二十五話 悪い夢⑤
幸村の予想では、一郎と二郎の関係はしばらくこじれたままになるはずだった。
一郎はあの通りの性格であるし、二郎の方も一度許せないと思うと意固地になってしまうようだ。どちらも下手に気骨があり、そして自分が正しいと信じられる根拠があるからそう簡単に折れる理由がない。
しかし、二人の仲違いがあまり長く続いて家庭内が荒れるのは、幸村もほかの家族も望むところではないのだ。できれば早めに関係を修復して欲しいと皆が思っている。
今後の関係を見据えると、おそらく最初に手を出した二郎が謝り、一郎が許すのが形としては最善になるだろう。そうなってくると、もし幸村が二人の仲裁に入るなら一郎よりも二郎の方を説得したらいいのか。
叔父の良三が帰っていった後のこと。
幸村は母親の茶飲み相手をしながら、これからどう行動しようかと考えていた。
(はっきり言って、積極的に関わりたくはないんだよな)
幸村の本音はそうだった。そういう意味で彼はやはり一家の部外者ではあった。
なら余計なことはしないで、時間が全てを解決してくれるようただ待ってみたらどうか。しかし、さきほど叔父の言っていたことも一理あるにはあるのだ。
ある程度年齢のいった兄弟三人、そのうち二人の間で起こった揉め事に中立どころか一切目を背けて関わろうとしない弟など、傍目に好ましくは映らない。良くてせいぜい『気持ちはわかる』といったところだろう。やはり責任を果たしていないと見られる。
(やっぱり意識を改めないと駄目なのか)
幸村の発想は、結局そこに戻ってくる。
現代とこの世界では、ものの考え方も感じ方も違うのだ。それはすなわち、幸村に周囲から要求される態度や能力も異なってくるということ。
いやそもそものところ、この前幸村が二郎の後ろについて山に登った理由も、自らの感覚をこの世界に合わせようとしたためではなかったか。ちょうど折り悪く死体と対面してそれどころではなくなってしまったけれど、その方向性は間違っていないはず。
一ヶ月近くをこの家で過ごして、幸村はさすがにそろそろ動くべきだと考えていた。その期間をじっと黙って過ごしてみても、何かの拍子に現代に戻れるなんて事態は一切起こる気配がない。
どれほど理不尽だと思っても、受身の姿勢では何も変わらないと考えねばならないようだった。
となれば、行動あるのみ。あるいは長期戦も覚悟しなければならないだろう。
一年、二年。いや最悪の場合、帰れない恐れもある。悲観的な想像ならいくらでもできた。それでも幸村は冷静に物事を進めなければならない。
(今できそうなことを、とにかくしよう)
幸村はとにかくそう決心した。なので彼は、ひとまず二郎と話してみるために一度家を離れようとしたのだが――。
兄二人の問題を解決する機会は幸村が思いもしない方向から迫ってきていた。
幸村は急遽、村長からの呼び出しを受けた。
良三が帰った後、さちと話している所に村長からの使いと名乗る男が家を訪ねてきたのである。その男は呼び出す理由を幸村に教えることなく、「とにかく俺に付いて来い」と言った。
対して、まず幸村と一緒にいたさちが「どういうことですか」と男に尋ねる。
「何か三郎が……」
「いや、そういう話じゃない。ただ、さちさんはちょっと家で待っといてくれたら」
そう言った男は渋い顔を浮かべ、「早くしろ」と幸村を手で急かした。幸村に拒否権はないようで、仕方なく彼は立ち上がる。しかし、そこまで不安なわけではなかった。遺体を発見した時のこともあって、村長に対して幸村はあまり悪い印象を持っているわけでもないのだ。
心配そうに見つめるさちに一度頷いて、彼は男の後ろに付いて家を出た。
村長の家を訪れたのは、先日遺体を発見した時以来のことだった。
そしてこの前と違うのは、すでに家の中に村の男衆が三人集まっていたこと。そのうち二人はなんと一郎と二郎で、もう一人の方は幸村の見知った顔ではない。
二人は弟が呼ばれてくることを知っていたらしく、幸村が姿をあらわすと一郎が顎をしゃくって自分の横に座るよう指示をする。よく事情がわからず、その通りに幸村は座った。
すると、上座に座っていた村長が満を持したように口を開く。
「わざわざ集まってもらってすまない。まあ、何かと私も聞くところがあるのだが」
そのように言う村長の声に、さほど重苦しい空気はなかった。
「あまり兄弟同士で揉めるというのは良くないな。一郎」
村長は一郎の顔を見つめながら言った。そしてその一言で幸村はようやく村長の目的を理解する。
(二人の仲を取り持つつもりなのか)
幸村は思った。しかし、昨晩の出来事に対して村長の対応がずいぶん早い。また村長がなぜこんなに大げさな場を作ったのだろうかと幸村には疑問が浮かんだ。
(どっかの誰かがよほど問題にした?)
