六十三話 勧進③
参加した誰もがおおいに酔った懇親会から、瞬く間に時は過ぎて、当日。
姫山への第一陣が黒田庄を出発する日になっていた。
広場に集められた二十三名の郎等衆は、皆が思い思いの荷物を携え、出発の号令が掛かるのを地面に座り込んで待っている。
もちろんその中には、幸村も一員として参加していた。
朝早くの集合に皆ほとんど遅れず、全員が揃ったらしいと話があってからしばらく。
周囲は今か今かとなかなか出ない号令に、少しずつ焦れ始めていたようだった。
中には気が急いて、さっきから立ち上がったり座ったりを繰り返している者もいる。
一方、幸村はといえば、周りに馴染む程度には雑談に加わりつつ、それ以外はじっと下を向き、乾いた地面を見つめて動かないでいた。
そのどこか萎えたような態度は、あまり人の目に褒められた態度でもないだろうが、これはなんとも仕方ない。
今日の幸村は、まったくもって睡眠不足だったからだ。
というのも、ここ十日に渡って行われた金勘定についての教授。
それが結局期日まで終わらず、最後の夜、つまり昨日の夜は、わざわざ職場の同僚が明かりを持って家にまで付いて来て、幸村はいわば補習を受けることになったのだった。
正直、幸村からすると、ここまでやるかという気持ちもないでもなかったのだが、まさか向こうに熱心に言い出されては断れない。
今に至っては、ああいう入念さでもってあの仕事が出来あがっているのだと思うほかはなく。
あるいは指導を受ける幸村の生真面目さがそうさせたと考えるほうが、精神衛生上は良いのだろうか。
とにかく、出発日前日の貴重な睡眠時間を削ってまで勉強したおかげで、幸村は同僚に要求された水準を何とか通過する。
『返済の処理が終わった後日に余分に金を取っていたことが判明した場合、その差額は直ちに出向いて返さねばならない。しかし、返済と同時に再び貸出をしていた場合はその限りではない』
というような変則的な処理まで、使う機会があるかは別にしてなんとか頭に叩き込んだ。
いや正直、いつまで覚えていられるかは全く自身がないのだけれど。
だらけた頭でそんなことを考えている合間に、ようやく号令がかかったようだ。
皆が揃って立ち上がるのに少し遅れて、幸村もまた腰を上げる。
同時に、地面に放っていた内飼袋。
それを腹に巻き付け、水筒、腰籠などの荷物もしっかり身に付けているか確認した。
念を入れて漏れがないと確かめ、最後に菅笠をかぶって、幸村の出立の準備は完了である。
(ちなみに、ここで鎧を着込んでいればまさしく出陣といった構えにもなるが、夏の日差しに鎧を着込むと蒸して暑いので、ほとんど全員が背中に背負う形をとっていた)
「よしっ! 出発するぞっ!」
前の方で大きな声が聞こえ、それを合図に集団が動き出す。
四頭の馬を先頭に、二列。
利明などは中心より前にいるようだったが、幸村はその末尾近くを並み足で歩く。
するとその様子に、広場の周りで遠巻きに集団を眺めていた村人たちから送り出しの歓声が上がり、幸村はいつものごとく気恥ずかしいような、なんとも表現し難い気持ちになった。
黒田庄から目標の村までは、道なりに進んでおよそ二日半以上は掛かるという。
つまり、都合二度は確実に道中で夜を迎えることになるが、当然その辺りのことは前もって手回しされていたらしい。
一日目、二日目と日が落ちる前、ちょうど良い時間の頃。
幸村たちは上手い具合に集落を見つけて、その日の宿を取ることができた。
それらの村では温かい食事も取れ、また最低限の寝床も用意されていたから、長時間の移動でもそこまで疲れはたまらない。
そうして迎えた三日目。
幸村はその日、たまたま隣を並んで歩くことになった年かさの男と、やはり適当な雑談をしながら足を動かしていた。
「このまましばらく田んぼ道を進んで、山あいを一つ越えて。そこから半日足らずでおっきな道に出るから。そしたらもうほとんど歩かなくとも、その村が見えてくるはずだねえ」
朝早くの出発から、一刻ほども経った後だろうか。
日が昇って気温が上がり、額に吹き出る汗を手で払いつつ幸村は尋ねた。
「詳しいのは、この辺りが地元だったりしたんですか?」
「んん、いやいや。何年か前に一度、野里村のそばを通っただけだけども」
同じく手の甲で顔をぬぐいつつ、男は幸村をちょっと見て答える。
「その時はまあ大きい村だと思ってねえ。ただそれにしても、細かくは見れなかったからなあ」
男の妙に曖昧な話し方は、あまり馬鹿正直に話を受け止められても困るという表れだろう。
それでもその口ぶりを聞いていると、野里村がずいぶん交通の良い場所にあるのはわかる。
「但馬街道を通って、そりゃあ大勢が行き来してるからね。山陰側から来る客相手に商売する店もあったし、もちろん宿屋なんかもあると。あとはまあ、やっぱり寺が近くにあるから、坊さんを多く見たかねえ」
坊さん。久しぶりに聞く単語だった。
そういえば幸村はこの時代の僧侶、お坊さんをまじまじとは見たことがない。
「多くって、そんなに大きなお寺が?」
