↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
城取物語  作者: おんたま
第一部
PR
45/75

四十五話 代償⑤

 次の日になっていたが、結局、幸村の服が誰に洗われるということもなかった。


 それはほかに着替えがないという都合もあったが、加えてすでに幸村は、多少服についた汚れくらいならほとんど気にしないような心境にまでなっている。


 もとよりこの時代、旅先で着たきりというのは二日や三日程度で済む話ではなかった。

 当然、服のあちこちに汚れはたまっていくし、それで現代と同様の衛生観念を持ち続けているのは、たいがい気が狂うような不都合な面しかない。


 なので、これまで幸村は実生活においても、意識的に自身の清潔さの度合いを無視してきたところがある。

 また実際問題として、一度戦場などに出てしまえば、そのような些事に目を向けている暇はなかった。


 ただ一応今回は、上役である利明に指摘されたことでもある。

 始めは自分で洗うかとも考えたのだが、今の立場的にそれもどうなのか。

 それで彼は当日の夕方、部屋に夕食を運んできてくれた女性に服を洗ってもらえるかどうか声をかけようとはしていた。


「あの――」


 しかし、そうなるべく穏当に声をかけたはずの幸村に対して、女性は急に表情を引きつらせて答える。


「……私は、その、すみません」


 それだけ言うと、彼女は幸村がまだ何も頼まないうちから足早に部屋を去っていった。


 その態度からは、彼女が明らかに幸村と余計な関わりを持ちたくないのが分かる。

 それも去り際の表情を見る限り本心から、誰にそうしろと言い含められていたわけでもないらしい。


(……え?)


 まず幸村は、自分がそのような対応をされる理由がはっきりとはわからなかった。


 よっぽど無茶を言いつけられると思ったのだろうか。

 あるいは自分の鼻がこっぴどく馬鹿になっているのかも、と幸村は少し不安になったりもしたが、一晩明けて人が動き始める頃になって、ようやく彼はその事情を理解することができた。


