十八話 壁③
遠目から見ていた時にも思ったが、南郭の門構えはさほど立派なものではなかった。
なんなら、気持ち程度の防備でしかないのは、南郭が商いを主目的としてできあがっている場所だからだろう。
下手に威圧感を出さず、人の通行がしやすいことを最優先に整えられている。
それはややもすれば、本当にその場所を守る気があるのかと突っ込みが入りそうな気もするが、今まではそれで何も問題なかったのだろう。
だから、幸村たちは割合簡単に最初の困難を突破することが出来た。
門を突破した際の、こちらの被害はわずか数人。
それも死んではいない。
幸村が悩んでいたのが拍子抜けするほどの容易さである。
最初に姿が見えた守備兵らは、幸村たちが門の直前に迫るまで投石を続けていたが、彼らが門に取り付くと一目散に後ろに下がった。
事前に命令を受けていたようだ。
その事実からも彼らが割と本気でこの場所を守る気があるのかどうか疑わしく思える。
対して、北郭の方向からは大きく、腹に響くようなぶつかり合いの音が何度も聞こえた。
本隊はまだ正門を打ち破れてはいないようだ。
音の聞こえる位置が変わっていない。
またその合間には細く風を切る音が聞こえるから、あちらでは石のほかに矢まで飛んでいるらしい。
南郭の方で矢が飛んでこなかったのは、弓を扱える兵が皆、北郭の方に向かったからなのだろう。
とすると、やはり南郭は戦略的に価値が低いと考えて良さそうだった。
幸村はようやく半分、疑念を確信に変える。
それは生き残りへの好材料であったが、それでもまだ気を抜くわけにはいかない。
たとえ矢が飛んでくることがなくても、投石だって体に当たれば泣きたくなるほど痛いのだ。
それは思わず、その場でうずくまってしまいそうになるほど。
もし頭になど当たった日には、気を失うだけで済めば運がいい。
(これからあと何回、戦わなくちゃいけないんだ?)
まだまだ、朝と呼んでよい時間帯である。
香山城南郭、一段目の郭を進んでいた幸村は一度足を止め、周囲を見回した。
すると、この郭には建物がほとんど建っていないことがすぐにわかる。
まるで広場のように開けた土地が広がっていた。
おそらく、この辺りに市が立つのだろう。幸村はまず思った。
平地で建物もなければ、販売スペースの区切りもしやすいはず。
使いやすければ、その分市の日には人出もあって、ずいぶん騒がしい場所になるのだろう。
幸村は平時の時、市が立っている時の郭の姿を想像した。
ただ敵は無粋にも、この郭のあちこちに遮蔽物をでっち上げようとしていたらしい。
その残骸がちらほらと残っている。
半分作りかけの土のうがそこらに転がっていた。
最悪、それらが完成していても通り抜けるにはそれほど邪魔にはならなかっただろう。
とはいえ、この後ろに隠れて石でも投げられていたらそれもまた面倒だっただろうか。
いやとにかく、作業時間が足りず、敵兵が皆この場所を放置して逃亡したということは、戦がこちらのペースで進んでいると考えてもいいはずーー。
そのように考えたのは幸村だけではないようだった。
味方の部隊の多くは敵の姿がほとんど見えないのをいいことに、どんどん前に向かって進んでいた。
一方、幸村の率いる小隊十人はその後方、全体の足並みを乱さない程度に一番後方をゆっくり進んでいる。
とにかく安全に、慎重に進むことを幸村は意識していた。
対して、不満気な顔を浮かべる数人の顔はあえて無視している。
目的がそれぞれ違うのだから、その辺りのすれ違いは仕方がない。
幸村にしてみれば、この戦の最大の目標は自分が生き残ることだが、他の何人か、たとえばあのガラの悪い顔をした男にしてみれば、戦とは一種の金稼ぎの場であった。
この南郭をもう少し登ると、人の住む長屋や一軒家が並んでいる場所に出る。
その中には当然、金目の物も少しはあるだろう。
そしてそれらを懐に収めるには、いの一番に建物の戸を破らねばならない。
そもそも部隊の行動中にそんなことをしてもいいのかという話もあるが、それは残念ながら命令違反ではなかった。
