七十一話 無縁
道中しばらく考えていたが、姪の存在に関してはとりあえず気にしないでおくしかなかった。
いまのところ、幸村に小利木の村に戻る予定はないし、積極的に帰る気があるわけでもない。
どうにもやれることがないのである。
であれば、ひとまずは頭の片隅に追いやっておこうという無難な結論に幸村は至った。
ということで道中の後半、幸村の意識はどちらかと言えば黒田家で働いているという事実が家族にばれてしまったことに向けられていた。
あの様子だと、間違いなく二郎は地元で話を広めるはずだ。
もちろん必ずしも嫌だという感情ばかりではない。
多少なりは見返してやったという思いもある。
ただその影響が今後にどう出てくるか想像がつかないのが問題だった。
あいにく、黒田村で志野の身に起こった面倒の例もあるのだ。
とっさにそう考えて、結局野里村で寝泊まりしていることを幸村は二郎に伝えなかった。
居場所を教えられなかったことについては、二郎もそのうち気がつくはずだ。
あるいはとっくの昔に気づいていて、あえて向こうからも訊いてこなかったのかもしれない。
後者であれば、二郎は今頃どんなことを考えて道を歩いているのだろう。
少なくともあまり良い気分ではないはずだ。
その光景を自分の中でうまく消化しようとしているうちに、幸村の目に野里村の景色が見えてきた。
上を向いて空を見れば、なんとか日が落ちる前にたどり着くことができたようだ。
黄色く黄昏れた夕日がまだ半分ほど姿を見せていて、その光は幸村の体を薄赤く照らしつけている。
「……ずいぶん遅かったな」
野里村に着いてすぐ幸村は報告に行ったのだが、どうやら一番最後の到着だったらしい。
利明は部屋の一室で幸村に言った。
「すみません」
「別に謝る必要はないが、で? 仕事は上手くこなしてこれたのか?」
強めの口調で訊かれ、幸村は自然と早口になって答える。
「はい、指示を受けた通りに、確かに馬を渡してきました。それと職隆様が姫山城に入ることもしっかり伝えてあります」
「それに対して、相手の反応は?」
「……馬に関しては、かなり喜ばれたと思います。ずいぶん馬を褒めていましたし、わざわざ自分たちの庵の中に招き入れてもくれたので。姫山城についても、信心深い方が城主になられるのはよいことだと言っていました」
「ほう。向こうさんとあとは何を話した?」
利明は次々と質問を投げかけてくるようだったが、その分話も早く進む。
幸村は耳丸から聞いた話を簡単にまとめて説明した。
合わせて書付も渡すと利明は中を開き、こめかみの辺りを指で掻きながら読んでいく。
「ふーん、そうか」
途中まで読んだところで、利明は神社側の要求が大まかに掴めたようだ。
ただ、一度顔をあげると、
「ひとつ訊きたいんだが、この書付を渡してきた奴の立場はわかるか?」
「……えーと」
その質問に答えようとして、幸村はふと口ごもってしまう。
そういえば、耳丸があの神社でどういう立場であるのかきちんと確認していない。
「……随願寺から修行に出てきている人だとだけ聞きました。他の人たちは近くの集落に作業に出ていると言われて」
「うん? おいおい。それじゃあ、この書付の中身が神社全体の意向なのか、そいつ個人の希望なのかわからないだろうが」
「ああ、そう……ですよね」
利明の追求に、幸村はどうしようかと一瞬頭を悩ませる。
しかし、すぐに聞き流していたはずの耳丸の話が頭に浮かんで、
「その書付は赤松家に提出した文書の控えという話でした。それに内容にしても、赤松家に守護の役割を果たすよう求めている文書なので、公の意向であるとは思うのですが……」
「……ふーん。なるほど?」
少し言い訳めいた口調になってしまったせいか、納得したのかどうだかわからないような反応だった。
これは失敗したかと、緊張しながら幸村が次の言葉を待っていると、
「……うん。内容を見る限りうちが積極的に関わるような話じゃなさそうだが、まあこういう陳情が来たとは報告を上げておく」
書付をすべて読み終わり、利明は紙を折りたたみながら言った。
その言葉通りにきちんと話を通してはくれそうだったが、あまり気のない言い方である。
この感触だと耳丸の期待にはあまり応えられないかもしれない。
幸村は感じつつ、とはいえしょうがないかとも思う。
そう全てがうまくはいかないだろう。
「……んで、お前の今回の仕事に関しては――、とりあえず及第点といったところか。とはいえ、馬置いてくるだけなら誰だってできるんだ。だが、そんな簡単な仕事でさえ、否応なく他の奴との差は出てくる。今後は今みたいに突っ込まれても、顔や態度に出ないように気をつけろよ」
そう言って、利明は書付を懐にしまった。
真面目な話はこれで終わりという態度だった。
「そういえば、あの神社で火事があったのって……?」
