chap2-2
あるいは、世界の意思というものであったり。
あるいは、神々の采配というものであったり。
あるいは、偶然の産物であったり。
当初、実際に出会った神様とかいう存在に、大見得を切って『現代人はエンターテイメントにどっぷり浸かっているので、多少のことでは精神に動揺は生まれない』という持論をぶつけた割に、異世界の住人の視線に戸惑ってしまうという、なかなか恥ずかしい体験をしていて。
その僕の精神の流れを把握したまま、僕の手を握る王子様っぽい人が現れるという状況。
物語的進行を考えるならば、ある種の意思や采配や産物を念頭に置いたのなら、ここで起こりうる展開は、異世界社会に慣れるための契機である、という可能性がある。
しかし、この考え方自体、この世界を有機的な社会ではなく、無機的な物語として考えすぎなのではないだろうか。
「―--身を任せるべきか」
「ん、何か言ったかい!?」
「別に、何もっ!!」
「よしわかった、絶対に後ろを振り向くなよっ!!」
僕の呟いた言葉に、過剰に反応する青年。
視界の端に道端に座り込む少年少女が、その声の大きさに一瞬からだを竦ませるが、すぐに無気力になる。薄汚れた服を着た大人が、身なりの良い僕らを注視しているが、かなりの速度の僕らに、不健康な身体の彼らは上手く近づけない。行く手を阻む人たちがいても、カミーユが絶妙に道を変えてゆく。
時折、黒猫が不思議そうに僕らを眺めてくる。この世界にも猫はいたんだ、と短く思う。『黒猫を見たのはもう三匹目だ』。この世界には黒猫しかいないのかもしれない。老人の声はいまもなお続く。『花をもった少女が坊ちゃま』、と叫ぶ。慌てて進路を変え、建物の中に入るため扉をくぐる。暗いトンネルの様な所を走る。『息をするなよっ』、とカミーユが叫ぶが、いきなり言われてもそんなことは出来ない。『扉の先には絵の具で塗りつぶしたような、不恰好な建物が見える』。もう人は出てこない。しかし、僕らはまだ走る。
時折、珠達が戸惑ったような反応を見せるが、明確な意思の表示はしてこない。
貧民街を縦横無尽に走る僕らは、大きな声を出して確認を取り合う。
「というか君はいいのっ!? いいとこの坊ちゃんなんじゃないの!?」
「君じゃないっ!! 僕はカミーユっ!! カミュちゃんと呼んでくれッ!!」
「カミュちゃんいいから、ちょっと止まって!!」
懇願する声に、カミーユは案外すんなりと立ち止まってくれた。ベータの力によって身体機能は正常に保たれる為、荒く息をつくこともないが、僕は大きく深呼吸をする。
「えっと、まず、確認作業から行いたいのだけれども」
「うん、いいよ」
素直に頷くカミーユに、僕は何から聞くべきか悩んでしまう。
「まず、なんで僕の手を取ったの?」
「君が好きだからさ」
「うるさい、一目惚れなんて無い」
「いや、この胸のときめきはきっと恋だ。君を一目見た瞬間に感じた」
「感じたのはただの欲望だよ。残念ながらね」
「夢の無い子だね、君は」
「夢を願いすぎてこうなったんだ」
やれやれ、と呆れた様子で手を広げて肩をするめるカミーユ。大げさで芝居がかった仕草も、どこか馴染んで見える。
「それじゃあ、夢を見てみようか」
カミーユが指をパチン―――と鳴らす。その音は不思議なほど辺りを反響し、まるで強烈な閃光が襲ってくる様に、僕の身体を揺さぶる。思わず身体が竦み、目を閉じる。
そして、何をやっているだと目を開ければ、そこにカミーユの姿は無かった。
「どういうこと?」
「簡単なことさ」
声は足元から、視線を下げればそこにいるのは黒猫だった。
カミーユの様に高貴な艶やかな黒い毛。ピンとたった耳、やる気のなさそうな尻尾。開く口からは鋭い歯が見えるが、その瞳は猫特有の力強さは無く、子供が絵の具で書いたような、塗りつぶされた黄色をしている。
まるで、玩具の猫のような、不気味さ。
「確かに僕はいいところの坊ちゃんで、その護衛から逃げていた。でも、実際にはもう少し違う。僕は人を囲うのが好きで、たまに街へ出て人を浚う。それを止めるための護衛、正確に言えば監視。それが一番正解に近い」
「わぁ」
「貧民街なのに、身奇麗な僕らが入って何もないなんてありえない。途中からすでに魔法は発動しているんだ。幾多の契機によってね。それじゃあ、出たくなったらこの猫に自分の血を垂らして言うんだ。『私はあなたのものになります』。そうすれば、出られるから」
それだけいうと、黒猫からは力が抜ける。再び立ち上がると、僕を見つめながら、『ニャオ』と一つだけ鳴いた。
考える暇も無いくらいの急展開に、呆然と冷静を足して二で割ったくらいの精神状態で、辺りを見回してみる。
どこか全てが余所余所しい。全てが作り物のように感じる。そこにある全てが大きいのか小さいのかわからなくなる、不思議な遠近感。
軽く眉間を揉んで、再度あたりを見渡すが、状況は変わらない。
「まぁ、こういうった方がわかりやすいのかもしれない」
それが、僕の口から出た言葉。
日常よりも非日常なくらいが、身の振りようがあるというものだ。