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城取物語  作者: おんたま
第一部
39/75

三十九話 境目④

 軽い頭痛を覚え、幸村は寝床で目を覚ました。


(ここは……?)


 細く目を開くと、どうも見覚えのある天井が見える。

 すぐに気づいた。

 ここは黒田庄の、自分が寝起きしていた部屋だ。 


(昨日は……えーと)


 彼は数度瞬きをした後、ふっと勢いをつけて体を起こす。

 手のひらで目元をこすると、ちょうど鶏の鳴き声が遠くに聞こえた。


 外はもう朝になっているようだ。

 昨晩のことを思い返しながら、幸村は口元に手を当て、小さく息を吐く。


 すると思った以上に、その息は酒の臭いに塗れていた。




 昨日は結局、夕刻を過ぎて夜もだいぶ更けるまで、幸村たち三人は一緒に飯を食い酒を飲んでいた。


 そしてその食事をした場所というのは、まさかの志野が働いていた店。


 軽く酔っていた幸村は二人に連れられるまま歩いていたので、そこに入るまで志野がいる店だということに気が付かなかった。

 

 他方、店の中もその時はかなり混んでいたため、幸村と吾助がやってきたことにはじめ志野も気付かなかったようだ。

 しかし、「おお! 久しぶり、姉ちゃん!」という吾助の明るい一声で、彼女はぴくりと反応して幸村たちのいる方を向いた。


「……いらっしゃい」


 少し遅れて、なんてことはない普通の客に接するように、彼女は三人を迎え入れた。

 幸村が志野の存在に気付いたのはこの時だったが、もはや後の祭りである。

 二人がずんずん店の中に入っていくのを、無理に幸村が止めるわけにもいかない。


 そうして三人が席につくと、こちらが何か頼む前から志野は酒と料理を運んできた。

 酒は当然三人分、並んだ料理は素朴な煮物などが中心である。


(え?)


 もちろん幸村は、志野のその素早い対応を不審がった。

 彼にはこの店に来たくない理由――自分が来るとどうしても彼女に口止め料をせびっているような形になる――があったから、それは尚更だった。


 だが、しばらく周囲を眺めているうち、そうした行為が幸村たちに対してだけでなく行われていること、つまり彼女の独断によるものではないのだと彼は気がつくことになる。


 というのも、戦勝を祝って、この小さい店には昼のうちから入れ替わり立ち代わり客がやってきていたようで、その忙しさはいささか以上に度を越していた。

 なのに店の配膳役は志野一人しかおらず、そのため彼女にはいちいち注文を受けている暇すらなくなっていたらしい。


 それで窮余の策として、この店では客がやってきたら最初に人数分の酒と料理を出し、それで足りなくなったら改めて志野を呼べ、という少し乱暴な応対を始めたようだった。


 この場合、持ち合わせの少ない客は頼んでもいない料理が出てきてひどく困りそうなものだが、客は皆景気良く金払いも良いのか、特に騒動が起こる様子はない。


 いやもはや、酒で煮詰まった祝賀の雰囲気と場の忙しなさだけが先行して、客も店も多少会計がずれようなんだろうが気にしていないのかもしれなかった。


「腹減ったー」


 一方、吾助はいきなり料理を出されても戸惑うことなく、さっそく箸を伸ばして料理を食べ始めた。

 一緒に出てきた酒も、躊躇する素振りも見せずに飲んでいる。

 しばらく迷ったが幸村は結局それを止めなかったし、もちろん彼以外に吾助を止める者はこの場にいない。


 むしろ吾助の食いぶりにつられるようにして、幸村と栄太も出された料理に箸をつけた。

 慌ただしい中作られただろう小芋の含め煮は、しかし以前食べた時のように柔らかく煮込まれ、味も濃く酒に合う。

 三人とも最初はただひたすら箸を動かし、店の料理を味わった。


 それで多少腹が落ち着くと、次いで酒の肴になったのは吾助と栄太の何がいくらで売れたという自慢話で、特に吾助はそのひとつひとつを嬉しそうに語った。


 吾助はこんな大金を自分が握りしめているという状況に純粋な感動を抱いているようだった。

 それはある種の全能感に近い。

 これもおそらく立派な大人なら、無駄遣いするなよだとかたしなめてやるべきなのだろうが、幸村も栄太もただやたらと笑って話を聞くだけで何も注意しない。


 また栄太は栄太で酒に酔い始めると、これでまとまった金を村に持って帰れると何度もつぶやいた。

 聞けば、彼は地元に家族、妻一人を残してきているのだという。


「これで帰れば、いくらか楽をさせてやれる」


 そう言うと、急に恥ずかしさに襲われたのか、栄太は二人の温い視線から逃れるように一度顔を下に伏せた。

 すると酔った吾助が調子に乗り、奥さんは美人かどうかと尋ねては栄太をからかい、最終的には強めに頭をこづかれるまでそれを続けた。

 幸村はそのいちいちに笑って、その度にまた酒を飲んだ。


 三人が解散したのは、それからどれくらい時間が経った後だろう。


 周囲の客も少なくなり、三人が三人とも飲み疲れてだらだらと会話を続けていると、志野がいい加減にしろと尻を叩くように立たせ、それでようやく彼らは店から出ることにした。


 その時、すでに出来上がっていた吾助が「俺が払う、俺が払う」と懐から金を出そうとしてそれを落とすと、呆れた表情をした志野は金を手早く拾い、そこから取るべきものを取って残りを吾助に握らせた。