 というのも、昨日利明の口にした一連の発言。

 それがどうも、村の中で尾ひれがついて広まっていたようなのだ。


 曰く、あの三郎という人物は『血を見るのが好き』なのだと。

 それは想像した以上に、人としてどうかと思われるような評判だった。


 その噂は狭い土地で一晩のうちに広まり、ずいぶん幸村は怖がられてしまったらしい。

 朝、向こう見ずそうな子供が顔を洗っているところにおっかなびっくり話しかけてきて、初めて幸村は自分が置かれた状況を把握した。


 もとより、よそ者の噂話がある程度誇張されて広まるのは仕方ない。

 それは幸村にもわかっている。

 とはいえ、そんな風評が立っては村の皆が好んで幸村に近づくわけがなかった。


 そして間の悪いことに、その与太話にさらなる拍車をかけたのが、幸村が太一に対して行った尋問のやり方についてだった。


『顔つきや振舞いが妙に強圧的だった』

『盗人の口を割らせようと、刀で腕を斬りつけていた』 

『無理やり口開かせて、喉に詰まるまで水や飯を押し込んだ』


 これらはおそらく、あの案内役の男が漏らした話が広まったのだろうが、明らかにどこかの過程で多量の誤解と悪意が混じっている。


 実際のところ、あの後幸村は夕食で饗された気持ちばかりの酒を費やして、太一の傷の消毒まで試みていたのだ。

 その上で、まるでひとでなしのような噂を流されるのは、なんとも心外であった。


 しかし、一度針が傾くと万事がその調子であるようで――その後数人と接した限りでは、幸村の人物像について、もはやすぐには取り返しがつきそうにはなかった。


「なんだか、大変そうだな」


 そんな評判を当然耳にしたらしい。

 幸村が一人気苦労をしているところにやってきて、まるで他人事のように利明は言った。


 いやむしろ彼は、そういう物騒な風評を歓迎するべきと考えている節があるようだ。

 今後の交渉事により役立つだろうと判断したのだろう。

 その辺りの機微もあって、利明は噂の訂正などしなくていいと無情なことを幸村に告げた。


「果たすべきことを果たした上でそう思われるんじゃ仕方がないだろう。それにどうせ人からの評価なんてのは紙一重だ、紙一重」


 そりゃ人格の破綻が起きているように思われるのが自分でなければ、そう簡単に納得することもできるだろうが。

 苦い思いをしつつも、それが幸村の役割ということだった。

 絵に描いたような、暴れる子分と抑える上司という構図。


 結局反論ができないままに身支度を整えた幸村は、間もなく利明と並んで村を出発した。


 今度は、山向こうの隣村まで向かう。

 そこまでは山をぐるりと遠回りするように歩いても、半日ほどで着くと村の者からは説明を受けている。


 またその村で事情を聞いた後、幸村たちは再びこちらの村に戻ってくる予定で、利明はあと二日のうちにはすべて片を付けるつもりだと、幸村に道すがら話していた。




 朝早く出たことが幸いして、その日の昼過ぎに二人は隣の村に到着した。

 道中の道はかなり歩きやすく、二人の疲労もそれほどではない。


 と、前の村と同じようにして幸村たちは最初に出会った村人に声をかけた。


 しかし、こちらの村ではさほど対外的な応対に慣れていないのか、突然やって来た二人にその男は怪訝そうな顔を浮かべた。

 そしてようやく事態を飲み込むと、途端にひどく慌てたような素振りを見せた。


 その後、さんざん手間取った後で村長の屋敷に通された後も、肝心の長自身が二人の前に出てこない。

 今すぐと言ってから、やってくるまでだいぶ時間をかけている。


 この調子からして、おそらくこの村の長は、黒田家に両村の諍いの件が伝わっているとは思ってもいなかったのだろう。

 まして、こんなにも早く使者が送られて来るなどとは。

 そのため、少しでも時間をとって、頭の整理が必要だったようだ。


 そんな発想に同じく行き着いたようで、利明は村長と顔を合わせても特に怒って見せることはなかった。


 まず彼は一連の問題について改めて説明し、自分たちが調停に来ていることを村長に告げる。

 そして迅速に揉め事を解決するよう協力を頼みたい、と話をまとめた。


「いえ、おっしゃられていることはわかりますが、しかし――」


 対して長は、すっかり困ってしまったというような態度を見せた。

 太一の問題について、この村の長は二つの村同士のやり取りだけで話を進めるものだと考えていたようだ。


 またそこにはよそ者に余計な真似をしてほしくないという感情も多少あったらしく、どこかその態度は太一が幸村にしてみせたごね方に似ていた。


 村長からしてそうなのだから、そもそもこの村全体に外を嫌う空気が存在するのかもしれない。

 ただ、すでに幸村たちがこの場にいる以上、いまさら二人が、引いては黒田家が手を引くわけもなかった。


「それなら、その考えというのを聞かせてもらおう。あの盗人の扱いについて、この村では具体的にどうしようと考えているのだ」


 まず話はそこからだった。利明が尋ねると、

 村長はしばし言葉を選んでから口を開く。


「盗人と言いますか、とにかくまず本人をこちらに戻してもらって、直に説明を聞かなければ事情が分かりません。例えば道に迷って入り込んだだけでも、向こうが変に勘違いすることだってあるでしょう。村としての対応を決めるのは、直接本人に話を聞いてからです」


 幸村にはそれがある程度妥当な言い分にも聞こえなくはなかったが、しかしかなりの割合で傲慢なきらいがあるのも確かだった。

 一方で利明は強く長に対して反論した。


「わざわざ余計な時間と手間暇を掛ける必要はないはずだ。その者はよその土地に盗みに入ったことを認めている。その場で人を死なせたことについてもそうだ。……そうだったな?」


