三十六話 境目
香山城が陥落して、早くも数ヶ月が過ぎていた。
その間、城の周辺では小競り合いの小さな戦も行われていない。
小寺氏から援軍が送られたことで、香山城の守備にはほぼ隙がなくなっていた。
なにしろ、総勢で八百名近くの兵がいるのである。
敵対関係にある宇野氏もそう簡単に手出しをする気にはならないだろう。
それゆえ、香山城の修繕は予定通り、順調に進んでいた。
またそうした修繕作業には、近隣の集落から大工の棟梁らを上手く引っ張って来れたことも良い具合に影響したようだ。
人手もあるので、燃えてしまった本城などはそれほど時間もかからずに新しく建て直された。
そんな新たな城はといえば、燃えてしまった城と同じく二階建てである。
以前よりも、少しだけ規模は大きくなっただろうか。
それでもまだ全体の大きさは、小城も小城というところだったが。
ただ一方で、重道と職隆の二人は本城が出来上がった後も元いた屋敷から城に移ろうとはしなかった。
その代わりに城に入ったのは、小寺氏の援軍を率いて来た将と兵である。
それまで南郭に滞在していた彼らは、全体の半数ほどが本城とその付近の屋敷に移り住んだ。
その辺り、城の扱いを巡って黒田家と小寺氏の間にどういうやりとりがあったのか、もちろん幸村の立場ではわからない。
黒田家と小寺氏の力関係の差なのか、それとも重隆が身を引いたのか。
ただ、微妙なさじ加減の問題であることは確かだったから、幸村は無理に状況を理解しようとはしなかった。
浮かんだ疑問もただ胸の内に納めている。
しかし、黒田家に仕える兵(特に郎等ら)の中には、やはりこの状況に「どういうことだ」と怒っている者もいた。
その怒りももっともな話で、自分たちの血を流して手に入れた城が掠め取られたようになれば、どうしたって気分は良くないだろう。
幸村を村で引き取ってもいいと言ってくれた男――彼は自分の名前を利明と名乗った――もまたこの状況に微妙な表情を浮かべていた。
「誰に遠慮する必要もないはずなのにな」
彼は、重隆が援軍の将に対してもう少し強気に出てもいいはずだと考えていたようだ。
しかし、利明の口からそれ以上の文句が出ることはなかった。
彼は郎等の一人という自らの立場をはっきりと理解していたし、だからこそ一定の分別をわきまえている。
また同じくその状況について意見を問われた幸村が「仕方ありません」と答えると、利明はただ一言「それでいい」と言った。
「俺たちのやることは変わらない」
しばらくして香山城全体の修復がほぼ終わると、兵たちの仕事は城を警備することが主になった。
香山城が攻め込まれる場合を考えると、敵に備えるべきは北西の方角である。
なので、兵はその方角を重点的に警戒しつつ、集団を作って城の周辺を巡回するようになった。
また彼らはそうして斥候の役割を果たすとともに、周辺の治安維持・慰撫においても大いに貢献することになる。
香山城周辺の集落は、そのように兵が度々巡回してくることもあって、土地の支配者が変わったという現実を実感として徐々に受け入れ始めていた。
すなわち、城を落としてすぐならともかく、もはや香山氏の残党が黒田家に反旗を翻そうとしても、それを下支えする集落が出るような環境ではなくなっていたのだ。
そして、ある程度の時が過ぎても宇野氏が攻めてこないという事実、また香山氏の残党についてもほぼ考慮の必要性がなくなったところで、重隆や援軍の将はようやく兵を地元に戻すことを考え始めた。
香山城に籠もる、八百名という兵数。
これは戦時ならともかく、平時に城に留めておくにはやはり数が多すぎるのである。
戦の気配さえなければ、今の半数、あるいはさらにその半分の数でも城の運営に支障は出ないだろう。
さらには兵糧の問題もある。