 幸村はそれを横目で見ていたが、志野が余計に多く吾助の金を取った様子はなかった。

  

 そのあとすぐ、店の前で三人は別れた。

 栄太が最後まで面倒をみてくれるとのことだったので、半分死んでいる吾助のことは全て彼に任せ、幸村は一人部屋まで戻ってくるとすぐに寝床に倒れこみ、そのまま朝まで眠り込んだ。


「んー」


 昨晩の記憶をそこまで思い出すと、幸村は一度大きく背伸びをする。

 腕を伸ばすと血の巡りか、また軽い頭痛がしたが、そう気分も悪いわけではない。


 さて、気を改めて。幸村は思った。

 今日彼はまず、利明に会いに行かねばならない。




 長屋の横に備え付けられた井戸で身を清め、朝食を適当に済ませると、それから幸村は利明と約束していた場所に向かった。


 前日、戦から戻ってきた兵たちが集められた場所。

 その近くには物置や倉庫として扱われている建物が幾つか並んでいて、その辺りの管理を利明は一任されているという。


 まだ昼までに時間があったが、幸村が探すと利明の姿はすぐに見つかった。


 その時彼は建物の前に置かれた長椅子のような腰掛けに座っており、手に持った台帳に目を通していた。


「おお、早いな。昨日は無事に帰れたか?」


 声をかけると、利明はぱたりと冊子を閉じ、気遣う声で幸村に尋ねた。

 幸村の顔色を見て、少し酒が残っているように見えたのかもしれない。


「はい、なんとか」

「そうか。あまり酒には強くないみたいだな」

「ええ、まあ」


 逆に昨日あれほど飲んでいたというのに、利明の表情はただ明るい。

 次の日に酒が残らないタイプらしい。


 それを少し羨ましく思いながら、幸村は口を開く。


「それで、約束していた話なんですが」

「おう、そうだな。金は今渡す。それと少しは戦の疲れも取れたか?」


 幸村が頷くと、利明は妙に満足気な顔を浮かべて自分の懐に手を突っ込み、ゆっくりと銭の束を取り出した。


(ん?) 

 

「ほら、これだ」 


 そう言って利明は手に取った束を幸村に渡そうとする。

 一応それを受け取ったあとで、しかし幸村は怪訝な顔を浮かべて彼に尋ねた。


「……これだけですか?」


 幸村が何を言いたいかは、すぐに利明も気付いたようだ。

 というか、最初からこうなるのは彼も分かっていただろう。


「何か不満か?」


 いや不満かと尋ねられれば、もちろん幸村は不満だった。


「鎧やらの一式を揃えるのに、これでは足りないと思うんですが」


 そう、幸村が問題にしたかったのは、彼が受け取った銭の束の重み。

 それが予想以上に軽かったのである。

 昨日、市を歩いていた時に幸村は装備一式の相場を確かめていたが、今渡された分では買おうと思っていた品の半分もおそらく買えない。


 まさかその辺りは、幸村の才覚で埋めろという無茶な話なのだろうか。


「どういうことですか?」


 金を借りるという状況にそれなりの覚悟を決めていたこともあって、当然の疑問を幸村はぶつけた。

 しかしそれに首を振って、利明は答える。


「今日お前が買うのは刀を一揃えだけでいい。いや、それとなるべく見栄えのするような服もだな。そうじゃないとさわり(・・・)がある。ただそれ以外の、例えば鎧なんかはまた今度だ」


 その説明だけで幸村が納得するのは難しかった。


 今回、装備一式を揃えたほうが良いと言ったのは利明自身なのである。

 それを急に、前言を翻すとはいったいどういうことなのか。


 難しい表情をした幸村に、利明はあえて言葉少なに補足する。


「お前には少し村に慣れてもらってから仕事を任せるつもりだったが、また新たに面倒な事情が出てきてな」

「事情?」

「ああ。早いうちにそれを解決しなくちゃならん。人手も足りんし、戦から戻ってきてすぐで悪いが、お前にはさっそく俺と一緒に働いてもらう」

「……それっていうのは」


 まあ最後まで聞けと、利明は焦れ始めた幸村を黙らせた。


「黒田に税を納めている村同士で、先日諍いが起こったという届け出があった。細かい話はまた後だが、どうやら片方に死人も出ているらしい。そうなるともう、村同士の話し合いだけでは収拾がつかない」

「仲裁が必要だと?」


 幸村はさらに尋ねた。


「それは、だいぶ大ごとな話なのでは?」

「ああ。本当なら、重隆様や職隆様の判断を仰ぎつつ、という手順なんだが、今はお二人とも他のことで手が一杯だ。それで俺に一任するとお鉢が回ってきたわけだが、さすがに俺一人でやるには手の数が足りん」


 それゆえ、まだ何の仕事をするかも決まっていなかった新参の幸村に、白羽の矢が立った。


「お前が市に行っている間に、道中に必要な用意は済ませておく。それほど遠い村ではないから、そこまで大層な準備もいらんのだが」

「すぐ、出発するんですか?」

「そうだ。だからお前も急いで市を回ってこい。必要だと思うものはその金を使って全て揃えろ」


 どうやら幸村がゆっくり体を休められたのは、昨日一日だけだったようだ。

 彼は利明に返事をすると、すぐに踵を返して市に向かう。


「あとこの金は貸すんじゃなくて、支度金の扱いにするからな」


 追って背中に声が飛んできた。

 つまりは、返さなくていい金ということだろう。

 もちろん幸村にこの仕事を断る余地など、存在するわけもなかった。

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