いや、積極的に肯定されているわけではなく、黙認と呼ぶのがおそらく正しい。
敵が家に隠れているかもしれないという名目があれば、それを誰が止めるわけにもいかなかった。
もちろん、周囲の味方が戦っている最中に抜け出して家を漁っていたら話は別だろうが。
(でも、最悪そういう状況になったら。抑えらんないだろうな)
そんなことを考えながら幸村はひとまず先頭に立って道を進む。
そして二段目の郭に続く上り坂をようやく登り切ると、そこで彼は運悪く、道の横に倒れている人を見つけた。
妙齢の女性。
怪我をして、ひとりきりでその場に残されたようだ。
足のあたりを押さえて丸くなっている。
前を進む味方は彼女を無視して進んだらしい。
幸村は一瞬、逡巡する。
だが、彼もまた彼女を無視して進むことを決めた。
幸村は周囲に進む方向を合図した後、彼女の横を通り過ぎていく。
しかし、隊の最も後方にいた一人が我慢できなくなったようだ。
隊列を外れて、とっさに彼女に近寄った。
後ろの兵がざわついたことに気づいた幸村は、足を止めて振り返る。
すぐに離れた兵の背中が見えたが、なんと部隊の隊列を乱したのはあの吾助であった。
「大丈夫?」
女性に近寄った吾助は開口一番、そう言った。
しかし、彼女は何も答えない。ただ表情には怯えの色だけが浮かんでいる。
対して、吾助はその顔をじっと見つめた。
二人の視線がしばらく交差した。
すると、吾助の表情になんとなく感じ取れるものがあったらしい。
女性の険しい表情が少しだけ緩められた。
「おい!」
そこに、誰が言うよりも先に幸村が大声を出した。
吾助がこちらを振り向く。
早く戻ってくるよう幸村は手で合図を送った。
しかし吾助は、なにか言いたそうな表情を彼に返してくる。
まさか彼女を担いで安全なところまで連れて行くとでもいうのか。
幸村は首を振った。
その反応に吾助はさらに迷ったようだった。
しかし、ついには振り切るようにしてこちらに向かって走って来る。
倒れた女性は離れた位置からでも分かるほどに哀しい表情を浮かべて、吾助の背中を見つめていた。
まったく嫌な役割だった。
けれど、押し付けられた幸村の立場が彼をそうさせた。
また進み始める。
おそらくあのまま放置しても死ぬことだけはないだろうと、幸村はとにかく思いこんだ。
その後、五十名は二段目の郭、建物が何軒か建っている辺りまで進んでいた。
そこには敵兵が控えており、ついに直接、兵同士が槍をぶつけ合う戦闘が始まった。
しかし、まだまだ敵には後ろに下がれる余裕があるため、本格的な闘争にはなりそうにない。
幸村はしばらくそう思って戦っていたのだが、少しして彼は一部に反抗が激しい場所もあると気付いた。
特に建物の周囲で戦っている敵兵が手強い。
何故だろうと思って幸村は注意してその周辺を探ってみる。
するとどうも、それらの敵にある共通点があることに幸村は気づくことになる。
というのも、手強い兵は皆、見るからに良い装備をしているのだ。
おそらく重隆の郎党たちが着ているのと同じ兵装。
ならば選抜された部隊なのかとも思ったが、しかしその割に兵の動きが洗練されていないような……。
その理由を考えて、幸村はすぐにひとつの仮定に至った。
すなわち、その兵たちが守っているものは香山城ではなく、自分たちの財産。
つまり、彼らは香山城を拠点とする商人たちが雇った私兵なのではないかと思ったのだ。
いや、もしかしたらあの二十人ほど数がいる彼らは、普段商人の下で働いている男たちなのかもしれない。
あるいはそこに、商人自身も手に槍を握りしめて混ざっているとか。
とにかく彼らは建物――おそらく商品が詰まった倉庫――の周囲で懸命に戦っていた。
幸村の予想が正しければ、香山某とはまた異なる意味で、彼らもまた人生がかかっている。
結果的に一文無しになるとはいえ、命だけは助かるはずの道を知りつつ、それを肯んじなかったのだから、戦意ももともと高いところにあっただろう。
(それでも……)
忙しなく動きながら幸村は考える。商人たちもここまで自分たちが中心となって戦う羽目になるとは思わなかったのではないか。