いや、叔父の話を信じれば、そういうわけでもないはず。とはいえまさか、村長が村の各家庭で喧嘩が起こるたびに仲裁に入っているわけでもないだろう。
そう思って幸村が横を見ると、一郎は黙って村長と視線を合わせていた。二郎は下を向いている。二人の表情から感じ取れるのは、単に気まずそうな感情だけだ。
「なにか、家で困ったことでも起きたのか」
村長は一郎に向かって尋ねた。すると、すぐに一郎は横に首を振る。
「いいえ。特に何も。困っていることはありません」
「なら、何をそんなに焦っているんだ。二郎はよく働くし、性格が悪いわけでもない。お前だって助けられることが多いだろう」
一郎は少し時間を置いてから頷いた。だが、ここは自分も発言するべきだと思ったのだろう。決意したように一郎は口を開く。
「二郎については、村長がおっしゃる通りです。しかし、二郎ももう二十五。いつまでも家の中で飼い殺しにするわけにはいかないでしょう」
それを聞いた瞬間、二郎は顔をしかめた。『ここではそう言うしかないよな』とか、『余計なお世話だ』とでも思ったのかもしれない。
「しかし、土地を分けるにはうちの畑は狭いですし、少しずつ広げていくにもあと何年掛かることかわかりません。その後には三郎も、いますし」
「じゃあ、だから一郎は蓮介の家を二郎に継がせようとしたのか?」
「はい。婿を探している家があればと考えていましたが、二郎が蓮介さんの遺体を見つけたと聞いてこれも機会かと」
「そうか」
村長は数度頷いた。
「ただ今もそう思っているわけではないだろう」
「……そうですね。今回のことは、空回りに過ぎました」
意外とその言葉の響きに真実味があるのを幸村は感じた。今朝の様子からは想像もつかなかったが、一郎にも昨晩のことについて思うところはあったらしい。
「やり方が悪かったな」
そう答えた村長は今度は一郎ではなく、二郎の方を向いて口を開く。
「二郎の方はどうなんだ。お前は家を出たいと思っているのか」
「それはもちろん、はい」
返答にふむ、と頷いて村長は話を続ける。
「お前と同じような立場の人間が他の家にもいることは知っているな」
「ええ。それもあって、昨日俺は兄貴を怒ったわけで」
「しかし、殴るのはやり過ぎだろう」
「……まあ、そうだったかもはしれません」
言葉でそう言っても、内心では思っていないようだ。二郎はぶすっとした表情になるのをどうにか堪えていた。そんな様子を見て、村長は額の上を掻いてみせる。
「まずはそのことを一郎に謝るべきじゃないか。一郎の方も悪意があってやったわけではないんだ。今の話を聞いて、お前もわかっただろう」
まだ二郎は納得していないようだ。すぐには反応しなかった。しかし、村長は二郎のそんな態度を許さない。
「いいから、私が見ている前で謝ってやれ」
有無を言わせない口調だった。ここで折り合いをつけろというのだろう。
二郎は何か言おうとしたようだったが結局そのまま飲み込んで、一郎の方に顔を向けた。
「悪かった、兄貴。殴ってすまなかった」
「……わかった。こちらも、悪いところがあった」
二人の会話は異様にそっけなかったが、村長はそのやりとりを聞いて満足そうに頷く。
「よし、これでお前たちの間に問題はないと考えていいな?」
改めて確認され、二人はそれぞれ頷いた。
しかし。
(これで解決でいいのか?)
