同調してみせる。
「ま、そうでしょうね。時空を駆ける事例なんて聞いたことがないでしょうし。
でも、聡明なあなたは言葉の裏で不信に徹しきれないのも事実。
あなたは中途半端にヒトがいいですからね、私のように」
不敵な笑みを浮かべられる。この女性は自分以上に、鴇弥名織の気持ちの崩し方を心得ている。
「これを見ていただけますか」
ルスは上着の肩口をまくり上げる。
その肌には、蜘蛛の巣のような円網を成した模様が刻まれていた。色遣いは、黒に果てしなく近い青……不気味である。
もし仮に自分が年を取っても、自分の趣味などでは絶対に掘らない入れ墨だろうと名織は思った。
「……なんですか、それは」
「これは、デビルとの契約の証です」
「―――は?」
――デビルと契約? え、なぜ、どうして? そもそもどうやって。
さまざまな疑問がめぐりめぐって、余計に意味がわからなくなる。
「そのデビルは契約の代償に、二つの代償を求めました。
一つのある感情という“罪”を私に与えること。
もう一つは、あらゆる世界の因果から私を断ち切るということ。
その条件を飲むことで私はデビルの補助のもとに禁術を行使し、この過去世界に来ることができました。最悪の事態を回避するために」
……因果を断ち切る? 最悪の事態? ますます意味がわからない。
そんな顔をしていると、ルスが追撃する。言葉の鉄槌、とも呼ぶべき一撃を。
「今から二年後の未来で、宗次くんがデビルに殺されます」
「――」
名織は、息をのむ。
とにかく頭が回らなかった。
わけのわからないことばかり並べ立てられ、結論が――宗次が死ぬ、だ。
ここで混乱しては仕方がない。名織は一つ一つ、疑問を解消する必要があった。
「……ええと、ルス、先生……これからもそうお呼びしていいんですね」
「ええ、“鴇弥名織”はもう捨てましたから。ルスと呼ばれた方がしっくり来るんです。
それに鴇弥さん、あなたもそのほうが話しやすいでしょう?」
……もう捨てた、とは――やけに、ささくれだったようなフレーズだ。
それは、ルスだけが知る過去の事情を。
「どうして、宗次くんが死ぬの。いったい何が未来で起きるんですか」
「二年後の宗次くん……いえ、私たちはあるデビルの封じ込めに失敗する。そして闘うことになりました」
無感情で――いや、無感情を装いながら、だろうか。
ルスは何でもないようにそう告げる。名織は視線で次の言葉をルスへ促すと、
「結果はデビルの大勝利です。たくさんの土地や平和と、たくさんの命と、そして宗次くんの命を奪われました。
……往生際の悪い私は、その闘いを回避しに来たんです。今の私は23、ちょうどあなたの10個上ですね。
そこまでの道のりは長話になるので――あなたには機会があればいずれ教えますが、今はやめておきましょう。
私は激しい環境の中で、聖術を使うことが出来なくなりました。代わりに得たモノは、わずかな魔術と、魔力によって強化された自分の体です」
その配慮は、自分のこと案じてくれたのか。
それとも、今は言えない事情があるのか。それははかりかねたが――つまり8年もの間、鴇弥名織がルス・クルガーラジとして生きてきた軌跡がある。
その重みに、今は名織も立ち入ろうとは思わない。
「あの、先ほど言った、ルス先生が負った“ある感情という“罪”っていったいなんなんですか?」
「……嫉妬、ですよ」
ルスは薄ら笑いのような、いけ好かないほほえみを浮かべた。それは、自嘲のようにも見えた。
傲慢。憤怒。怠惰。貪食。情欲。我欲――そして嫉妬。ルスはその嫉妬に囚われることによって、この過去に来られたという。
「私のこの体は、契約が完了するにつれ、嫉妬に狂っていく。そういう契約の代償を背負うことになりました。
今は小さい靄のような感情ですが、やがて己も周りも焦がす大火の火種です」
――それが小さい感情などと、言い切れるものか。
名織がルスと戦ったとき、そこにあった殺意はきっと本物だ。
ならば、嫉妬の感情を憎悪に変えた彼女の容赦ない攻撃には、合点がいく。
「宗次くんの死が回避できたとき、私のスイッチが完全に入って嫉妬に狂ってしまうでしょうね。
そうすれば、間違いなく、迷いなくあなたを殺すでしょう。
少なくともそういう風に感情が支配されるのだと、私自身悟っています」
ルスはフフ、と笑ってこの期に及んで名織をからかう。
「叶うならば今すぐにでもその息の根を止めてしまいたい。
でも大丈夫。まだ私の理性は十分に効いています。
だからこそ――私が勝ってしまわぬよう、あなたに鍛えてもらいます。あなたの鍛え方も、承知しているつもりです。
そのうち世界中の女、宗次くんと仲良くするありとあらゆる生物まで殺めようとするかもしれません。そうなる前に、そんな私を止めるべきでしょう?」
気が滅入る話だ。それを笑顔で提案するルスにも疲れる。
そんな彼女に、懸念をぶつけてみる。
「私が勝ったら、あなたは――――どうなるの」
「もちろん、私が死にますよ? 今は宗次くんに勝てないので、この調子でいけば、彼にどっかーんとやられちゃいますね」
またも当たり前のように、あっけらかんと。
死など一つのプロセスであろうと言いたげに。
そんなルスへの非難を見抜いたか、
「嫉妬とは、七つあるうちの大罪の一つです。
大罪とはつまり、死に至る罪なんですよ、知ってました? だから私は死をもって、自分の今までの全ての愚行を償います。
私の決意は生半可じゃないですから、今のあなたには理解できないのかもしれません」
そんなの、いきなり理解しろと言われても無理だ。
だからこそ、そんな代償などというモノに縛られている彼女を、なんとかしなければならないと思う。
……たとえそれがどんな人でも、自分に限りなく近い存在なのだから。
そして、この世界を、未来を正そうとしてくれている。だからこそ、やれるべき事はやらねばならない。
名織は、別の観点から攻める。
「……さっきの契約の代償について聞いても良いですか。
もう一つの――あらゆる世界の因果からルス先生を断ち切る、とはどういうことですか?」
「ふむ。言葉の表面だけをなぞると、ちょっと難しいですね。
じゃあ、ちょっと質問です」
どこかしゃべり方や指の動かし方にデジャヴを感じる……。でも、それは当たり前の道理で――
それは自分の姉でもいたらこういう人なのだろうかと、くだらない想像を起こさせた。
それほどルスの存在は、自然に、不自然に、名織の中へと浸透していく。
「鴇弥さん、あなたは世界って一つしかないと思う?
