三十三話 希求③
二つ目、三つ目での集落でも、特に問題は起きなかった。
五十名の兵の圧力というのはやはり相当なものであるようで、考えれば賊が十人、束になって襲ってきた程度でも混乱してしまう集落は多い。
もちろん、農具を逆手で握りしめて、襲ってきた賊を逆に全滅させるような集落も存在はするらしいが、さすがにそのようなところも装備の整った兵を相手に無茶をする気にはならないだろう。
そうして四つ目の集落を訪れる頃になると、日は半分落ち、空は夕焼け色に染まり始めていた。
かと言って、いったん城に帰還するという予定は組まれていないらしい。
その後説明があり、今日は一晩、幸村たちはその集落で世話になるようだった。
実はその辺り、きちんと最初から予定が組まれていたようで、その村はそれまで訪れた集落の中では一番大きな規模である。
しかも食事の世話だけでなく、兵の寝床まで提供してくれるというのだ。
「至れり尽くせりだな」
集落の開けたところで出された夕飯の粥を食べながら、栄太は言った。
幸村もうなずく。
どうせ野宿なのだろうという認識が兵同士の間ではあったから、屋根のある場所で寝られるというのは予想以上に喜ばしいことだった。
しかし、集落の中に兵を入れるのは、ずいぶん思い切ったな行動だなと幸村は思う。
粗雑な兵の暴発が、いつ起こるともわからない。
よほど度胸のいる行為であるのは確かだろう。
事実、前の三つの集落では過剰に怖がらせないようにとの理由で、ほとんどの兵が集落の外で待機していた。
「ただ、交代で見張りに付くのだけが残念か」
粥を飲み込んだ栄太が言葉を続けた。対して「それは仕方がない」と幸村は答える。
なにせ香山城から、半日ほど距離のある場所まで出て来ているのだ。
あまり不安がるのもどうかとは思うが、緊急の事態に備えることは必要だろう。
予定では、兵五十人を三つの班に分けて警備を分断させるという。
二人が食事を摂っている今は、すでに一つ目の班が集落の見張りについていた。
幸村は食事をとった後に、さっそく警備に付く予定だ。
そして栄太は、その幸村と交代する形で仕事に付く三つ目の班に割り振られていた。
空は雲一つ無く、月明かりが地面を照らしていた。
冷たい風に吹かれながら、幸村は組になったもう一人と焚き火の横で集落の周囲を見張っている。
すでに一度目の見張りを終え、二度目の出番。
時間は深夜になっていた。
とりあえず次の交代が来れば、幸村の今日の仕事は終わりになる予定である。
今回、一緒に組むことになった兵は、どうやら郎等の一人のようだった。
あるいは最初からそういう組み合わせになるようになっていたのかもしれない。
互いにあいさつした後、その男は幸村が徴兵された兵だと知ると、態度を少し上から目線のものに変えた。
何かの見栄なのか、妙に威圧的な態度を取り始めたのだ。
『自分の方がこいつより偉い』
そう思っているのはすぐにわかったので、幸村はわかりやすく彼の望むような態度を示した。
すると男はそうした幸村の対応に、単純に喜んだようだ。
まったく男も男で、いろいろ大変であるらしい。
途端に愚痴がこぼれ始めた。
そうして見張りの合間にぼそぼそと二人で話しているうちに、まんざらでもない調子で気を許してくれたのか。
次第に、男は幸村のする質問にも答えてくれるようになった。
「じゃあ、敵大将の首がその、小寺の庇護を受けるのに必要だったんですね」
「ああ。香山の城が落ちたことで、小寺の大将は北からの圧力を受けずに済むんだ。向こうにとってみりゃ、躍り上がるほど嬉しかっただろうさ。北をこのまま抑えとけば、あとは東と西に集中できるから」
訳知り顔の男に、なるほどと幸村は数度頷いた。
その様子を見た男が満足そうな表情を浮かべる。
だから調子に乗ってさらにいろいろなことを喋ってくれる。
そして始めこそ幸村は上っ面で話を聞いていたが、今は割と本気で男の言葉に耳を傾けていた。
というのも、その話の中に、幸村にとってかなり重要な内容が含まれていたからだ。
一言で言えば、ここでようやく幸村は今回の一連の戦についておおまかな概要を知ることができたのである。
小寺政職。
今、香山城に援軍を送ってくれている小寺の総大将の名前だという。
代替わりしてからそう日が過ぎておらず、まだ歳の若い領主だそうだ。
三十にもほど遠いほどらしい。
いや、そんなことはどうでも良くて、大事なのはこの『小寺』という苗字。
幸村が唯一覚えていた知識に従えば、黒田家はしばらくこの小寺という苗字を名乗っていた時期があるはずだ。
それはつまり、今後黒田家が小寺氏の一門になる未来があるということ。
ここまでの話からして、今回の戦こそがそのきっかけになるのではないかと幸村は予想した。
「そういえば、職隆さまって子供は……?」
「もちろん、いるぞ。萬吉さまだろう? 二、三歳ってところじゃなかったか」
萬吉。記憶は定かではないが、おそらくその名前が幸村も知っているあの黒田官兵衛の幼名なのだ。
(もう官兵衛が生まれてるってことは……)
小寺の苗字になるのも、時期的にそう遠い話ではない気がする。
幸村は自然と体が興奮するのを抑えられなかった。
(もしかしたら、これで西暦も分かるのか?)