というのも、敵兵の多くが後ろに引き気味になりながら戦っているために、自然、建物から離れられない彼らが前線に出ているような形になるのだ。
そして彼らは装備こそまともであるが、まともな訓練を受けているわけではない。
従って、その私兵たちがますます被害を出すことになった。
案の定時間が経つと、幸村たち黒田側が数で一方的に優勢になった。
そしてついに建物の周囲で頑張っていた彼らも追い散らされてしまう。
ほとんどの敵は一段上の郭に向かって逃げ去っていった。
見たところ、三段目の郭は今までと違ってきちんとした柵に囲われていた。
きっちり防備を固めているようである。
なんなら最初からそこに篭って城を守るつもりだったのかもしれない。
では、屋敷を守ろうとしていた者たちのあの奮戦は、いったい何の意味があったのだろう。
幸村は何かを考えようとして、ひとまず止めた。
とにかく、一段落がついたのだ。
周囲が安全なことを確かめて、ふうと一息つき、幸村は周囲を見回した。
一番多く死体が横たわっているのは当然、最も大きな建物のそばであった。
幸村はすぐにその辺りから視線を逸らす。
血の匂いが香ってくるようだったからだ。
その一瞬の間に、ふと目につく。
今までずっと先行して進んでいた味方の一部隊。
彼らは進む足を止めて、その建物の入口前に集まり始めていた。
幸村は最初、その行動は彼らが休息を取るためなのだと受け止めた。
これまでのように不用意に上の防御拠点に突っ込んでいくのはさすがにまずいと思ったのだと。
(向こうが休むつもりなら、自分たちも休憩を……)
それで幸村が周囲に声をかけようとしたのもつかの間のこと。
入口前に陣取った彼らは、誰かの掛け声に合わせてそのまま建物の中へと押し入っていった。
「あ」
それは一瞬の出来事で、幸村も誰もその行動を止めることはできなかった。
みるみる間に堰を切ったように十数人の兵が建物の中になだれ込んでいく。
彼らは金目の物が残っていないかどうか、建物の戸を無遠慮に開けて探ろうとしていた。
すぐに何かを破壊するような乱暴な音が聞こえ、次いで、建物の中でいくつもの悲鳴が重なる。
あるいはそれが呼び水になったのか。
すぐに周囲の部隊からも反応が出始めた。
急に場が慌ただしくなる。
流れに乗り遅れたと気づいた者が、隊を離れて屋敷に飛び込んでいるようだ。
自分の隊からも二人が屋敷に向かって駆け出しそうになった。
「待て!」
とっさに幸村は彼らを止めた。
それは道義心からだけではない。
睨みつけるような視線が返ってきたのに対し、彼はある方向を指さした。
二人の視線がそちらを向く。
するとすぐにその表情が変わった。
隊の人間に怪我人が出ていたのだ。
一人、足をやられて歩けない者がいた。
とすると、誰か一人が付いて後方に連れて行かねばならない。
意図が通じると彼らは嫌な顔を浮かべたが、さすがにそのまま放置しろと言い出しはしなかった。
いつ自分が同じ状況になるかわからないのだ。
その時見捨てられるくらいなら、今は助けておくほうがいい。
それで立ち止まった二人も含めて、幸村は怪我人に付き添わせる人選を始める。
同時にほかに怪我をしている人間がいないかどうかも確認した。
(まずいよな)
とりあえず稼げた時間でとにかく幸村は状況を整理しようとする。
だが、そんなにすぐには頭は回らない。
予想はしていたはずなのに、戦闘が終わった後の一瞬の虚を突かれた形になった。
もしかしたら最初からあの部隊はそのつもりだったのか。
現状は一言で言って、どうしようもない。
すぐに自分の力では二人を止められなくなるだろう。
あるいはほかにも何人か飛び出す者が出てくるかもしれない。
道徳的なことはこの際置いておく。
それよりも幸村にはひとつ、懸念があった。
この略奪が後で問題になったら、誰が責任を取る羽目になるのか――。
いや、それも考え過ぎなのだろうか。
逆に全く問題ないものとして扱われる可能性もあるかとすぐに幸村は考え直す。
たとえば京の一銭斬りがあれほど有名になったのはそれまで略奪が当たり前だったからで、この時代なら当たり前のことなのかもしれない。