私とあなたは、たった一つの地続きの過去と未来の線の先にいるのだと」
「……私たちが観測する世界は一つです。
だから、私の経験した世界の延長線上に、ルス先生はいると思います。
……私にとってはルス先生にはならない世界の自分もいるんでしょうけど。
けど、過去を変えたかったからこそ、ルス先生はその地点に戻ってやり直しに戻って来たわけですよね?
だったらあなたが死ぬことなんて、無いじゃないですか」
「いいえ、死なねばなりません。デビルとの契約は絶対行使されますから。
まあ、話を元に戻しましょ。
鴇弥さんは観測し得ない世界も含めると、いくつもある――多世界講釈を信じているわけですね」
「信じる信じないとかじゃなく憶測です。
通常の世界は木枝のように分かれている……と考えてます。例えば私は今この病棟にいる。
けれどルス先生と対話をしたくなくて、寮に帰って休んでいる私もいる――かもしれない」
「ふむふむ。考え方的にはぴんぽーん、なんですが。
今の私とあなたの事例だけをとらえると、ぶっぶーと言わざるを得ないのです
???
「つまり私とあなたは、過去と未来に全くの干渉を及ぼし合わない、まったくの別人なんです。
それが、私の二つ目の咎です」
「……それって、つまり――」
「私が過去をどのように変えても、私の存在はなーんにも変わりませんよ。
過去を改変したとしても、私の過去や未来にはなんら影響がないのです。
私が得たのは、過去への片道切符。そのいた世界とのつながりを完全に断ってしまいましたから、どうあっても戻ることは出来ませんし、戻ろうとも思いません」
「……そんな」
ムカつくほどにさわやかに、そんなことを言ってのける。
それはつまり、ルスの世界の宗次は、元に戻らないと同義であるのに。
「だから、鴇弥さん。せめてこの世界では、ハッピーエンド目指して、頑張りましょう」
それでは、ルスにとっては何の見返りもない。ただの身にもならないボランティアである。
それどころか――見返りは死。
どうやっても、ルス・クルガーラジがハッピーエンドを迎えるという展開はあり得ない。
……そんな悲しすぎる結末はいらない。
どうにかして、この人が無事に居られる未来はないのか。せめて、この世界ででも――
「一つお願いがあります、鴇弥名織さん。いえ過去の私!
今そんなに彼のこと好きじゃないですよね!」
「……んぇっ?」
難しい顔をしていたところに、なんだか空気の読めない弾んだ声で名織は問われる。
彼――彼とはつまり宗次であって、
「って、っていうかぜんぜん好きとかではないです私は! ……だから――」
……宗次くんを好いてください、などと言っていいのだろうか。
宗次に対して、Likeの感情はある。恩も感じている。ルスへの勝利の一報も聞いた――本当に尊敬している。
だがそれが、ルスのように彼を想い人と言える日が来るなんて、夢にも思わない。
むしろ、今ならば簡単に彼との関わりを絶つことも出来るだろう。
……そんな風に躊躇をもよおしてしまっていると、ルスに釘を刺された。
「譲ります、などと戯言を吐くのはよしてくださいね。
あなたが彼を好くことになるのは、必定なのです。だからこそ、その邪魔はしません」
「……じ、じゃあ、何?」
「彼とのセックスを許してください。
キスはしたけど、セックスまでいけませんでしたから」
「…………はいっ!!?!?」
「お願いしますっ」
冗談に持って行かせてはくれぬ、野望と希望に燃える瞳。
返答によっては、彼女の怒りを買うこと必定だろう……さて、どうしたものか――って、そもそもそんなことを決める立場には無い。
――どうしよう。どうすれば!
「……ふふ、半分冗談ですよ」
「は、半分は本気なんですか!?」
「ええ、当たり前です!」
――名織はいつの間にか、結構うち解けられている自分がいることに気づいた。
それは、少しだけルスが今の自分を認めてくれた、ということか。
ルスは、それまで自分にかけられていたシーツを引っぺがすと、聖術駆動の治療具の電源を落とし、ベッドから立ち上がる。
「……ど、どこに行くんですか?」
ルスが向かうのは、窓の外。イベントの事後処理の一切合切を放棄するつもりなのだと、名織は予感する。
まだ傷も癒えてはいないだろうに。
「あなたを幸せにするための下準備に、ですよ。
あなたはあなたで、これから忙しくなる。あなたが宗次くんにしてあげられることは、この学園からあなたの立場で守ってあげること。
私と違って、あなたは不幸を、災厄を……回避できる立場にあるんですから。
――だって私の世界には、ルス・クルガーラジなんて来なかったもの」
別の時間軸の鴇弥名織をさげすむように、燃える夕焼けを忌々しく睨んだルスは、窓の外へ消えていった。
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