残念ながら幸村は官兵衛の生まれ年をきちんと覚えてはいなかったが、しかし、官兵衛の逸話についてなら多少の知識はある。
ならば、後に起こる出来事からその生まれ年をある程度推測することは可能なはずだ。
例えば、官兵衛の身に起こった出来事の中で最も大きなものの一つに、荒井村重の手による有岡城での幽閉騒ぎがある。
織田家に反旗を翻した村重が説得に来た官兵衛を一年近くも幽閉したこの事件、確かその身が解放されたのが『1579年』、それもエピソード的に藤花が散った後のはずだから、その年の夏か秋の時期だ。
というのも、この同時期、秀吉が播磨東部にある三木城を兵糧攻め(三木の干殺し)にしていたのだが、ちょうどこの城攻めが終わったのが切り良く『1580年』に入ってすぐなのである。
現代にいた当時、幸村は播磨三大城の一つである三木城を、見て回る城リストに入れようかどうか悩んだことがあり、その過程でいろいろ調べたことがあった。
だから、三木城が兵糧攻めされている最中に官兵衛が解放されたという歴史の流れは、おそらく間違っていないはず。
この辺は逸話が多いこともあり、幸村の記憶にも強く残っている。
そして軍師二人、官兵衛の同僚である竹中半兵衛についての後年、最も有名な逸話のひとつにあるように、幽閉されていた当時、官兵衛には十歳の息子がいたはずだから、その歳は三十前後にはなっていただろう。
そうなると逆算して――。
(今って、西暦で言うと『1550年』辺りか?)
多少のずれはあるだろうが、幸村はこの時初めて、自分がいる時代の正確な年代をはっきりと理解した。
1550年。
ちょうどこの年だとすると、まさに室町時代末期、いまだ世がまとまりを見せず、勢力が乱立している時期だ。信長や秀吉などはもう生まれているが、まだ二十歳にも届かないような若者のはずである。
この世界にやってきてから、およそ一年余り。
胸が騒ぐのをどうにか落ち着かせた幸村は、横の男にばれないようにこっそりと小さく息を吐く。
自然と胸にこみ上げてくるものがあるのだった。
これだけのことに当たりをつけるのですら、こんなにも時間が掛かった。
もちろん、その一年余りの間に今が何年であるという話を聞く機会はあったのだが(吾助にも訊いたりはしたのだが)、天文何年と元号で教えられても、ある程度の目安にもならず、幸村がよく知る西暦にはつながらなかった。
というか、その元号ですら訊く人によって、大永、享禄、果ては永正と半ば馬鹿にされているような、訳の分からない名称を使っている有り様で、どれを信じていいのかまったく参考になるものではなかったのだ。
まして初めの村にいた当時、少ない知り合いの誰もが現在の元号を知らず、愕然とした覚えが幸村にはあった。
ただ考えてみればそれもそうで、生きていくのにそれほど必要のない知識は誰だってそうは覚えたがらない。
今の社会でそのような知識を得るにはある程度の余裕が必要であって、だからこの世界では人によってどうしようもないほど知識に偏りが出るのだ。
あるいはそれも、幸村が地元の村を出た理由の一つではあった。
あの村にずっといたのでは、生活基盤の安定のほか、大して彼が得られるものがない。
「おい、どうした」
幸村が意識を別に移していることに気付いたのだろう。
男が言った。
「いや、別に……」
幸村は表情を見られないよう、軽く顔を背けて答える。
「えーと、東と西だと今はどっちの方が危ないんですかね」
そしてごまかすように適当にした質問に、男は少し考え込んだ。
「まあ、直接的な意味では西の方だろうな。北の宇野もそうだが、備前に浦上がいるから」
幸村は「はあ」と相槌を打ってみせる。
ちょうどその時、二人の後方から突然、怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい! お前ら!」
幸村たちは後ろを振り向く。
同時に、隣の男が顔を歪めた。
声の主は、幸村を北郭まで連れて行ったあの郎等の男。
彼は見張りがきちんと仕事をしているか、見まわっていたらしい。
すぐに二人の近くまでやってきた男は、少し声のトーンを落として言った。
「確かに暇かもはしれないが、任せた仕事は真面目にやれ。でないと、この後交代の人間を寄越さないぞ」
すぐに幸村は「すいません」と謝った。
同じく横の男も頭を下げる。
すると目の前に立つ男は、二人のうちの一人が幸村であることに気付いたようだ。
何か言おうと、男はしばらく幸村の顔を眺めていたが、ふいに視線をよそに外した。
「また回ってくるからな」
そう言って男は立ち去って行き、その後ろ姿を幸村は少し不安な思いで見送ったのだった。