それを受けて幸村は、一つ気になっていたことを利明に尋ねる。
「うん? ああ、もちろんわかってたぞ。だから大した相手じゃないと言っただろう?」
「ああ、なるほど」
だったら最初から具体的に教えておいてくれよとは思ったが、いま教えられたように幸村は無感情にうなずく。
すると、利明は幸村の表情を見て笑って言った。
「最初っからそんな神社に行かされると聞いたらやる気が出ないだろう? 大したことない相手だからって適当な仕事されても困るからな」
「……そうですか」
「なんだ、不満か?」
冗談交じりだが、語尾に少しだけ力が込もった言い方だ。
もしかしたら、利明はいま機嫌が悪いのかもしれない。
それがより悪くなる前に、幸村は慌てて話題を変える。
「それはそうと、あの神社って燃える前は大きな神社だったと聞きましたが、黒田家は今まで関わりがなかったんですか? 播磨全土を守護している神社だと、かなり大層な話を聞いたので」
「ああ、あそこはなあ」
幸村の質問に利明は少し気分を入れ替えたように言う。
「うーん、全部説明すると面倒だから端折るが、あの神社は昔から赤松家と関係が深い神社なんだな。書付読んでもわかるだろう? そう、確かに有名な神社ではあるんだが、うちとは少し相性が悪いんだ」
「相性が悪い?」
「あー、えーと、そうだな。先代の重隆様は少し前まで、赤松家の下で働いてたことがある。んで、今はそこを抜けて小寺家の下に付いてる。そういう理由だ」
「……なるほど」
幸村も黒田家の郎等の一人として話には聞いている。
過去の赤松家の軋轢が余計な場所にまで影響しているということか。
相槌を打ちつつ、幸村は尋ねる。
「ただ向こうで話を聞いた限りだと、あの神社がそこまで赤松家に近い様子は」
「いやまあ、確かに関係が深いと言っても、仲が良かったのは赤松家が守護としてきちんと動いていた頃の話だろうからな。その後色々あったし、赤松家でも手が回りきらない部分があるんだろ」
「なるほど」
耳丸も似たようなことを言っていた気がする。
「あとはそうだな、神社がある位置も悪いと言えば悪い。実質的にあの土地を治めてるのは小寺家だし、こういうのは自分の領地から縁遠いところが割を食わされるもんだ」
利明はかゆくなったのか、指で鼻をこすりながら答えてくれる。
「そういう意味で言うなら、あの神社と黒田の関係ってのはまだまだ手を付け始めたところなんだな。だから人を送るにも、まずはお前みたいな奴が地ならしに行くことになる」
「……そうなると、もしかして割と重要な役割でしたか」
「いいや? 今のところは別にいくらでも立て直しが効くから、そうでもないさ。ただ今後のあの神社との関係いかんによっては重要だったって話にもなるかもな」
これはどういうふうに受け取ったらいいのだろう。
利明の話に、幸村は自身の振る舞いをふたたび振り返った。
いや内心で思っていたことはともかく、そこまで失礼な態度は取っていないと思うが。
「よし、じゃあそんなもんだな。ご苦労だった。もう帰っていいぞ」
幸村が何も言わなくなったところで、ちょうど切り上げどきだと思ったようだ。
利明は膝に手をついて、立ち上がりながら言った。
それを見た幸村も遅れて立ち上がると、利明に頭を下げ、野里村の自分の家へと戻っていった。
「おう、お疲れさん。かなり時間がかかったな!」
すでに薄暗くなった夜道を細目になりながら進み、ようやくたどり着いた家の戸を幸村が開くと、いきなり居間から陽気な声が飛んできた。
目を向ければ、それ以外の周りの人間もずいぶん機嫌が良さそうである。
すでに幸村以外の四人は仕事を終えて戻っているようで、皆居間に並んで円座を囲んでいた。
どこで手に入れてきたのか、初日の夜から酒盛りを始めていたらしい。
「ほら、お前の分も残してあるからこっち来いって!」
再びそう声をかけてきたのは今日の朝、幸村に贈答品が馬であることを教えてくれなかった男である。
名前は確か、武久だったか。
彼は随願寺に行くと言っていたはずだ。
「寺はどうだった?」
草履を脱いで居間に上がり、円座に加わった幸村は酒の入った器を受け取りながら尋ねた。
「ああ? もう、最悪だったよ。あんな山奥に馬なんか連れて行くもんじゃないな。馬もこんな道歩きたくないって駄々こねたから大変だったわ」
武久が言うと、ほかの皆が大声で笑う。
もう十分に場は出来上がっているようだった。
幸村も器に口を付けながら、皆と同じように笑っていると、
「お前んところは?」
今度はお前の番だと武久が尋ね返してきた。
「あー……、同じだよ。最悪だった」
酒のためか、何も考えずに素直に答えてしまった。
するとまたその場にいた全員が笑いだし、そこからは皆が皆めいめいに今日経験した苦労話を語りだす。
その日の夜はそうして、ひたすら騒がしく更けていったのだった。




