十四話 転向④
物見の報告が間違っていたようだ。
ようやく遠くに見えてきた敵の数は、おそらく二百ではきかない。
予想より松明の列が長いのだ。
少なくみても、三百はいる。
数だけで言えば、重隆たちとほぼ同数近く。
その中に戦える人間が何人いるのか。
「どういうことだ」
丘の上で、重隆が誰に言うでもなく、口に出した。
その口調はきついが、怒っているわけではない。
彼はただ、敵の数が増えた理由を考えていた。
何度となく、数は確認させたはずなのだ。
重隆は周囲を振り返る。
皆が目を背ける中、職隆だけが視線をまっすぐに捉えた。
『面倒が起こったのですね』
その目が語っている。
重隆は黙って視線を逸らした。
不快になったのではない。
息子のやけに落ち着いた様子がただ小憎らしかった。
だが、何日か前に吐いた言葉を今更違えるわけにはいかない。
予定通りにやる、と重隆は低く声を絞り出した。
すると、その言葉をきっかけに、彼の周囲は慌ただしく動き出した。
■
腹の底が熱く、燃えるようだった。
さきほど兵一人に対し、盃一杯分の酒が回されてきたのだ。
もちろん、幸村も受け取った。
彼は一気にその中身を飲み干し、盃を空けた。
この時代の一般的な酒といえば、やはりどぶろくである。
いわゆる庶民向けの、濁り酒の一種。
その製法はまだ洗練されていない。
だから、アルコール度数は本来よりやや低目に出た。
その分、口当たりは優しい。
とろりとした甘さが舌に残る。
デンプンと糖の働きだ。
現代において、幸村はほとんど酒を飲まない人間だったが、されど彼とて大学生。
飲み会に参加することもたまにはあった。
その時、興味本位で頼んでみたウイスキー。
ストレートで口に入れた瞬間、吹きそうになった。
体が一瞬で熱くなった。
なのに無理して一杯を飲み切り、次の日は起き上がるのも億劫になった。
だが、今日の酒は。
間違いなく、その時よりも腹の奥が騒いだ。
空きっ腹だからか。幸村は考える。
しかし、それだけではないようだった。
自身が戦場にいること。
それ自体が何よりも幸村の気分を高揚させていた。
もしくは、無意識にも高揚させねばならなかったのだ。
生存本能が働いていた。
(死なない、俺は死なない)
そして幸村は、自らに刷り込むように心のなかで繰り返す。
いつもよりその時間が長い。
それだけ緊張しているのだ。
敵はもうすぐ真下を通る。
ふと、体が震えた。
武者震いか、あるいは単に寒かったのか。
幸村本人にもわからない。
いや、わからなくてもよいのだった。
幸村は息を深く吸って、吐く。
もう一度。ようやく震えが止まった。
遠くで号令の声が聞こえた。
幸村は頭を上げる。
太鼓の音。
次の瞬間、全軍を挙げた鬨の声が丘の上に響いた。
それは雲ひとつない星空を揺らすほどの大きさだった。
すぐそこに幸村も加わった。
そうして戦は、始まった。
少し間を置いて、幸村は味方とともに丘を駆け下りた。
第二陣、敵はまだ夜襲の効果で混乱しているはず。
怖いのは同士討ちだけだった。
それを避けるため、幸村たちは背まで届くほど長く白いハチマキを締めている。
充分な備えではないが、それでもないよりはましだ。
幸村がまず突っ込んでいった場所。そこはすでに戦闘が収束しかけていた。
数人が倒れている。
死んでいるのか、生きているのか。
判別はできないが、動かないなら何も問題はない。
彼らの体を飛び越えるようにして、幸村は走る。
周囲に危うい味方はいないか。
見つけた。
しかし幸村よりも先に、味方が二人援護に入った。
その途端、三人で敵を押しまくっている。
多勢に無勢と、すぐに一人が槍の先で相手の腹を突いた。
「~~!!」
声にならない声が敵の口から漏れた。
そのまま刺された勢いで敵は後ろに倒れこむ。
だが、かろうじて傷は浅かったようだ。
心も折れなかったらしい。
倒れた男はとっさに横に転がってうつ伏せになると、地面に掌をつけて起き上がろうとした。
「ぅぐっ」
しかし、今の傷が響いたのだろう。
敵の動きが一瞬、止まった。
その隙に、地面に着いていた腕の片方を味方の一人が蹴り飛ばしてしまう。
衝撃で、また倒れた男が地面に顔をぶつけた。
直後、背中に槍が二本飛び込んだ。
決着だった。
幸村はすぐに視線を逸らした。
周囲をまた探る。
いた。
一対二。
味方が何とか耐えていた。
考える間もなく、幸村は槍を手に突っ込む。
同時に相手の気を引くよう彼は大きく叫んだ。
「うらぁぁあああ」
腹の底から出しただけあって、効果はあった。
敵二人のうち、一人がこちらを向いたのだ。
背後から接近した幸村はその首筋、は止めて脇腹を狙って槍を大きく振るう。
すると、柄の部分がうまく相手にぶつかった。
骨に当たった感触。
そして意外と槍は重量がある。
耐え切れず、打たれた男が膝をついた。
うめき声。
それを聞いたもう一人が、幸村にちらりと視線を向ける。
追い詰められた味方は、その隙を見逃さなかった。
一瞬の間のあと、味方の槍の穂先が敵の首筋に吸い込まれた。
そのままばたりと、糸が切れるように敵が倒れる。
すぐに槍が引き抜かれ、その場に血しぶきが飛んだ。
それを横目で捉えつつ、幸村は脇腹を打った男の頭を持って地面に叩きつける。
さらにもう一度、脇腹を蹴り飛ばした。
それで息が詰まったらしく、男は腹を抱えたままゴホゴホと咳をして、一切立ち上がることができない。
(これでしばらく動けないはず)
そう思った幸村の横を、槍が通りすぎた。
「ぁあ!」
次いで、倒れた男の口から小さく悲鳴が漏れる。
幸村はすぐ横を向いた。
槍を突き出したのは、もちろん敵ではない。
味方の兵が幸村から横取りするような形で男に止めを刺したのだ。
その兵の目は文字通り、血走っていた。
明らかに通常の精神状態ではないのが見て取れた。
彼は敵の腹から槍を引き抜くと、またすぐ別の敵を探していなくなってしまう。
幸村はその背中に何か言うこともできなかった。
一方、幸村が助けた男もまた前線に向かうつもりのようだ。
「助かった」
その一言だけ言い残して、彼はこちらも見ずに走り去っていく。
気を取り直した幸村はさきほどの血しぶきで頬に付いたものを手の甲で拭った。
その次の瞬間。
幸村は誰かに背中を蹴られて、前方に吹っ飛んだ。
「ぅがっ」
なんとか倒れ込むまでには至らなかった。
敵か。幸村はすぐに体勢を立て直して、後ろを振り向く。
(ん?)
しかし予想外にも幸村を蹴り飛ばしたのは、額に白いハチマキをした男。
味方だった。
そして男の視線は、すでにこちらに向けられていない。
(味方が、なんで)
そして間もなく、幸村は事情を察した。
敵が二人、後ろから突っ込んできていたのだ。
ちょうど、幸村の背中が狙われていた。
声をかける余裕もなかったのだろう。
そして、その味方に礼を言う暇もない。
幸村は敵を牽制するように再度、槍を振るわねばならなかった。
戦はまだ始まったばかりである。
幸村はひとまずまだ、血に酔ってはいない。




