chap1-3
「僕は、昔苛められていました」
アンジェは寝ている。焚き火番をしているセリカさんの視線を遠くに感じながら、ユーリは話を始めました。
正直言えば、男の娘であることも僕という呼称も被っているのでそれはやめてほしいとか、昔語りからはいらないから単刀直入に結論に入ってほしいとか無粋なことを思いましたが、それは本当に無粋なので辞めます。空気は読める子なのです。
「シズキさんの前で言うのも失礼なのかもしれませんが、この通り僕はこういう容姿ですし、まして、他の人には感知できない精霊の姿を目で正確に捉え、またその声も聞こえます。幼い僕は精霊とお話しているつもりでも、他の人から見れば空中の在らぬ所を見て独り言を呟く気味の悪い子供に見えたでしょう」
街の同世代の人間からはオンナオトコと揶揄され、両親からはその白い髪から気味の悪い子と避けられ、閉ざされた心は唯一の友達とよべる精霊との深部交感に及ぶ。唯でさえ強い精霊を感じる力は増加の一途を辿る。ある時、街の外れで精霊との交感を行うと、身体を分解されるような感覚に襲われる。それは『精霊化』と呼ばれる現象であった。所属する社会に拒否され、居場所を見失ったユーリは、その感覚に委ねるままにしていると、突然身体が揺さぶられ、あわや消えかかっていた意識を取り戻す。
「その揺さぶっていた相手が、アンジェさんだと」
「ええ、当初、僕はアンジェのことが嫌いでした」
折角、精霊と同一になれる、心の安寧がもたらされる。そう思ったユーリであるが、涙を流して見ず知らずの他人であるユーリを抱きしめ、良かった、と呟いたアンジェに酷く動揺する。人の悪意に触れてきたユーリは、その優しい心に戸惑いを覚えたのだ。
精霊との同一化を防がれたことによる苛立ち、自分を思ってくれて流した涙を見たときの動揺。アンジェはもしよければ少しの間、一緒にいましょう、と誘う。まだ存命であったアンジェの父も快諾。セリカはアンジェがよければ、問題ない。という様子であったらしい。
「後で聞けば、友達がほしかったらしいんだ。セリカのことは姉妹のように思っていたみたいで。没落したとはいえ、貴族には街の子供は近づかなかった」
戸惑いを残したまま、なし崩し的に一緒にいることになったユーリとアンジェ。苛立ちと言う名の興味を抱えつつ、それでも初めての子供同士の遊びに夢中になった。幼い子供には制御しにくい、複雑ないくつかの気持ちが同時に存在する。苛立ち、興味、楽しみ、動揺、戸惑い、安心感と、それと同じだけの不安感。期待と、喪失。
そして、転機が訪れる。事の起こりは、街の子供達による苛めである。
ユーリとアンジェが遊んでいた時、ユーリに石が投げつけられる。ユーリにとっては慣れていたことだが、アンジェにとっては驚愕の出来事。ユーリの前に出て庇うアンジェの額に石がぶつけられる。あっ、と小さな悲鳴を上げて崩れるアンジェを見た瞬間、感情は一つに纏まる。
「僕にとってアンジェは大切な人で、大切な人を傷つける存在は、許せない」
その白い髪が妖艶に舞う。莫大な精霊風が襲う。精霊風とは様々な精霊が多数移動することによる魔力の乱れ。ユーリを中心に幾多の精霊が集まり、その精神に感応して猛威を振るう。
「これが、それ」
小規模なそれが、今、僕の目の前で起きている。
そのとき、その街で同じように起きたであろう、精霊風である。
「あの時は、気がついたアンジェが止めてくれた。優しく抱きしめてくれて、大丈夫。と囁いてくれた」
ユーリはジッと僕を見つめる。僕はデルタとベータに身体へ影響がでないよう指示する。
「規模の違いはあっても、精霊風であの街の多くの人間は昏倒した。精霊風は身体を傷つけることは無いけど、意識をかき乱す。なんで、シズキ、君は平気そうにしているの?」
アルファが迎撃の姿勢をとろうとするが、僕はそれを止める。
「精霊達はいつも教えてくれる。その人に悪意があるか、ないか。けれど、君には精霊達も戸惑ってばかり。見えない、阻まれている。そう精霊達は言っていた。そして、そのアーティファクト、精霊は、自分達に近く、そして遠いものだと言っていた。それは一体、どういうことなのだろう?