 と、急に水を向けられ、幸村は内心慌てそうになりながら大きく頷く。


「盗みに入ったことと人を刺したことは事実に間違いありません。本人の口から直接そのように話を聞いています」


 すると、今度は村長の強い視線が幸村の顔に向けられた。


「それはあちらの村の者に痛めつけられて、嘘を吐くように無理やり仕向けられていたのではないですか?」


 幸村の心証としてはほとんど感じなかったが、無論その可能性もあるにはある。

 利明もまた村長と同じく幸村に視線を向けて尋ねた。


「その辺りはどうなんだ?」

「……もし、そうだとすれば」


 少し考え、幸村は堅い口調を崩さないまま答える。


「むしろ強要されていることを、自分に話したはずでしょう。今言われたようなことも考えて、わざと二人きりの場を作ってからあの男には事情を尋ねました。だから周囲の目を気にする必要はなかったはずですし、ましてあちらの村に属していないと言い切っている人間が目の前にいたら、それはそれで黙っている理由が無いはずです」


 村長はその説明に上手い追求の仕方を思いつかなかったようだ。

 むうと口ごもった。

 突然振られた話ではあったが、危うく幸村はその場を切り抜けられたらしい。


「そういう話、なのだが」


 そう利明が話題を引き取ると、村長は、


「ですが後者の問題については。向こうの村の人間に先立って襲われていたならどうですか。土地に忍び込んだのはともかく、身の安全を守ろうとして暴れたのなら多少は斟酌しんしゃくの余地もあるとは思われませんか」


 と、話の矛先を変えた。

 すると今度は、利明が答える側に回ってくれたようで、


「その場にいた全員が、男の方から襲ってきたと言っているのだ。しかも刃物を振り回した男に対して、あちらの村の者はただの棒きれしか持っていなかった」

「……たとえ棒切れでも当たりどころが悪ければ危険に変わりありません。向こうの方が数も多かったはずですから、とっさに恐怖に駆られることもあるでしょう」


 対して利明が反論しようとする前に、村長は一気に話を進める。


「それに向こうの村の言い分も、皆で口裏を合わせていると考えられるのでは? 刺された者が死んだというのも、あるいは」

「……まあ、そう邪推することもできるだろうが、しかし徹頭徹尾、全員が証言を等しくするのは至難の業だ。特に人が死ぬような話では、繰り返し聞けばどこかで必ずぼろが出る。こちらはなるべく時間をかけて皆から聞き取りをしたし、それでも疑わしいと言うのであれば、それは私が嘘を見抜けないと言っているのと同じことだぞ」


 その利明の言葉は、特に後半部分がかなり力押しであるようだった。

 が、一度そう強く出られては村長が返答するのも容易くはない。


「いえ、そういうことを言いたいわけでは」


 村長は困ったように口をつぐんだ。


 ただ村長が指摘したところは、まさに幸村の心配していた点を突いてはいた。


 実際、利明たちが来るまでの合間に四日ほど空きがある以上、あの村の皆が一切口裏を合わせていないなんてことがあるわけはないのだ。

 考えてみれば、かの村が万全の支度を整えていたのは、両村の幸村たちに対する応対の違いでもわかることだった。


 そして今のところ、利明たちが判断を下すための材料は、それぞれが口にした証言しかない。


 その結果、複数人が証言できる向こうの村に比べて、こちら側、太一の主張が通りにくくなるといういびつな部分は確かに存在するのだった。


 利明は、一度場を仕切りなおすように口を開いた。


「とはいえ、まず明らかな事実だけは互いに認め合うべきだろう。そもそも夜更けに一人、山に入っているという時点で尋常な話ではないのだ。そちらの言い分もあるだろうが、本人が認めているように『盗みを犯した』、『人を刺した』。とにかく、その二つだけは事実と認めてもらわねば、話が始まらない」


