十三話 転向③
結局のところ、重隆が一軍を挙げたのは幸村がかの村に入ってからひと月も経たないうちのことだった。
戦相手の名前は香山某、野戦になる予定だという。
三百名の兵を率いるのは、黒田重隆、およびその息子の職隆。
名目では職隆が総大将だそうだ。
幸村は全体のうち、中央より少し後方に配置された。
最前線ではない。
その事実は比較的、幸村を安心させた。
少なくとも、伏撃をくらって何もわからないまま死ぬことはなさそうである。
また出発の際、長屋で渡された主な装備は、長槍と鎧、陣笠の三点。
それに二日分の食料を持てばとりあえずは兵としての格好がつく。
以前のところでは陣笠は渡されなかったから、他の土豪より少し驕っているといえるだろうか。
ちなみに、黒田家に直接仕えているような郎党たちは、当然幸村が着ているものよりもよっぽど上等な装備を用意していた。
さらに彼らには、二、三人の下人がついている。
下人たちは戦場に着くまで郎党たちの世話をし、大抵の場合、戦には加わらない。
そんな彼らを含めると、黒田の軍勢は全体で四百人以上の集団になっているのではないか。
そして自分がその中の一員になっているのだと思うと、幸村は少し恐怖を覚えた。
今までとは段違いに軍勢の規模が違うからだった。
説明では、三日程度の進軍で目的地に着くという。
その間、幸村はとにかく体力を失わないよう気をつけねばならない。
■
香山重道がまた小寺の領地にちょっかいを出そうとしていた。
まるで蝋燭の火にたかる羽虫のように、追い払ってもすぐにまた近寄ってくる。
政職もずいぶん面倒に思っているようだ。
どうにかその動きを止めようと各所に働きかけているらしいが、今日までそれは根本的な解決に至っていない。
そのように問題が解決しない理由はいくつかある。
中でも最も大きな原因。
それはこの播磨という国をまとめる役目を持つ守護大名、赤松家がどうしようもないほど衰退していたという事実である。
それは簡単にいえば、戦国時代を代表する言葉、『下克上』がこの地で起こっていたということ。
赤松家のかつての部下たちはそのほとんどが独立し、各自が自身の才覚によって領地を運営していた。
そのため、播磨という土地はどこか、箍が外れたようになっていたのだ。
ちなみに、重隆が今仕えている主家、赤松政秀の元を去ろうと考えたのはそのような要因も含まれている。
他人の人生を多く背負う立場である重隆は、沈みかかった船(と連結している船)にいつまでも乗っているわけにはいかない。
それゆえ重隆は、この香山氏の動きをある種の狙い所だとも判断していた。
誰かと信頼関係を結びたいなら、相手の抱える問題を解決してやるのが手っ取り早い。
こちらが価値ある存在だと見なされればよい。
そう一度決断すると、重隆の行動は早かった。
間もなく商売の伝手を通じて、政職の意思を確認することができた。
そして三日前。
「重道の首を持って参上するならば、相応の待遇をもって迎える」
そのような直筆の書状が政職から届いた。
花押もある。
つまり、言質を取ったということ。
重隆はすぐさま兵を挙げる準備をするよう、息子の職隆に命じた。
そうして即座に軍勢を整え、出発した道中でのこと。
「城攻めになるでしょうか」
馬上の職隆は横を進む父に尋ねた。
この時、職隆は二十歳そこそこの年齢。
ただし、戦に出るのは初めてではない。
元服してすぐ、敵対していた土豪が多くいた頃、小競り合い程度の戦を彼は何度となく経験していた。
しかし、敵の本拠地である城や砦を攻めたことはまだない。
「状況次第だ」
対して、重隆は低い声で答える。
「すべてが上手く行けば。大将さえ野戦で討ち取れれば、さほどの面倒にはならない」
すでに香山重道は、小寺の領地に入り込んでいた。早速、村を荒らしているという報告が届いている。その数は総勢で二百名程度。ならばそのうちで戦える人間は、百五十名ほどのはずだ。
兵力ではこちらが十二分に勝っている。
しかるに、自分たちが指揮さえ間違えなければ無様に負けることだけはないと重隆は考えていた。
「面倒になった時はどうしますか」
そんな職隆の疑問に、重隆はぴくりと片眉を上げてみせる。
「面倒がどうした。この戦は我らにとっての分水嶺だ。黒田家はこの戦に賭けた。ならば、お前も賭けないでどうする。何があっても、最後までやり切るだけだ」
「はい」
父の強い意思を感じ取ったのだろう。
少しだけ強張った声で職隆は言った。
■
予定した位置に到着したらしかった。
幸村たち三百名の兵は、命令を受け、丘の上に伏せて待機していた。
陽は半分落ちかけている。風は、肌寒い。
「夜襲なのか」
小声で幸村がつぶやく。
寒さで、口から白い息が漏れていた。
槍を握る手もどことなく赤色に変色している。
(鬨の声があがったら、丘の下に駆けて行く、と)
まだ丘の下には誰の姿も見えない。
太い道が一本、でんとしてあるだけだ。
それも周囲が薄暗くなるにつれて、よく見えなくなっている。
(香山、香山か……)
敵が来るのを待っている間、幸村は香山という苗字で有名な武将がいるかどうかを、どうにか頭の中から引っ張りだそうとしていた。
しかし、どれほど考えてみても香山という苗字の武将は思い出せない。
ならば、今回の戦は歴史に残っていない、小競り合い程度の戦ということなのだろうか?
その割にはこちらの軍団の規模が大きい気がする。
重隆は村に残す戦力はほどほどに、およそ半数以上の兵を引っ張ってきているのだ。
よほど大事な戦なのだろう。
つくづく幸村が悔やまれるのは、黒田家の歴史に関して自分があまり知識を持っていないということだった。
やはり秀吉やら織田家が来た後の話の方が有名であるから、官兵衛の祖父、父の戦場での逸話はさらっと流してしまった。
覚えているのは個々の簡単な略歴と、黒田家が一時期『小寺』の姓を名乗っていたことくらい。
あるいはそれに関連した戦なのかな、と想像することしかできない。
「おい」
幸村がそうして頭を悩ませていると、隣で横になっていた男が幸村の肩を叩いた。
「見えたぞ」
そう言って男が指さした方向を、幸村は見つめる。
そして思わず彼は、声を上げそうになった。
視線の先に見える、一列に連なった松明の明かり。
その長さからするに、敵の数は幸村の想像以上に多い。
(これからあれと戦うのか)
伏兵からの奇襲という、こちらが有利な条件で戦うとはいえ、この後すぐに起こるであろう悲惨な状況を想像し、幸村はゆっくりと細く息を吐いた。