アンジェがあの時、僕を護ってくれたように、僕はアンジェを護らなければならない。シズキ、君はあまりにも不確定すぎる。精霊に判断できない人間なんて、僕は今まで見たことがないんだ。アンジェにとって、もし害があるなら、僕は---」
とてもシリアスな状況ではあるが、僕はとてもついていけていなかった。
ユーリの心的熱量は半端なものではなく、ああ、これが所謂主人公ってヤツなのか、と上の空で考えていた。
ついでアルファが何か異変を感知した。
「安心してもらいたい」
「僕は---え?」
「もし不安であるなら、今すぐに立ち去っても良いよ」
精霊風が、落ち着いてゆく。
「え、いや---あの」
「とはいえ、今は厄介ごとが近づいている。精霊風のせいで、君は感知が遅れている。あるいは、それが彼らの狙いであるかもしれない」
「わっ、ルールどうしたの? ……えっ」
僕には見えないが、おそらくルールというのは精霊の名なのだろう。
話を聞いたユーリは顔を驚かせると、すぐに僕に背を向けて洞窟へと駆け出していく。そこにはすで剣を抜いて、どこかの前方を見つめるセリカがいた。
「ユーリ、何か気配がする」
「セリカ、あいつらだ。『黒き異貌』だっ」
若干おいてけぼりを食らっているが、とりあえず僕はベータの強化、デルタの防御をオートで。アルファをマニュアル化、手掌の前に固定。僕の意思で炎の槍なんかを発現できるようにする。
そして、この状況において一歩引いているためか、何やら影のような物体がセリカとユーリの後ろから湧き出て、洞窟へと向かおうとしている。前に意識を向けていたユーリの反応が少し遅れる。
「くそっ、アンジェっ!!」
「視認している対象を敵性と判断。アルファ、炎の槍を対象に発射」
手掌を黒い影に向け、アルファに命じる。アルファから魔方陣が展開。槍状の炎が黒い影を貫く。黒い影はその身体を一瞬散らしたが、すぐに身体を再構築し、アンジェのいるところへと進む。
なにやら悔しいが効果がなさそうである。しかし、一瞬の猶予を稼げたようで、ユーリが「ルールっ!!」と叫ぶ。
薄っすらとその輪郭がわかる程度の不定形。おそらく精霊であろう存在はユーリの背後で視認できるほど具現化する。
手の平を黒い影へと伸ばし、ユーリと精霊は同期したようにその身に白き光りを纏う。
「在るを知らざるや、在らざるを知らざるやっ――――《其れを認めず》!!」
ユーリの言葉ともに、光の格子が空間に展開。
アンジェのもとに向かっていた黒い影を取り囲む。黒い影はどこか悔しげな、そして戸惑いを覚えた様に身を震わせ、どうにか脱出しようとするが、それも狭まる光の格子に阻まれる。
焚き火に照らされている黒い影は、どこか身悶え、そして名状しがたい呪詛のようなものをその身から吐き出し、それでも光の格子は小さくなり、最後には共に消えた。
視線をセリカに向けると、例の狼っぽいものやら、熊っぽいものやらをザクザクと切り伏せている。その雰囲気は昼間見た狼っぽいものより、どこか邪悪で、不安を誘う。その向かう牙と爪を一振りで切り捨て、二の太刀で身体を真っ二つ。その姿形に惑わされず、意識を平坦に保ち軽々と倒すその姿は、一級の戦士以外にはありえない。
間隙を縫い、熊っぽいものが腕を振り上げセリカを叩きのめそうとするが、優雅にドレスの裾を翻し、その手を弾き飛ばすように切る上げると、もう一つドレスの裾をはためかせ、頭上から一刀両断とする。踊るように発揮された剛剣である。こちらでも僕が活躍する場はなく、切られたモノ達の血液が昼間とは違い、真っ黒であり、やはり呪詛のようなものを吐き出しながら死んでゆく。
これで敵は消えたように思える。セリカの表情もそのようであった。
洞窟の中では、アンジェがスヤスヤと眠りについている。確認したユーリが目に見えてほっとしている。
あきらかに、ただの襲撃ではない。安眠を貪るアンジェを見つめながら、少しだけ考える。
色々あるが、これが彼らの物語なのだろう。