 村長は一瞬眉間にしわを寄せたが、しかしその点についてここで争っても最終的には勝ち目がないと感じたようだ。

 どこで折れるべきかとは考えてもいたのだろう。

 最後にはゆっくり時間をかけて、頷いた。


「わかりました。村の者が揉め事を起こしたことについては、村をまとめる長として私も責を負うべきでしょう。直接赴いて、あちらの村には謝罪致します」


 ようやく話し合いの取っ掛かりができたらしい。

 利明はさらに言葉を続けた。


「謝罪は当然として、向こうの村には少なくない被害が出ている。頭を下げるとなれば、その分の補償を求められるのは分かっているな?」

「……ええ。村の者の不始末ですから。ですが、具体的にどの程度補償するべきか、今この場で確認できますでしょうか。こちらも、そうそう余裕があるわけでは」

「そう言うと思って、向こうが申告した被害については詳細を書きつけてきている。少し長い話になるが、大丈夫か」

「もちろんです」


 頷き、利明が懐から折りたたんだ紙きれを取り出した時には、もはや二人とも完全に頭を交渉ごと用に切り替えたようだった。

 ここからは二人で、村同士の損得を調整する段階に入るのだろう。


 そこに幸村の存在はあまり必要ないようで、しばらく彼は黙って利明の後ろに控えていた。


 だが、そう時間も経たないうちに、利明は幸村を手持ち無沙汰なままにしておくのが無駄だと気付いたらしく、


「ここはいいから、お前は少し村の様子を見てこい」


 と、早口で彼に命じた。


 もちろんその言葉が意味するところを幸村は読み違えたりはしない。

 すなわち、村長が言う“斟酌の余地”を探れるだけ探ってこいという意図なのだろう。


 幸村はすぐに「はい」と返事をして、その場で立ち上がった。

 彼自身にも、確かめたいことがいくつかある。

 それらは小さな疑問ではあるので、適当に村の誰かを捕まえればすぐにわかることのはずだった。


(うまい具合に太一を知っている人が見つかればいいんだけど……)


 そんなことを考えながら屋敷を出ようとした幸村は、ふと足を止める。

 屋敷の塀の前でうろうろとしている娘の姿に気がついたからだ。


(ん?)


 どうもその娘は屋敷の門の前を行ったり来たりしながら、中の様子を伺っていたらしい。

 そのため、幸村が表に出ようとすると自然、彼女と目が合うことになる。


「あっ」


 そして幸村の顔を見た途端、彼女はひどく驚いた表情を見せた。


 その態度に反応して一瞬、幸村は身構えたが、すぐにこの村で自分の悪い噂が流れているわけはないと思い直す。


「何か、ご用件ですか?」


 それでもひどく丁寧な口調で幸村は尋ねた。

 しかし反応はない。

 彼女の表情も硬いまま変わらなかった。


 もしや聞こえなかったかと再度幸村は繰り返したが、それでも彼女からは何の返答も返ってこない。


 その態度に、これは自分では無理だなと幸村は一人頷き、彼女から視線を逸らしてその横を通り過ぎようとする。


 が、そこでまた小さく声が上がった。


「あの」


 幸村は再び彼女と視線を合わせる。

 すると今度は顔付きが変わっていた。

 ようやく彼女は幸村に話しかけることを決意したようだ。


「黒田家の、方でしょうか」

「……ええ。そうですが」


 そういえばそうだった。

 黒田家の郎等に対して、そう簡単に話しかけられるわけはない。

 幸村がそのことを思い出しながら答える。


 すると、すぐに彼女は幸村に対して深々と頭を下げた。


「どうか、兄の命を、助けてはいただけませんか」

「……はい?」


 当然幸村は戸惑った声を出したが、彼女は気づかなかったらしい。


「そのために私ができることなら……なんでも致します。ですから、どうか」 


 頭を下げたままの彼女は声を震わせ、必死に訴えかけていた。

 また興奮のせいか、あるいは息を止めているのか、急激に耳の裏が赤くなっていく。


 屋敷を出ていきなり出くわしたこんな事態に、幸村はすぐにはまともな反応を返すことができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。