現状、黒田家が城を維持するに当たっては、その財政に並々でない負担が生じていた。
中でも最初の半月近くは、捕虜にした香山氏の兵も城に残っていたから、城内で消費される食料の量は相当なものになってしまったのである。
そこに修繕に掛かる費用や細々とした物資の代金が加わり、またそうした物流の活発化に伴う輸送費用の増大もあったから、黒田家のここ数ヶ月の出費はとんでもない規模に膨れ上がっていた。
ある程度の支出は仕方のない面があるとはいえ、いつまでもそんな状態を保っていられるわけはない。
まして季節もそろそろ冬が終わろうとしていた。
春になれば、冬の間休止していた農作業も再開される。
そうした時期に兵を地元に戻さなければ、田は荒れ収穫量は落ち、半年後に自らの首を絞める結果につながるだろう。
まもなく、両者の間で話し合いが持たれた。
そしてその結論として、まずは黒田家の方が兵を引く形になったのである。
「兵の疲労が大きい方を優先したんだろう」
この辺りの事情に関しては、さすがに説明がなくても幸村は理解できた。
利明も雑談の中でそのように言い、幸村はこくこくと頷いてみせる。
一応、いくらかの兵は城に残されるらしいが、その者らは全て郎等の兵だそうだ。
そう説明してくれた利明も香山城には残らないというので、幸村にはさして関係がない。
ちなみに、そうやって兵を引くことに対して不満を言い出す者(彼らはまさしく城が横取りされると主張した)もいたが、重隆はその主張をすべて力で押さえつけた。
というか、そのように不満を述べる兵は少数で、大概の兵は地元に帰りたがっていたのだ。
なにせ故郷から離れて、かなりの時間が経っているのである。
地元に残してきた家族の心配もあっただろう。
さらには奪い取った戦利品も一度清算しておきたい。
そんなわけで、重隆たち黒田家の兵は激しい戦を乗り越え、ようやく黒田庄へと戻ってきていた。
この時、香山城を攻め落としてからちょうど四ヶ月が過ぎている。
出発時におよそ三百名いた兵の数は、村に戻って来た時点でおよそ二百数十名にまで減っていた。
黒田庄に戻ってきた幸村たちは、勝ち戦に浮かれる集落の住民からこれ以上ないほどの歓迎を受けていた。
重隆と職隆が騎乗の上、並んで村に入ると、住民たちは手を叩いて二人を迎え、口々にその名を大きな声で叫んだ。
さらに、二人の後に続いた幸村たち兵も同様に暖かく受け入れられ、
「よく帰ってきたなー!」
「お疲れ様ー!」
通りの左右に並んだ人だかりから、そのような声が投げかけられる。
今まで幸村は意識したことがなかったが、辛い戦を終えた後にこうして優しく迎え入れられるというのは想像以上に嬉しく、ありがたいものだった。
自然に気分は明るくなるようだったし、それと同時に兵としての誇らしさも否応なく感じてしまう。
こうやって兵は自分の仕えている対象に忠誠を誓うようになるのかと、幸村はふと思ったりした。
と、そうして全軍が村に収まると、今度は帰ってきた兵全員に大きめに握られた塩むすびが振る舞われた。
また以前とは違い、今回はその横に白菜の漬物と味噌汁が添えられている。
これはあの老婆の意見が通ったというよりは、人々の戦勝を祝う気持ちが前より大きかったということだろう。
あるいは集落の治安を守る意味でも、腹を空かせて帰ってきた兵たちに食事を与えておくことは重要なのかもしれない。
戦の空気を少なからず引きずっている兵も、腹が満腹の状態ならそうそう乱暴狼藉を働く気にはならないはず。
えてして、腹一杯になるまで出された食事を食い散らかした兵たちは、ひとまず人心地がついたようだった。
そうして一息つけた後、ようやくぱらぱらと動き出した兵はそれぞれが思い思いに村のあちこちへと散らばっていく。
その中でも周囲より早い段階で動き出した兵たち。