ただただ横で見ていた幸村としても、そう思わざるをえない。なんというか、上から押さえつけるようにして事態が解決されてしまった。これでは今後、何かの拍子にまた問題が吹き出るような……。
「じゃあ、今度は別の話になるが」
しかしそんな幸村の思いは、村長が続けて話した内容でかき消えることになる。
「最近、村で婿が欲しいという家が出てきた。それでその相手に二郎はどうかと私は思うんだが」
婿という単語に一番最初に反応したのは、一郎だ。
「ちょっとーー、待ってください」
「二郎を婿に出す気はあるんだろう。それとも二郎が抜けたら、家が立ちいかないか」
答えを求められた一郎は、もう一度待ってくださいと言って下を向き、何事かを考え始めた。突然の話に驚いているらしい。
そしてそれは二郎も同様である。一瞬反応に迷って、しかしこらえ切れないように、二郎が村長に尋ねた。
「それはどこの家の話ですか」
「年頃の一人娘がいる家だと言って分かるか、二郎」
「……もしかして、彦助さんのところですか?」
確認に村長は頷く。
一方、その彦助という人の名前が幸村にはまったく思い当たらなかった。おそらくまだ幸村が会っていない村人の中の一人なのだろう。
「しかしあそこは、日頃から娘は嫁に出すと言っていませんでしたか。大した身代があるわけではないと言って」
「そうだ。だが、どうも彦助が体を壊してしまったらしくてな。最近は腕が上がらないと、よく嘆いていたそうだ。思えば、近頃はよその家の手伝いにもたまにしか出てこなかった」
そこまで説明されれば、幸村にもある程度の事情はわかった。
「働き手が必要ということですか」
一郎の質問に村長は頷いて答える。
「それも早急に、なのだ。どうもずっと我慢していたようなんだが、昨日今日と彦助は自分の畑にも出てきていない。心配をした連中が訪ねて行くと、調子が悪いと言ってずっと寝床で伏せていたそうでな」
もしかしたら今後はたいして働けなくなるかもしれない。村長の言葉に一郎はなるほどと頷いた。
「事情はわかったと思うが、どうだ。病気にならないような、なるべく体力のある婿を探していると向こう側は言っているんだが」
そう尋ねられて、一郎は悩んだようだった。
その理由は幸村もなんとなくわかる。この話を受け入れると、どうやら大した財産もない家を背負って、病人を含めた家族三人を養うことになりそうなのだ。二郎の苦労する未来が目に見えている気もする。
「二郎本人としてはどうだ」
ここで村長が話を振ると、二郎はすぐに返答した。
「俺は、いいですよ」
すると、一郎が思わずといった様子で二郎の顔を見やった。考えなしに答えたと思ったのだろう。しかし、二郎は兄に睨みつけられてもまったく戸惑う様子はない。
「そろそろ家を出なくちゃならないとは思っていましたから。最近は三郎もやる気を見せ始めましたし。ちょうどいい頃合いっちゃあ、頃合いなんでしょう」
「そうか。本人が乗り気なら話は早い。実は彦助の娘も今、違う部屋に呼んでいてな。良ければ早速話をしてきてほしいのだが」
「わかりました」
そう言って二郎が立ち上がろうとすると、一郎がその腕を掴んで引き止める。
二人が視線を合わせた。一郎の目は早計だと弟に語りかけていたが、対して二郎はただ首を振った。二郎の意思はどうにも固いらしい。
「悪いが、ちょっと向こうの部屋まで連れて行ってやってくれ」
村長はあえて目の前の光景を無視したようだ。部屋の端でずっと控えていたもう一人の男に声をかけ、「案内の後ろに付いていけ」と男を指差す。
「彦助が出てこれない代わりに、家同士の話し合いに立ち会ってくれるそうだ」
おそらくもう一人いた男の方は、彦助と親しい人間なのだろう。幸村はそんなことを思いながら、案内に付いていくためその場で立ち上がろうとする。
「ああ、一郎と二郎はいいんだが、ちょっと三郎はここに残ってくれ」
予想外のことに、幸村は村長の顔を見つめた。
「どうしてですか?」
一郎も同様のことを思ったらしい。幸村の代わりに村長に尋ねる。
「ちょっと訊きたいことがある。それに三郎がそっちに付いて行ってもあまり意味は無いだろう」
それは幸村も考えていたことだ。なぜなら今まで話し合いに幸村はまったく加わっていないし、それで何の問題も起こっていない。一番下の弟として、念のため呼ばれたのかと内心思っていたのだ。
しかし村長がそういうのでは仕方ない。幸村はまたその場に座り込んだ。対して、一郎は二郎と幸村のどちらに付くべきか迷ったらしい。一度立ち上がったままそこから動けない。
その間にも案内の男は部屋を出ようとしていて、二郎はその後ろに続いている。二郎は二郎で、自分のことで精一杯なのだろう。どちらが家にとって重要な話かを考えて、仕方なく一郎もまた案内に続いて部屋を出ていった。