「そうだねえ、知らない? 随願寺って名前の、昔からあるずいぶん有名な寺だけども」
残念ながら幸村はあまり寺には興味がなかったので、姫路の寺院については過去にもことさらは調べなかった。
「いや正直、全然詳しくなくて。じゃあ、お参りする人も多かったりするんでしょうね」
「ああ、行った人の話はよく聞くけど、どうなんだかね。山の中にある寺で、そこまで行き着くのが大変みたいだから。結構、急な山道らしいね」
どうやら男も聞きかじりの話をしているらしく、詳しくはないようだ。
「そういう場所のお寺でも、お坊さんが多いんですか」
「多いらしいねえ。えーと、たしか山の中腹あたりに本堂があって、そのふもと寄りに僧坊がたくさん作ってあるって話だったけども、どうだったかなあ。まあ昔から続く由緒ある寺だと、俗世とあんまり近くてもよろしくはないだろうから」
単純に修行の妨げになるということだろう。
「あー、お坊さんでも欲に負けたりするんですかね」
すると、その幸村の答え方が少し時代の常識から外れていたようだ。
男はまるで相手の純真な部分を見つけたように笑い、
「まあ坊さんって言っても、全員が全員真面目に修行してるかっていうとねえ。特に年食ってから出家したようなのは、形だけ頭丸めたって急に酒も娯楽もと辞められるわけでもなし。暇に飽かせて遊んでるようなのを、もしかしたらこれから行く先でも見ると思うよ」
それはいわゆる、生臭坊主というやつだろうか。
そんな話を聞いてみると、なんとなく幸村もちょっとした興味が湧いてくるようだった。
一度くらいは本物の生臭坊主を見てみたい気もしなくもない。
時代からすれば、文字面通りの破戒僧である。
そういえば、武蔵坊弁慶なども破戒僧とか言われていたような――いや、さすがに源平の頃とは時代が違うか。
と、その流れで思い出したが、この時代の寺といえば。
「ちなみに、その寺って僧兵というか、戦うための……」
「ええ? そりゃ当然いると思うよ。それなりに人の数がいるのに、それで一人もいないってことはないだろうし、武器なんかもそこそこに集めてるはずだし」
幸村の質問に、男はなんでもないことのように答える。
その態度からして、もはや当たり前の事実であるようだった。
幸村はまだ見ぬその光景を想像して、眉をひそめてみせる。
いや、よくよく考えてみれば、一揆だとかそんな物騒な単語はまさに彼らの語彙であるはずだった。
となると、生臭坊主というのも、簡単に笑い飛ばせるような相手でもないのかもしれない。
むしろ積極的に問題を引き起こしそうな響きがある。
そんな幸村の態度に続くように、男もまた少し声の調子を落とし、
「だからまあ、随願寺にしろ何にしろ、これから行く村から近い場所にある寺は、早速誰かが挨拶回りに行かされるだろうねえ。できれば、それが自分じゃないといいんだけど」
その口調からして、男は本当に勘弁してほしいようだった。
あるいは小声で言ってみせたのも、それが本音であったからか。
「まあ、ある程度の立場の人間じゃないとあれだろうけど」
幸村は小さくうなずいて、少し話題を変える。
「向こうに着いたら、最初の仕事はやっぱり挨拶回りになりそうですか」
「たぶん、そうだとは思うよ。やっぱり上に居座る人間が変わるとなると、いろいろ不安になるものだからねえ。最初はその辺を補うんじゃないのかなあ」
さすがに二十三名の一人に選ばれるだけあって、説得力のある説明だった。
「まあ結局、何をさせられるかは分からなくとも、こっちも立場上やるしかないんだけどね」
男のなんとなく悟ったような発言に、そうですよね、と幸村はやはり小声で相槌を打つ。
その後話に聞いたとおり、山と山の狭間を抜けてしばらく歩くと大きな道に出たようだった。
幸村は男と顔を見合わせる。すると、やはりこれが但馬街道であるらしい。
頭の中の日本地図で考えてみれば、山陰と山陽を繋ぐ南北に伸びる街道と言えばいいのか。
その道の上に立ってみて左右両側、東西を見回せば、そこそこ開けている土地が周囲に広がっている。
ただその広がりもある距離までいくと、やはり山が邪魔になってしまうようで、例えば田畑を作るにも限界があるようにも見える。
あるいはだからこそ、地域の仕事として客商売に手を出す面もあるのかもしれない。
事実、街道に入ると急に人通りが増えたようだった。
道ですれ違う人の数も段違いで、二十三名がぞろぞろ歩いていると、流石に邪魔になるとのことで一度立ち止まり、列を縮めた。
そのまま列を崩さないように歩いていると、まもなく村が見えてきたらしい。
列の前方で歓声のような喜びの声が上がる。
二日余りの行程を経て、ようやく目的の村に到着できたようだ。
「まだ少しあるんだからな! 荷物を下ろすまで気を抜くなよっ!」
そんな浮かれる皆に上役らしき声が飛び、周囲は一気に静かになったが、それでも控えめな雑談は続いている。
皆、新たな土地に対する期待を持たずにはいられないらしい。
それは幸村にとっても同じく、新たに訪れた土地で少しでもうまくやれるよう、自身もまた願わずにはいられなかった。




