第5話「丸眼鏡の技師と、光る記録珠」
工房街は、王都の南区画にあった。
鍛冶屋の槌音と、魔導炉の唸りが入り混じっている。通りに面した工房は扉を開け放ち、中で職人たちが汗を流していた。
「お姉様、この辺りは初めて?」
「公爵令嬢時代には縁がなかったわ」
「あたしもー。なんかわくわくする」
セリナが隣で周りをきょろきょろ見回している。好奇心旺盛な妹は、初めての場所に来ると子犬のように落ち着きがなくなる。
目的の工房は、通りの奥まった場所にあった。看板すら出ていない。扉に「ノック不要・勝手に入れ」と走り書きの紙が貼ってある。
扉を開けた。
最初に目に飛び込んだのは、散らかり放題の作業台だった。工具、水晶の欠片、配線図、食べかけのパン。その奥に、小柄な女性が座っていた。
丸い眼鏡をかけている。眼鏡の奥の目は大きく、水晶の欠片を覗き込んでいた。髪は無造作にまとめてあり、何日洗っていないのかわからない。白衣の袖は焦げていた。
「あの」
「三秒待って。今いいとこだから」
振り返りもしなかった。
三秒。十秒。三十秒。一分が過ぎた。
「……あの」
「もう三秒」
さらに一分が過ぎた。
セリナが袖を引いた。「帰る?」と小声で聞いてくる。
帰らない。ギルドの情報では、この技師がフリーでは最高の腕前だという話だった。
ようやく、女性が椅子を回転させてこちらを向いた。
「おまたせ。で、何?」
「リゼット・フォン・クラリオンです。魔導記録珠の改良を依頼したくて」
「あー、あの配信の人。見たよ。火球ぶっ放す公爵令嬢でしょ」
「元、公爵令嬢です」
「元でも今でも面白いから同じ。あたしはフィオナ・メルツ。魔導具なら何でもやるよ」
フィオナはにやりと笑って、手を差し出した。握手。小さな手は、魔導炉の熱で硬くなっていた。
「で、記録珠のどこが不満?」
「映像品質です。第5層の霧の中で、映像がほとんど白く潰れました。視聴者から見づらいというコメントが何件かあって」
「見せて」
記録珠を渡した。フィオナが眼鏡を押し上げ、記録珠を光にかざす。
「うん。これ量産品の標準モデルだね。魔力感度は中程度。映像解像は……まあ及第点。悪くないけど、ダンジョン配信には力不足」
フィオナの口調が変わった。さっきまでの気だるさが消え、目が輝いている。
「問題は三つ。一つ、魔力変換効率が低い。あんたの魔力の半分が熱として捨てられてる。二つ、映像の焦点調整が手動のみ。暗所や霧では追いつかない。三つ、音声の指向性が甘い。戦闘中の魔物の声と、あんたの声が同じ音量で拾われてる」
早口だった。専門用語が矢継ぎ早に出てくる。セリナが目を白黒させている。
「改良できますか」
「できるかって聞く? あたしに?」
フィオナが笑った。自信に満ちた笑みだった。
「三日くれれば別物にしてやるよ。魔力変換効率を上げて、暗所補正の自動調整をかけて、音声の分離回路を追加する。素材代は……そうだな」
フィオナが天井を見上げて計算している。
「銀貨30枚。技術料込み」
高い。今の手持ちから30枚は痛い。セリナが隣で小さく息を呑んだ。
でも、配信の品質は収入に直結する。前世でも「設備投資をケチるな」が鉄則だった。
「お願いします」
「まじ? 即決?」
「映像が良くなれば視聴者が増える。視聴者が増えれば投げ銭も増える。先行投資です」
フィオナが目を丸くした。にんまりと笑った。
「あんた、面白いね。公爵令嬢のくせに商売人の思考してる」
前世がOLだったとは言えないけれど。
「三日後に取りに来て。あ、それとあんたの魔力の波形データが欲しいから、ちょっと記録珠握ったまま魔力流して」
「こうですか」
「そうそう。……お、火属性の魔力、すごく純度高いね。これなら変換効率もっと上げられるかも」
フィオナの目がさらに輝いた。完全に技術者の顔だった。
工房を出た。
「お姉様、あの人すごいね」
「すごいわね」
「ちょっと変だけど」
「変ね」
「でも、なんか信用できる感じ」
セリナの感想は、私と同じだった。フィオナは変わり者だけれど、技術に対する情熱は本物だ。あの目を見れば、手を抜く人間ではないとわかる。
三日後。
フィオナの工房を再訪した。
「はい、できたよ」
差し出された記録珠は、見た目が少し変わっていた。表面に細かな魔法陣が刻まれ、淡い青光を放っている。
「起動してみて」
魔力を流し込んだ。
驚いた。
魔力の消費が、明らかに軽い。標準品の七割程度の感覚。そして、起動した瞬間の映像が段違いだった。
工房の薄暗い室内が、くっきりと映し出されている。フィオナの眼鏡のレンズの反射まで見えた。
「暗所補正は自動だから、ダンジョンでも勝手に調整される。音声も、あんたの声を優先して拾うように回路を組んである」
「これは――すごいわ」
「でしょ」
フィオナが胸を張った。
「あ、それと」
フィオナが工房の隅から小さな箱を持ってきた。
「おまけ。あんたの魔力波形見てたら面白いアイデアが浮かんで、つい作っちゃった」
箱を開けると、小さな赤い石が入っていた。耳飾りほどの大きさだ。
「蓄魔石。あんたの火属性の魔力を少しずつ溜められる。まだ試作品で容量は小さいけど、いざというとき魔力の足しにはなるよ」
「これは……いくらですか」
「おまけだって言ったでしょ。試作品のテスターになってくれるなら無料。データが欲しいだけ」
技術者の好奇心。見返りは金ではなくデータ。前世のエンジニアにもこういう人がいた。
「喜んで。使用感は毎回報告します」
「よろしく。あ、あとこれ取り扱い注意ね。蓄魔石は魔力を溜めすぎると破裂する。容量の八割を超えたら放出して」
大事な注意点だった。しっかり覚えておく。
工房を出て、改良された記録珠をポケットに入れた。
明日の配信から、映像品質が変わる。視聴者は違いに気づくだろう。
「お姉様、これでもっとたくさんの人に見てもらえるね」
「そうね」
セリナが嬉しそうに笑っている。
この子と、グレンと、そしてフィオナ。気づけば、仲間が増えていた。
婚約破棄されたあの夜は一人だった。今は違う。
さて、と。
次は第6層。そしてその先、第10層のボスが待っている。
改良された記録珠と、蓄魔石の試作品。新しい武器を手に、もう一段階上に行く。




