chap2-3
まるでそこは絵画の様で。
匂いはない。風もない。音も無い。何も無い。
時間が停止してしまった空間、そういって過言ではない。僕の足音が一つ二つ、響き渡るのがどこか申し訳なくさえ感じる。
歩けど歩けど、周りの風景は変わらない。もちろん、建物の姿かたちであったり、道の幅であったり、そういったものは変わっているのだが、総合的な要素は変わらない。
『平和が訪れた貧民街』。そういったタイトルのついた絵の中を彷徨っているようなものだ。どこまでいっても、そのテーマに沿って街は構成されている。
いっそあからさまなまでの無音。不可思議なまでの無人。この世界に生きるなんて、まるで無謀。
「なんつって」
反響もせず、答えてくれる人もいないせいか、声が出ている気がしない。
とはいえ、そんなことはどうでもよいことだ。
「なかなか、いい世界ではあるね」
一つの建物の扉に手をかける。開いた先には部屋などなく、今まで歩いていた道とほぼ同等の道が続いていた。
「寝る場所がないのが問題だけど」
軽く探してみたが、どこへ行っても明るいこの世界。本来建物の影になっていてもおかしくないところでさえ、真昼間のように明るいのだ。
おそらくではあるが、こうやって神経をすり減らして、最後にはカミーユの提案を呑むことになるのだろう。
「―――へへ」
小さく、口元が上がる。
しかし、そう、しかしである。僕は笑いをこらえずにはいられない。
これは、僕の望んだ世界。
誰もいない、僕だけの世界。
ただ僕だけが、何かに煩わせられることなく笑っていられる、平和な世界。
社会に参加することなく、ただ物語の中に身体を沈めることのできる、幸せな世界。
時折、黒い影が建物の隅を横切った気がする。
だけど、僕は気にしない。
スプーンが落ちたような音が建物の中から聞こえた気がする。
だけど、僕は気にしない。
この世界は何も変わらず、何も気にすることなく、それが悪意だとしても、ただ僕のためだけの空間であってくれるのだから。
「―――あ」
そこで、ふっと気付く。
僕があんなに、異世界の住人達の視線を怖がった理由。
それの正確な答え。
視線だけを考えれば、地球でゴスロリで歩いている時だって結構集めているのに、何故あんなにも突然怖く感じたのか。
それは、先に考えた、その視線が幽霊の様な、完全な未知であることと繋がる。
簡単なことである。
社会への参加や、物語への参加を甘くみていたとか、そんなものではない。
僕にとって、未だこの世界は『大切なのか、大切ではないのか』確定していないことだ。
僕にとって地球はどうでも良い存在であった。少なくとも、死んだことをすんなり受け入れるくらいには。
しかし、この世界はまだわからない。この世界で死んだ場合、受け入れられるかどうかわからない。
そんな、不確定だらけの世界に住む住人達の視線に対して、僕はどうすれば良いのかわからなかった。
ユーリ達の件は、僕自身の知識として、物語らしくその流れに身を任せれば良かった。そこに不確かさはほとんど存在しなかった。ありきたりな剣と魔法と出会いだ。しかし、異世界の街の人々の視線なんて、明確に意識したことなんてない。そこに感じる生の雑踏や息遣いや視線に、対処する物語なんて存在しないのだ。
赤ちゃんが街の人々の視線を集めれば、おそらく泣いてしまう。
それは何故か。怖いのではない。どうすればいいのかわからないから、泣くのである。
簡単に言えば、僕の状態はそういったものであった。
「さて、なんとなくまとまったし、帰ろうかな」
僕を中心としてアルファ、ベータ、デルタの三色がふわふわと回る。
やろうと思えば、この空間の破壊も容易なのではないだろうか。この空間がどういった状態で形成されているのかは、いまいちわからない。
しかし、カミーユによって作られている、という一点。これがあれば十分である。
使用者を殺せば、解決されるだろう。おそらくではあるが。
「この世界で暮すのも悪くない、けれども、しかし」
折角遊んで暮らせるような能力もあるのだ。それを生かさないまま、この安寧に身を任せるのはもったいない。
どうせならもっと遊んでからこの世界に招待されればいいのだ。
「と、いうわけで、交渉です、黒猫さん」
にゃぁ、と黒猫が一声なく。
「結論からいえば、残念ながらあなたは浚う人間を選び損ねた。いまからこの世界を壊してもいいですし、直接あなたを殺してもいい。けれど、それは野蛮な方法ですから、やらない。正気な人間らしく、話し合いで解決しましょう」