彼らのほとんどは戦で得た戦利品をさっそく自身の望む物に替えようとする者たちだった。
すでに集落の中には耳聡い商人が多く集まっているという。
また物によっては住民が物々交換、もしくは買い取りに応じてくれるというから、戦利品を金銭に換えるのにそれほど苦労することはないそうだ。
しかし、人より後に売るのでは、品がだぶついて安く買い叩かれる恐れもあったから、少しでも高値で売ろうとする者は早めに手持ちの品を商人に見せなければならない。
特に地元に家族を残してきている者などは少しでも多くの金を持って帰ろうとやたら気を張っていたし、また今回の戦の稼ぎで嫁取りを図ろうとする独り身の者もいる。
そこにただ懐を暖めたいだけの兵が徐々に加わっていくから、おそらくここ数日の間はまるで祭事が行われているかのように、村の中は騒がしくなるはずだった。
その一方で、幸村がそうした騒ぎに加わることはなかった。
というか、騒ぎに加わろうにも、彼は皆と同じような戦利品をほとんど手に入れていなかったのである。
最初の二日を気を失ったまま過ごした彼は、幸か不幸か、最も乱取りが盛んになった時期を逃していた。
その後も彼には機会がないわけではなかったが、いろいろと他に考えることがあったから、その機に手を伸ばす気分にはならなかったのだ。
そのため、強いて幸村がこの戦で手に入れた物を挙げるとしても、目を覚ました時にもらったあの衣服くらいになるだろう。
あとは新たに自分用の草履を手に入れただけで、商人たちとやりとりできるような金目の物は彼にはまったく縁がなかった。
そんな幸村とは対照的に、吾助や栄太はそこそこに戦利品を得ていたようである。
栄太はともかく、吾助が戦利品を得ているのはどうにも不思議な話だったが、吾助は腕が治った後にちょくちょくと城周辺の巡回に参加していたようだ。
あるいはその時にうまく機会を得たのかもしれない。
というのも、香山城周辺の集落の中には、戦に参加して命を失った兵の、誰も住まなくなったような家が少なからずあり、またそのような家を探し当てて中身を漁るのが妙に上手い兵もいたのだ。
それはややもすれば何かと紙一重な行為ではあったが、場合によってはその兵と組んでいた仲間たちもおこぼれに預かることがある。
出された食事を食べ終わると、二人は周囲の兵と同じように商人たちに手に入れた物を見せに行ったようだ。
それには幸村も誘われていたが、何も持っていない彼が商人たちに会ったところで何が出せるわけもない。
幸村は二人が何事かを話しながら離れていくのを見送ると、一人遅れて村の中に繰り出した。
ここで一応言っておくと、幸村もある程度の金銭は手にしている。
彼は戦利品こそ得てはいなかったが、給金についてはきちんともらっていたのだ。
その額も、しばらくは食事に困らないくらいはある。
そして近場のとある店に入った彼は、そこで適当につまみを頼み、それから少し悩んで酒も頼んだ。
彼が一人盃を傾けていると、次に店に入ってきたのは利明である。
利明は幸村を見つけて何も言わずに同じ机に座ると、店員に酒を頼み、それから幸村と視線を合わせて言った。
「それで、腹は決まったのか」
「はい。よろしくお願いします」
「そうか」
実は幸村は給金をもらう時に、利明に呼び出されていたのである。
もちろんその理由は、数ヶ月前に話したことの答えを聞くためであった。
ただ利明も幸村が誘いを断るとは思っていなかっただろう。
これまでの数ヶ月で、何度となく二人は会話する機会があったから、互いの人となりについてはある程度把握できている。
「なら、まずお前にしてもらわなきゃないのは」
そうして利明は、最初から用意してきた言葉を語るように言った。
「金を借りてもらうことだな」
その言葉に幸村は少し眉をひそめ、それでも小さく頷いてみせた。