ただ、今は状況が――。
「ふざけんな!」
そこで幸村に向けて怒鳴り声が飛んだ。
叫んだのは、あのがらの悪い顔つきの男である。
男は幸村の意識が別なところにあったのを見抜いたらしい。
ついに我慢できなくなったようだった。
「人を一人選ぶのにいつまで時間かけてんだ! もう付き合ってられねえぞ!」
そうして彼はもう一人を連れ、屋敷に向かって駈け出した。
「やめろ!」
その背中にかけた幸村の声など二人は完全に無視している。
幸村は迷った挙句、その場を動かなかった。
その代わり、幸村は両脇を見回して、二人に付いて行きそうな兵がいないかそれだけを確認する。
それが正しい判断なのかどうかは幸村にもよく分からない。
そのうち、部隊を抜けだした二人が大きな建物の入り口までたどり着いた。
しかし、彼らが屋敷を覗くとすでに中は他の兵に散々踏み荒らされていたようだ。
それで今から入っても実入りが少ないと思ったらしい。
彼らはすぐに矛先を変えた。
その大きな建物の横に続く、長屋。
そちらに目を向けた。
長屋はまだ手付かずのようだった。
そのことに気づくやいなや、彼らはすぐに駆け出した。
そしてあのがらの悪い顔つきの兵が最初にたどり着き、最も手近にあった部屋の戸をがらりと開いた。
するとその途端、部屋の中から何か大きなものが飛び出してくる。
人、だった。
彼は戸を開けた兵に体ごとぶつかっていった。
その途端、悲鳴のような叫ぶ声が幸村の耳に届く。
幸村のいる場所からは遠目にしか見えなかったが、次の瞬間には体当たりを食らった兵が膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。
事情が変わったことを理解した幸村は、動ける隊の皆を連れてすぐに長屋に向かった。
一方、倒れた男の横にいたもう一人の兵も遅れて男に反応し、持っていた槍の柄でその男の頭を容赦なく打った。
すると鈍い音がして、頭を打たれた男はその場で倒れる。
まもなく、その場に幸村たちが到着する。
幸村は事態を確認した。
兵に頭を打たれて倒れたのは小太り気味の男だった。
その格好は明らかに兵ではない。ならば、商人かなにかか。
すでにその体はぴくりとも動いていなかった。
言うまでもなく、死んでいた。
そしてそれはあのガラの悪かった兵も同様だ。
腹を思い切り深く小刀で刺されている。
男はしばらくビクビクと体を震わせていたが、やがて動かなくなった。
地面には血溜まりができている。
身を捨てて男は、最後の抵抗を図ったのだ。
誰が言わずとも、その光景を見た者なら理解できた。
ただ蹂躙されるよりは、と考えたのだろう。
そんな中、幸村はふと戸が半分空いたままの長屋の中を覗き込む。
すると彼は人の気配があるのを敏感に感じ取った。
幸村は大きく戸を開く。
すると部屋の端に二人、女性と子供が隠れるようにして座っていた。
二人はおそらく、今飛び出してきた男の妻と息子。
その瞬間、幸村は雷に打たれるようにして事情を理解した。
「あぁぁぁ」
悲鳴を上げ、妻らしき女性は子供を幸村の視線から隠すように胸に抱いた。
その顔はひきつっている。
すぐに部屋を覗きこんだことを幸村は後悔した。
すなわち、部屋から飛び出してきた男は自分の家族を守ろうとしたのだった。
そして、兵一人を道連れにして無残な結末を迎えた。
もう家族を守ることは出来なくなった。
そう全てを理解すると、一気に気分が落ち込んで行くようだった。
まるで自分自身がただの悪者に思えた。
実際、そうだった。
耐え切れず、幸村は部屋の二人から顔を背ける。
その間に、なんだなんだと味方が数人こちらに近寄ってこようとしていた。
それに気付いた幸村は腕を伸ばし、近付いてこようとする彼らを止める。
そして彼は目を背けたまま、一言だけ彼女たちに向かって言った。
「このままずっと出てこないでください」
返事は待たなかった。
幸村は自分が開けた戸をそっと閉める。
そして後ろを振り向くと、
「戻ろう」
そう皆に向かってつぶやいた。