そうして幸村は村長と二人、部屋に残された。心中には不安しかない。村長が幸村に訊きたいこととはなんだろう。
「お前だけが残された理由が分かるか、三郎」
さっそく村長に尋ねられた。具体的に何も思いつかず、幸村は首を振る。
「いいえ、何も」
「お前がろくでもないからだ」
その途端、幸村は思わず顔を歪めそうになるのをなんとか我慢した。
(やっぱり、村長にも嫌われてたのか)
かすかな期待だったとはいえ、やはり物悲しくはある。遺体を発見した時に少しでも優しくされたと思ったのは、ただの幸村の勘違いだったのか。
そんな幸村の反応を見て、厳しい表情だった村長がかすかに首を振った。
「冗談だ。一人残されたからといって、そう固くならなくていい」
「え?」
幸村は村長の顔を伺ったが、今はもう笑っていた。ものすごく心臓に悪い冗談だった。ひとまず安心した幸村は細く息を吐く。顔中皺だらけの見た目の癖に、そんな調子の良い部分を見せなくてもいいだろうに。
「最近の噂は聞いているぞ。どうもずいぶん真面目にやっているそうじゃないか。何か心境の変化でもあったのか」
「……はい。いろいろと考えることがあって」
「そうなのか。それはもう少し具体的に言うと、どういうことだ」
さらに突っ込んでくるのか。しかし、幸村はあまり悩まずに答えた。
「人として強くなろうと思っただけです。もう少し、しっかり生きることができるように」
我ながら真面目なことを言ったと思ったのだが、村長は首を傾げた。この答え方では抽象的にすぎたらしい。
「いや、人として強くというか、足りない所が多いと気付いたのでそこを埋めていこうと思ったというか」
「正直に言っていいんだぞ、三郎。私が知らないわけではないのはお前も分かっているはずだ」
「……はい?」
「最近お前がやる気を出した様子なのは、夕とまた何かあったからだろう」
想像もしていなかった言葉が村長の口から飛び出した。幸村はいきなりがつんと頭を殴られたような感覚になった。
いったいどうして村長は三郎と夕の関係について知っている様子なのか。
「最近も、川の近くで二人で話していたそうじゃないか」
(二人で話していた?)
「ええと、それは」
「お前の気持ちはわからなくはない。しかし、もうそういうことはないようにと以前にも言ったはずだろう」
(以前にも言った?)
幸村はそんなことはまったく知らない。つまりどういうことなのだ? それを確認するため、幸村はなんとか言葉を絞り出した。
「七日ほど前のことですか」
村長が言っているのは、おそらく幸村が初めて水を川に汲みに行った時のことだろう。
「そうだ。もしかして気付いていたのか。いや、見かけたのがお前たちについて知っている人間だったからよかった。だが、これ以上そんなことがあっては、またお前に相談されても助けようがないんだぞ」
(また相談されても?)
まだ分からない。今の言葉から判断すると、村長は三郎と夕の関係を知っているということか? いや、それだけではない。知っている人間は村長だけではないと――。
努めて冷静でいるよう心がけながら幸村は考える。しかし考えれば考えるほど、どうにも悪い想定だけが幸村の頭に浮かんだ。
「前にも言ったように、一盗二婢三妾という言葉はある。けしておまえだけがそんなことを考えるわけじゃない。しかし村のことを考えるとそれは……」
そうまで言われては、もはや勘違いのしようがなかった。途端に村長の言葉がどうでもよくなっていた。幸村はなるべくなら安定した村での生活を保ちつつ、現代への帰還方法を探そうと思い描いていたのだ。
しかしそうして引いたはずの図面は、今、脆くも崩れ去った。どうも周囲から幸村に対して向けられていた冷たい視線。その理由に、幸村はようやく気が付いた。
(みんな、知ってたのか?)
三郎と夕の関係。なら、むしろなぜ今日まで自分は、村で平気な顔をして暮らしてこられたのだ。途端に幸村は、うめき声をあげそうになる。
言ってみれば、幸村は知らず綱渡りをしているような状態であの家に住んでいた。いや、むしろ家族の中にもそのことを知っている者がいたのか?
思えば、予測できる兆候もあった。狩りで山を登っている時の、二郎のあの態度。
(あるいは、それだからだっていうのか!)
そして幸村はその発想に至った。今までどうもよく分からなかった、どうして幸村がこの時代に来てしまったのかという理由。
(三郎自身が、ずっといなくなりたいと思っていたから)
実際のことはわからない。ただ幸村はここでひとつの結論を導き出さねばならない。
目の前に積まれた山ほどの問題。知ってしまった今、村で平穏に暮らすことなどもはや望むべくもないだろう。幸村の感覚は、常識は、そこまで現代から離れられない。
結局のところ、幸村の村での生活はもう最初からとうに詰んでいたのだった。
回想終わりで、次からまた本筋です。




